報われたバカに乾杯



 目が覚めてまず見えたのは、覚えのない真っ白な天井だった。




 清潔感溢れる、綺麗な白一色の壁を見ながら、

――知らない天井だな、とどうでもいいことを考えていると、

 まるで騒ぎ立てるかのような痛みが身体の至る所から聞こえてきた。




 身体中を襲う激痛に呻き声を漏らしながら、動かすことが敵わない手足を必死に動かそうとしている内に、自分の行いを思い出した。



――――なんで俺、生きてるんだ……?




 まず最初に浮かんできたのは疑問だった。

 自分の身体がどういう状態だったかは詳しくは分からないが、

 少なくとも助かるような怪我ではなかったはずだ。


 それこそ致命傷に至るようなものばかりだったと覚えている。

 どんなに優秀な医者が駆けつけて来ようともそれは変わらない。




 あの時、全てを使い潰すような戦いをしていた。




 ここで終わっても良い。

 そう想い、それを実行して、限界を超え、成し遂げた代償に、身体から命が漏れ出していたのだから。





 故にどうして自分が助かったのかわからなかった。

 しかし、助かったものは仕方ない。

 ひとまず命がまだ続いてくれているという事に感謝するとしよう。


 未だ収まらない激痛に苛まれる事、それこそが生きている何よりの証なのだから。

 





 とりあえず、天井からしてここが病院だと当たりを付けた。

 状況的にそれが正解なのだろう。

 しかし、何をするにしても身体が動かないのはよろしくない。

 ナースコールすら押せないのは頂けない。





――――あれ?齢、二十に届かずして要介護者になるのか?俺……。





 あの時、諦めていた自分を奮い立たせ、何もかも賭けて壁を超えたことによる影響なのか、激痛が全身を襲う中そんな呑気な考えが浮かんだ。




 それでも現状が変わるわけではない。

 いくらそれ以上の痛みを経験したとは言え、痛いものは痛いのだ。

 よしんば超えた先が痛みではなく熱かったり、むしろ痛みが鈍化するものだったのだから尚更だ。



 それに比べたら状態としては、大分マシになっているのだから贅沢な話ではある。




 どうしようかと悩んでいると隣から扉の開いた音と共に、入室を告げる足音がした。



 痛みを堪えつつなんとか動かすことができた頭をずらし、入ってきた相手をみる。

 そこには、――正装だ。と言い張る古い軍服に身を包み、

 やたらといい笑顔を浮かべた後見人、天野 恭平が立っていた。




「よう、大分良いさまになったじゃねーか」




 出てきた言葉はいつもの如く、俺の事をからかいに来た物と思い口を開こうとした。


 しかし、視界に映った恭平の顔を見たことで、出かかった言葉が止まる。

 そこには、普段からかう時の顔ではなく、かといって此方を気遣うような類のものでもない。





 まるで一仕事終えた同僚に向けるような――此方を労う――表情だった。

 固まった自分に構うこと無く、恭平は此方に手を翳す。

 すると先程まであった痛みが嘘のように引いていくのを感じた。



 それに伴い身体が熱を持ったかのように熱くなる。

 しかしこの熱が害になるようなことがないと、直感的に理解した。

 むしろ逆にこの熱が身体を癒やしているのだと感じることができた。




「流石にそのままじゃカッコがつかねーだろ。さっさと起きろ、葵」





 どうやら恭平なりの気遣いらしい。

 お言葉に甘え、まだ少し残る痛みを耐えながら、ぎこちなく身体を起こしていく。



 そこには不気味に折れ曲がった腕など無く、

 命が漏れ出していた穴だらけの身体も元通りになっており、

 無くなったはずの右手も確かにあった。



 しかし、欠けた辺りを境目にして若干皮膚の色合いが違うことを確認する。

 なんとなくだが、しばらくすれば元に戻るものだと思えた。



 続けて足も確認したが、記憶にある削られていた箇所を感じるような事もなく、思い通りに動いてくれた。




心葉このはの嬢ちゃんに感謝しとけよ。お前マジで鴉に漁られた生ゴミみたいな状態だったんだからな」




 身体を確認している俺を見て、備え付けの椅子に腰掛けながら恭平が口を開いた。


 意識がない時のことなので詳しく話を聞いてみると、どうやら十二家である心葉のお世話になったみたいだ。

 確かに治療や精神的な異能に特化している心葉ならこれぐらい出来たかもしれない。



 あれだけの重症というか致命傷を重ねたこの身体を、

 再び動かせるようにするとは流石は十二家と言わざる負えない。



 しかし、よく十二家がこんな一般魔導士の為に動いてくれたな、

 と思わないわけではないが、このおせっかいな後見人が手を回してくれたのだろう。



 おそらく結構な手間だったと思う。

 性格上、派手に動いたことは想像に難くない。




 それを想像して頭を抱えそうになるが、治すどころか命が零れ出す事を止めることですら無理だと思えるような無茶を重ねたのは此方なのだ。

 それを助けてもらえたのだから何も考えることなく、両名に感謝しておくことにしよう。





「じゃ、お前が気を失っている間に起きた事の顛末だけ手早く話すぞ」



 そう言って、俺が気を失っている間に起きた事を語りだした。

 三人は無事にジェット機にたどり着いて増援を連れてきてくれたみたいだ。

 わざわざ使いに来てくれた人には顔を合わせる事が無くて申し訳なく思うが勘弁してもらいたい。



 その後、三人は驚くべきことに、遠野の、あのマンションの一室に放り込まれ四苦八苦しながら生活しているようだ。





「おい、日本に無事に辿り着けたことに安心できたのはいいが、なんで俺んちに放り込んでるんだよ。社会的絵面がよろしくないだろ。おい、まて、顔を背けるな」




「三人共、遠野だしな、それに住所作るの面倒くさくなって一緒にしてたから仕方ないだろう。確認しなかったお前が悪い。言われた所で変えるつもりは無いがな。はっはっはっ」





 いつもどおりの空気になりそうだったが、確認しなかった自分が悪いのもまた事実である。



 それにまだ気になることがあるので、やたらムカつく笑い声を上げる目の前の男を殴りそうになるのを抑える。


 自分自身、いい案があるわけでも無いのも事実だ。

 話を元に戻して続きを促した。




 増援が到着するよりも早く、後続の武装集団が迫ってきていたらしい。

 今にも死にそうな、というより勝手に死んでいったであろう俺を誰が救出したかと言えば、目の前の軍服男だと言うではないか。




 どうやら北極から飛んできたらしく、ギリギリの所で間に合ったそうだ。

 北極から飛んで来ることもそうだが、あの惨状の自分をどうやって繋ぎ止めたのか、応急処置したことも含め、本当に何でもありだなぁと思う。





 しかしそれは口にせず話を聞いていくと、そこからはある程度自分の予想通りの展開だった。

 応急処置を施し、後続の武装集団を千切っては投げ、千切っては投げて、全滅させた後俺を担ぎ急いで近場の医療機関を強襲。



 施設内にあった生命維持機能が高いポッドを見つけ出して

 俺を放り込み、どうやったのかそのポッドごとジェット機まで運び込んで帰国したらしい。





「おい、どこから突っ込めばいいんだよ。強襲ってなんだよ。まんまテロリストじゃねーかッ!」




「ああ、政府から承認は得ているぞ。事後承認だが」




「そこが問題だって事に気付いてよ! ねぇっ!?」




「はっはっは。」




 内容を聞き、反射的にツッコミを入れてしまう。

 無茶苦茶にやらかしている事を言っても、

 どこ吹く風で両手を膝に置き笑っている男に、今度こそ殴ろうと決意しそうになった。

 しかし、その行動のお陰で助かっている自分がいる為、何も出来ずに拳を握るしかなかった。



 今にも殴れ、と俺の中の常識が訴えかけてくるが堪えて続きを促す。



 帰国した後、ポットごと対策庁の専属病院に搬送された俺は、

 頑なに離れようとしない三人に囲まれながら一週間ほど生死の境を彷徨い続けたらしい。




 どうやら初めて三人に会った時とは逆の立場になったみたいだ。

 そのことに言葉にはできない複雑な心境と共に苦笑が漏れるが、記憶に無いのでなんとも言えない。


 そしてどこからか目の前の男が心葉家の人間を、

 今回に関しては次期当主を引っ張り出してきた事で容態が安定。





 名前は流石に仕事柄、そして十二家ということもあり、

 有名なので知ってはいるが、顔まではわからない。

 何れ礼を言うために顔を合わせた時、間違えないか不安になる。




 そんな迷惑な男に連れてこられた女性のお陰で手足の再生が終わり、

 この病室に移されたは良いが、その後俺の意識が戻るまで、

 ポッドの中に居た期間と合わせて三週間は意識が戻らなかったという。




「はぁっ!? という事は今五月っ!?」



「おう、早すぎる五月病、いや、この場合春眠暁を覚えずといった方がいいかもしれないな。身長伸ばすためにしても寝すぎだろ」





「唐突に黒歴史引っ張り出してくるのやめろよなぁっ!?」





 いきなり振られた世界一バカな時過去の自分の話題に、悲鳴に似た声を上げてしまう。



 当時を思い出したのか、腹を抱えだす目の前の男を。今度の今度こそ殴ろうと拳を握り締めて、前に乗り出した。




 この身体の熱さはきっと、治療の所為だ。

 そうに違いない。




 赤くなっているであろう自分の顔を自覚しながら、拳を振りかぶろうとした辺りでいつの間にか元の

態勢に戻っている元凶が口を開いた。

 殴るタイミングを失ったことで宙に留まった拳がなんとも言えない悲しさを自分に与える。




 ちくせう……。





「で、お前がぶっ飛ばした男なんだが……。」



 機会を失ったことで、胸に溢れる悔しさに耐えながら拳を下ろす。

 次に機会を見つけ次第、最速でぶん殴ろうと心に決める。



 釈然としない気持ちのまま、俺が意識を失う前に殴り倒したであろう男の話を聞く。

 男に見覚えがあったと思ったら、リストに名を連ねていたのだから覚えがあって当然だった。



 通称リスト、要警戒者一覧表。


 各国が共に定めた危険者を一覧に纏めた物。序列(ランク)があり、

 選ばれる基準は単純な戦闘力もそうだが、どちらかと言えば国に及ぼす被害の大きさが重視される。



 故に上にいる人物程、国に与える被害は甚大な物となる。

 何故、各国で定めるかと言えば、牽制の為と言える。

 国もそうだが、どちらかと言えば組織間。


 お互いに危険度が高い人物がいる場合、

 こいつを動かせば此方もこいつを動かすぞ。という睨み合いに近い。





 ランクの低い人物しか居ない国は近場の組織に取り込まれていく。

 要は勝てないからだ。


 個人戦闘力で戦争という物を勝利に導くことは非常に難しい。


 何故なら、一つの戦場に切り札を投入し勝利したとしても、その切り札を切ってしまった為に他の戦場では相手の切り札が暴れている。


 どちらも勝ち負けが一つずつだが、内容が違う。そう、被害の大きさだ。






 与える被害の大きな者がいる程、そうやって積み重ねた勝利によって差が生まれてくる。

 同じ勝ち負けの数でも消耗具合が変わってくるのだ。


 そういう戦略級の戦力を持つ者達を纏めた物が、

 リスト、序列はリストランク、名を連ねる者達をリストランカーと呼んでいる。



 もちろん、国に所属していない傭兵だったり、

 裏で息を潜めている者や、秘匿した結果、

 相手に知られずリストに挙がらない者達もいるだろう。



 だからといって現在リストに挙がっている者達を軽んじる事なんてありえない。

 個人ではなく国が警戒する対象なのだから。




 そして俺が打ち破った男はリストランク四百九十一位。

 傭兵家業で名を馳せるAAランクに匹敵する魔導士だった。


 四百台、それも後半だと思って侮る事なかれ。

 少なくとも五百を切っている三桁の魔導士だ。


 確かに優先して上の人物から覚えてきたのでうろ覚えだったのは否定しないが、思い返せば確かにあれだけの威力と広範囲の魔導を連発しながら、息切れ一つせずにいた事を考えれば、納得することができた。




ちなみに、対策庁では覚える事が推奨されている。

関わる案件が物騒なものが多いのだから当然といえば当然だ。





「で、気分はどうだい?」




        

改めて、自分が 三   桁 トリプルナンバーなんていう、

化物に相当する人物を倒した事に驚いていると、どこか喜びを含む、穏やかな声で言葉を投げかけてきた。




 百回やったとしても勝てる見込みは無い、逆立ちしたってありえない。

 だが、そんな相手に確かに勝ったのだ。

 成りたかった自分に、背中に近づくことが出来たのだ。



 目の前で静かに座る男の言葉に再度、自分のやり通した事を実感した。






「ほれ、お前にやるよ」






 言葉を紡ごうとしても、何も浮かんでこない自分に懐から何かを投げて寄越してきた。




 落としそうになりながらも、それを受け取り確認する。

 それはだいぶ年季の入った小さな軍盃だった。



 盃には「第三独立歩兵小隊」と描かれている。

 この小隊はかつて大戦末期に恭平が隊長を務めていた伝説の異能小隊。

 大戦末期の不利な戦況を、数々の偉業とともに拮抗状態にまで持ち込んだ、旧日本軍の象徴的存在。





 そんなことを思い出している内に、更に何かを取り出して此方に盃を出せと促してくる。

 理解が追いつかないまま差し出した盃に同じく年季の入ったスキットルから液体が注がれた。



 あちこち凹んで居るのがわかる。

 年代から想定して錫で作られていると予想する。




 注いでいた物を観察しているといつの間にか注ぎ終わっていたのか、

 自分もどこからか、少し大きめの盃を取り出して液体を注いでいた。



 ――少し早いがいいだろう、と呟きが聞こえてくるが、流されるまま乾杯する。



 口に含んでそれが日本酒だと気付いたが、

 何故か飲み干さなければいけない気がしたので、

 アルコール特有の香りに耐えながら一気にに飲み干した。




「やっと、初陣をっ……て、わけじゃないが、葵――――」




 同じく飲み干した恭平が、此方に向けて言葉を投げかけてくる。

 喉を通る熱さに、むせるのを堪えている自分に向け、

 珍しく、言葉を選ぶような仕草をして。









「――――沢山、頑張ったんだな」







 その言葉に身体は固まり頭の中が真っ白になった。




 次に報われた。貫き通せた。近づけた。

 幾つもの想いが頭の中を過る。

 そしてかつてのやり取りが蘇ってきたことで思考がぐちゃぐちゃになってしまう。


 何度も折れそうになり、そして何度も挫けそうになった。

 その度に立ち上がり、虚勢を張り続け、最後には想いだけで抗い続けた。


 一度は折れてしまった自分だが、まだやり直せると。

 諦めきれて居なかった自分を信じて。

 果たした。




 この胸に込み上げてくる熱さは酒のせいでも怪我のせいでもない。

 自分はこの男に、憧れた背中に認められたのだと。

 成りたかった自分に近づけたのだと。

 守り通せたのだと、肯定された。





 まだ、小さい一歩だが想いは成ったと、そう理解した時には視界は歪んでいた。


 熱い滴が零れる視界の中、――――沢山頑張ったよ。と、

 伝えようとした。しかし聞こえてくるのは言葉ではなく、嗚咽だけだった。



 言葉にできない。込み上げる熱に、満たされた心に、歪む視界に、伝う滴に思考が纏まらない。





 小さな子どもの様に涙を零す俺の頭を乱暴に撫でた後、


――――遅咲きの桜でも見ながら飲んでくる。


 と残し、憧れた男は静かに去っていった。








 次から次へと溢れ出してくる涙に視界を奪われながら、

 盃を抱きしめ込み上げる感情を抑えきれずに嗚咽を漏らし続けた。





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