湯船に落ちる波紋と昔語り







「あ――…………染みる――…………」






 湯船の中でゆっくりと伸びをして身体を確認する。

 異能の反動である倦怠感や頭痛も大分治まっており、回復したことが伺えた。

 明日から普通に動けるだろう。

 そう思い、再び湯船に身体を沈める。




 風呂は命の洗濯とは良く言ったものだ。

 ここ二日間が激動の二日間といっても過言ではなかったのもあり、少し長めに湯船に浸かっている。




 三人娘には、先に済ませてもらった。

 流石に年が離れているといっても知識もあり、断片的な記憶もある。

 それも貞操観念ていそうかんねんの硬い時代の物。

 故に一緒に入ることは憚られた。



 入ろうと言えば、文句も言わずに従うのだろうが、

 信頼関係のまだ浅い現状で実行しようものなら、

 ロリコン疑惑が加速というか、疑惑のニ文字が外れてしまうだろう。




 それに縁が発言した事もある。

 舌の根がかぬ内に疑われる様な事はしたくない。

 俺自身そういう趣味に興味が在るわけでもないのだから当然だ。

 まぁ、将来はいい女になるのは見た目からしてわかるのだがな。




 それもまだ遠い未来の話。今じゃない。

 それにその時には俺はもうおっさん目前だ。


 初めての風呂で見た目相応に、きゃーきゃー騒いでいた声を思い出して苦笑する。

 ちゃんと風呂に入れるか不安だったが、夕食の後片付けをしている際に聞こえてきた3人の楽しそうな声が頭に浮かんだ。



 結果としては杞憂だった。

 バスタオル一枚でバタバタと出て来る三人に、――貞操観念どこいった。

 と、思いながら脱衣所に送り返して着替えさせ、

 出てきた所を捕まえて、ドライヤーで髪をかわかした。



 初めてのドライヤーにおっかなびっくりしながらも、

 なすがままにされる姿に微笑ましい気分になったのは内緒だ。


 ついでにドライヤーをする意味や、女の子に必要であろう知識は、

 男の俺が教える事が出来ないので、風呂に入る前にパソコンの中にいる、偉大な先生にお願いしてきた。



――なんだか、子育てみたいになってきたなぁ……。




 思考が子育てに悩むお父さんみたいになっている自分に気付いたので、頭を振って追い払い天井を眺める。





 ゆっくりとしたことにより、思考が活発になる。


 思い浮かぶのは今日までの事、これからの事、三人の将来。

 果ては政治的なことまで浮かんでくる。



 研究の実験体には他の十二家や日本以外の著名人物のクローンもいた。

 過去現在問わずだ。

 どこから遺伝子を持ってきたかは俺の預かり知らぬところだが、組織として動いて居るのは間違いない。それも相当大きな組織だ。



 欠点が無いわけではないが、資料通りなら近いうちに世界が荒れるだろう。

 一部とは言え【原初】持ちまで再現できてるんだ。相当荒れる。


 造られた顔ぶれを見た限り、日本が加入している三大同盟さんだいどうめいや友好のある欧州連合おうしゅうれんごうではないだろう。




――怪しいのは中亜共同体ちゅうあきょうどうたい大連邦だいれんぽうってところか。




 大連邦だいれんぽう

 ソビエトを前身とするユーラシア大陸の半分以上を掌握しょうあくする大国家。

 戦争が停戦とは言え、終ったにも関わらず、国力や戦力を伸ばすことに力を入れている。



 中亜共同体ちゅうあきょうどうたい

 アジアけんを中心に同盟を組んだ国の集合体。

 中立をうたってはいるが、大連邦の友好国としてみなされている。




 欧州連合おうしゅうれんごう

 文字通り、欧州の国々が手を結んだもの。

 魔導が活発で、魔導局の発祥した組織でもある。

 日本には欧州発祥の魔導局が支部を構えていることを考えて、友好的と言える。



 三大同盟さんだいどうめい

 和解したアメリカ、オーストラリア。

 共同体及び、大連邦に最も近い日本を加えた同盟。

 あとオセアニア辺りも細々と入ってたか……。




 他にも細々とした組織や、完全中立を謳うアフリカやメキシコ辺りも存在するが置いておこう。





 まあ、本命は大連邦かなぁ……。

 多少なりとも因縁のある大連邦が候補に上がったあたりで、脱衣所に気配を感じた。






 思考の海から抜け出して、曇りガラス越しに訪れた人物に声を掛ける。






「どうした。眠れないのか?」



「お背中流しに来たと言ったらどうします?」



「もうちょっと成長してから出直してくることだな」



――そうですか、と返ってくる。訪れたのは縁だった。




 全く、そういうのはいらないと言っただろうに。

 十八以下はNGだ。ギリギリ法律に触れない十六が限度。


 代わりに責任を取る結婚する必要が出てくるが……。


 まあ、自分たちが足を引っ張るだけで、

 何も返せるものが無いこと焦りが出てくるのだろう。

 ガラス越しに立ち止まったまま動かない縁に溜息を吐き、更に言葉を続ける。




「少なくともお前が無茶、というかアホな事しなくても悪いようにはならないから安心しろ。今日の事なら俺の配慮が足りなかったこともあるから何も気にしてない」



「…………」



「二人はどうした?」




「寝てますよ。異能の制御もまともにいかないぐらい未成熟なので疲れてしまったのでしょう。私は二人より成長しているので、そこまでの疲れてはないですね」




「……不安か?」





 間が開き、天井から落ちてきた水滴が湯船に落ちる。

 その音が、静寂の中、唯一波紋を広げた。






「……はい。助けられたのは感謝しきれないぐらい嬉しい事です。

 お陰で美味しいと知っているのと、美味しいと感じるのでは、

 天と地程違うということもわかりましたし、お湯の暖かさを、

 何より、人と話すという楽しさを、人間として大事な物を知ることができました。

 けど、それとは別にこれからの事を考えれば考えるほど、自分たちに出来る事が、

 自分に出来ることの無さに不安を感じてしまいます。

 明日には葵がいなくなってしまうのではないか、

 やっぱりお荷物の私たちは捨てられてしまうのではないかと―――」




 そりゃそうか、俺の考え全部を相手に伝えるなんて不可能だ。

 この不安は当然と言える。

 特に三人の中で現状を一番正しく認識しているのは縁だ。

 頼るアテもなく、初対面の俺に縋るしかない。

 まさに八方塞がり。




 所詮は口約束。

 一応家族にはなったが、それも形だけのモノ。

 保護する過程で必要となり、定められた関係。

 それが薄い薄氷はくひょうの上を行くような、

 不安定なモノだからこそ、不安に拍車がかかっているのだと思う。



 信じようとしても信じ切ることができない。

 信じるに値する、確たる何かが欲しいのだろう。



 それが手っ取り早い肉体関係。



 今回の事、土下座した場面でのセリフでも伺える。

 湯けむりもそうだが、曇りガラスの向こうで佇む縁の姿は震えているようにも見えた。



 縁は燈火や雫を守ろうとしている。

 その証拠に、夜伽云々の下りの中に二人は入っていない。

 自分を犠牲にすることが前提の内容。



 おおよそ子供が考えるようなことじゃないが、

 正面からそれを伝えても引き下がりはするだろうが納得はしてくれまい。

 それは後にしこりとなって、これからの関係に響いてくるだろう。

 どうしようかと悩み、視線を縁から天井に移す。





「――実はこれは夢で起きたらまたポッドの中で、

 もしかしたら死ぬ前の幻で、まだ研究所にいるのではないか……。

 こうやって遠慮なんかするなって言ってくれた葵の言葉を利用して、

 同情を買うような浅ましい事を言っている自分もっ――――」



「俺は、両親が死んで独りだった」




 このままだと自身の思いで、崩れてしまいそうな縁の言葉をさえぎり、口にする。




「正確にいうなら、俺の両親は仕事で殉職じゅんしょくした。

 まだ若い身空で死んだこと、家がそこそこ古いっていうのも影響してか、

 当然家は荒れた。

 で、気付いた時には俺は父親の出勤用で買い上げていた

 マンションの一室で独りだった。頼るアテもないわ、

 親戚とは縁が切れてるわでお前らとは違うが一種の詰みだったんだ」




「…………」




「で、なんやかんやあって拾ってもらったのが今の後見人。

 最初は信用なんて一切できなかった。

 家の騒動で人に対して不審感を抱いてたからな。

 それでも俺の悩みなんか吹っ飛ばすぐらい滅茶苦茶にやりやがりましてね、

 ――子供なんて難しいこと考えるより、遊べ遊べ――ってな……」



 当時を思い返す。



「考えるのが馬鹿らしくなってきたんだ。

 そして言葉どおり楽しく遊んで生きていけたよ。

 周りの厄介事には一切触れること無くな……。

 そんな背中を見てきたからそうなりたいと思えるのは自然なことだと俺は思う。

 ――男とはなんぞや――正しいと思ったら、

 他がなんと言おうと、それがお前の中の正義だ――とか、


 古臭いが、色々と影響受ける事も説かれもした。

 今や大分擦れた自信はあるんだが、お前らを助け出すかどうかで悩んだ時――」



 少し言葉が止まるが、再び口を開く。




「――昔憧れた背中が、なりたいと思った自分自身が出てきてな。

 現実を理解して諦めたつもりだったんだが、

 まだ諦めきれてない自分に気付いたんだ。そしてもう一度、

 後一回だけ。前に進んで見ることにしたんだ」




 一息付く。縁は黙って聞いていてくれている。

 だから、と前置きをして。




「お前らを助けたのは多少の同情もあるが、過去の自分と重ねた事。

 勝手に諦めて進むことを辞めた自分を、

 止まっていた時間を動かして貰ったんだ。だから俺こそありがとう。


 ……ま、これが俺がお前らを助けた理由だな、

 あいつが俺を捨てなかったように、巣立っていくその時までは

 守るぐらいの気持ちだから安心しろ。


 その後見人にも連絡入れて動いて貰ってるからどうにかなるさ。

 それに話した通り、これは俺の自己満足の行動だからな。

 お前らが気を病む必要はないよ」




 らしくないことを言ったためか、長風呂の所為か、顔が熱いのがわかる。


 返答も無いこともあり、静寂だけが場を支配していた。

 そこそこ長い時間湯船に浸かっている事を思い出し、のぼせるのもマズイと風呂から出る。



 縁が居ることなんて気にせずに脱衣所で身体を拭き、着替える。

 可愛らしい悲鳴で顔を隠すが、指の隙間から見てるの丸わかりだからな。


 子供に見られた所でどうってこと無い。

 着替え終わった俺は縁の小さな頭を乱暴に撫でる。



 つまらない事より、今を楽しんで欲しいと願いを込めて。


 そして小さな体を抱きかかえてベッドへと向かう。




「迷惑だと思ってるなら思いっきり迷惑をかけろ、

 そうして迷惑を掛け合って信頼関係が生まれてくるんだからな。

 家族なら尚更だ。

 迷惑というか負荷を掛けない人間関係なんてないんだから、

 もうあんなことはするなよ。するなら未来の旦那様にしなさい」


 最後が一番大事なことだ。と、割りと真面目に付け加える。



 そうしてベッドに着いた。部屋にはニつのベッドがあり、片方は燈火と雫が静かに寝ている。

 そこに縁を置こうとした辺りで数度、襟首を控えめな力で引っ張られた。



「…………」



 どうやらこのお姫様はお気に召さないらしい。

 何か言いたそうに上目遣いで此方を見つめる銀髪少女。

 今にも頬を膨らませそうな表情をしていた。



 まぁ、話してた内容的にも仕方がないと諦める事にする。

 もう一つのベッドに縁を置き、隣で寝ている二人の少し乱れた布団を掛け直す。

 そして自分も休むために先程のベッドに入ると縁が腕にくっついてくる。


 不安な時はぬくもりがいいとは言うが、これはセーフなのだろうか。


 まあ今日だけは甘やかしてもいいだろう。

 兄の布団に入ってくる小さな妹だと思えば、家族的にも社会的にもセーフだ。

 そうとも。



「じゃ、おやすみ」




「おやすみなさい…………ありがとう」




 最期に聞こえた言葉に――どうにかなったかな――なんて

 満足感を覚えながら、ゆっくりと意識を落としていった。



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