第8話 重なり合う瞬間

 勝負は一瞬、勝てる確率はまさに五分と五分。

 だが負けるわけにはいかない。

 脳裏のうりに思い浮かべるのは7年前のあの日アイがくれた笑顔。

 口の両端を無理やりり上げ全身から無駄な力を抜けば、7年のたゆまぬ努力が、肉体に秘められた力を余すことなく引き出してくれる。

 

 次の一瞬、ティアは握った刃の切っ先を僕かららし、自身ののどへと向ける。

 そして彼女の握る刃が最短距離でその頸動脈けいどうみゃくに向かう中、僕はためた息を腹の下で爆発させ、同時に重心をティアに向け体勢が崩れるところまで移動させる。

 

 もしこの時、ティアが何も考えずただそののどに刃を突き立てていたなら、あるいは僕を警戒けいかいしもっと間合いを取っていたなら、結果は違ったものになっていたかもしれない。

 だが彼女はその刃をそのままのどに突き立てることをせず、一旦頸動脈いったんけいどうみゃくに確実に押し当てるよう挙動きょどうする。

 それはまさにまたたく間の出来事。

 元の5メートルという間合いを考えれば、決して油断ともすきとも言えない、むしろ確実さを選んだ動作。

 だがもしかしたらそれは、彼女の本当の願いが無意識のうちに現れたものだったのかもしれない。

 

 次の一瞬、ひざを曲げた状態で目一杯前に、草の地面を貫くように瞬間的にみ込まれる僕の右足。

 それと同時、両手に握られた棒はまたたきする間すら与えずティアへと突き出され、たゆまぬ7年の努力の結晶が、彼女の握る刃を寸分逸すんぶんそらさず貫き弾く。

 衝撃に指を離れ、彼女の首の皮膚を薄く裂いたのみで宙を舞う刃。

 そうして何が起こったのかいまだ理解できていない表情の彼女に向かいさらに足をみ出し、握っていた棒を捨て、そのか細い両手を、それ以上何もできないようにつかおさえる。

 その腕は簡単に折れてしまいそうなほどに華奢きゃしゃで、だからこそ、心の奥底から何とも表現しがたい熱い何かが、体中にき出しあふれ出す。


「バカ!」

 

 右手が勝手に、彼女のほほを平手で打つ。

 その感触かんしょくは軽く、だが打った僕の手のひらから伝わる痛みは、大したことないはずなのに、なぜだか普段よりずっと強く、深く、心の奥底まで伝わってくる。

 だが僕の心はそれで収まらず、打たれたほほおさえ顔をそむけたままの彼女に向かって、開いた口は感情のまま勝手にわななき言葉をつむぐ。


「なんでだよ! なんでそんなに死のうとするんだよ!? 生きたいんだろ? 死にたくないんだろ? やりたいこと、やり残したこと、まだいくらでもあるだろ? 無くたってまた探せばいいだろ? 邪魔する奴、むかつく奴、間違ってると思うこと、全部ぶっつぶして、自分の思い通りにしたいんだろ!? 

 俺のことだって、本当は元の世界のことも、アイの事も……どうでもよくはないかもしれないけど、でもそれ以上に、本当は、自分のために動いてほしい、助けてほしいって、思ってるんだろ? ならそう言えばいい! 叫べばいい! やってみせればいい! ティアさんがそう言うなら、俺は……」

 

 そう、息が切れるのも、のどがかれるのも、口調が乱れ自分の一人称が変わるのも構わず、あらん限りの声で叫ぶ。

 するとティアはようやくその容貌ようぼうを僕に向け、目を丸くし、驚愕きょうがくのあまり呆然ぼうぜんとした様子で見つめ、程無ほどなくその表情をしわくちゃにする。


「――なんで? 殺す理由なんていくらでもあるのに、どうして……どうして殺さないの? 元の世界に帰れるのよ? にくい、にくいアイの敵を、7年ぶりに討てるのよ? なんで、なんであの時助けようとしたの? あの時殺してくれれば、それだけで済んだのに。誰も困らず、傷つかず、あなたはアイのかたきを討って、後はみんな平和に暮らせたの。今ならまだ間に合う。それで、それでいいじゃない。

 ねぇ、お願いよ……わかるでしょ? 勝ち目なんてない。どのみち私は助からない。だったら私はもう、誰も傷つけたくない。せっかくアイが命をけて守ったあなたの命、取り戻した元の世界での幸せな日々、私のために、あなたを道連れにしたくないの……」

 

 その声は徐々に震えて、弱まり、最後は消え入るように。そして彼女は項垂うなだれる。

 それと同時思い浮かべる、元の世界においてきてしまった大切な人たちの姿。

 ティアの言う通り、戦っても勝ち目はおろか、生きのびれる可能性などわずかもない。

 引き返すなら今しかない。

 そしてそれがかしこく、正しい判断だ。

 そんなことは百も承知だ。だがその直後、脳裏のうりをよぎるあの日、あの瞬間の光景、そしてアイの言葉。


――お願い緑、彼女を、ティアを、助けて……あげて。

 

 その瞬間、僕は気づく。その言葉はあの時の僕だけでなく、今の僕に送られたものでもあったのだと。

 そしてあれからの僕の7年間、その全てが今この時、この瞬間のためにあったのだと。


「ごめん皆、必ず生きて帰るから」

 

 そう決意を言葉につぶやけば、ティアはその言葉の意味をうっすらと察してか、表情を驚愕きょうがくと恐怖の入り混じったものへと変化させる。

 だが今となってはもう遅い、動き出した心はもう止まらない。

 き上がる後悔こうかいと罪悪感を抱きしめながら、僕はただ己の思いをそのまま、叫びにしてぶちまける。


「あーもうどうでもいい! 世界がどうなろう知ったことか! どうせ俺の知らない世界、知らない連中だ、どうなろうと知ったこっちゃない! そんな事よりなにより、お前はどうしたいんだよ! いや、もうお前がどうしたいかなんて知ったことか! 

 いいか! 俺は今からお前を助ける。そういう風に動く。行動する! 出来るかどうかなんて関係ない。というか多分できん。でもそんな事どうでもいい。とにかく、お前やアイの様な優しい奴がこんな風につらい思いをして、死んでいくのを見るのはもう御免ごめんだ。そうなるくらいなら俺がほろびる。それかこれを仕組んだ奴を、世界をぶったおす。もしこれが神の与えた試練だというのなら、俺はそんな神は認めない、いらない、こっちから願い下げだ。

 だから俺は、お前が幸せになるために、お前を幸せにするために、やるべきと思うことをやる。余計なおせっかいだろうと、押しつけがましくても、そんなものいらなくても、関係ない。これは俺が、俺のためだけにやることだから。どんなに嫌がろうと、うっとおしがろうと、絶対やめてやるものか! 俺は……俺は……」

 

 そこまでき上がる感情と勢いのまま叫んで、だがその先の言葉が浮かばず、ただ口だけが空回りして開閉してしまう。

 そして今頃になって脳裏のうりをよぎる、周りを取り囲む大軍勢とセイン達の存在。

 それまで心の内からき上がってきた熱さに反比例するかのように急激に全身を襲う冷たい何か。

 恐る々る振り向き周りを見れば、そこにはティアと同じような驚愕きょうがくの表情を浮かべながら、しかし冷たい視線をティアではなく僕に向ける彼らの姿。

 これほど大きな声で叫んでしまった以上、もう取りつくろうことはできない。

 そそがれる数千の冷たい視線に体がしんまで急激に冷え込む中、ゆっくり視線をティアの方に戻し、こめかみに手を当てる。


「……やっちまった」

 

 思わず口を突く言葉。

 だがその言葉に反し、心の内には反省はんせい後悔こうかい微塵みじんもなかった。

 元から思いと勢いだけの行動だったのだから、冷静になんて最初から無理な話だし、今更じたばたしても仕方がない。

 そう今頃になって方策をろうと頭を回転させるが、そう簡単に方策など思いつくはずがない。


「――やばい、何も思いつかん。どうすっかな……」

 

 そう真っ白な頭をさらに回転させようとしたその時、


「……ふふっ」

 

 近くかられ出るように聞こえてくる声に、僕は視線を向ける。

 そこにあったのは、先ほどほほおさえていた時のように顔をらし、しかし今度はほほの代わりに口元をおさえ、何かを我慢がまんするかのように小刻こきざみに身を震わせるティアの姿。

 そうして彼女はしばらく小刻こきざみに身を震わせ続け、しかしついに我慢がまんしきれず大きく身を震わせると、せきを切るかのように一気に、涙を流し、笑い始める。


「ふふっ、ぷっ、くく、ふはっ、ははっ、あははは、あははははは、ふふふふふ、ふふ」

 

 口元をおさえたまま、喜び、悲しみ、怒り、色々な感情がごちゃまぜの表情で、瞳からとめどなくあふれ出す大粒の涙をほほに伝わせ、それでもティアは笑顔を浮かべる。

 今度は僕が、何が起こっているのか理解できず彼女を見つめる番だった。

 そうして呆然ぼうぜんと彼女を見つめ続ければ、しばらくして彼女もそんな僕の様子に気づいたらしく、涙と笑いをこらえようとし、しかしこらえきれない様子で口を開く。


「ふふ、ふふふふふ……なんて顔してるの。せっかくのかっこいいセリフが台なしよ……それにどうしてそんな大声で言っちゃうかな、せめて周りに聞こえないくらいの声なら、他にやりようもあったのに……」

 

 そう彼女はなんとか言葉をつむいで、しかしやはり耐え切れなかったようで、今度は両手で顔をおさえ、また涙を流し笑い始める。

 どうやらこのシリアスな空気の中、彼女がわざわざ指摘してきする程に、僕の表情はなさけないものだったらしい。

 そうして涙を流しながらも浮かべる彼女の笑顔が、僕には7年前アイがくれた笑顔にも負けないほど、美しく、まぶしく映った。

 

 世界を恐怖のどん底におとしいれ、八千の大軍勢を真正面から打ち破り、一騎当千の勇士達を前にしてなお涼しい表情をほとんど崩さなかったあの闇の帝王が、涙を流し、笑っている。

 周りを取り囲む大軍勢やセイン達は、そんなティアを奇異きいの目で見、だが僕はそんな彼女の姿を、むしろこれが彼女本来の笑顔なのだと見つめ続ける。

 彼女はその後もしばらく身を震わせ涙を流し、だがしばらくの後、ほんの少し落ち着きを取り戻したところで再び口を開く。


「ふふ……もう、まったく。これじゃあわざわざあなたの敵を演じたのが、全く逆効果じゃない……いや、本当は内心、私もこうなるって薄々分ってた。分ってて、気づかないふりをしてたんだ。ほんと私って、大切な人を闇の深淵しんえんに引きずり込む、闇の帝王の素質そしつがあるみたい……7年前の私も、今のあなたみたいだったのかな。だとしたら、今の私は……」

 

 そんなティアの言葉に、脳裏のうりをよぎる7年前の彼女の姿。

 確かに今の僕は、あの時の彼女とているかもしれない。

 だがひとつ決定的に違うことがある。


「……僕はできるなら、誰も殺したくないし、傷つけたくないよ」

 

 そうつぶやいてから、先ほどの自分の言葉と矛盾むじゅんしていることに気付く。

 だがティアはそれを聞いて、逆に表情をゆるめる。


「分ってる。あの時の私と今の私、あの時のあなたと今のあなたは違う。アイと約束したものね」

 

 そう言って、ティアは再び、正面から僕の瞳を見据みすえる。

 そこに宿る炎は、7年前のあの日に勝る程熱く、激しく、しかしあの頃と違い、曇り一つなくどこまでも真っ直ぐみ渡った、美しいものだった。


「……ティアさん」

 

 思わず口をついて出る言葉、


「さん付けはやめて。ティアって呼んで」

 

 対する彼女はりんとして、そこに闇の帝王としてではなく、一人の人間として世界に立つ。


「緑……私の負けよ。だから正直に、洗いざらい、本当の思いを告白する。私こう見えて、もう疲れて限界なの。でも、精一杯頑張るから。だから緑……私を助けて。私を守って。私と一緒に、私を傷つける奴ら、邪魔する奴ら、みんな打倒うちたおして。元の世界に帰りたいのは分る。大切な人たちがいるのも知ってる。帰るななんて言わない。言えない。戦いが終わったら、元の世界に帰る方法をちゃんと探す。必ず帰れるように、協力するって約束する。でも……でも今だけは、元の世界に帰るなんて言わないで。私と一緒に戦って。今だけはアイじゃなくて……ううん、アイだけじゃなくて、私も見て、お願いだから」

 

 そう言って、ティアは僕の手を両手で握り、上目づかいで僕を見つめる。

 瞬間、内側からけ出すように熱くなる体。

 そう、それは魔力など一切用いない、どんな世界でも、誰にでも使える本物の魔法。

 それにあらがえるものなど、この世に存在するはずがない。

 

 それまでの痛みも疲労も一切忘れ、あふれみなぎる力。

 僕はきっと、かっこいいヒーローになんてなれないのだろう。

 だがそれでも今だけは、先ほどまでのなさけない表情を捨て去り、ティアの、そして何より自分のために、首を縦に振る。

 彼女はそれを見、目の前でつぼみが花開くような、はなやぐような笑顔をみせてくれる。

 それだけで僕は、それこそ世界を向こうに回してでも戦うことができる。


「――やるか」


「ええ」

 

 そう言って、僕は地面の棒を、ティアは杖を拾う。


「私があなたの杖になる」

 

 そう力強く口にするティア。


「なら僕は……棒になる、じゃカッコ付かないかな」

 

 そう思わずつぶやけば、彼女はもう自分を隠すことなく笑みを浮かべ、


「そういう時は、剣になる、でいいの。その方がかっこいいでしょ? 」

 

 そう告げる。確かにこういう時はかっこつけた方がいいかとうなずき、


「じゃあ……僕が君の剣になる」

 

 そう自信を持ってつぶやけば、なるほど得物えものがただの棒でもたしかにさまになっている気がする。ティアはそれを見てうなずき、


「いい感じ、それじゃあもう一度」

 

 そう笑顔をくれ、僕もうなずきそれにこたえる。

 そうして僕とティアは周りを取り囲む大軍勢、そしてそれを代表するように立つセインに向きなおり、互いに背中を預け、それぞれ得物えものを構える。


「私があなたの杖になる」

 

 再び力強く口にする彼女の言葉に、僕もまた、周りを取り囲み僕をにらむ大軍勢とセインの圧迫あっぱくに負けないように、腹の下に力を込めて言い放つ。


「僕が君の剣になる」

 瞬間、地平から姿を現す太陽と、その役割をゆずりながら、それでもひっそり二人を優しく見守る白い月。

 そのまま重なる7年前のあの日の光景。

 そうして一つになる心。7年の時を超え、アイの本当に望んだ未来が、こうしてついに実現する。

 

 そう、これはかつて、あるたった一人の少女を守るという同じ目的を持ちながらぶつかりあい、ついに守るべきものを失ってしまった二人。

 世界をほろぼぼすほどの力と、世界を救うにふさわしい優しい心を持ちながら、世界を救う神様となれなかった二人の運命が、再び重なり合う瞬間を記した物語。

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