第7話 優しい人
「……熱線を撃つのを遅らせたのはなぜだ?」
セインが問いかける。対するティアは表情を少しも変えず、
「あなたなら、必ず割って入ってくれると思ったから。それとも、わざと間に合うようにしてあなたの魔力を消費させるため、と答えた方がいい?」
そう静かに答える。セインは
「メィリャの命を奪はなかったことについては礼を言う。だがそれでも、闇の帝王、君を許すことはできない。降伏するなら命と
そう厳しく告げるセインに、ティアは足を止め、ほんのわずかだけ表情を
「あなたが私のことをどう思っているのかは知らないけれど、私はあなたの事、少しは認めているつもりよ。いまさらどちらが正しいかなんて
そう
「いいだろう。君のことは許せないが、その願いだけは聞き届けると約束する。だから、もう消えてくれ」
そう答え、
セインはいきなり聖剣を上段に構えると、その刀身から再び、まばゆい黄金の光が放たれる。
そしてセインの前方にも黄金の光が集まったかと思うと、やがてそこに、身長8メートル程の、洋風の鎧を身にまとい、背中に翼を持った、黄金の光を放つ男性の巨大な天使が現れる。
「闇の帝王! 君がわざわざ我が軍の正面を突破してきた理由は分っている。監獄生活で
そう、魔術に詳しくない僕の目にも明らかに本気に見える構えをとる。
その言葉に、ティアは相手を認めるかのようにほんの一瞬だけ表情を
それと同時、足元に広がる巨大な、しかしやはり単純な魔法陣。
そしてその上に浮かび上がるのは、全長約20メートル、翼長30メートル弱、全体的には東洋の龍を
美しい薄緑色の鱗に覆われた全身は緑のオーロラのような光に包まれ、顔立ちは
「――まずい……ティアさん」
思わず口を突く彼女の名前。
先ほどアルダの投槍を受け止めた際浮かび上がった龍の腕は、まさしくこの龍のもの。
僕がこの龍の姿を見るのは、7年前のあの日以来、二度目。
そしてこの龍が術の行使者にどれほどの負担を強いるものか、僕はこの身をもって知っている。
だからこそわかる、早く止めなければ、ティアの命が
――だがどうしてティアの命を心配する必要がある? 彼女は大切な人の命を奪った
とっさに
対するセインの前方の天使もまた、同様の聖剣を光で生み出し、セインの動きに合わせるように上段に構える。
「――かつて人間の古代文明を滅ぼしたという緑光の魔女の力か。
ティアの龍を睨み、セインがそう続けようとしたその時、
「彼女の事を!」
突如セインの言葉を
「――彼女を魔女と呼ぶことは、私が許さない!」
それまでその涼しげな表情をほとんど変えなかったティアが、その
そんな彼女の声が、事情を知る僕には、世界の全てを、自分自身をすら
だが事情を知らないであろうセインは、闇の帝王の突然の
「闇の帝王、お前もその力も、ここで滅ぼす!」
言葉と同時、放たれる蒼い熱線、セインの動きに合わせ、振り下ろされる彼と天使の聖剣。
直後ぶつかり合う蒼と黄金の輝き。
巻き起こる結界の中にも伝わる程の衝撃と風圧に、周りを取り囲む将兵は立っていることもままならず、ただひたすら必死にその場に身を伏せる。
それと同時放たれる目がくらむほどの猛烈な閃光の中、それでも必死に目を開けば、その視界に映し出される、熱線と聖剣が激しくしのぎを削る光景。
蒼の熱線が黄金の聖剣にぶつかりその刀身を
聖剣に弾かれ分れた熱線があらぬ方向へ乱れ飛び、大地を
対する天使は必死に熱線を受け止め、刀身で弾き、裂き割りつつ前進しようとするが、逆に押され、必死に
だが僕は知っている。
熱線がセインの聖剣を押し切らない限り、この攻勢は10秒と続かない。
そう視線をティアに送れば、そこにはそれまでにない
――こんなところにいる場合じゃない。早く、早くティアの元へ。
先ほど自問に答えを出せないでいることも忘れ、理性が呼び止めるより早く立ち上がり、棒を両手に大きく息を吸い、結界を
と、その一瞬、聖剣に弾かれ
――今しかない!
吸い込んだ息を、声にならない叫びと共に体の内で爆発させ、
瞬間、手元に伝わる、分厚いガラスの割れるような音と
砕け散る光景もまた、ガラスの砕け散るそれそのまま。
直後襲い掛かる、それまで結界が防いでいた、熱線と聖剣のぶつかり合いで生じる衝撃と風圧に体が押される中、僕は再びティアを
猛烈な逆風に
一分一秒を争う状況が、僕に
瞬く間に切れる息、脈打つ
だがこんな時こそ、ひたすら冷静に。
そう余計な小細工をせず、ただひたすら全力で体を動かせば、目指す彼女の前に立ちはだかる、天使と龍のぶつかる戦場。
安全を選ぶなら
――死ぬかもしれない。
そんな考えが
そうして彼女に向かってただ真っすぐに、同時に戦場のど真ん中に向かう僕のたった数メートル脇を、聖剣に弾かれた熱線が駆け抜け、猛烈な熱風が肌を焼く。
「君!? どうして?」
駆け抜けた直後、後方からかけられるセインの声、その直後、
「――緑!?」
前方から聞こえるティアの、それまでと全く異なる、
視線を向ければ、そこには
直後、彼女の
「今だ!」
後方から聞こえるセインの叫び、直後戦場を切り裂く斬撃音。
それはきっと、弱まった龍の熱線を天使が切り裂いたもの。
だが振り向きそれを見る余裕はない。程なく、色を薄くし、消えていく龍。それを横目に、僕はひたすら彼女に向かう。
「来ないで!」
ティアまで残り数十メートル、彼女は蒼白な表情のまま僕に杖を向ける。
すでに息は切れ、速力は落ち、体力は切れる寸前だが、僕は足を止めない。
だが直後、彼女はその表情をセインと
次の一瞬、本能的に足をとめた僕の数メートル先の地面を
だがそれは先ほどメィリャに向けて放たれたものと比べれば、あまりに弱いものだった。
気がつけばティアまでの距離はわずかに五メートル程。
たたずむ彼女に視線を送れば、そこには僕以上に大量の汗を流し、肩を上下させ激しく息を切らす彼女の姿。
そして数秒の後、彼女は崩れ落ちるように地面に
その体は監獄で再会した時よりもいっそうやつれ、やせ細っていた。
あと5秒も遅ければ、彼女はミイラのようになって倒れていたことだろう。
それでも彼女は杖先を僕に差し向け続けているが、それも気力で持ちこたえているだけのようだ。
昨日から空を
「――私を殺す気は……ないようね」
息も
「言ったでしょ、自分の
再び告げられる言葉に、僕は沈黙を守る。
もちろん考えていた。
僕の行動が世界を滅びの
せっかく帰ることができた元の世界を再び去り、家族や友人、大切な人たちをおいてきてしまったこと。 そう、それは間違いなく、僕の大きな罪だ。
「――少しは気づいているようね。でも足りない。せっかく帰ることができた元の世界、大切な人を捨てて来てしまった罪、それだけで十分、許され難い事。でも今ならまだ間に合う。さあ」
そう言って、彼女は握っていた杖を離し、両手を広げる。
全く無防備、そこに闘志は一切なく、ただ本当に
「……僕を呼んだの、ティアさんだよね?」
「――それは……あなたを利用するため……」
そうさらに続けようとした言葉を、
「嘘だ!」
僕はあえて
今度こそ、ティアはその表情を
僕は構わず続ける。
「僕を殺す機会なんていくらでもあった。
そうまくしたてる僕の言葉を、しかしティアは静かに
「それも含めて全部、セイン達とあなたを引っ
そう彼女は強く言い放ち、静かに僕を
僕にもティアにも、お互いを
ティアが僕を殺さない理由には
だが僕はどうか? なぜそうしないのか?
思いが心の底から浮かび上がれば、同時に自然と口が開き、そのまま言の葉となって
「嫌だよ……ティアさんを殺したくなんてないし、このまま殺されるところなんて見たくないよ。誰かを殺す
声は自然と震えて、心の底から
その一瞬、彼女は何かに気付いたようにはっとした表情を浮かべ、数秒の内それを、過去を
「――そっか……あの時アイは、私や緑をこんな風に……だから……」
地平線からこぼれ出たかすかな光が薄闇を払い、顔を上げたティアの
彼女は最初、やはり疲れ切った白い表情を浮かべ、だが一瞬の後、かすかな笑みを浮かべる。
疲れが
そして同時にそれは、7年前のアイが最後に僕にくれたそれと重なる。
「――ありがとう」
ティアの唇からもれ出たかすかな、でも暖かな息が耳を
それ程の距離だというのに、
全身傷だらけのやせ細った
薄い赤を
その表情は疲労と激痛にゆがみ、黒い瞳は光を失い、底なしの
そんな彼女の傷だらけの白く
ティアの
いや、違う。僕自身が無意識のうちに、ここから動くことを
――なぜ?
自身の投げかける問いに答えを返すより先、視界の先の彼女の半ば死んだような
次の瞬間何が起こるのか、僕は直ぐに理解した。
そして僕に伸ばされつつあった白く
勝負は一瞬、あれから7年、
そう、吸い込んだ息と共に覚悟を飲み込み、左足をつま先が外を向くようさりげなく
次の瞬間、ティアは
そうして向けられる彼女の瞳に映る、この世の全てを焼きつくさんばかりに強く、熱い決意の炎が、僕には肉食動物に追い込まれた草食動物の、おびえながらも勇気を振り
次の一瞬、地平の彼方より差し込む光が照らす世界に重なる二つの影。
わずかに残った薄闇に舞う赤い
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