第7話

秋から冬にかけて、勇司の勉強は追い込みに入っていた。だが、志望校合格の基準にはまだ届かない。

「渋川、社会と理科をもう少し頑張りなさい。読解力は強いのに、文章題で間違えるのはなあ。知識不足ということはないはずなんだが…都立の難関校は、とにかく全科目を満遍なくできることが大切だ。内申は体育以外は全科目で四以上だから大丈夫だと思うんだよなあ。四以上と言っても、ほとんど五だしな。学力だけが大事なわけじゃないけど、君は本当によく頑張ったよ。この三年間」

担任の大町先生との進路面談でこんな話をした。大町はすらっとした体型の男で、優しくて聡明、教師からも生徒からも慕われていた。三十代半ばで、自慢の妻がいると言う話をよく生徒の前でしていた。担当教科は社会科だ。

「先生、僕不安です。クラスで孤立してるし、本当に勉強出来るだけじゃ人生どうにかならないですよね」

「先生がいるじゃないか。辛い時は相談してほしい。まあな。勉強だけで全てが上手くいくわけじゃないからなあ。でもまだ先は長い。それと、ある時までは学業がとても大事になってくる。今が正にその時だ。渋川は学業が特技なのだから、それをとことん極めてから、他のことを磨いても遅くはないんじゃないかな。それに君の良さは学業以外にもたくさんあるはずだぞ。先生にもまだ知られていないこともな。それを早く教えくれてよな。頑張れよ」

面談ではこんな風に言ってもらったが、まるで「勉強だけが取り柄」と言われような気がして少し釈然としない気持ちになった。勇司はこの話を篠山にLINEで送ってみた。篠山からは同情したり励ましたりするような返信がきた。しかし、その後で彼は自分の近況についても話し始めた。

「ほんでな、勇司。俺な、今な、家賃と公共料金を滞納してんねん。一人暮らしやねんけど、安いアパートにおんねん。それでもそんなに金ないからな。まずいわあ…。いついつまでに払うとか誓約書みたいなの書かんとあきまへんなあ…」

それらしかった関西弁がどことなく似非っぽく聞こえる。勇司は大好きな篠山に、初めて少しだけ苛ついた。

「健次郎さん、お金のことは助けられへん。せやけど、俺が何か健次郎さんの助けになることがあったら言ってや」

「お!お前も似非関西弁かい!俺よりセンスあるかも分からんな!受験終わったら、関西弁の勉強しよか…ありがとうな。お金のことは確かに無理やもんな。せやけど、俺はお前さんとこうしてLINEできるだけでええねん。おおきに」

この日から、毎日のように自分の窮状を訴える篠山のLINEが来るようになった。だが、何とか請求されていた分は納期が過ぎるなどはしたものの、払えることができたらしい。その知らせが来たのは、一連のやり取りが始まってから三週間ほど経った時のことだった。

十一月が来た。三年生にとって最後の学校行事である文化祭と合唱コンクールも終わった(勇司の中学校では、文化祭のプログラムの一つとして合唱コンクールがあるが、それが事実上のメインイベントとなっている)。三年生全体が受験に向かって一丸となっていった。その中で勇司はますます孤立していくような感覚を覚えた。特にいじめっ子だった連中の目は、以前にも増して冷酷なように感じた。

しかし成績はメキメキと伸びていった。第一志望の都立日比谷高校も合格率が七十パーセントにまで上がった。以前は四十から五十パーセント程を行き来していた。私立の併願受験校も徐々に固まっていった。そんな中、年末に家族にとって嬉しいニュースが舞い込んで来た。

「お父様の仮退院の日程が決まりました。十二月三十日から三日にかけてお家でお過ごしください。ご家族やお仕事の同僚の皆様と心置きなくお話しされると良いでしょう。家族水入らずが良いでしょうかね。まあ、私はそこまで口出しはできませんがね」

担当医の中澤は落ち着いた表情で、母と勇司にこう語った。家族はこの朗報に歓喜した。三十日、母が車で昼頃に迎えに行き、家まで連れ帰った。各々、冬季講習と休日出勤から帰宅した勇司と葉子がリビングのソファに座る父を抱擁した。

「久々の我が家は良いなあ。暖かいし、匂いが良い。音も良い。家族がいる環境って本当に素晴らしいよなあ」

「そうよ、お父さん。仮退院も出来たんだし、きっともう少しの辛抱よ」

親子水入らずで過ごした。母の作った年越し蕎麦を食べ、紅白歌合戦やガキの使いやあらへんでを見ながら、その年最後の日を迎えた。

そして、元旦には年賀状をチェックするのに明け暮れた。

「何だ、葉子には来てないな」

「来てるわよ、こっちに!」

彼女はスマートフォンを叩いた。

「それに、私にはきっと、一人暮らしの家の方に届いてると思うんだよね」

「それだと良いけどね」

勇司が姉をからかった。珍しいことだ。

「何よ!勇司!」

しかし、そんな家族の団欒に水を差す出来事が起こった。

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