第11話 星と織物の神
数日前、金星の観測衛星が金星から隕石が飛び出す瞬間を捉え、日本スペースガード協会など世界各国の天体観測関係機関が金星から地球に向かって隕石が飛来している事を発表した。
発表されたその日から世間ではその隕石の話題で持ちきりになっていた。
テレビでも連日、金星から飛来する隕石の話題が取り上げられ。
今日もテレビのワイドショー番組では女性アナウンサーが金星の詳細を説明していた。
「現在、地球上で発見されている隕石は、月と火星からのもの以外の大部分は、火星と木星の間にある小惑星帯から飛来し、金星から隕石が飛来してくるのは大変珍しいそうです。金星は大きさ一万二千キロメートル、地球からの距離は一億五千万キロメートルであり、最接近時の距離は約四千二百万キロメートルまで近づきます」
女性アナウンサーは用意されたフリップを使いながら丁寧に説明していく。
「金星は地球と同じ岩石質の惑星で、大きさや質量は地球とそれほど変わらないため『地球の姉妹惑星』と表現される事があります。ですから、誕生したばかりの大気の成分も似通っていたのではないかと考えられています。しかし、現在の金星の環境は地球とはまったく違います。地球の大気の主成分が窒素や酸素であるのに対して、金星の大気のほとんどは二酸化炭素で、その上空は厚い硫酸の雲で覆われていて、その下の世界をなかなか見る事ができません。なので、今回の隕石を調べれば金星がどんな惑星なのかを知る手がかりになるのではないかと期待されています」
説明が終わった女性アナウンサーがスタジオに設置された大型モニターに近づいていくと、モニターに衛生が至近距離から撮影した金星の映像が表示される。
「硫酸の雲が太陽光をよく跳ね返すため、地球から見る金星はキラキラ輝いて見えます。金星は地球から見ると明け方と夕方にのみ観測する事ができる為、太陽、月に次いで明るく見える星である事から、明け方に見えるものは『明けの明星(みょうじょう)』、夕方に見えるものは『宵の明星(みょうじょう)』と言われています」
モニターに表示される明け方と夕方に地球から見える金星の映像を使いながら女性アナウンサーは丁寧に説明を続けた。
惑星から宇宙空間へ物質を射出することは容易ではないが『火星隕石』は火星上の岩石が火星重力圏を飛び出し、地球に飛来し発見された隕石である。
火星サイズの惑星から宇宙空間へ物質を射出する事は容易ではない。
そこで火星上で起こった天体衝突によって火星の岩石が宇宙空間へ放出され地球まで飛来したものであろうと言われてきたが、 火星隕石の具体的な放出メカニズムは未解明だった。
しかし、日本の研究チームは高衝撃圧を経験した深部の岩石が浅部(表面付近)の低衝撃圧しか受けない岩石を心太式(ところてんしき)に押し出す事で火星脱出速度以上の速度まで効率よく加速する事を発見した。
それから数日後。
隕石の軌道やスピードから、落下予測地点が日本の関東だと判明し落下した際の被害予測がされるが、幸い隕石は大気圏で燃え尽きるか大気圏を通過しても拳大の大きさになり大きな被害は出ないだろうと予測され、予測地点から誤差数キロメートルに警戒が呼びかけられた。
さらに数日後。
隕石は運良く横浜市内にある山に落ち、すぐに墜落現場に向かった警官から警察署に報告が行くと警察署から連絡を受けた専門家たちが隕石を大学の研究室やそれに類する研究機関で調査するために山に回収に向かった。
山にあるハイキングコースの林道を抜けた広場の手前、自然の多い場所に出来たクレーターの周囲に規制線が張られ専門家たちは隕石の回収を開始した。
しかし、専門家たちが隕石に近付いていくと突然、落下地点から穢れが溢れ出す。
しかし 普通の人間にはその穢れが見えないため、現場に駆けつけた警官や専門家たちは次々と穢れに侵食されていく。
穢れに侵食された警官や専門家たちがお互いに暴力を振るうなど暴れだすと、規制線の外でその様子を見ていた警官の通報で暴れた警官や専門家たちはすぐに駆けつけた警官たちに取り押さえられた。
暴れた警官や専門家たちの様子からウイルスなどの感染が疑われ暴れないように拘束されるとそのまま病院に隔離され、警官や専門家たちの感染とクレーターのウイルス検査結果が出るまで隕石の回収は中止となりクレーターは周囲を含め立入禁止とされた。
二週間後。
「その山の隕石の落下現場を調べてほしいと?」
「はい」
クレーターからウイルスは検知されず病院で検査された警官や専門家たちにもウイルスの感染はなく、すぐに落ち着きを取り戻した事を知った秋葉(あきば)はその警官や専門家たちが穢れに侵された可能性を疑い、師岡(もろおか)から神奈(かんな)を通じて真人(まさひと)に隕石が落ちた山のクレーターで穢れが発生してないか調べてほしいとの事だった。
「そもそも隕石が落下して穢れが発生したりするものなのか?」
真人が聞いても神奈は何もわからないのか真人の問いに何も答えず無反応だった。
隕石が落下した山の麓。
真人は神奈を連れて隕石が落ちた山の麓まで来ていた。
神域の守人である神奈なら真人にわからない事もわかるのではないかと判断し一緒に来てもらった。
「どうも、お待ちしていました」
麓の山の入口で秋葉と合流すると神奈の見えない秋葉は真人にだけ声をかけてくる。
「お疲れ様です」
規制線が張られ警察によって立入禁止となった山は情報は公表されていないが、どこからかウイルスが発生したという噂が広まり山の付近に近づく者は誰一人おらず辺りは静まり返っていた。
「では、さっそくで申し訳ないのですが」
そう言って秋葉が規制線前の警官に話しかけると警官は秋葉に畏まりながら敬礼をする。
警官は真人の事は知らないはずだが秋葉が一緒のお陰で止められる事なく中に入る事ができた。
そのまま秋葉に案内されハイキングコースの林道を抜け広場の手前まで来ると、クレーター前に張られた規制線が見えてくる。
規制線の中、真人にはクレーターの中央から黒い穢れが煙のように上がっているのが微かに見えた。
「………確かに穢れが発生しているようですが」
秋葉に許可を得て真人が規制線を越えて近づいて見てみると、確かにクレーターの中央の隕石が落下したと思われる地点から穢れが発生していた。
しかし、その穢れの量は人が侵されて暴れだすほどとは思えなかった。
「この隕石に含まれている穢れは限られているのでこれ以上心配する必要はないでしょう」
隣で同じように隕石を見ていた神奈も同じ意見のようだ。
「いかがですか~⁉」
警戒してクレーター前に張られた規制線の外に待機していた秋葉が覗き込むようにして聞いてくる。
「………確かに、落下地点から穢れが発生している様ですが、人が侵されて暴れだすどころか人が普通に悪意を持った時に発する穢れよりも少ないので心配する必要はないと思います」
真人は説明しながら規制線の外で待機する秋葉の側まで戻った。
「ですが、なんで生き物でもない隕石が落下して穢れが発生したのでしょう?」
秋葉の言うとおり穢れは生き物からしか発生しない。
仮に隕石に何かしら微生物が付着していたとしても微生物が悪意なんて持つだろうか。
仮に微生物が悪意を持ったとしても小さな微生物が人が侵されるほどの穢れを発生させられるとは思えなかった。
市内のとある山の中にある神社。
真人がその神社の社務所の扉を開くと壁中にガラス扉がついたアンティーク調の本棚や家具が並んだ部屋の中で、本が山積みにされたテーブルの横にある二つの二人掛けソファーの片方に線の細い眼鏡をかけた男が一人座って本を読んでいた。
「乙舳(おつとも)さん」
「あれ?真人さん、どうされました?」
乙舳は真人に気付くと立ち上がり笑顔で迎え入れた。
「隕石が落下して穢れが?」
「ええ」
真人は金星から来た隕石が落ちて出来たクレーターから穢れが発生したのは、あの山や場所に関係ある神が隕石が落ちてきた事に対して怒り穢れを発生させたのではないかと古事記や日本書紀などに記載された神に詳しい乙舳に事の経緯を説明した。
「そちらの山に神さまがいたとか祀られていたという話は聞いた事がありませんが………」
そう言いながら乙舳はガラス扉を開け本棚から何冊か本を取り出し読み漁っていく。
一時間後。
あれから真人も乙舳と一緒になって社務所内の古事記や日本書紀の写本など、日本の神に関する資料を読み漁ってみたが手掛かりになりそうな記述は見当たらなかった。
「大分遅くなってしまったな」
現世(うつしよ)と神域(しんいき)を繋ぐ社を通って神域へ戻ると辺りはすっかり暗くなっていた。
まだ街灯や街明かりがある現世と違い星明かりしかない神域は慣れていても油断すると迷ってしまう。
月明かりがあればそれほど迷わないんだが………。
そんな事を考えつつ歩いていると前方の道の真ん中に一つの明かりが見えてくる。
「………真人さま」
声が聞こえて明かりに近づいていくと宇迦(うか)が提灯を片手に迎えに来てくれていた。
「わざわざすまないな」
「いえ」
宇迦は笑顔で返事をするとそのまま振り返り帰り道を先導してくれる。
「………如何でしたか?」
宇迦は歩きながら聞いてきた。
宇迦には家を出る時に秋葉から隕石が落下した場所から穢れが発生している可能性があるので調べてほしいと頼まれた事を話してあったので、隕石落下地点から穢れが発生していたが人が悪意を持った時に発する穢れよりも少ない事や乙舳と隕石が落下した山に関係ある神がいないか調べた事を話した。
「そうですね。私もその山に神がいたという話は聞いた事がありません」
「う~ん………、金星の観測衛星の記録から穢れが発生した原因は隕石の落下で間違いないようなんだが………」
「………金星と仰いましたか?」
「………ん? ああ、金星の観測衛星が金星から隕石が飛び出す瞬間を捉えていて、その隕石が落下した地点から穢れが発生したんだが金星に何かあるのか?」
「もしそれが本当だとしたら事態はより深刻な状況かも知れません」
「どういう事だ?」
「天津甕星(あまつみかぼし)という神をご存じですか?」
「天津甕星?」
天津甕星(あまつみかぼし)
天津甕星は、日本神話に登場する星の神である。
別名、天香香背男(あめのかがせお)。
星神香香背男(ほしのかがせお)、香香背男(かがせお)。古事記には登場せず、日本書紀における『葦原中津国(あしはらのなかつくに)平定』にのみ登場する神。星神、また悪神と明記される異例な存在。
日本神話唯一の星の神。
天津甕星は、太陽神とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月の神とされる月読尊(つくよみのみこと)を除けば、日本神話で唯一”星神”と明記される非常に珍しい神。
神名は、『天の甕(水瓶)のように大きな星』あるいは『天の神威ある偉大な星』の意味と考えられている。
別名の『天香香背男』は、『天上で輝いていらっしゃる男性』と解釈もされる。
「天津甕星は神々が葦原中津国を平定する際に最後まで神々に従わずに抵抗した悪神です。武神である経津主神(ふつぬしのかみ)さまと武甕槌命(たけみかづちのみこと)さまの二人がかりでも討つ事ができず弱ったところを建葉槌命(たけはづちのみこと)さまの力で織り込んだ分厚い硫酸の雲に覆われた金星の地表に封印されました」
「武甕槌って、あの武甕槌か⁉」
経津主神(ふつぬしのかみ)。
別名は『いわいぬしのみこと』、または『いはひぬしのみこと』で、斎主神または伊波比主神と表記される。
『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段(神産みの段)の第六の一書では、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火の神・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を斬った時、十握剣(とつかのつるぎ)の刃から滴る血が固まって天の安河のほとりにある岩群・五百箇磐石(いおついわむら)となり、これが経津主神の祖であるとしている。
第七の一書では、火之迦具土神の血が五百箇磐石を染めたために磐裂神(いわさくのかみ)・根裂神(ねさくのかみ)が生まれ、その御子の磐筒男神(いわつつのおかみ)・磐筒女神(いわつつのめかみ)が経津主神を生んだとしている。
巻第二(神代下)の第九段の本文も経津主神を「磐裂・根裂神の子、磐筒男・磐筒女が生(あ)れませる子」としている。『古語拾遺(こごしゅうい)』にも『経津主神、是れ磐筒女神の子、今下総国(しもうさのくに)の香取神(かとりのかみ)是れなり』とある。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)。
神産みにおいて、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火の神である火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の首を切り落とした際に、十拳剣(とつかのつるぎ)『天之尾羽張(あまのおはばり)』の根元についた血が飛び散って生まれた三柱の神のうちの一柱である。
『古事記』では建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)、建御雷神(たけみかづちのかみ)、別名に建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)と記され、『日本書紀』では武甕槌や武甕雷男神などと表記される。単に『建雷命』と書かれる事もある。
雷神、かつ剣の神とされる。
建御名方神(たけみなかたのかみ)と並んで相撲の元祖ともされる神である。
また、鯰絵(なまずえ)では、要石(かなめいし)に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている。
日本で創作される物語に多く登場する神の一人であり、神以外でも強きものにその名前が多く使われている。
「現世でも有名な武神だぞ⁉ その武神ですら敵わなかった悪神の封印なんてものが破られでもしたら………!」
「落ち着いて下さい。確かに天津甕星は強力な悪神です。しかし、建葉槌命さまの封印が強力なため天津甕星はその封印が弱まる度に自分の力の一部を送り込むのがやっとのはずです」
真人は神奈がクレーターで言った言葉を思い出す。
『この隕石に含まれている穢れは限られているのでこれ以上心配する必要はないでしょう』
神奈はあの穢れが隕石が落ちた事で発生したのではなく、元々隕石に含まれていたものだとわかっていた。
真人はなぜ気づかなかったのだと頭を抱えた。
「じゃ、その天津甕星が隕石を使って穢れを現世に送り込んだっていうのか? なぜ、そうまでして人間に危害を加えようとするんだ? その葦原中津国での戦いと人間は関係ないんだろ?」
「その葦原中津国が現在の現世の事なのです」
葦原中津国(あしはらのなかつくに)
葦原中津国とは、日本の古称、『古事記』『日本書紀』の神代巻がその典拠で、日本神話において天つ神が天上の高天原(たかまがはら)より葦(あし)の群生する地上の世界を指してこう名づけた事に由来する。
高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界。
美称して豊葦原中津国(とよあしはらのなかつくに)もしくは、中津国(なかつくに)とも言う。
日本書紀には、豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)という記載がある。
垂直型構造の世界観において高天原と黄泉の国、根之堅洲国(ねのかたすくに)の中間に存在するとされる場所で、地上世界を指すとされる。
また、中津国(なかつくに)には『中心の国』という意味もある。
「じゃあ、天津甕星は現世を手に入れようとしてるという事か?」
「恐らく、理由はわかりませんが天津甕星は現世に強い拘りを持っているようです」
「………そうだ! その天津甕星を金星に封印した建葉槌命はどこにいるんだ? 建葉槌命に力を借りてもう一度封印を強めれば………」
「建葉槌命さまはこの神域で眠りについているはずですが、ご存じの通り他の神の領域には神奈さま以外立ち入れませんので………」
神奈はすでに自分の部屋で休んでいるため建葉槌命の事を聞くのは明日にする事になった。
翌日。
朝早くに目を覚ました真人は建葉槌命の事を聞こうと神奈の姿を探すがどこにも見当たらない。
「宇迦、御饌、神奈を見なかったか?」
真人は居間に行くとテーブルを布巾で拭いていた宇迦と台所で朝食を用意している御饌の二人に向かって聞いた。
「いえ、今朝早くに出ていかれたようで気づいた時には………申し訳ございません」
畏まり頭を下げる宇迦を横目に御饌も見ていないのか真人と目が合うと首を横に振り見てないと否定する。
宇迦たちの返事に真人は頭を抱える。
神奈がいなければ建葉槌命には力を借りるどころか会う事も出来ない。
「………宇迦、また現世に行ってくるから神奈が戻ったら昨夜の事を話して俺が戻るまで待ってもらってくれ」
「畏まりました」
真人は神奈が戻るまでに出来る事をしておこうと天津甕星と建葉槌命の情報を聞きに再び現世の乙舳の元へ向かった。
神社の社務所に着くと真人は、昨夜、宇迦から聞いた内容を乙舳に伝えた。
「………天津甕星は天香香背男ともいわれ古事記には登場せず、日本書紀の葦原中津国平定にのみ書かれている有名な悪神ですが、謎の多い神でして私も言われるまで失念していました」
そう言うと乙舳は申し訳ありませんと真人に頭を下げる。
「いえ、それより」
「はい、宇迦さまが仰るように経津主神さまと武甕槌命さまが葦原中津国平定時、不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく討ち滅ぼしましたが天津甕星だけは討てなかったと云われています」
『日本書紀』巻第二 神代下 第九段本文
経津主神・武甕槌命は不順わぬ鬼神等をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかった。
そこで倭文神(しとりがみ)建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わし懐柔したとしている。
『日本書紀』巻第二 神代下 第九段一書では天津神は経津主神と武甕槌命を派遣し、葦原中津国を平定させようとした。まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中津国平定を行うと言っている。
天上の甕(水瓶)のように大きな星、あるいは天上の神威ある偉大な星、天上で輝いていらっしゃる男性と推測される名前で、高天原を騒がせる強大な神なので、天上に輝く星の中でも、とりわけ大きく強く輝く星であると考えられ天球上の星で一番光輝くのが金星であり、太陽、月の次に明るい星であり、昼間でも観測でき明けの明星、宵の明星という別名を持ち日本でも古くから文献上でもその存在が確認できる。
この明けの明星、宵の明星というように、一番光度が強いという事は日暮れであれば一番最初に目立ち夜明けであれば一番最後まで光を放つ。
これが、天つ神でありながらも高天原に最後まで従わない神、または最初に平らげるべき相手として登場する所以である。
「定かではありませんが対処方法があるかもしれません。堕天使ルシファーを知っていますか?」
「………ルシファーですか? 昔マンガで読んだ程度の知識ですが、確か神にもっとも近い存在で天使たちを束ねる大天使長でしたが、神に対して謀反を起こした事で天界から追放され、堕落して悪魔王のサタンとなったとか」
ルシファー
(Lucifer、ルキフェル、ルシフェルとも) は、明けの明星を指すラテン語であり、光をもたらす者という意味をもつ悪魔・堕天使の名である。
キリスト教、特に西方教会(カトリック教会やプロテスタント)において、堕天使の長であるサタンの別名であり、魔王サタンの堕落前の天使としての呼称である。
キリスト教の伝統においては、ルシファーは堕天使の長であり、サタン、悪魔と同一視される。
神学で定式化された観念においては、悪魔はサタンともルシファーとも呼ばれる単一の人格であった。
天使たちの中で最も美しい大天使であったが、創造主である神に対して謀反を起こし、自ら堕天使となったと言われる。
キリスト教では悪魔は罪によって堕落した天使であるとされ、罪を犯して堕落する前のルシファーはすべての天使の長であったとし、中世の神学者たちも、ルシファーはかつて最高位の天使である熾天使(してんし)か智天使(ちてんし)の一人であったと考えた。
魔王サタンの肉体は最も重い罪である裏切りを犯した者が永遠に閉じ込められる氷の地獄第九層コキュートスの最深層、その中心部ジュデッカに封印されていると云われている。
「天津甕星とルシファーの言い伝えには共通点が多く、明けの明星や宵の明星と云われている事や、日本では太陽の神である天照大神さまや月の神である月読尊さまと同じ星の神という位の高い神でありルシファーも天使を束ね神に最も近い位です。そして宇迦さまが仰っていた天津甕星が金星の地表に封印されていて隕石を使って力の一部を送り込んだという事と、ルシファーが地獄の最下層に肉体が封印されていて力の一部を使い蛇の姿でイヴに禁断の果実を食べるようにそそのかした言い伝えによく似ています。天津甕星もルシファーもどちらも位の高い存在であり封印のためどちらも力の一部しか使えず直接人間に手を下していません」
「つまり天津甕星とルシファーは同一の存在という事ですか?」
「あくまでそれらの共通点から一部で同一視されいるというくらいの事ですが、今重要なのは天津甕星とルシファーは同じように強力な力を持ってはいますが、今はその力の一部しか使う事が出来ないという事です」
「つまり経津主神と武甕槌命が敵わなかった時ほどの力は持ってはいないので、それほど恐れる必要はないと」
「あくまで可能性としてですが、なので建葉槌命さまに封印を強めていただければ再び封印する事も可能ではないかと」
「その天津甕星を封印した建葉槌命とはどんな神なんですか?」
「建葉槌命さまは機織りの祖神として信仰されている神さまです。 日本書紀に登場した倭文神で、経津主神さまと武甕槌命さまでは服従できなかった星神天津甕星(ほしがみあまつみかぼし)を征服した神とされています。建葉槌命さまが天津甕星を征服した方法として二つの説が伝えられています。一つ目は、建葉槌命さまが武神だったとする説です。建葉槌命さまの建は武、葉は刃と読み替えると武刃槌となり、まさに武神らしい名と受けとれるからと云われています」
乙舳は手元にあった紙に書きながら説明する。
「二つ目は、天の悪しき星の神を織物の中に織り込んでしまって封印したとする説です。これは、太陽が沈んでも空に悪しき星が残っている事を、どうにか出来ないものかと考えた上での苦肉の策だとされています」
建葉槌命(たけはづちのみこと)。
建葉槌命は日本書紀や古語拾遺(こごしゅうい)などに言及される神。
建葉槌神(たけはづちのかみ)、武羽槌命(たけはづちのみこと)、武羽槌雄命(たけはづちのおのみこと)、天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)、天羽雷命(あめのはづちのみこと)などの名前でも呼ばれる。
高天ヶ原に従わない星神天津甕星を服従させるために経津主神、武甕槌命の二神に加えて更に派遣された神で、この神によって天津甕星は服従するに至った。
倭文(しとり、しずり)=縞や紋様の入った梶の木や麻などで青・赤などの縞を織り出した古代の布の神とされ、古語拾遺に拠れば天照大神の岩戸隠れにおいて文布(あやぬの)(倭文の事)を織って供物とした神で、機織を生業とする倭文氏の遠祖であるとされる。
倭文とは、古代の織物の一種の倭文織りの事で、楮(こうぞ)や麻などを材料として布を織る時に、横糸を赤や青い色に染めて乱れ織りにしたものである。
古代において、美しい織物は神を祀る時の最高の供物のひとつだった。
そういう貴重な織物を生み出す機織りの作業を司るのが建葉槌命という事である。
乙舳の話を聞いた真人が今はとにかく建葉槌命に力を借りるのが先決だと急いで現世と神域を繋ぐ出入口である社へと向かっているとスマホに着信が入った。
立ち止まりスマホの画面を見ると秋葉の名前が表示されていた。
「はい」
「ああ、よかった真人さん、今大丈夫ですか?」
「ええ、何かありましたか?」
「それが、さきほど金星の硫酸の雲に観測衛星から確認できるほどの大きな穴が現れたと連絡が来まして、今度はもしかしたら前の隕石より酷い事態になるのではないかと………」
秋葉の言葉を聞いた真人は最悪の事態が頭をよぎった。
「秋葉さん、すいません。今は説明してる暇がないので、また後で!」
通話を切ると真人は神域への出入り口である社に戻りながら考えを巡らす。
前回、天津甕星は隕石で力の一部を送り込んだが失敗した。
ならば次はもっと強い力を送ろうと考えるはず、それも観測衛星から確認できるほどの大きな穴を開ける必要があるほどの力となれば尋常じゃない被害になるかもしれない。
社に着くと真人は社の中へ駆け込み神域へ急いだ。
「真人さま!」
真人が社の中を駆け抜け格子扉を開いて神域に出ると、すぐに名前を呼ばれ、声のした方向に振り向くと宇迦と御饌の姿が目に入った。
「宇迦! 御饌!」
「天津甕星が来ます」
宇迦と御饌は慌てた様子で真人に知らせる。
「わかるのか⁉」
「はい、この神域まで伝わるとても強い力です」
「神奈は?」
「まだお戻りになっていません」
宇迦は首を横に振って答える。
「………宇迦、御饌、頼みがある」
「どのような?」
「天津甕星をこの神域に誘い込めないか?」
「………理由を聞いてもよろしいですか?」
真人の言葉を聞いた途端、宇迦は真剣な表情に変わる。
「さっき秋葉さんから金星の雲に大きな穴が現れたと連絡がきた。もしそんな穴を必要とするほどの強い力を天津甕星が送り込もうとしているなら現世に尋常じゃない被害が出るかも知れない。だが、神域の何もない箇所に誘い込めれば………」
「現世がどうなっても私たちには関係のない事です。私たちにとって重要なのは現世に被害を出さない事よりも神域を荒らされないように守る事です」
言いながら宇迦は真人の目を真っ直ぐ見据える。
「それでも現世には伯母や俺の仕事に協力してくれている人たちもいるんだ! 頼む!」
真人は親しい人を守りたい一身で必死に食い下がる。
「天津甕星を神域に誘い込んで、いかがされるおつもりですか?」
「どうにか天津甕星を封印する」
「危険すぎます! せめて神奈さまにお願いして建葉槌命さまの協力を得られるまでお待ち下さい!」
「待てるわけないだろ! 待ってる間にみんな天津甕星に殺されてしまうかもしれないんだぞ⁉」
そう言うと真人は神域と現世を繋ぐ出入口である社へ向かおうとする。
「お待ち下さい! どうなさるおつもりですか⁉」
宇迦は真人の腕を掴んで引き止める。
「とにかく、俺一人でも天津甕星を食い止められないか、やれる事をやってみる。宇迦たちは神奈が戻ったら事情を話して建葉槌命の協力を得て俺のところに来るように伝えてくれ」
「そんな無謀すぎます! 何か別の方法を………」
そう言いながら宇迦は真人の前に出て行く手を阻む。
「通してくれ!」
「いいえ、通しません。いざとなれば現世の被害が落ち着くまで真人さまの自由を奪う事もやむを得ません」
真人と宇迦が言い争いをしてると、その様子を今まで後ろで黙って見ていた御饌が宇迦の腕をおもむろに掴む。
それに気づいた真人と宇迦に対して御饌は首を横に振ったかと思うと真剣な表情を宇迦に向ける。
「………御饌は真人さまに甘いですね」
すると宇迦は御饌の顔を見ながら我に返り呆れた表情で溜め息をつきながら笑った。
「すまない」
その様子を見ていた真人は二人に頭を下げた。
天津甕星を誘い込むならと宇迦に先導され、三人は走ってある場所に向かっていた。
「ですが、相手は力の一部とはいえ、あの経津主神さまと武甕槌命さまですら敵わなかった悪神です。私たち三人がかりでも敵うかどうか」
「天津甕星の神格は絶てないか?」
真人はそう言って鞘に納め腰に差した琥珀の刀の柄を掴んだ。
「天津甕星の力にも神格は宿っているはずですが、琥珀の刀でも本体に宿る神格を絶つ事はできません」
「それでも一時的にでも天津甕星をしのぐ事が出来れば、その間に神奈に建葉槌命の力を借りてもらって封印する事ができればいい………」
「こちらです」
先導する宇迦と御饌が足を止めると真人も足を止め辺りを見渡す。
「ここは………」
そこは真人も領域の整備中に何度か訪れていた森の中にぽっかりと空いた大きめの広場のような何もない場所だった。
辺りを見渡していた真人が宇迦を見ると宇迦は難しい顔をして上空を見上げていた。
「………来ます」
宇迦がそう言うと宇迦と御饌は横に並んで立ち手を合わせる。
すると神域の空は蜃気楼の様に歪んでいく。
同時刻、現世では地球に落ちてくる一筋の光が人々によって観測されていた。
その光が次第に大きくなってくると人々の中にはその光が隕石だと理解し危機を察して逃げる人や神にひたすら救いを求めて祈る人などで混乱する。
その光を見ていた人たちが、地表に隕石が落ちてくると身構えた次の瞬間、突如、空が蜃気楼の様に歪み光はその歪みの中へと消えていった。
真人が神域で蜃気楼の様に歪む空を見つめていると歪んだ空から一筋の大きな光が広場に落ちてくる。
光はそのまま落下すると地表を大きく抉り土埃を飛び散らしながら大きなクレーターを作っていく。
真人が飛び散る土埃を手で払い除けながらクレーターを覗き込むとクレーターの中心に蠢く黒い大きな塊が見えた。
その塊は立ち上がると並外れた大きさの身体に、頭に太い角の生えた全身が焼けた炭のように黒い怪物へと変わっていき、その巨躯からは凍えるような冷たい風が吹き荒れてくる。
「なっ、なんだ⁉」
あまりに強い風のため、まともに前を見る事ができずに手で風を遮るようにして見ると、その巨躯から冷気が勢いよく吹き出ているのがわかった。
「強力な封印によって氷漬けにされていた天津甕星の力が解き放たれた事により膨れ上がり、肉体に収まりきれずに行き場を失った力が吹き荒れています」
宇迦が説明すると警戒していた御饌の姿は天津甕星の力に反応して自然と禍々しい獣人へと変化する。
「やはり無謀だったのかも知れません。格が違いすぎます!」
天津甕星の力を目の当たりにした宇迦は御饌の反応を見ながら恐怖で震える自分の身体を抑え込むように両手で自分の身体を抱きしめる。
「今から逃げても逃がしてくれそうにないぞ」
真人の言葉に宇迦が真人の視線を追うと、形が整い終わった天津甕星は真人たちを真っ青な目で見据えると獣の様な唸り声を上げながら真人たちに襲いかかってきた。
すぐに御饌が真人たちを庇おうと真人たちと天津甕星の間に割って入り天津甕星に向かって言霊を発するが天津甕星は御饌の言霊をものともせず、そのまま御饌を力任せに殴り付けると御饌は後方に吹き飛ばされ勢いよく木に背中を打ち付け気を失ってしまった。
「御饌!」
言霊も効かない天津甕星のそのあまりにも強力な力に真人は一瞬たじろぐが、吹き飛ばされた時に何かで切ったのか、真人は御饌の腕から血が垂れてきた事に気づくと気を取り直し、天津甕星の様子を窺うと天津甕星は真人や宇迦には目もくれず吹き飛ばされた御饌を見ながら動こうともせず、その行動はどこか動物的で知性をまったく感じられなかった。
まるで狂暴な動物を相手にしている様な。
真人は御饌を見つめる天津甕星に気づかれないように横手に回り込み琥珀の刀で天津甕星に斬り掛かった。
しかし、天津甕星の身体は硬く刃は通らず弾かれてしまった。
「くそっ! 硬すぎる………!」
真人が体勢を建て直し、もう一度斬り掛かろうとすると真人に気づいた天津甕星が真人目掛けて腕を振ると真人はその腕に弾き飛ばされる。
「真人さま!」
宇迦は天津甕星に弾き飛ばされた真人の名を叫び真人の元へ駆けつける。
幸い吹き飛ばされた先に生い茂っていた草が衝撃を吸収してくれたお陰で真人は天津甕星から受けた打撲だけで済んでいた。
しかし、真人の元にたどり着き様子を確認した宇迦は覚悟を決めた顔をすると、突然、誰もいない方向に向かって走り出していく。
「こちらです!」
宇迦は二人から天津甕星を引き離すために囮になろうと二人から離れて声を上げる。
「なっ………、宇迦やめろ!」
真人が宇迦を止めようと追いかけると天津甕星は今度は両腕を二人目掛けて振るい二人を同時に吹き飛ばした。
吹き飛ばされた拍子に真人は木に頭を強く打ちつけ宇迦も悲鳴を上げながら飛ばされる。
すると、宇迦の悲鳴を聞いた御饌が意識を取り戻し、傷つき痛む身体を押して続けて宇迦に襲いかかろうとする天津甕星に長く伸ばした鋭い爪で斬りかかる。
だが、やはり天津甕星に傷一つつける事が出来ずに御饌は逆に天津甕星に捕まってしまった。
真人は頭を打って意識が朦朧としながら天津甕星に為す術もなく傷つけられていく宇迦と御饌を見ていた。
朦朧とした意識の中、天津甕星に捕まり握り潰されそうになり苦しみもがく御饌の姿が目に止まる。
すると、殺されそうな御饌を見た真人の身体に異変が生じる。
心臓の鼓動が早まり全身の血の巡りが早まると真人はまだ朦朧として思考が定まらないまま身体だけがまるで何者かに乗っ取られたかのように駆け出し、力任せに琥珀の刀を振るうと先ほどは刃が通らず弾かれてしまった琥珀の刀は天津甕星に突き刺さり天津甕星の身体に傷を追わせる。
そのまま真人が何度も天津甕星に琥珀の刀を突き立てていくと天津甕星は弱々しく唸り声を上げ、力なくその場に突っ伏し動かなくなっていく。
「これは………」
聞きなれない声が聞こえ真人が振り向くと、そこには神奈と赤青の色で染められた乱れ模様の羽衣を纏った見知らぬ女神らしき美しい女性が立っていた。
しかし、その二人の姿を確認すると真人は全身から力が抜けていき、そのまま気を失ってしまった。
翌日。
真人は気がつくと神域の自室に敷かれた布団の上に寝かされていた。
身体を起こそうとすると全身に痛みが走り、身体を見てみると気を失っている間に誰かが治療してくれたのか頭や身体など至る所に包帯が巻かれていた。
状況がわからず困惑していると外から物音が近づいてくる。
誰かが部屋にやって来ると障子を見ていると障子が開きお盆を持った宇迦が部屋に入ってくる。
「気がつかれましたか?」
「………宇迦」
同じように天津甕星に傷つけられたはずの宇迦は大きな怪我もない様子でお盆の上の急須の中身を湯呑みに注ぐ。
「薬湯です。飲めますか?」
「………ああ」
真人は湯呑みを受けとると息を吹きかけ一口すする。
薬湯を飲んで目覚めたばかりで呆然としていた意識がハッキリしてくると、昨日、朦朧とする意識の中で見た天津甕星に傷つけられていく宇迦と御饌の姿を思い出した。
「………そうだ! 俺は天津甕星に吹き飛ばされた時に頭を打って、朦朧とする中で確か宇迦と御饌が……、あの後どうなったんだ⁉ 怪我はないのか宇迦⁉ それに御饌は無事なのか⁉」
「落ち着いて下さい。私も御饌も真人さまのお陰で無事です。御饌は自分の部屋で横になっていますが真人さまよりは傷は浅いので、………本当に何も覚えておいでにならないのですか?」
宇迦は眉をしかめながら心配そうに真人の顔を覗き込む。
「確か朦朧としながら二人が天津甕星に傷つけられていくのが見えて、天津甕星に捕まって苦しむ御饌の姿を見た途端に鼓動が早くなったかと思ったら頭が真っ白になって………そこから先はよく覚えていない」
「………あの後、神奈さまが建葉槌命さまをお連れになられて、すぐに天津甕星を再び封印してくださりました。神奈さまはここ数日ずっと建葉槌命様の領域に異変を感じて調べていたそうです」
真人の話を聞いた宇迦は一瞬浮かない表情をしたように見えたが、すぐにいつも通りの表情に戻り説明する。
「………異変?」
真人は宇迦の表情に気づいたが疲れているのを顔に出さないようにしているのだろうと、あまり気にしなかった。
「はい、建葉槌命さまの領域は硫酸の壁に覆われているのですが、その壁がここ何日か徐々に薄まってきていたそうで、どうやら天津甕星の封印が弱まると建葉槌命さまは再び封印を施すために目覚められるようです」
「じゃ建葉槌命は天津甕星を封印するためだけに目覚めるのか? 言い伝えだと建葉槌命は天津甕星を封印したとしか伝えられていないが建葉槌命と天津甕星には何か関係があるのか?」
「天津甕星は元々………」
天津甕星との戦いで真人が気を失った後。
神奈と共に駆けつけた建葉槌命が再び封印を施すと金星に空いた硫酸の雲の切れ目が塞がり、天津甕星の姿は消え去った。
天津甕星が封印されると宇迦と御饌たちは真人を神域の部屋に敷いた布団の上に寝かせ、傷の浅い宇迦だけが建葉槌命を見送りに出ていた。
「天津甕星は元々若い神々を束ねる主宰神(しゅさいしん)でした………」
建葉槌命は宇迦に天津甕星について語り出した。
天津甕星は元々高天原で天照大神と同格の主宰神であった。
勾玉や翡翠や硝子などの装飾をあしらった指輪、耳飾、腕輪、首飾、足飾など、全身に様々な古代の日本の装身具を纏った出で立ちをし若い神々を統べる神だった。
だが、ある時、葦原中津国を人間に治めさせるという天の決定に不満を抱いた若い神たちと共に天津甕星は天に反旗を翻し、経津主神と武甕槌命の力をもってしても討つ事が叶わなかったが、天津甕星が戦いで消耗したところを建葉槌命の力によって肉体を金星の地表に封印された事など、建葉槌命は遠くを見ながらまるで自分に言い聞かせるように語った。
「封印が弱っても力の一部しか送り込めない天津甕星は、過去にその知識で人間を唆そうとしましたが失敗し、今回は力で人間を滅ぼそうとしましたが、それもあの人間のおかげで食い止める事が出来ました」
そう言うと建葉槌命は真人の眠る神域の家の方を見て笑った。
「神奈さまには天津甕星を苦しめない事を条件に力を貸す事を約束したのですが、私があれこれ考え悩み決心できずにいた所為で天津甕星だけでなくあの人間や貴女たちまで傷つける事になってしまい」
言うと建葉槌命は宇迦に向かって深々と頭を下げた。
「いいえ、真人さまや私たちも自らの意思でやった事です。それに全員無事でしたので」
そう言って宇迦が笑顔を返すと建葉槌命は再び宇迦に深々と頭を下げた。
「そうか、もしかしたら建葉槌命は天津甕星を慕っていたのかもしれないな」
そう言うと真人は薬湯の入った湯呑みを両手で包むように持ち湯呑みを見つめながら笑った。
「………真人さま」
真人の名を呼ぶと宇迦は何か申し訳なさそうな顔をして真人の顔を見つめる。
「どうした?」
他に何かあったのかと真人は狼狽える。
「先日、真人さまが天津甕星を神域に誘い込んでほしいと言われた時、現世がどうなっても私たちには関係ない事などと意地が悪い事を申しました。申し訳ありません」
そう言って宇迦は真人に頭を下げ謝罪する。
「いや、あれは俺が無理を言ったからだろ。いくら広い神域の何もない箇所に誘い込めたとしても、この家や他の生活圏まで被害が及んだかもしれないし、実際、宇迦たちも怪我をしてるわけだから」
先ほどから宇迦が動く度に着ている着物の袖から腕に巻かれた包帯が見え隠れしていた。
「ありがとうございます」
宇迦は笑いながら再び真人に頭を下げた。
「神奈はどうしてるんだ?」
真人は思い出したように聞く。
「神奈さまは何か思う事があるのか、ずっとお一人でいらっしゃいます」
「そうか」
「とにかく今は安静にして下さい」
宇迦は真人から湯呑みを受けとり横に置くと真人の身体を支えながら再び寝かせ掛け布団を肩までかけ直してくれた。
宇迦は真人の部屋を出ると建葉槌命との会話の続きを思い出していた。
「あの人間にもお礼を伝えておいて下さい。その気になれば月読尊さまに与えられた神殺しの力を使って天津甕星を殺すという方法もありましたのに」
建葉槌命は頭を上げると真剣な表情で言う。
「………月読尊さまの?」
「気づいてなかったのですか? あの人間のあの力は、かつて月読尊さまに仕え力を与えられた人間の一族のものです」
宇迦は建葉槌命の言葉に、以前、真人が人間でありながら、なぜ神器を扱う事ができるのか、なぜ神器を守る結界に受け入れられたのか疑問に思った事を思い出した。
確かに神から加護を与えられてはいるが、それだけで神器を扱えるほどの力が備わるとは考えられなかった。
「あの人間の姓(かばね)は何というのですか?」
いろいろ考えを巡らせる内に自然と黙ってしまった宇迦を見兼ねた建葉槌命は真人の姓を確認する。
「真人さまの姓は………」
宇迦が真人の姓を伝えると。
「………間違いありません。その姓はかつて月読尊さまに仕えた人間と同じ姓です」
それだけ告げると建葉槌命は自らの領域へと帰っていった。
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