第10話 年の神

 横浜市のとある商店街にある人形屋の事務所で、その人形屋の跡取り息子である小動(こゆるぎ)が年々店の売り上げが落ちている事に頭を抱えていた。


「坊っちゃん、売り場に佐久間(さくま)さんがいらしてますよ」

 すると、事務所の扉が開き、店のパート従業員である中年女性が売り場に知り合いの佐久間が来ている事を伝えにくる。

「もう坊っちゃんは止めて下さいよ」

 小動はすでに三十路を越えているが、そのパートの中年女性や他の従業員や取引業者など、小動が小さな頃からこの店で働いる周囲の人からは坊っちゃんと呼ばれていた。

 昨年、社長だった祖父が亡くなり、売り場を任されていた父親が社長を継ぐと息子である小動が売り場を任される事になったのだが、その中年女性には小さい頃からお世話になっているため強く言う事も出来ず、小動は愛想笑いを返すと事務所から売り場に出ていく。


 歩きながら腕を組み何か売り上げを戻す良い方法はないかと考えていると五月人形売り場にいる佐久間の姿を見つけ、組んだ腕を戻し気持ちを切り替えると佐久間の元に駆け寄っていく。

「どうも、佐久間さん。売り場の方に来るなんて珍しいですね?」

 小動は佐久間の背後から声をかけ佐久間が振り返るとそのまま頭を下げる。


 佐久間は人形職人として祖父の代から五月人形を個人で製造して店に卸してくれている。

 もうかなりの歳らしく見た目は人の良さそうなただの小柄な老人なのだが、佐久間の作る五月人形はすべて手作りで他の五月人形より値段が一桁も違うが、その精巧さから毎年店一番の売り上げを誇っていた。


「何か悩み事でも?」

 小動はそう言って振り返った佐久間の背後にある五月人形が入った硝子のショーケースに自分の姿が映っている事に気づき、自分が悩んでいる様子も硝子越しにずっと見えてしまっていた事に気づいた。


「あ~……、いえ、年々店の売り上げが落ちてまして、最近は人形のレンタルとか色々手は尽くしているんですけど、このままではどうにも」

 店は保育園や幼稚園への雛人形や五月人形のレンタルサービスなど手広くやっているがそれだけでは到底やっていけそうもなかった。

 小動は店に五月人形を卸している佐久間にも関係がある事だと考え、店の売り上げが落ちている事を佐久間に正直に話した。


「坊っちゃんは端午の節句の本当の意味を知っているかね?」

 すると佐久間は小動の話を聞いていなかったのか突然そんな事を聞いてくる。


「……いえ、すいません。あまり詳しくは、子供の健やかな成長を願ってとかでしょうか」

 小動は佐久間の質問にどう答えていいかわからず愛想笑いを浮かべる。


「元々、端午の節句というのは五月忌(さつきい)みという女の子のお祭りの事で、田の神のために仮小屋や神社などに女の子が籠って身の穢れを祓う習慣の厄祓いの日だったのが、時を経て現在の男の子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習に変わったらしくてね」

「はあ……」

「人形をどうやって売るかではなく、どうやったら買ってもらえるかが大事なんじゃないかね」

 そう言うと佐久間は小動に笑いかけ帰っていった。


「坊っちゃん、佐久間さん何ですって?」

 佐久間が店から出ていくと、いつの間にか近くに来ていた中年女性が出ていく佐久間を見つめながら小動に聞いてくる。

「さあ、あの人も年ですからね。少し呆けちゃってるのかも知れませんね」

 小動は首を傾げながら出ていく佐久間を同じように見つめながら答えた。


 数日後。

 休日に小動は近所で買い物をしていた。

 人形屋は年中無休で小動も今は人形屋の売り上げを上げる事で頭が一杯なため休みはいらないと社長である父親に申し出たのだが、週に1日だけは必ず休みをとるように言われている。

 それでも、こうして休日の買い物中も何か店の売り上げを上げる方法がないか探してしまっている。


 そんな中、ふと前を歩く三人の男子高校生たちを見ると男子高校生たちの身体から黒い靄の様なものが出ている事に気づく。

 その不思議な黒い靄は、ちょうどこの三月中旬くらいの時期になると徐々に見えるようになり、二ヶ月くらい経つと徐々に見えなくなる事を毎年繰り返していた。

 子供の頃から見えていたためそれが当たり前なのだと思っていたが小学生になるとそれが自分にしか見えていない事に気づき、それからはなるべく見えても気にしないように努めてきた。

 その靄は年を追う毎に濃くはっきりと見えるようになってきたが、特に害があるわけでもなく毎年ただ一定の期間見えるだけだったので、高校生にもなるともう慣れてしまい、大人になった今では特に気にする事もなくなっていた。


 それからしばらくして小動が買い物を済ませ家に帰ろうと来た道を引き返していると、先程の男子高校生たちが何やらはしゃぎながら公園から出てくるのが見え、よく見るとその男子高校生たちから出る靄がさっき見た時より出る量や勢いが増しているのがわかった。

 なぜ急に靄の量や勢いが増したのか気になり男子高校生たちが出てきた公園に行ってみると一見何もおかしいところは見当たらなかったが、その公園に設置してある公衆トイレからトイレットペーパーが転がっているのに気づき、公衆トイレの中を覗いてみるとトイレットペーパーが散乱し、二つある個室のドアも無惨に破壊されてしまっていた。


 あまりの惨状に警察に通報すると、すぐに警官が二人と役所の職員らしき人間がやってきた。

「……これはまた酷いな」

 警官の一人が呆気にとられながらトイレの惨状を確認していく。

「これをやった人を見ましたか?」

「あ~、やった人というか、ここから男子高校生たちがはしゃぎながら出てくるのを見まして、なんとなく気になって来てみたんですけど」

 一人の警官と役所の職員がトイレを確認していると、小動はもう一人の警官から犯人を見たか聞かれ、正直に男子高校生たちの事を伝えた。

 その男子高校生たちが犯人なのかはわからないが犯人じゃなければどうにかなる事もないだろう。

「あー、じゃあ、また迷惑行為を動画に撮影してネットにアップするのが目的の犯行ですかね」

 小動たちの会話を聞いていたのか、トイレの状態を手慣れた感じで淡々と確認しながら役所の職員が言った。

 近年インターネット上において、不祥事の発覚や失言、詭弁、不謹慎な行動や他人のプライベートな情報、嘘の情報などと判断された事をきっかけに、非難・批判が殺到して、収拾が付かなくなる動画の投稿が増え逮捕者が出る事態にまでなっている。


「もし、そうだとしても、ここまでしますか?」

「彼らはね、それが犯罪になるなんてその場では思いもしないんですよ。後になって冷静になって考えたり第三者から指摘されて初めて自分のしでかした事の重大さに気づくんですよ」

 聞き返す小動に役所の職員は半ば呆れたように答えた。


 話が終わり解放されると日はすっかり傾いていた。


 あの後、また後から確認をとる事があるかもしれないのでと連絡先を聞かれたが、あんな事を犯罪だと意識もせず行っている事に驚きはしたが、もし男子高校生たちが犯人で自らその行いを撮影した動画をネットにアップするのが目的だとしたら捕まるのは時間の問題だろう。


 それよりも気になるのはあの黒い靄の方だ。

 あんな風に見える黒い靄が変化した事は今までなかった。

 あの変化は何を意味しているのか。


 黒い靄が変化した理由がわかれば、なぜ自分にだけあんな黒い靄が見えているのかがわかるかも知れない。

 そう考えると黒い靄の事がますます気になってしまい、小動は店の売り上げの事も忘れ黒い靄の事ばかりが気になるようになっていた。


 数日後。

 男子高校生が公園のトイレを破壊する動画をSNSにアップし、その動画で破壊されているトイレが小動が通報した公園のトイレと判明すると、すぐにトイレを破壊した高校生たちは器物損壊罪(きぶつそんかいざい)で逮捕された。

 器物損壊罪の場合、初犯の未成年がいきなり逮捕・勾留される可能性はそれほどないが、破壊されたトイレの惨状や動画の様子からその悪質性、さらに高校生たちの態度の悪さから逮捕に至ったとの事だった。


 数日後。

 あれから小動が何日か黒い靄の事を気にしながら人を見ていると、黒い靄はだいたい十代後半~三十代くらいの人から特に多く出ているようだった。


 そしてその中から数日前の男子高校生たち程ではないが、突然、出ている黒い靄の量が増え勢いが増す人が何人か見られた。


 なぜ黒い靄が変わるのか考えながら駅前を通りかかった時、スマホを操作していた二十代くらいの男性の黒い靄が男子高校生たちのように急に増えたかと思うと、その男性は駅前で不安そうに辺りを見渡していた年配の女性に話しかけた。

 傍目から見れば何か困っている様子の年配の女性に男性が親切に話しかけているように見えたが、その男性が年配の女性から封筒の様なものを受け取りその場から離れていくと男性はすぐに目付きの鋭い男たちに取り囲まれる。

 何事かと遠巻きに見ていると、そこにパトカーが駆けつけ警官が加わったかと思うと男性は大人しくなり、そのままパトカーに乗せられ連れていかれる。

 そこではじめて小動はその男性が特殊詐欺の被害者から現金を受け取る受け子役だったのだと気づいた。

 そしてその時、同時に黒い靄についてある仮説がたった。

 自分だけに見えるあの黒い靄は人のもつ悪意の様なものなのではないか。

 そしてその悪意は、先程の受け子のように実行に移す直前に悪意が膨らむため黒い靄の出る量や勢いが増すのではないか。

 駅前を通りかかる前に見た黒い靄の変化した人たちはみんなスマホを操作していた。

 それはSNSなどで他人を誹謗中傷したりと悪意ある行いをしていたからではないのか。

 推測でしかないが、この間の男子高校生たちや先程の受け子の男性の様子から考えるとそう考えるのが自然だろう。


 日もすっかり暮れてきて黒い靄の事もなんとなく理解できてきたので、そろそろ帰ろうと小動は夜道を家に向かって歩いていた。

 なぜ自分にだけそのようなものが見えるのか考えながら、もうすぐ家というところで何気なく前方を見ると今まで見た事もない量と勢いの黒い靄を出しながら、こちらに歩いてくる人物に気づき思わず小動は立ち止まる。

 その人物は三十代前半くらいの男性で誰から見てもあきらかに様子がおかしいが、本人は周囲にいる人たちから奇異の目で見られている事にも気づいていない様子だった。

 小動は関わらない方が身のためだと考え、早足で家まで帰っていった。


 翌日。

 朝、小動は遠くから聞こえるパトカーの音で目を覚ました。

 何事かと窓から顔を出して音のする方を見てみると、近所の主婦や通勤通学途中の人たちで人だかりができているのが見える。


 嫌な予感がした小動がすぐに顔を洗うとスーツに袖を通し、そのまま家を出て人だかりに近づいていくと、警察によって張られた規制線の前に近所の人や通勤、通学途中の人たちが集まり規制線の中の様子を窺っていた。

 小動が思った通り規制線によって侵入が制限されているのは、昨日様子がおかしかった人物が向かって行ったのと同じ方向だった。

 何が起きたのかと規制線の先の警官が出入りする家を見ていると、家から警官が遺体収納袋に入れた遺体を担架に乗せワンボックスカーに運び入れているのが見えた。

 その光景に何か事故か事件が起きて誰か人が亡くなったのだろうと思っていると、周りの主婦たちの話からその家で昨夜殺人事件が起きていた事がわかった。


 殺人事件が起きたとわかると小動は昨日の様子のおかしかった人物が犯人なのではないかと考えた。

 もしそうなら様子がおかしいと思ったあの時にすぐに通報していれば被害者は殺される事がなかったんじゃないかと後悔するが、落ち着いて冷静になってくると様子がおかしいなんてだけで通報しても警察が動くはずなく。

 ましてや人の悪意が黒い靄になって見えるなんて警察に説明しても信じてもらえるわけもない。

 それにあれだけ様子がおかしかったのだから、自分が報告しなくても他にあの人物を見た人は大勢いたはずだから、自分が責任を感じる必要はないだろうとそれ以上考えるのを止めた。


 しかし、それから何日経っても殺人事件の犯人が捕まる事はなく、警察も犯人の情報を掴めずにいる中、ある町工場で事件が起きた。


 金属製品を製造する町工場で、アルバイトが昔その町工場で製造されていた五月人形の模造刀を倉庫から見つけ出し、その模造刀を使った悪ふざけをライブ動画で投稿しているところを工場の社長に見つかり、社長がアルバイトを叱ろうとアルバイトの襟首を掴んだ拍子に持っていた模造刀が社長の腹部に刺さってしまった。

 社長が痛みに苦しみながらその場にうずくまって動かなくなると、その光景を見ていたアルバイトは気が動転してその場から逃げ出してしまい。

 そのライブ動画を見ていた視聴者からの通報で警察が町工場に駆けつけ社長はすぐに病院に搬送されるが処置が間に合わず社長の死亡が確認された。

 逃亡したアルバイトはすぐに見つかり逮捕されると取り調べ中に数日前に起きた殺人事件の現場近くにアルバイトがいた事が確認され殺人事件の犯人ではないかと疑われる。


 テレビでそのアルバイトが辻内(つじうち)という名前である事など、殺人事件の事を報道をしているニュース番組を見て小動はその辻内が殺人事件の容疑者とされている事に違和感を覚えた。

 確かにあの様子がおかしかった人物が殺人事件の犯人だと確証がある訳じゃないが、あの時、確かにあの様子がおかしかった人物は今まで見た事もない量と勢いの黒い靄を出していた。

 あれが悪意なのだとしたら、駅前で捕まった特殊詐欺の受け子が年寄りに話しかけた時に出ていた悪意の量や勢いとは比べ物にならず、あれからあの様子のおかしかった人物が向かった先で何もなかったとはとても思えない。


 数日後。

 小動は街中をあの様子のおかしかった人物を捜し回っていると人混みの中からいくつもの黒い靄が漂う中から一際大きな黒い靄を見つけ、近づいていくと人混みの中から様子のおかしかった人物を見つけ確認する。

「本当に穢れが見えてる様ですね?」

「……えっ?」

 すると突然、背後から見知らぬ人物に話しかけられ、小動が慌てて後ろを振り向くと一人の男性が立っていた。

「驚かせてしまってすいません。少し話を聞かせてもらってもいいですか?」

「……」

 小動は突然の事にどう返事をしていいかわからず、何も答える事ができなかった。

「失礼。俺は神社庁の真人(まさひと)と言います」

「神社庁?」

 小動は言いながら真人の顔を訝しむように見る。

「実はあなたが穢れという人の身体から出る黒い靄のようなものが見えているんじゃないかと」

「あの黒い靄が見えるんですか⁉」

 真人の言葉に小動は目の色を変えて聞く。

「……ええ」

「あの黒い靄は何なんですか⁉ 何で他の人には見えてないんですか⁉」

 小動は初めて自分と同じものが見える人間に会った事で冷静さを失い、勢いのままに長年の疑問を問いかける。

「あれは穢れという負の感情で、穢れを出す人間は何か強い悪意や恨み辛みを抱いています」

「じゃ、やっぱりあの殺人事件の犯人はあの様子のおかしかった人……」

「殺人事件?」

「実は……」

 小動は真人に自宅の近所で今までに見た事もない量と勢いの穢れを出した様子のおかしい人物を目撃した事と、その翌日に近所で殺人事件が起きていた事がわかり、まだその犯人が見つからないまま、数日後に今度は町工場の社長が殺される殺人事件が起こり、その犯人として工場のアルバイトである辻内が逮捕されると、近所で起きた殺人事件もその辻内がやったのではないかと疑われている事を説明した。


「そして穢れの事を警察に説明しても取り合ってもらえるはずもないので、何かわからないかとあの様子のおかしい人物を自分で捜していたと」

「……ええ」

「わかりました。ちょっと待って下さい」

 そう言うと真人はどこかに電話をかけだし、電話相手に現在地とその様子のおかしい人物の顔や服装といった特徴を伝える。

 すると数分後、警官が数人現れその様子のおかしい人物に職務質問をする。

 ――すると、職務質問されたその様子のおかしい人物は暴れだし、すぐに警官にその場で取り押さえられ、駆けつけたパトカーでその人物は連行されて行く。

 突然の事態に小動は理解が追いつかず、物陰から身を乗り出してその場に立ち尽くす。

「いったい何が? ……」

 一部始終を見終わると呆気にとられた顔で真人に聞く。

「警察にちょっとした知り合いがいまして」

 真人がそう言うと小動は頭の理解が追いつかず真人の顔を見つめたまま言葉を失う。

「後は警察に任せるしかありませんが、あの様子じゃまともに話も聞けそうにないので時間がかかるかもしれませんね」

「はあ……」

「では、話を聞かせてもらってもいいですか?」

 小動は警察の知り合いがすぐに対応してくれるなら悪い人間ではないのだろうと考え何も言わずに頷いた。


 小動は真人の後について人通りが少なく落ち着いて話ができそうな場所まで移動してきた。


「それで聞きたい事というのは? あの黒い靄……穢れ……でしたっけ? その事ですか?」

 移動している間に落ち着きを取り戻した小動は先を行く真人を呼び止めるように聞く。

「ええ、まず穢れはいつ頃から見えるように?」

「……物心つく前に、気づいたら見えるようになってた感じですね」

 小動は少し考えてから答える。

「……幼い頃から常に見えていたと?」

「いえ、このくらいの時期になるといろいろな人から穢れが出てるのが徐々に見えるようになって、二ヶ月くらい経つと見えなくなる事を毎年繰り返してました。年を追う毎に濃くはっきりと見えるようになっていたのですが、今回のように穢れの出る量や勢いが増したり、今まで見た事もない量と勢いの穢れを出す人を見たのは初めてです」

「……穢れ以外に何か見た事は?」

「……いえ、特には」

「そうですか……」

 そう言うと真人は黙り何かを考る。

「あの、どうして俺が穢れが見えているとわかったんですか?」

 確かに小動は穢れを出す人物を見ていたが、そもそもあの人物を疑ったのは殺人事件が起きる直前に近所で見て怪しいと思ったからであって穢れの事はよくわかっていなかった。


「それは、この神奈(かんな)にしばらく様子を窺ってもらって……」

 そう言いながら真人が自分の真横を手で示すが。

「……えっ?」

 小動は真人の真横を見て首を傾げる。

「……いえ、様子を窺っていたら穢れが見えている様だったので……」

 その小動の様子に真人は少し戸惑いつつも構わずに話を続けようとするが、突然ポケットを気にしたかと思うとスマホを取り出す。

「ちょっと、いいですか?」

「どうぞ」

 スマホに着信があったらしく、小動が返事をすると真人はスマホを操作して電話にでる。

「はい。……ええ、……そうですか、わかりました。……すいません。さっき連行されていった人物の事で警察に呼ばれてしまって、もしよかったら連絡先を教えてもらえませんか?」

 通話が終わると真人は連絡先をスマホに登録する仕草をする。

「あっ、ではこれを」

 それを見た小動は名刺を取り出し真人に渡す。

「……人形屋ですか」

「はい。……?」

 人形屋という事に反応する真人に小動は疑問を抱く。

「いえ。では、連絡しますので」

 言いながら真人は最寄りの警察署に向かってその場を離れた。


「どういう事だ? 穢れが見えるのに神奈の事は見えていないのか?」

 歩きながら話す真人の横に袴姿の少女がいた。

「恐らく穢れだけを見れるように大年神(おおとしのかみ)から力を与えられているのでしょう」

 その少女は真人の真横を歩きながら真っ直ぐ前を向いたまま答える。

「いろいろな人の穢れが見えて、連行されていった男の穢れの量と勢いが増したと言っていたが、見える穢れの大きさの違いがわかるような力を大年神から与えられたって事か?」

 真人も穢れは見えるが、わかるのは穢れを出しているかいないか程度で、穢れの量や勢いどころか穢れを出している人を見る事も滅多になかった。


 数日前。

 真人は神域にある家の居間で稲荷神(いなりのかみ)である宇迦(うか)と話をしていた。

「大年神?」

「はい。大年神は現世(うつしよ)に居を構えている神でして長年所在が不明だったのですが、先日、神奈さまから現世に大年神の力を与えられた人間がいたと」

 宇迦が説明している最中に台所にいた御饌(みけ)が人数分のお茶を入れると宇迦の隣に座る。

「……ありがとう。……大年神という名前は聞いた事があるが、どういう神なんだ?」

 真人は御饌に一言お礼を言うとお茶を一口飲んで話を続ける。

「大年神は、出雲国(いずものくに)の建国に際して、大国主神(おおくにぬしのかみ)に力を貸した豊年、豊作の神です。

 須佐之男命(すさのお)と、大山津見(おおやまつみ)の娘である神大市比売命(かむおおいちひめ)の子として私とともに生まれた兄弟姉妹(けいていしまい)とされています」

「兄弟姉妹とされていますって、詳しくわからないのか?」

「いえ、私ども神には兄弟や姉妹といった概念はありませんので、そのようなものよりも親しい者の方が大事です」

 そう言って宇迦は笑う。

「……という事は大年神はその人間を守っているって事なのか?」

「それは力を与えた大年神にしかわかりません。ですが、神への信仰が薄れたこの時代に、わざわざ力を与えたのには何か理由があるはずです」

「その理由を調べて欲しいという事か?」

「はい。お願い致します」

 そう言うと宇迦は真人に頭を下げる。

「わかった。調べてみよう」


 小動と別れた後。

 真人は大年神の情報を求めて古事記や日本書紀に出てくる神に詳しい乙舳(おつとも)のいる神社の社務所を訪れ、今までの経緯を説明した。

 壁中にガラス扉がついたアンティーク調の本棚や家具が並んだ部屋の中で、本が山積みにされたテーブルの横に置かれた二つの二人掛けソファーに真人と乙舳が向かい合って座り話をしていた。

「大年神様は宇迦様と同じ豊年を神格化した神様で、転じて田の神や食物や穀物の豊饒・収穫の神を意味し、他にお正月を迎える神様でもあります。そのため古来から、宇迦様とともに各地で篤く信仰されています。大年の「年」は祈年祭の「年」であり、冬に種を蒔いて初冬に収穫する稲の事だといいます。これで大年神様が稲作の神様だという事がわかります。正月に迎える神様なので年徳神(としとくじん)とされ、別名お正月様(しょうがつさま)と言われております。年の変わり目にやってきて、豊年満作を約束し、家の安泰や繁栄を見守ってくれる豊穣の神様なのです。また、一部の地方では農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたため、大年神様は家を守る神様として祀られているようになったようなのです。地方によって呼び名は異なりますが、歳徳神(としとくじん)、御年神(おとしのかみ)、大歳神(おおとしのかみ)、年神(としがみ)、歳神(としがみ)、恵方神(えほうしん)、お正月様(しょうがつさま)、などといわれる五穀豊穣の神様がいます。

 これらはどれも大年神様とほぼ同一の存在で、その年に豊かな実りをもたらす神様です。また、歳徳神様自体はもともと民間信仰の神様だとされ、同一化されるにつれて様々な信仰が増えて定着していったと云われています。正月行事はそもそも、農耕が盛んだった日本においてとても大切なものでした。古代では、一月一日、七月一日に農作をもたらす農耕神『歳神』と呼ばれる祖霊がやってくるとされていました。しかし、七月一日の祭は飛鳥時代から廃れ始め、それは祖霊祭(それいさい)から盂蘭盆(うらぼん)に変わっていきました。一方の一月一日の祖霊祭は大掛かりなものに変わり、その日に年が変わる事から農耕の神である『歳神』から、年の始まりに訪れる意味の『年神』に変わったとされます。そもそも正月を祝う風習のほとんどは、年神をお迎えして祀る意味をもっていて、豊作・豊年の予祝(よしゅく)に繋がるものです。また大年神様は、家を守る祖先の霊と同じようにとらえられる事もあります。その意味では祖霊信仰とも密接に関係し、日本人には馴染みの深い神という事がいえます。古事記では、出雲建国の神話に登場します。有力な片腕である少名毘古那神(すくなびこな)を失った大国主神(おおくにぬし)が、出雲国の建国と運営のために優秀な人材を求めて祈りを捧げていた時に、それに応じて大年神様がはるか海上から光り輝いて現れた後、伊怒比売神(いのひめ)、香用比売命(かよひめ)、天知迦流美豆比売(あまちかるみずひめ)との間に実に多くの神々をもうけました。いずれも国土造営、農耕・生産にかかわる神々です」

 乙舳はテーブルの上に山積みにされた本の中から古事記と日本書紀の写しを取り出して説明する。


「では、祖霊として祀られた大年神が小動さんを守っている可能性があるという事ですか?」

「可能性はありますが、お正月様という名前からもわかるように歳神様としてお正月に各家庭で門松を立ててお迎えし、その年の家内安全などを祈られていたので、それだけでその方を特別に守る可能性は低いのではないかと」

「宇迦は大年神は現世に居を構えてると言っていたのですが、例えば人形屋の人形を依り代としている可能性はないですか?」

 真人は人形は元々人形(ひとがた)といわれ神の御神体として使われる事から、小動に人形屋の名刺を渡された時から店にある人形を依り代にしているのではないかと考えていた。

「神社などに祀られている御神体の代わりとなる依り代を作るには、神職が特別な儀式を行い、依り代として用意されたものに神様を降ろす事で依り代とします。現在の様に機械で大量生産された人形が依り代になるとは考えられません」

 乙舳の言葉を聞いた真人は暫し黙って考え込む。

「やっぱり加護を受けた小動さんの周囲を直接調べるしかないですかね……」


 翌日。

 横浜市の商店街にある人形屋。

「坊っちゃん、お店に坊っちゃんを訪ねて警察の方々が来られてますよ」

 人形屋の事務所の扉が開き、店のパート従業員である中年女性が売り場に警察が来ている事を伝えてくる。

「あっ、……はい。後、坊っちゃんは止めて下さい」

 小動が売り場に行くと真人がスーツ姿の年老いた男性と共に立っていた。

「どうも」

 真人が小動に挨拶すると年老いた男性も小動に向かって頭を下げ挨拶する。

「こちらの方は?」

 小動は年老いた男性が何者なのか気になり真人に訪ねた。

「こちらは刑事の秋葉さんといって、こういう時にいろいろ助けてもらってます」

「私の事は気になさらず、ただの付き添いですから」

 秋葉はそう言うと小動に笑いかける。

「それで穢れの事なんですけど、見える様になる時期に定期的に行っている事など何かありませんか?」

 挨拶を早々に済ませると真人は早速本題に入る。

「……いえ、この店の休みも年末年始くらいで、後は一年中、休みも含めて代わり映えのない同じような毎日を過ごしていますから」

 小動は少し考えてから答える。

「では、この時期に身の回りで定期的に起こる変化などは?」

「特には、何せ本当に代わり映えのない毎日ですから」

 真人が小動の話を聞いていると。

「……ん?」

 話している最中に真人の裾を神奈が引っ張っぱり、見ると店内のある箇所を指で差し示す。

「ちょっと、店内を見せてもらってもいいですか?」

「……どうぞ」

 真人が神奈が引っ張る方向を指し示し小動に店内を見ていいか訪ねると、神奈が見えない小動は真人のその不思議な様子に疑問を持ちながらも返事を返す事しかできなかった。


「店に入った途端にどこかへ行ってしまったと思ったが、何してたんだ?」

 小動から離れると神奈だけに聞こえるように小声で聞くが、神奈は何も答えずに真人を五月人形売り場まで引っ張っていく。

「……一体どうしたってんだ?」

 真人が言いながら目の前の五月人形に目を向けると。

「これは……」

 売り場の五月人形の中で目の前に並んでいる数体だけが微かに光り、その光りが集まってより大きく暖かな光りを放っていた。

「この人形たちから大年神の力を感じます」

「ここに大年神がいるのか?」

 真人が聞くと神奈は何も言わずに首を横に振る。


「…どうかしましたか?」

 背後から小動に声をかけられ、真人が振り返ると小動が不思議そうな顔をしながら近づいてくる?

「この人形は何か特別なものですか?」

「そちらの五月人形は祖父の代から個人で製造して毎年店に卸してくれている方の作品でして、すべて手作りで他の五月人形より値段はかなり張りますが、その精巧さから毎年店一番の売り上げを誇っているんですよ」

 小動は癖になっているのか、まるで接客をしているような口調で人形の説明をする。

「そういえば、変化と言う訳じゃないですけど、この時期になると毎年五月人形を売り場に並べますね」

 真人はその小動の言葉を聞いて子供の幸せを願って一つ一つ丁寧に想いを込めて作られた五月人形が集まった事で大年神の簡易的な依り代となり、子供の頃からその近くにいた小動が大年神から力を偶発的に授かったのではないかと推測した。


 まだ依り代となった人形たちから大年神の力を感じるという事は離れてからそんなに時は経っていないのだろうと、真人は数日かけて神奈と手分けして小動から聞いた五月人形の作者や人形屋に関係あるところを回り大年神の行方を捜したが大年神は見つからなかった。


 数日後。

 途方にくれた真人は、一度、情報を整理するため神域に戻り、現世で調べてきた大年神の事などすべての経緯を宇迦に説明した。


「大年神は端午の節句に人間の男子を介して現世の穢れを祓っていました。ですが、近年端午の節句を行う人間の減少で現世に穢れが増えてしまい大年神の力が弱まってしまったのです」

「なぜわざわざ子供を介して?」

「人間の子供はまだ穢れを知らぬその無垢さ故に穢れを引き寄せやすいのです。子供は些細な事でも穢れに染まりやすく現世に漂う穢れに触れてしまうと容易く心を穢れに染められ間違いを犯します。また同じ人間の大人では子供の心が穢れに染まった事を見分ける事はできず、教育などで浄化する事も容易くありません」

 真人の話を聞いた宇迦は真剣な表情で答える。


「つまり、大年神は現世の穢れを浄化するために穢れに染まりやすい子供に憑いてるって事か?」

「あくまで可能性としてですが、神社で端午の節句を行う人間の子供を介して穢れを浄化しているだけでは現世の穢れを浄化しきれなくなってしまった事で、現世に穢れが増え力の弱まってしまった大年神はより穢れを浄化しようと穢れに染まりやすい子供に憑いて穢れを浄化しているのではないかと」

「けど、それならどんな子供に憑いているんだ? やっぱり心が穢れに染まった子供に憑いているのか?」

「いえ、すでに穢れに染まってしまった心を浄化する事は非常に困難です。それよりも、まだ穢れを知らぬ無垢な心に触れる穢れを浄化する方が容易いはずです」

「そういうものなのか?」

「例えるなら、水と土を想像してみて下さい。

 その水と土が混ざった泥から土だけを取り除くのと、混ざって泥になる前に土だけを取り除くのではどちらが容易いですか?」

「穢れに染まった心が泥で、染まる前の心が水、穢れが土って事か?」


 宇迦との話から大年神は五月人形を購入した客の子供に憑いたと考えた真人は小動の人形屋に来ていた。


「……最近あの五月人形を買われた方ですか」

 真人に聞かれた小動は表情を暗くしながら呟くように言う。

「何か気になる事がありましたか?」

「いえ、最近あの五月人形を買っていただいた方は、ニュースで言っていた殺されてしまった町工場の社長さんだけでして」

 町工場の社長には今年小学五年生になる一人息子がいて、以前、五月人形を買いに来ていたが息子はどれが喜ぶのかと一時間以上悩んで買っていったので小動はよく覚えていた。


「五月人形は縁起物なだけにニュースを見た時はとても残念で……」


 そう言うと小動は辛そうな表情をする。

「では、今は母親とその子供だけで生活を」

「いえ、確か母親はいないようで、息子は自分一人で育てていて工場の従業員たちにも可愛がってもらいながら生活してるような事を言ってましたが」

「では、今はその社長の子供に話を聞けるような状態ではないと」

「いえ、もし聞いたとしても、まだ幼いのでそういった話ができるかどうか……」

 たった一人の父親を亡くなったばかりで心に傷を負った状態の息子に話を聞くのは難しいだろう。

 どうしようかと悩みながら真人はその町工場に向かった。


 横浜市にある町工場。

 町工場に隣接する家の中で男の子が一人で寂しそうに過ごしていた。

 まだ親の死を理解できないのか、毎日父親が帰ってくるのを一人で待っていた。


「……おねえちゃん、だ~れ?」

 男の子が何かに気づき横を見ると先程まで誰もいなかった部屋の中に神奈が立っていた。

「……私が見えるのですか?」

「うん」

「……私が怖くはないのですか?」

 男の子は神奈の姿を見ても慌てる事なく、神奈を見つめたまま表情一つ変えずにその場を動こうとはしなかった。

「ううん」

 男の子は首を横に振って否定するとそのまま不思議な雰囲気の神奈を見つめ続ける。

 そんな男の子の頬に神奈が片手でそっと触れると神奈はそのまま景色に溶け込むように消えていく。


 真人は悩んだ末に普通の人には見えない神奈に大年神が子供に憑いていないか確認して来てもらう事にし、工場の外で神奈が戻ってくるのを待ってた。

 すると真人の目の前の景色がまるで蜃気楼のようにゆらゆらと揺れだし神奈が姿を表す。

「どうだ?」

「力はかなり弱いですが憑いています」

「そうか、それじゃ……」

「ですが、今の力の弱った状態で大年神を無理に子供から離せば神格を失って消滅してしまう恐れがあります」

「ならどうすればいいんだ?」

「今はまだ見守る事しかできません」


 数日後。

 町工場の社長殺人容疑で逮捕された辻内の裁判員裁判による刑事裁判が開廷された。


 検察官と辻内の弁護は国選弁護士(こくせんべんごにん)に選任された結城(ゆうき)が担当する事になった。


 国選弁護士とは、逮捕・勾留された人が貧困などの理由で私選弁護士を呼べない場合に、国が弁護士費用を負担し選任する弁護士の事。

 被告人でも刑事弁護を受ける権利はあり、国選弁護士はこれを保障する制度(日本国憲法37条の3)。


 検察官と国選弁護士が裁判を進めていくと裁判は辻内に殺意があったかどうかが問題となった。


 当初はライブ動画の映像から動画を投稿しているところを工場の社長に見つかり、辻内が襟首を捕まれた拍子に持っていた模造刀が社長の腹部に偶然刺さってしまったので殺意はなかったと思われた。


 しかし、殺意の有無は内心の問題であるため、何をもって殺意がなかったといえるのかをはかる明確な基準はなく。


 最近の若者がインターネットに投稿する動画に違法性のある行為が増えている事や、痛みに苦しみその場にうずくまって動かなくなった社長を見て、元々社長に対して殺意があった辻内は気が動転したように装いその場に見捨て逃げ出したのではないかと疑われ、裁判は辻内に殺意があったかどうかが争点となっていった。


 裁判が始まってから数日。

 閑散とした町工場に辻内の担当弁護士である結城が秘書と共に町工場の従業員たちに話を聞きに来ていた。


 刑事事件の場合、検察側は関係者のすべてについて供述調書を取っているため、当然従業員たちの供述調書も取られていたが動機についてはどれも曖昧なものでしかなかった。


「辻内が本当に社長に殺意を持っていたかって?」

 結城の質問に従業員たちは結城の顔を睨み付けならが聞き返す。

「ええ、今裁判では辻内さんが社長に殺意を持っていたかどうかが争点になっていまして」

 結城はそんな従業員たちの態度など意に介さずに話を続ける。

「殺意を持ってたから社長を刺したんだろ!」

 そんな結城の態度に別の従業員が怒鳴るように言い放つと、従業員たちが辻内に対して抱いた感情が穢れに変わり、その穢れは他の従業員たちに伝染し穢れはどんどん広がりその場は穢れで溢れていく。

 しかし、その場に穢れの見える人間はいないため、誰も穢れの所為で感情的になっている事はわからず、社長を慕っていた従業員たちは感情的になるだけで取り付く島もなかった。

「どうやら、皆さんまだ冷静に話ができる状態ではないみたいなので、また後日伺う事にします。ですが、帰る前に社長さんの遺影にお線香を上げさせていただいても良いでしょうか?」

「……こっちだ」

 結城の言葉に従業員たちが動揺する中、一番年配らしき従業員が結城たちを工場に隣接した社長の家まで案内する。


「お邪魔します」

 結城と秘書は静まり返った社長の家に上がると社長の遺影に線香を上げ手を合わせる。

 すると、その様子を見ていた従業員の険しかった表情が和らいでいく。

「では、今日はこれで……」

 そう言いながら結城が帰ろうとすると隣の部屋の隅でうずくまって動かない子供の姿が目に入る。

「……あの子は?」

「ああ、社長の息子の季之(としゆき)だよ」

 そう説明する従業員の顔からは先程までの険しさはなくなり落ち着きを取り戻していた。


 すると、結城の視線に気づいた季之は振り返り無言で結城の顔を見つめてくる。

「こんにちは……」

 結城はそんな季之に不思議な感覚を覚えながら話しかける。

「おい、あんた子供に何を……」

 季之に話しかける結城を見て従業員は子供に父親が殺された話をするのではないかと慌てて止めようとする。

「……まあまあ」

 秘書が結城と従業員の間に入り様子を見るようにと落ち着かせる。

「君は辻内さんを知っているかな?」

 季之は無言でうなずく。

「辻内さんが何をしたかも?」

 季之は同じようにうなずく。

「じゃ、辻内さんとお父さんは仲が悪かった?」

 季之は首を振って否定する。

「君は辻内さんがお父さんに何をしたか知ってるの?」

 季之は再び無言でうなずく。

「おい!」

 結城の言葉に再び従業員が止めに入ろうとして秘書が慌てて止めに入る。

「それでも辻内さんを許してほしいと思う?」

 そんな従業員と秘書のやり取りを気にせず結城が質問を続けると季之はまたうなずき。

「おとうさんは、つじうちくんとふたりでこうじょうをついでほしいって」

 そう言う季之の目から涙があふれ頬を伝うと季之の身体から大年神が現れ神々しい光を放つ。

「季之……」

 だが、結城たちや従業員には大年神やその光は見えないため、その事には気づかず、自分の父親を殺した相手を庇い涙を流す季之の健気な姿に従業員は驚き言葉を失うと、大年神から放たれた光に従業員の穢れが祓われていく。


「……辻内は殺意は持っていなかったと思う」

 穢れの祓われた従業員は辻内の日頃の姿を改めて思い返すと、先程までまったく思い起こす事のできなかった辻内が社長や季之と親しく接する姿を思い起こす事ができた。


「それを証言していただく事は可能ですか?」

「……ああ」

 従業員は複雑な表情をしながらも結城の問いに結城の目を見ながらしっかりと返事をする。

 その返事を聞いた秘書は結城の顔を見て笑顔で喜ぶ。

「ありがとうございます。また改めてこちらから連絡いたします」

 そう言って結城が従業員に向かって頭を下げると、続けて秘書も同じように従業員に頭を下げた。


「やりましたね!」

 そう言う秘書と一緒に社長宅から出ると結城は外から社長宅を見つめる真人の姿を見つける。

 何者だろうと見ていると、先程、季之に感じた不思議な感覚と同じものを真人に感じる。

「あれ?あの人……」

 そんな結城の様子を見た秘書が結城の視線を追って真人の姿を見つけると真人をどこかで見た事があるのか真人の事を見つめながら呟いた。

「知り合いか?」

「いえ、この前、警察署に行った時に見かけたので警察の方ではないかと」

 そう勘違いして秘書が真人に向かって頭を下げるとそれに気づいた真人も同じく頭を下げた。


 それから数日後。

 裁判で従業員が証人として採用され辻内に過失致死罪が適用された。


 横浜市の商店街にある人形屋。

 真人は小動に何か影響が出ていないか確認しに人形屋まで来ていた。


「坊っちゃん、この前、警察の方と一緒に来られた方が、また坊っちゃんを訪ねて来られてますよ」

 人形屋の事務所の扉が開き、小動へ店のパート従業員である中年女性が真人が売り場に来ている事を伝える。

「……はい。何度も言いますが、坊っちゃんは止めて下さい」

 小動は何度言っても坊っちゃんと呼ぶ事を止めない中年女性のふてぶてしい顔を見ながら溜め息混じりに言う。


「どうも」

 小動は売り場にいる真人の元まで行くと頭を下げて挨拶をする。

「まだ穢れは見えますか?」

「いえ、毎年これくらいになると見えなくなるので」

「そうですか」

 真人がそう言いながら、以前、五月人形が並べられていた売り場を見ると、既に五月人形は売り場から撤去されていた。

「あの五月人形ですが先日職人の方が来られて、今年で五月人形を卸すのを最後にしたいと急に言われてしまいまして」

 真人の視線に気づき小動は説明する。


「それがなんと人形を店に卸している職人の方はあの町工場で殺されてしまった社長の父親で先代の社長だったらしく、町工場の社長に戻って残された孫も引き取って従業員と一緒に殺人事件があった町工場という汚名を返上するために切り盛りしていきたいと言われて。はぁ……」

 言い終わると小動は頭を抱える。

「あの五月人形は店の主力商品の一つだったので残った在庫だけで来年からどうしていこうかと」

 そう言うと小動は肩を落としてうなだれる。

「それは大変ですね……」

 その後、真人はしばらく会話を続けながら小動の様子を見たが、特に変わった様子もなく穢れが見えた影響は何も出ていない様子だった。


「……この店に神棚はありますか?」

 真人は少し考えると何かを思い付き小動に聞いた。

「神棚ですか? 事務所にありますが」

「では、その神棚に在庫の五月人形の中で一番古い物を一つ供えて、毎日水の交換をして定期的に掃除もして下さい」


「それは、どういう……いえ、わかりました」

 小動はどういう意味があるのか聞こうとしたが、穢れと同じように何か理解できない不思議な力なのだろうと深くは聞かずに返事を返した。


 数日後。

 神域にある家の居間で真人は宇迦に現世で見てきた事を話していた。

「お疲れ様でした」

「けど、大年神はその子供に憑いたままでいいのか?」

「今の力の弱った状態で大年神を無理やりその子供から離してしまいますと大年神は神格を失ってしまい消滅してしまう恐れがあります」


 通常、神は神格を失ったとしても信仰を失わない限り生まれ変わる。

しかし、信仰を失った神が神格を失うと神として生を受けた神は消滅してしまう恐れがあり、その事は真人も今までの経験で理解していた。


「その子供に憑き、直接穢れを祓い続ければ本来の力を取り戻せるはずです。なので、それまでは見守る事しかできません」

「後、気になっていたんだが大年神の依り代から偶発的に力を授かった人間が急に俺にも見えない微かな穢れを見る事ができたり穢れの大きさの違いがわかったのは何故なんだ?」

 真人は小動と穢れの話をした時からなぜ小動は微かな穢れや穢れの大きさの違いがわかるのか気になっていた。

「おそらく大年神は自らの意思でその人間に力を授けていたはずです」

「けど、特定の時期になると見え始めて二ヶ月くらい経つと見えなくなる事を毎年繰り返してると言っていたぞ?」

「大年神は子供だったその人間を守るために穢れを見えるように力を授け自身で災いを回避できるようにしたのでしょう。定期的に大年神の力を授けられる事で身体が馴染み、そのために微かな穢れや大きさの違いがわかるようになったのですが、真人さまの様に力を自身のものにしたり留めておく事ができないため普通の人間と変わらず時期を過ぎると力が垂れ流し状態となって見えなくなっていたのでしょう」


 元々この国の人間は神々が放つ力を作物や水を介して得ていた。

 その力を得た人間は神を認識したり、神域に入る事ができたのだが、その力は弱く定期的に力を得なければ元から消えてなくなってしまう。


「俺も子供の頃に端午の節句で伯母に神社に連れて行かれた覚えがあるが端午の節句に子供はみんな大年神から力を授かっているのか?」

「いえ、元々、大年神は子供を介して穢れを祓っていたのですが、端午の節句を行う人間が減った事で穢れを祓う事ができなくなり、子供に力を授けて穢れを自身で回避できるようにしたのでしょう」


「そもそも何で端午の節句に子供を介して穢れを祓うようになったんだ?」


「元々、日本では端午の節句は女子のお祭りでした。田植えを始める時期である五月に田植をする若い女性たちを早乙女(さおとめ)と呼び。五月忌みといって大年神など田の神のために仮小屋や神社などにこもって身の穢れを祓う田の神に対する女性の厄祓いの日だったのです。そこに中国で行われていたよもぎで作った人形を飾ったり、菖蒲酒(しょうぶざけ)を飲んだりして健康を祈る邪気祓いの行事が結び付き、日本でも飛鳥時代(あすかじだい)に菖蒲を吊るしたり、菖蒲の葉を浮かべた菖蒲湯に入る習慣が生まれました。これが平安時代(へいあんじだい)以降に男子のお祭りとなり、江戸時代(えどじだい)には現在のように神社で男子の健やかな成長、立身出世(りっしんしゅっせ)の願いを大年神が聞き入れ穢れを祓うようになりました」


「そんな由来があったんだな」

「何事も古くから続いている行事には必ず意味があるものです」

 そう言って宇迦は口元を着物の袖で隠しながら笑った。

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