7

 気絶したままのエリカ姫を、三村の私室に担ぎこみ、ソファに横たえさせる。市川以下、山田、洋子、新庄、三村は、手足を投げ出した姫の顔をしげしげと覗きこんだ。

 ドアの向こうには、アラン王子を護衛する兵士が立っているはずである。三村は王子の威厳で、呼ぶまで、何があっても入ってくるなと厳命していたから、今は市川も普通の口調で三村に話しかけられる。

「どうする、三村。このお姫様……」

 言いかけ、市川は口を噤んだ。

 何か変だ。余人の入らない、市川たち『タップ』のスタッフのみになれば、三村はいつものように、おどおどとした気弱な表情を浮かべるはずなのだが……。

 ところが、三村は真っ直ぐに、市川の目を見つめ返している。視線は、全くぶれていない。顎を高々と上げたままだ。

 まるで王子様、そのものである……。

「三村……君?」

 市川の呼びかけに、三村は微かに首を傾げた。唇が動き、意外な言葉を押し出す。

「それ、わたしの名前ですか? わたしの名前は、アランです。お忘れですか」

「ええっ!」

 市川は驚きのあまり、仰け反っていた。

「三村君っ!」「何を言っているの?」

 山田と洋子が、同時に叫んでいた。新庄は、黙って三村を見上げている。

 三村は平然としていた。

 その時「ふうーっ」と息を吐く気配がして、一同はソファに視線を戻した。

 エリカ姫が目を瞬いている。

 視線が室内を彷徨い、三村の顔に止まると、ぎくりと身を強張らせた。

「ここはっ?」

「飛行船の中だ」

 新庄がするりと前へ出て、話し掛けた。表情は安心させるように、強いて穏やかさを保っている。

 エリカ姫の視線が、探るようなものになった。

「あんた、平ちゃん……よね?」

「そうだ、新庄平助。思い出したか? 君は田中絵里香……。違うかな?」

 エリカ姫……または絵里香の目が大きく見開かれた。おずおずと右手が挙がり、自分の額をごしごしと擦る。

「あたし……あたし、何をしたの? どうして、ここにいるの?」

 新庄は辛抱強く続ける。

「君は、ここにいる三村君……アラン王子に切り掛かったんだ。殺そうとしていた。憶えていないのか?」

 絵里香の視線が三村に向かう。一瞬、憎しみの表情が浮かぶが、すぐに消えた。

「あ、あたし……! そう、アラン王子を殺そうと……ドーデン帝国は妾のバートル国を狙っている! 者ども! 出会えっ! 妾と共に戦おうぞ……!」

 途中から絵里香の口調が切迫したものになったが、最後に「はっ」と我に返った。

「今の、あたしの台詞? あたしが言ったの?」

 山田が、首を振った。

「相当、この世界に感化されているな。本来の自分を、エリカ姫という役割が、覆い被せている」

 絵里香は眉を寄せた。

「この世界? この世界って、何?」

 新庄がゆっくりと言い聞かせる。

「木戸さんの『蒸汽帝国』だ。おれたちは、木戸さんの描いた『蒸汽帝国』の中にいる」

 絵里香の唇が「純一?」と、音もなく動いた。すぐさま全身が弾けるように跳ね上がり、すっくと立ち上がる。

「違うわっ! あれは祐介の『蒸汽帝国』よ! あいつなんか、祐介の原作をなぞっただけじゃない!」

 その時、三村が口を開いた。

「教えて下さい。なぜ、僕を殺そうとしたのですか? ドーデン帝国が、あなたがたのバートル国を併合しようとしている、などという考えは、どこから湧いて出たのです?」

 絵里香はポカンと、虚脱したような表情になった。

「それは、導師様が……」

 絵里香の表情が虚ろになり、言葉が台詞の棒読みのようになる。三村は「導師様?」と聞き返す。絵里香はがくり、と頷いた。

「導師様が仰ったの……。ドーデン帝国は、バートル国を我が物にせんと、アラン王子を使わした……。アラン王子との結婚は、バートル国の衰亡をもたらす……」

 山田が相槌を打つ。

「どうやら、バートル国は、導師様とやらが精神的支配を治める、神聖王国のようだな。その導師様が、エリカ姫に奇妙な考えを吹き込んだみたいだ……」

 そこまで言って、不意に笑いを浮かべた。

「これは、面白くなった。もしかしたら、その導師様という存在が、ストーリーに重要な役割を果たすようだ。どうだい? エンディングが見えてきたじゃないか?」

 山田は市川を見た。

「導師様というキャラクターの設定をする必要があるな、市川君」

 急に話題を振られ、市川は戸惑った。

「おれが?」

 山田は頷いた。表情に熱意がこもる。

「そうさ、導師様が、もしかしたら、ストーリーの最終的な敵なのかもしれない。ファンタジーの常道さ」

 新庄が皮肉そうな表情になった。

「勧善懲悪か?」

 と、いきなりドアが外側から激しく叩かれる音が響く。ドアの向こうから騎馬隊長の声が聞こえてくる。

「王子殿下っ! ただ今、ドーデン王宮に無線連絡を取ったところ、元老院と平民議会は満場一致で、バートル国への宣戦布告を決議いたしました!」

 バタンっ、と大きな音を立て、ドアが開かれる。騎馬隊長が興奮も顕わに、背筋をピンと伸ばして敬礼をしていた。

「ドーデン王立空軍、陸軍は、現在バートル国に向け、進撃を開始しておりますっ!」

 山田が新庄に向かって訂正した。

「いや、戦争アニメの展開だな」

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