6

「退却──っ! 全員、飛行船に戻れ──っ!」

 思いもかけないバートル国の逆襲に、騎馬隊長は完全に頭に血が昇ったようだ。全身を突っ張らかせ、声を限りに喚いている。

 隣の喇叭兵が、トテトテタ~~と、調子外れの退却の合図を吹いた。喇叭兵もまた、隊長以上に逆上しているようだ。

 二輪車部隊は、尻を捲って退却する。後部甲板に、二輪車を格納する余裕もない。

 飛行船のタラップに駆け上がれる場所まで近づくと、恥も外聞もかなぐり捨て、二輪車を横倒しに放り捨て、飛行船に乗り込んできた。

 嵩に掛かったのは、バートル国重装騎兵の群れである。全員、時の声を上げ、手にした槍を持ち上げ、全速力で向かってくる。

 ようやく繋留索が外れた!

 ざあああっ! と、船首と船尾にある放水口から、飛行船のバラストの役目を兼ねた水槽から水が噴出する。非常脱出の際の、重量軽減である。

 ぐおおおん……、と重々しい音を立て、飛行船のエンジンが、やっと目覚めた。飛行船の両翼に設置された、三枚羽根のプロペラが回転を始める。

 スラットが降ろされ、飛行船は上昇を開始する。魔法使いたちが、飛行船を見上げ、次々と火球や、紫電を投げかける。

 飛行船の船体は、ほぼ金属製なので、当たっても塗料が焦げる匂いがするだけだ。どんどん飛行船の高度が上がると、魔法使いたちの攻撃は届かなくなる。バートル国の追撃手たちは、悔しそうな声を上げ、飛行船を見送った。

 市川は、船内から窓越しに下界を見下ろし「ひゃっほうーっ!」と歓声を上げた。安堵感に、市川の軽薄な面が剥きだしになる。

 その時、やっと自分が担いだままの、エリカ姫の存在に気付いた。床に降ろし、新庄に借りたマントを広げると、ぐったりとなったエリカ姫が寝そべっていた。

「拉致しちまったのか? 大丈夫か?」

 山田が心配そうな声を上げた。「大丈夫か」とは、余計な真似をしたのではないのか、という疑問である。

 市川は、山田の問い掛けに小さく頷いた。

「かもしれない。でも、あの時は、いい思い付きだと思ったんだ。自分でも、どうして攫っちまったのか、判らねえ……」

「何を言っておるのか! 人質だぞ! これで、わが国は、バートル国と有利な取り引きを行える!」

 当然、とばかりに、騎馬隊長がふんぞり返った。エリカ姫を見下ろす騎馬隊長の視線には、一欠片の憂慮など見当たらない。

「諸君!」

 その時、三村が毅然とした表情で、騎馬隊長と市川の間に割り込んだ。騎馬隊長は、三村の声に、ぴしっと全身を緊張させる。

「わたしは、これから、エリカ姫に前後の事情について、質問を行いたいと思う」

 三村は言葉を切ると、騎馬隊長の顔をじっと見詰める。騎馬隊長は、ポカンと口を開け、まじまじと三村を見つめ返した。

「し、しかし、尋問は、我ら殿下の護衛の人間で、行うのが通例ですぞ!」

 三村は、ゆっくりと首を振った。

「仮にも、エリカ姫は、わたしの婚約者です。正式に婚約解消をするまでは……違いますか? ですから、わたし自ら、エリカ姫に尋ねるのが礼儀でしょう」

「れ……礼儀ですと? この娘は、殿下のお命を狙ったのですぞ!」

 騎馬隊長は顔を真っ赤にさせ、憤慨の表情になった。が、三村は穏やかな眼差しで、じっと見詰めるだけである。

 やがて、がっくりと隊長の肩が下がった。

「判りました……。殿下にお任せいたそう」

 まさに、アラン王子の威厳である。

 市川は、だんだん、三村が本当の王族に見えてきた。

 そんな馬鹿な!

 市川は瞬時に、自分の感想を否定した。が、どうにも、三村の顔を見ていると、心の中で背筋を正す思いを抑え切れなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る