番宣・その二

1

「できた! 第一話の絵コンテがついに完成したぞ!」

 木戸純一は大声で叫ぶと、今しがた完成した絵コンテ用紙の束を掴み上げ、椅子から立ち上がった。

 用紙の上端にダブル・クリップを挟み、机の上に投げ出し、大きく伸びをして、背中を反らした。

 ぽきぽきと、背骨の関節が鳴って、達成感が押し寄せる。

 いったい何時間……いや、何日が経過したのだろう? 夢中になって描き続けていたが、途中まったくといっていいほど中断はなく、眠気も一切、襲ってこなかった。

 不思議なのは、尿意すら感じない。空腹もなかった。一度たりともトイレに立ちたいとか、何か口にしたいなどという欲求は、湧いてこなかった。

 あの妙な〝声〟が、木戸の肉体的な欲求を奪い去っているのだ!

 木戸は、じろりと演出部屋を見渡し、声を張り上げた。

「おい! あんた! 名前があるのかどうか知らないが、いつまでおれを、この部屋に閉じ込めておくつもりだ? 絵コンテは終わったぞ! いい加減、出してくれ!」

 部屋は森閑と静まり返って、応えはない。ただ木戸の息遣いだけが、荒々しく響いているだけである。

 木戸の胸に、凶暴な怒りが込み上げる。

「出せ! おれを、ここから出せ!」

 唸り声を上げると、木戸は自分の椅子をがっしりと両手で抱え上げた。そのまま、ガラス戸を目掛け、思い切りぶん投げる。

 ぐわしゃん! とガラスが粉々に砕けるかと思ったが、椅子はまるで岩の壁にぶち当たったかのように、ごん! と鈍い音を立てて跳ね返された。ガラスには、罅一つ入ってはいない。

「畜生……!」

 悲鳴のような叫び声を上げると、無茶苦茶に部屋の中のものを手当たり次第、ガラス戸に投げつける。

 しかしガラス戸は、まったく変化なく、無表情に木戸の狼藉を受け止めるだけだった。

 はあはあと荒々しい息遣いをして、木戸はよろよろと演出机に近づいた。演出部屋は事実上、いや、どんな言い繕いをしても、牢獄である。木戸には耐えられない。

 自暴自棄が木戸にとんでもない行動をとらせる。

 木戸はたった今、書き上げたばかりの絵コンテ用紙を取り上げた。ぐいっと用紙の真ん中を握りしめ、びりびりばりばりと引き裂こうとする。

 ──やめなはれ! 折角、書き上げたばかりやおまへんか!

 木戸は〝声〟を耳にして、にったりと唇を笑いの形に歪めた。〝声〟には、微かに狼狽の響きが認められたからだ。

「ここから出られないなら、こんなもの!」

 ぐいっと、用紙の束を捻じる。

 ──あんたには、無限といっていい時間をくれてます。短気は、よしなはれ。

 木戸は絶叫した。

「どうして、おれを出してくれないんだ! 見ての通り、絵コンテは完成したんだぞ!」

 ──第一話だけや、おへんか? シリーズはワン・クールあるんやど。

 木戸は、あんぐりと口を開いた。

「十三話、全部そっくり描けってのか?」

 テレビは十三週でワン・クールという数え方をする。ほぼ、三ヶ月分に相当する。普通、アニメのシリーズは二十六話、つまり、ツー・クールで一まとめとなる。一年続くと五十二話。つまり四クールである。

 十三話というのは、かなり短い。本来はツー・クールあったほうが、後々DVDなどにして販売する際、営業上も有利なのだが、プロデューサーの新庄は大事を取って十三話という構成にしたのだった。

 ──そうや、この際やから、あんたには全部の話を絵コンテにしてもらいたいんや。時間は仰山、ありまっさかい、存分にやっておくんなはれ!

 へたへたと木戸は膝を折り曲げ、座り込んだ。真っ暗な絶望感が込み上げる。

「いやだ! おれはもう、耐えられない……。ここから出してくれよう……」

 すすり泣く。

 が、〝声〟は答えようとしなかった。

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