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「冗談じゃねえ! 何が哀しくて、おれたちアニメの世界にいるんだ? おれは、アニメの仕事をしてはいるが、そんな、馬鹿な……」
市川は声を張り上げた。
ぴた、と酒場に満ちていた喧騒がやむ。静寂に、市川と山田が周りを見回すと、客たちが怪訝そうな表情を浮かべ、二人を穴の空くほど凝視していた。
ひくひくと山田の口端が引き攣った。無理矢理どうにか笑みを浮かべると、大仰な仕草で、ぺたんと自分の額を叩き、ぺこぺこと叩頭を繰り返して言い訳する。
「お客さん! もう酔っ払っちまったんですかあ? 酒も呑みすぎは良くありませんな……」
「なんだ」といった雰囲気が満ちて、客は興味を失ったように視線を外し、各々のテーブルに顔を戻した。がやがやとした喧騒が戻ってくる。
山田は、がっくりと市川の目の前の椅子に座り込んだ。手真似をして、市川にも座るよう促す。
市川は山田の向かい側に座った。山田は半身を乗り出し、囁いた。
「ここではあまり、そんな話はよそうや。何が起きたか、さっぱり判らんが、どうやら、用心したほうがいい」
市川は神妙に頷いた。が、心臓は早鐘のように打っているのを感じている。頭の中がぐわんぐわんと脈打ち、疑問が次から次へと湧き上がり、全身から噴き零れそうだった。
山田が右手を挙げ、テーブルの間を独楽鼠のように駆け回っている少年を呼び寄せた。
少年は真剣な顔付きで飛んでくる。
「はい、親爺さん。何でしょう?」
少年の姿を目にして、市川は「ああ」と一人合点した。少年は確かに、市川が木戸の依頼を受けて設定した、酒場で働くボーイそのままである。
山田は少年に料理と、ビールを持ってくるよう命令した。少年は生真面目に頷くと、再び独楽鼠のように早足で引き下がった。
あっという間に注文の品を盆に載せて戻ってくると、てきぱきと二人の前に料理と、ビールが並ばれた。
少年は一礼して、別の客の注文を取りに戻っていった。山田はビールのカップを持って、口を開いた。
「ともかく、一杯やろうや。こんな訳の判らない時は、これに限る!」
「うん」と生返事で市川はカップを取り上げ、口に近づけた。ぐい、と呷ると、やや酸味のある液体が喉を通り抜ける。
酒精分は含まれているが、これがビールとは思えない。
「これがビールか? 別の酒じゃないか?」
市川の疑問に、山田は首を振った。
「いや、これもビールさ。但し、ホップの入っていない高温醗酵の酒だ。おれたちが知っているビールは、低温醗酵菌による下面醗酵アルコールで、ドイツが発祥だ。こちらのビールは、もともとエールと呼ばれる上面醗酵の、イギリスが発祥地の酒だ。どちらも麦芽が原料だから、ビールと呼ばれている」
時々、山田は妙な雑学を披露する癖がある。山田の講釈に市川は「ああ、やっぱり、山田さんだ」と変な感心を憶えた。
「とにかく、やたら妙な事態が起きているのは確かだ。おれたち、本当にアニメの世界にいるのか? こりゃ、夢じゃないのか?」
市川は山田の忠告に従い、小声で囁いた。
山田は「ふむ」と唇を歪めた。じろじろと店内に目をやる。
「確かに、アニメの世界だな。背景は、おれが描いた酒場の設定そのまんまだし、タッチも、おれが指定しそうなものだ……。おれたちだって、アニメの絵になっている……。君の顔も、あの悪戯書きのキャラクターそっくりだ」
市川は慌てて自分の顔を撫で回した。手で触れた自分の顔は普段のままだが、鏡がないから判らない。
鏡!
市川は自分の物入れを探った。ごちゃごちゃと小物が入れられ、どうやら鏡らしき平たい物体を掴み上げた。
取り上げると、表面がキラリとランプの明かりを受け、輝いた。怖々と自分の顔を映し出す。
「ひえっ!」
そこにあったのは、確かに自分が悪戯書きをしたキャラクターそのままだった。いつも吃驚したように飛び出した両目と、こけた頬。
自分の顔が、こうして描かれているのを目の当たりにして、どうしてもっといい男に描いておかなかったんだろうと、後悔が押し寄せる。
「おれにも見せてくれ!」
山田は市川の手から鏡を引っ手繰る。まじまじと鏡を覗き込み、見る見る不機嫌な表情になった。
「ひでえ爺いだ! おれ、そんな爺さんに見えるかい?」
山田には悪いが、市川は「くつくつ」とくぐもった笑いを堪えるのに必死だった。
だって、山田は五十に近い年齢のはずだ! 市川にとっては、爺さんに見えても仕方ない。
気分を害したらしき山田は、市川の顔を睨んで何か言いかけた。
その時、店内に女の甲高い声が高々と劈いた。
「何すんのよっ! あんた、馬鹿じゃない?」
「あんたこそっ! その手をどけなさいっ!」
二人はギクリと、声の方向に視線をやる。
店の、出入口付近のテーブルで、二人の女が怖ろしい剣幕で睨み合っている。
二人とも、布地を極端に節約した衣装を身に纏い、腰には大振りの剣を提げていた。見るからに旅の女剣士の装いだ。
二人は顔を真っ赤にさせ、親の仇と言わんばかりの表情を浮かべている。
市川は二人の姿に見覚えがあった。特に、一方の女剣士には……。
「ありゃ、洋子ちゃんじゃないか?」
山田が市川の疑問を先回りして叫んだ。
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