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 呆然としていると、目の前に人影が差した。顔を上げると、さっきの親爺が腰に手をやり、渋面を作っている。

 完全にアニメのキャラクターだ。でっぷりと太り、髪の毛は後頭部で纏めて背中に垂らしていた。服装はラフで、腹の下に前掛けをしていた。

「おい、あんた! さっきから、そこに座ったばかりで、注文一つ、しやしねえじゃないか! ここは酒場だぜ。客じゃないなら、帰ってくれ!」

 親爺の顔には、妙に見覚えがある。アニメのキャラクターらしくディフォルメされてはいるが、もとの人物は、はっきりと特定できた。

「山田さん……じゃないか?」

 思わず口に出た言葉に、市川は驚いた。

 あっ! おれは市川努! アニメ制作会社「タップ」で『蒸汽帝国』というシリーズの作画監督をやっている……!

 洪水のように記憶が戻ってきて、じーんと痺れたような驚きが胸に満ちた。

 呼びかけられた親爺の顔が、驚愕に歪んだ。ポカンと口がまん丸に開き、両目が見開かれる。だらりと両手が下がり、がっくりと両肩が落ちた。

「山田……だって……」

 両目がキョトキョトと落ち着きなく辺りを彷徨い、ごつい手の平が、顔をずるりと撫でた。

「ああっ! そうだった! おれは、山田栄治……! 思い出した! あの時『タップ』の演出部屋で妙な〝声〟が聞こえて……あとは、さっぱり判んなくなっちまって……」

 親爺──いや、山田はジロリと市川の顔を見詰めた。表情にはありありと疑念が浮かんでいる。

「市川君……だよな? どうなってるんだ、その格好?」

「おれの?」

 ガタリと音を立て、椅子から立ち上がった市川は、自分の身体を見下ろした。

「わっ! 何だ、こりゃ?」

 最後に憶えていた自分の服装は、ジャージの上下姿のはずだった。

 が、今の市川は、足下は膝まで達する革靴、ごわごわとした質感のカーキ色の上着に、太い革製のベルトをしている。

 ガチャガチャという音に、反射的に手をやると、なんとベルトからは重そうな剣がぶら下がっている。肩から提げていたショルダー・バッグの替わりに、柔らかそうな革製の物入れがあった。

 市川は山田の顔を見上げて返事した。

「そう言うあんたも、てんで酒場の親爺だぜ。さっきも、酒場の親爺そのままの口調だったな」

 山田は慌てて自分の身体を撫で回す。無意識だろうが、両手が腹の前掛けに伸び、手に着いた汚れを拭い落とす仕草をする。

 呆然と二人は周囲を見渡した。

 天井の低い、酒場らしき場所である。狭い店内にはぎっしりと木製の椅子とテーブルが並べられ、客が半数ほど埋まり、様々な料理が湯気を立てている。

 客たちは各々、酒をテーブルに並べ、真っ赤な顔を灯油ランプらしき照明にてらてらと光らせて、話し込んだり、酒を呷ったりしている。

 視界に入る総てが、アニメの画面そのままだ。

 山田が信じられないといった表情になり、小声で呟いた。

「おれたち、アニメの世界にいるんだ!」

 二人は顔を見合わせる。突然の怒りが、市川の胸に湧き上がった。

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