第27話「奇襲の鴉」1/3
5月8日 AM8:46 学生寮 創伍の部屋
「――ふはぁっ……! あっ……」
水から這い上がったかのように大きく息を吸い込む創伍。白い天井が視界を覆い、時計の秒針の音を聞いてようやく深い眠りから現実に戻された。
そのままゆっくり息を吐きながらベッドに沈み込むと、寝ていた時のことを思い出す。
「夢……見たんだよな。破片者からのじゃない、純粋な俺の記憶の……」
いつかに見た光景と男に告げられた言葉――記憶の殆どを失っているため滅多に思い出すことのなかった幼少時のあの一部始終を、改めていつの出来事だったかを正確に割り出そうとした……
「あれは……確か――」
「おーい! 真城ってば無事ー!?」
が、一人落ち着かない者が台所からドタドタと駆け付けてきたせいで遮られてしまう。
「うわっ?! って、あれ……乱狐さん……?」
「良かった……真城ぉ~! 元気そうじゃんよー!!」
「――わぶっ!!?」
美影乱狐だ。談話室で気を失った際、彼女しか居合わせてなかったので一人で創伍のことを介抱していた。無事そうな創伍を一目見るや、嬉しさのあまり自分の胸に埋めてしまう程に力強く抱き締める。
「このこのぉ! 心配させやがってぇ! 乱狐ちゃんに
「むっ?! むううう!!」
「おぉわっと! こりゃ失敬。長官みたいに窒息させるとこだったわ。アハハハハ♪」
「ぶは……はぁ……シャレになんないぞ……」
いつかうっかりとかで本当に窒息死するのではと内心恐怖しつつ、乱狐の胸から解放され改めて深呼吸してリラックスする創伍。
「……それより乱狐さん。俺が丸一日気を失ってたって――」
「まったくアンタも人騒がせだよねぇ。ぶっ倒れてから昼も夜も目を覚まさなくてさ。他の皆は戻らないままだから私が一日付きっ切りだったワケ……。患者衣から寝間着にも変えさせられて、看護士かっつーの。今日だって貴重なオフの時間を割いてるし」
「ご、ごめん……いろいろ迷惑掛けたようで。俺も起きられたらそうしたかったんだけど……」
乱狐の愚痴に眉を顰め、耳を疑う創伍。気を失っていたのが数時間程度のものかと思いきや、ほぼ一日の時間を喪失していたのだ。
「あ? どしたん真城。狐につままれたような顔しちゃってさ」
「乱狐さん――俺、夢を見てたんです。幼い頃のを」
……
…………
保護監視下での体調やその異変の報告先は原則アイナへと決まっているのだが、今は不在のため、ひとまず乱狐にありのまま起きた事を細かく話した。
「……なるほど。記憶を抜かれるなんて変わり者はアンタくらいだけど、普段夢を見ないから余計不安になったってワケか。そりゃ当然の反応だ」
「どうしてあんな夢を急に見たのか分かんないんです。欠けた記憶よりもはっきりと見覚えあるのに、いつの事かは曖昧で……自分の事なのにおかしいですよね」
「別に悪い夢じゃないだけマシじゃん? 仮にそれが予知夢とかなら、あんたの前に白馬の王子様が現れるってワケだ。お姫様気分で待っていなよ♪」
「お姫様気分って……俺は男だよ」
必ず俺が守ってやる――夢の中で言われた台詞だ。シロに会う以前に人生の窮地を救われたような記憶は存在しないが、その言葉がハッタリにも思えなかった。
もし本当に守ってくれるのなら、闇雄の魔の手が全世界に迫ろうとしているこの事態、すぐにでも来てもらいたいくらいだが……
「じー……」
「――うわっ!?」
迫っていたのは乱狐の顔であった。俯く創伍を観察するように見つめている。
「なーんかまだ気分悪そうだねぇ。大丈夫? 胸でも揉む?」
「っ……! 揉みませんよっ!」
「じゃあそんな難しい顔して考え過ぎない。きっと昨日から何も食ってなくてしんどいだけさ。ちょいと待ってな、今から乱狐ちゃん特製のきつねうどん作ってあげるから!」
「……ありがとうございます」
愚痴っていた割には食事を用意してくれるという懐が大きい反面、本心が掴めない。だが腹を空かしていたのも事実なので、創伍は大人しく乱狐の厚意を受け取ることにした。
……
…………
………………
(それにしても……アレは一体……)
乱狐が鼻歌を歌いながらうどんを調理している間、他にすることもない創伍はベッドで横になりながら、考え過ぎるなと言われて間もないのに再び夢のことを思い出そうとしていた。
只の偶然と片付けたくない――きっとあの夢を見たことに何かしらの意味やヒントがあるかもしれないと、希望を持ちたかったのだ。
(あの男は結局友人か、身内とかなのか……?)
だが手掛かりといえば男が言い残した台詞くらいだ。断定は不可能としても僅かな記憶と自分の知っている人物を頼りに何とか推測しようとする。
(クラスメートや教師であんな台詞を言うような人間は、まず居ない……。叔父さんが言うことは……有り得ないな)
そもそも創伍の人脈は狭い。繋がりのある人物を男だけに限定すると、真っ先に浮かんでくるのは男友達数人と担任の教師など、指で数えられるくらいの人数だ。
あとはたまに仕送りをしてくれる創伍の叔父……温厚な性格ではあるが、根っからのギャンブル好きで、日常生活ではがさつな面も有る。そんな叔父がヒーローみたいに駆け付けてくれるようなマネは柄じゃない。
結局夢の中と現実での感覚が矛盾しているだけの状況に苛立ち、創伍は頭を掻き毟る。
(あぁ……もうワケ分かんねぇ……! 叔父さんじゃなきゃ、他に身近な人って言ったら誰だよ……!?)
その時だ。叔父から連想されたことで……彼の中で最も信憑性のある一つの仮定に至り、頭を掻く手がピタリと止まる。
(まさか……
父親――シロに覚えているかと問われた際、頭に激痛が走った程の大きな存在。物心がついた頃、既に叔父に預けられた時点で創伍の日常からは完全に消失していた。
(あの人は、父さんなのか……?)
真っ先に肉親が浮かばなかったのは、その存在を今日まで叔父からも聞かされることなく生きてきた故。
根拠は無いが、創伍はもうそれが事実であって欲しいと望み始める。
どんな人物で、どんな話し方をするのかも知らないからこそ、他の誰よりも信ずるに足るものに思えてきたのだ。
ただし、その仮定が事実であるとしたら……
(どうして……父さんは――)
『ピンポーン♪』
「はっ……!?」
創伍の思案がまたも遮られた。
鳴ったのは玄関のチャイム。創伍の部屋の扉はW.Eとの本部にも繋がっているが、本部からこのチャイムは鳴らせない。つまり現界側の、学生寮の廊下から呼び鈴ボタンを押した者が居るのだ。
その押した者とは……
「おーい! ソウちゃん居るー??」
「織芽!?」
織芽であった。乱狐が台所に居るという、この最悪のタイミングで彼女が訪れてきた。
創伍は一直線に玄関へダッシュし、ドアスコープを覗きながら全力でドアを抑える。今、織芽に部屋に入られて乱狐の姿を見られるのは一番まずいからだ。
「どどどど、どうしたんだ織芽!! こんな朝早くによ!」
「そんな早過ぎでもないでしょ。ちょっとショッピングモールまで付き合ってもらいたいんだけど」
「しょ、ショッピングモール??」
「実は一昨日くらいから家とかゴミ捨て場の周りでカラスが集まってきちゃってね~。カラス避けのグッズを買いに行くついでに、ソウちゃんとこもそろそろ食料品が尽きそうなのを思い出してさ。だから来たってワケ」
織芽は、創伍がシロへの食事提供をインスタント食品とかで済まし、栄養バランスを疎かにしてないかを危惧していた。シロと生活を始めてから食料品の消耗スピードが速くなったので、創伍が思っていたよりも早いタイミングに織芽がやってきたのだ。
今は乱狐をこのまま調理させる訳にはいかない。一刻も早くW.E本部に帰さなくてはならなかった。
「ねぇ、入ってもいい??」
「あぁそういうことか! そりゃ構わないけど、ちょっと今寝間着のままだからさ! 少し待っててくれないか!!」
「何言ってんの。幼馴染なんだから寝間着姿なんて気にしないって。入っていい?」
織芽がドアノブを回して中に入ろうとするも、創伍が必死に逆回しにして入室を防ぐ。
「ちょっとどうして開かないのよ!」
「だぁ~~!! 待ってくれ! アレだ! ゴキブリがいるから! その始末をだな!」
「えぇっ、ゴキブリ!? もうヤダ早く始末してよ~」
「わーった、わーった!」
その場凌ぎでなんとか猶予を貰えた創伍は、急いで乱狐のいる台所へと駆けていく。
「――乱狐さん!」
「おう真城! もうすぐ出来上がるところだよ……って、今度は何? アンタ隙あらば慌ててんな」
乱狐は台所で調理に夢中で、織芽が来たことに気付いてなかった。創伍が必死な形相で迫ってくるや、何事かと目を丸くしている。
「乱狐さん! 実は幼馴染の織芽が玄関扉の前で待ってて、買い出しに付き合わされるんだ! 今からこの部屋に入ってくるから乱狐さんは扉から本部へ戻ってくれ!」
「えっ!? 何言ってんのよ! アンタ絶対安静ってアイナさんに言われてるでしょ! それにもうすぐきつねうどん出来上がるし……」
「俺がW.Eに保護されてるから行けないとか、そんな事情を織芽は知らないんですよ! 断ったら余計に怪しまれるっていうか……!」
「えぇ~~……どうしよう。言いたいことは分かるけど、私にどうこう決める権限なんて無いしなぁ……」
「ソウちゃん、まだ~!?」
「早くっ! いいから! ひとまずそのうどん持ち帰って本部へ!!」
「わっ、ちょっと押さないでよ! 分かったってば!!」
織芽に急かされ、調理中の鍋を掴んだまま玄関へと向かう創伍達。ドアノブを二回引くと、扉を開いた先はW.Eの談話室へと繋がる。
乱狐は声を殺しながらいそいそと談話室に戻るが、折角のきつねうどんが台無しになり、やや不満げな表情を浮かべていた。
だがそれどころではない。創伍は急いで扉を閉めると……
「――遅いってぇのぉぉ! こうなったらあたしが仕留めてやるー!!」
「うわああぁぁもう大丈夫! 終わったから!!」
入れ替わるように織芽が勢いよくドアを開けてきた。
「え? だったら早く開けなさいよ」
「ハハハハ……こりゃ失礼……ハハ……」
あと一秒でも遅れていたら織芽と乱狐が鉢合わせるところだったと考えると、創伍は生きた心地がせず、膝を突いてペタリと座り込んでしまう。
「朝っぱらから何ぐったりとしてんのよ! ほら、早く着替えて準備して!」
「あぁ……はい。直ちに……」
結局朝食にあり付けず、朝からバタバタと走らされて散々な創伍は、またしても不幸が身近なところで待ち伏せているような気がしてきた。
それも無理はない――
「そういえばさ、シロちゃんどうしたの? 良かったら一緒に連れて行かない??」
「――――っ」
創伍を不幸から守ると言ったはずのシロが居ないのだから……。
「…………シロ、か」
「どうしたの? ソウちゃん――」
「その……シロなんだけどな、やっぱ食べ盛りだからさ。金銭的な都合もあって、叔父さんのところに一時的に預けたんだ。多分三日もすりゃ戻ると思う」
「えぇ! そんな理由で!? だったら私にも事前に相談してくれれば力になったのに……!」
「幼馴染だからって、数日分の食費をおんぶにだっこという訳にゃいかんでしょ。その後には仕送りも来るしさ。やっぱもっと自炊しなきゃって反省したよ」
「まぁ戻ってくるならいいけど……次は私にも相談しなさいよね!」
「あぁ……分かったよ」
シロがW.Eに預けられているとは口が裂けても言えず、苦し紛れの嘘を吐いた創伍。織芽には真実を語れず、その嘘を吐かざるを得ない状況にした原因が自分であることに、心苦しさは増すばかりであった……。
……
…………
数分経過し、ようやく創伍が寝間着から私服に着替え終わる。
「さぁ行こうぜ、もう準備できたからよ」
「ねぇ、やっぱそれ以外の服もいい加減買いなさいよ。いつも赤無地Tシャツ着て……変なワードが書いてあるし。今日は『希望の朝』……! どういう意味よ」
「意味なんかねーよ。その日その日の気分で変えるのが好きなんだ」
創伍の私服は、常に赤い無地に格言めいたワードがでかでかと書いてあるTシャツの上に一枚羽織る程度。織芽には毎度この服装に苦言を入れられている。
「こうなったら洋服店にも行くわよ。お似合いの服をチョイスしてやるわ!」
「……いつもそう言ってるけどな。気付けばお前の洋服選びに変わって、俺は荷物持ちになるんだろうが」
「今日こそはソウちゃんの分も買う! 小遣いがいつもより多いからさ! それでもし荷物持ちもしてくれるなら昼飯くらい奢ったげるよ!」
「おっ、ラッキー。じゃあ喜んで承ります……」
いつもはこういう会話の合間にシロが無邪気に割り込んでくるのだが……あの騒がしいシロが居ないだけで会話が続かないと、空気の気まずさを意識してしまう。
その静けさが、むしろ殺気のようにも感じてしまうのだ。
「……っ!」
「どうしたのソウちゃん? 急にブルっちゃって……」
「今、誰かに見られてたような……」
「んも~、シロちゃんが居ないだけで大袈裟だなぁ。さぁ早く行こうよ」
「……あぁ。気のせいかな」
それだけじゃない。きっと体力の過度な消耗での疲労も有り得る。
昨日から思い詰める事はたくさんあるが……今は織芽を守ることに専念したい。本部からの咎めも覚悟の上で、創伍は織芽に腕を引っ張られながら、足早に部屋から出るのであった。
だが……彼の感覚に
既に学生寮の外――創伍の部屋の周辺には、何羽ものカラスが電線や屋上の手摺に留まっている。まるでこれから不吉な事が起きる吉兆であるかのように、二人を見送っていた。
そしてそのカラス
「……真城 創伍。正々堂々と闘いに行ってやるぜ――俺のやり方でな」
全ては斬羽鴉の策略によって……。
* * *
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます