行間08「誰かの声」


 過度な自責の念に追い詰められ、気を失ってしまった創伍。

 意識は暗い闇の底に堕ち、息苦しいのに目も覚めず、手足もろくに動かせない……生きているか死んでいるかも分からない感覚。


 それは初めてな気がしない、心地の良いものでもあった。


 なにしろ創伍は、今日までこの感覚のおかげで生き永らえてきたと言っても過言ではない。


 日々生きていく中で、不幸体質が祟ってどんなに苦しい事が起きようと、何よりの趣味であった絵描きに没頭し、最後は泥のように眠ってしまえばいい。それだけで彼はこの闇の中に再び舞い戻り、綺麗さっぱり忘れられるのだ。


 設定を設けて形にされた作品は、創造世界のシステムによって産み落とされる。だが創伍の作品だけは、出生の際の作者の記憶を抜き取っていく――この非現実的な法則が偶然重なることで、解離性障害を患っている創伍には茫漠とした日常を送る代わりに心の安寧を保つ仕組みが出来上がっていた。

 たとえどんなに健康な人間であっても、極度の不幸体質なんて改善のしようがない。記憶障害なしに創伍と同じ目に遭ったとしたら心が折れてもおかしくないだろう。


 彼自身も、この法則を知りようが無くとも違和感までは覚えていた。しかしどうせ誰にも理解されないと思い、口外しなかっただけだ。



 明日を生きるだけの活力さえあれば、それで良いのだから……



 そしてまた創伍は苦しみを紛れさせようとしている。



 そんな夢心地の中で……



 ――ヅアアアッ



 というノイズ混じりの砂嵐が視界一面に浮かび上がる。


 また記憶の回想が始まったんだと察するも、直近の闘いで創伍はパンダンプティを二度も取り逃がしており、新たな破片者を倒してもいない。


 じゃあ今から何を見せられるのか――と、心の声に反応したかのように砂嵐はすぐに晴れる。


 次に映ったのは、夕暮れと夜の境目。どこかの街の高台に居るのだろうか、たくさんの家屋や建物が一望できる場所で視界は空を眺めていた。地平線を夕陽が照らし、茜色に染まる空が間もなく青紫から漆黒の闇へと変わっていくところだ。


 その光景がどこか懐かしく思えた時――



「真城 創伍、こっチヲ向け」



 誰かが自分を名指しで呼んだ。途中途中で雑音が混じったり変声したように歪んではいたが、男の声であった。


「コッチを向クんダ――」


 視界は創伍の意思と無関係に向くが、男はこちらを見下ろしながら夕闇と街灯の光を背にして立っているため、声の主の正体は全く分からない。



 だがこの声も……どこかで聞いた覚えがあった。



 破片者から得た記憶の回想ではないが、目の前で起きている謎の既視感に、創伍はある自問に辿り着く。



 これは110体ある破片者が誰一人抜き取らなかった、純粋な自分の記憶ではないか……と。



 普段は熟睡しても碌に夢を見ない創伍には、いつの事かも曖昧な回想をさせられるのは新鮮味がある半分、怖さも半分あった。


 そう構えている最中、男は雑音混じりにこちらへ言葉を投げてくる。



「イイカ、お前ハ……生き続けロ……。この先……あらユル不幸がお前を襲ウ……。だが命ヲ投げ捨テルヨ……コトは……絶対す……んじゃねェ」



 偶が重なり災いとなる不幸をまるで形を持った魔物の様に言い回し、それを前にしても……



「待ち続ケロ……どんダケ、絶望シテモ……希望ハきっと……イヤ、必ずあル……」



 具体的な解決策もない、ただの希望的観測を持てと告げられる。


 ……きっとこの夢は、創伍が気を失う前に彼の本能が想い起こさせたのであろう。自分が役目と闘いを放棄してしまったら、これから一体どうしたらいいのか。藁にも縋る思いで励ましの言葉を求めていたのかもしれない。


 現に男の台詞は、この現状に追いやられた創伍の未来を予知していたかのようでもある。


 そして男は……



「俺ガ……必ず……守…ッテ、やる……」



 誰なのかも明かさないまま、守ってやる――そう言い残すと、背中を向けて創伍の前から立ち去り、闇の中へ溶け込んでいった。


 ――待ってくれ!


 創伍は男を呼び止めようと叫ぼうとするも、ここは夢の中。どれだけ振り絞ろうとしても喉を首枷で絞められているかの如く声は出ず、男には届かない。


 男の姿を完全に見失ったのを合図に、砂嵐がまた浮かび上がり、夢の幕が下ろされていく……。


 ……


 …………


 ………………


 この夢が何故今この時に出てきたのか理由は分からない。ただずっと思い詰めていた創伍は、この偶発的な回想にほんの僅かながらも救われた気持ちであった。


 きっと当時の自分も、この言葉を聞いて安心したのだろう。だから今日までの自分が在るのだと思える。


 どんなに絶望しても希望を捨てない。

 その言葉だけはしっかり胸に仕舞い、創伍はまた深い眠りの中へと沈んでいく……。



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