第24話「すれ違いの果てに」1/3


 5月7日 AM9:20 花札町駅前ロータリー


 快晴の花札町。今では風が吹くと、木々の葉が揺れる音さえ聞こえる程に静かになったこの町に、靴音と通行人の声が微かに聞こえてくる。

 数週間前と比べ、少しずつではあるが花札町に人の動きが戻ってきたのだ。


「なんか……あれから事件って事件は起きてませんね」

「……あぁ」


 駅前ロータリーに駐車させた車の中で、刑事の真坂部 健司と舘上 京磨は、虚ろな眼をしながら駅に向かっていく人々を眺めている。


 つい先日都内の緊急事態宣言が解除され、自宅休養を余儀なくされた労働者達が、休んだ分の元を取り戻そうと通勤し始めたのだ。足早に改札へ向かう者や、歩きながら携帯電話で仕事の話をする者など様々だが、皆共通して活き活きしていた。


 都内に大規模テロが起きたあの日以来――花札町には見えない脅威に怯える日々が続いていた。しかしその後は似たような事件は起きず、犠牲者0人という報告の日も続いていた為、いつまでも怯えてる訳にもいかない――食べていく金を得ようと考え行動している数十人が、彼らなのだ。


「まぁ何も起きないならそれでいいですよね。その方が平和ってことなんだし」

「……あぁ」


 それでいい。この世界に少しずつ日常が戻っていき、自分以外の人間も必死に現在を生きているという事を認識できる方が、あの惨劇直後の時より遥かにマシだ。


 ――と、そんな風に考える楽観的な舘上と違い、真坂部には割り切れない事情があった。


「なぁ舘上――」

「何ですか先輩??」

「俺達って今日まで何の事件を担当してたんだっけか」

「え……」


 自前のメモ用ノートを素早く取り出した舘上は、ここ数日の出来事を振り返る。


「ヤダなぁ、トボけないでくださいよ。連続通り魔事件の捜査を進めて間も無く、今の同時多発テロ事件の捜査に回されたんじゃないですか。こう言っちゃ不謹慎ですけど、前の担当事件なんてそれどころじゃなくなってますって」

「そうか……。やっぱ俺らも、そのテロ事件の捜査に加わってはいるんだよな」

「どういう意味です?」

「なんかよ……二週間くらい前から俺の中で捜査をしたような実感が無いというか、思い返そうとすると印象的な出来事も無かったのか……何も思い出せないんだ」


 どんな事件だろうと仕事一筋の真面目さと根性で乗り切ったという真坂部が、現在担当している事件を他人事の様に扱い、剰え記憶していないという異常事態。これには舘上も上司の身を案じた。


「もしかして先輩……捜査詰めで疲れてません?」

「疲れてなんかない。自分の身体のことは自分が一番分かってる」

「それじゃあストレス溜まりまくってるとか」

「煙草がある。しっかり発散は出来てるさ」

「だったら……この捜査が行き詰まって暇疲れしたんじゃないすかね。未だに今回のテログループに関する有益な手掛かりはゼロですし」

「それはない。どんだけ難航しようと捜査中の事は全部この頭が覚えてる――筈なんだが……」

「筈だけど……何です?」


「舘上――もし変なこと言ってたらすまん。俺達ってその事件と一緒に何か別のを追っていたような気ぃしないか……?」


「は……??」


 今回の事件からというもの、真坂部の中では例えようのない喪失感や違和感が起きていたのだ。単純にここ数日の記憶が無いのであれば、メモを見返し捜査状況を把握することで多少は思い返せそうなものだ。

 しかし彼は、今日まで経験と勘で仕事をしてきた身。犯行グループの痕跡が今日までゼロという結果でも、彼目線での捜査への手応えは全くの別問題だ。


「大事なものって……一体どんな?」

「そりゃあ分かんねぇがよ……。なんつうか、俺がこんな何日もなぁなぁで捜査を進めてるはずがないんだ。いつもなら調べていく内にどんな無関係な情報を拾っても、勘を働かせてあちこち奔走しているはず……。このよくわからん違和感のせいで、もしかしたら――……そんな気がするんだ」

「…………???」


 自分がおかしいことを言ってる自覚は有る。うまく言葉に出来ないのだ。

 記憶とは能動的に脳内から抹消出来るものではない。しかし偶然忘れたのでもなく、何かが原因で記憶が消えたのだとしたら……ここ数日殆どの行動を共にしている舘上にも同じ異変が起きているかもしれないと思い、真坂部はその違和感を共有したかった。


「ん〜〜〜〜……僕は特にそんな気はしないですね。ここ最近に記した日の出来事はよく覚えてますもん。そりゃ2週間前から一秒一秒の瞬間を書いてる訳じゃないですけど、空想を書くわけにもいきませんしね。もし僕が事件の手掛かりになるものを追っていれば、まず絶対メモに残してますから!」

「……そうかよ」


 メモだけを頼りにする後輩に、己の感覚を信じるなど到底理解出来まい。真坂部は溜息と引き換えに煙草の煙を肺に送り込み、この靄を忘れようとした。




 ……しかし実のところ、その違和感は正しかった。




 人間の勘というのは恐ろしい。特にこの真坂部のは、天からの授かり物と言っても過言でない程ズバリ的中している。

 そう、二人は一度この事件の核心には迫っていたのだ。何故それを忘れてしまったかと問えば、答えは簡単――知り過ぎたから。二人は事件発生日から今日までの、真相に関与している出来事や人物についての記憶を消されている。


 いや正確には封じられていると言うべきだろう。脳に損傷を与えることなく、日常で時々起こりうる「度忘れ」という奴を、あるによって意図的に施されているのだ。

 しかし完全ではない。彼らがその事件の真相を握る人物の名を見聞きすれば、記憶を取り戻すという仕組みになっている。


 口封じが目的なら殺せば済むものを、敢えてそうしないのは真坂部らが追っている者達による暗黙のルール――全ては自らの素性を明かさず、を露呈させない為の隠蔽工作なのだ。


 言うなれば一度きりの救いの手であり、最後の警告でもある。


 もしこのまま人間の手だけで捜査が進められれば、事件の真相は必ず迷宮入りするようになっている。そうすれば彼らは一度踏み入れた虎穴から抜け出し、残りの人生を過ごすことが出来よう。だが職務を全うしようと再び足を踏み入れるのであれば、今度こそ引き返せない。


 皮肉は話ではあるが、今のまま停滞している方が彼らにとっても一番良い事なのだ。



「……ん?」



 だが……運命は二人を再び虎穴の中へ突き落とそうとする。



「何だ、アイツは……」

「どうしました先輩?」


 フロントガラス越しに真坂部が見たものは――茶色の鞄を片手に持ちながら、丸いサングラスと、白黒のチェッカー柄のコートと帽子に身を包んだ長髪の大男。

 風変わりな服装をした人間など都内では珍しいものでもない。原宿などに行けば、これ以上の奇抜なものに巡り合える。似たような服を着た者に囲まれているのだから、周囲からすれば男の存在感は異様であった。改札へ向かう労働者達の間を縫うように歩き、すれ違って行く様はさながら世捨て人であった。


「ん~~……大道芸人でしょうか。或いはストリートミュージシャンとか!」


 どんな人間かを推測する舘上を余所に、真坂部は食い入るように男を監視していた。


 服装などどうでも良かった。彼が気になったのは、男とすれ違いざまに振り返る人々の表情だ。

 不審者を見るかの如く眉を顰める者や、目を大きく開いて驚く者。反応は様々だが、その視線は決まって男の足元に向かっていくのだ。


 やがて男が自分達の車の真横を通り過ぎるところで、その注目の的が判明した―― 


「動物……?」

「わーっ! 可愛い~!!」


 なんと男の足元には犬や猫、小鳥、蛇、ハムスター、ワニやチンチラなど……数えるだけでも十種類近くの動物が列を崩さずに歩いているではないか。


「すごいですねぇ~……オシャレ好きで動物好きなホームレスとかですかねぇ!」

「………………」


 大人気なくスマホを手に取って動物達を撮影する舘上。ハイテンションな後輩と違い、真坂部は男を眺めていく内に思考に耽っていた。


(普段ならこんな格好した男をいちいち気に掛けんが……この物騒なご時世に動物を引き連れて散歩にしちゃ無警戒……見せ物のつもりか? 中には飼養許可が必要な動物もいる。誰かから盗んだんじゃ……)


 人を見た目で判断すべきではないと言うが、警察は職業柄、己の直感と観察眼に頼らざるを得ない。そうでなくては市民を守るという使命の下、事件を未然に防ぐことも出来なくなるからだ。


(いや待て――もしかしたらあの男、ここ最近のテロ事件に関わってる犯行グループの一人なんてことも……!)


 真坂部の場合、ここ最近の不可思議な出来事が重なり、どうしても男の異端ぶりに対して邪推してしまっていた。客観的に見ると異常だが、この仕事そのものが彼の存在意義であるからどうしようもない。


「……ぱい……先輩っ!」

「はっ――」

「どうしましょう……僕が写真を撮りまくってた所為でしょうか。めっちゃこっち見てるんですけど」


 勘繰っていた真坂部が、舘上の呼び掛けで我に帰る。


 男はとっくに車から十五メートル程離れたところまで歩いていた。そしてその場で立ち止まり、動物達と一緒に覆面パトカーの車中の二人の方をジッと見つめているのだ。


「馬鹿野郎……これじゃ俺達が不審者みたいじゃねぇか!」

「す、すみませんっ」

「見られた以上仕方ない。職質くらいは試みるぞ――」

「はい!」


 何とか男の素性だけでも確認をしようとした真坂部は、シートベルトを外し、サイドミラー越しに男がまだ立ち去っていないかチェックしたのちに車から降りようとした時だ――



「――待てっ」

「えっ……! どうしたんです先輩!?」



 職質すると言ったにも関わらず、真っ先に降りようとした後輩の肩を掴み、降車を止めた真坂部。混乱する舘上を抑えたまま、サイドミラーを今一度凝視すると……



 男は、僅かに口角を上げ微笑を浮かべていたのだ。



「……!?」



 まるで真坂部たちが刑事で、自分のことをミラー越しに窺っていることも見透かしているかのよう。


 だが男は二人の前から逃げようとはせず、むしろ誘き寄せようとするかの如く、ある場所へ指を差したのだ。


「あれは……花札工業団地」


 白を基調とした倉庫や工場がいくつも建っている花札町の工業団地。たまに特撮のロケ地にもなっている場所だ。


 何故その場所を指差したのか真意は不明だが、男は二人の視線がそこへ向かったと知るや、動物達を連れて足早にその団地へと走り去って行った……。


「あの工業団地って……テロ事件が起きて以降まだ閉鎖中でしたよね。関係者とかかなぁ」

「そんな訳ぁない。行くぞ――」

「えぇぇ~!? なんかあの人すごく不気味なんですけど……! 写真なんて撮るんじゃなかったよ……ううう」


 真坂部は車を発進し、敢えて誘いに乗るつもりで花札工業団地に向かう。


 またしても彼の勘は冴えていた。あの男は、今の真坂部の身の回りで起きているテロ事件や、あらゆる違和感など諸々について何か知っているのでは――と。あの男と接触することで、このやりきれない現状に何か少しの変化でも起きるのでは――と、空想を通り越した妄想が、真坂部本人を突き動かしていたのだ。



 二人の人間の運命は、一人の悲運を背負った男によって少しずつ狂い始めるのであった……。



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