第21話「敗北の涙」


 5月5日 AM5:44 Worldワールド・.Eyesアイズ・.MedicalCenterメディカルセンター——


 W.E本部の地下階――過酷な任務に就く隊長や隊員達への施術、健康管理、能力管理などをプロのスタッフが24時間交替制で行っている専門医療機関。


 その医務室にて……



「はっ……!!」


 目覚めた創伍の視界に、白い天井一面が広がる。ここが天国かと錯覚した創伍は、飛び上がるように起きた。


「ここはっ!?」


 創伍が最後に覚えているのは、自分とシロの窮地にヒバチとつららが駆け付けたところまで。それから後の記憶が無い。何故今この空間に居るのか、朱雷電とは最後どうなったのか、数時間前のやり取りをなんとか頭を絞って思い出そうとするも……


「俺……あの後どうなったんだよ……」


 無理であった。これまでの欠損した記憶同様に何も思い出せない。その分鮮明に蘇るのは、朱雷電の圧倒的な強さに敗北した記憶のみであった。部屋の静けさも相まって、創伍の胸中には虚しさが広がるばかり……。


 しかしそれも束の間、医務室はすぐに騒がしくなる。


「創伍――!!」

「真城君――!」

「真城さんっ!」

「真城っ!!」


 アイナとジャスティ長官、そして鈴々と乱狐が創伍の叫び声を聞き付けて来たのだ。


「みんな! 無事だったのか――」

「……創伍……!!」

「――うわっ!?」


 真っ先に目を潤ませたアイナが創伍を強く抱き締める。


「良かった……無事で本当に良かった……! 私も駆け付けたかったけど……本部とこの施設のシステムはなんとしても死守するしかなかったの。だからせめて怪我をした市民と隊員、運ばれてきたあなた達の応急処置は私が施した……でも! あなたとシロが追い詰められてたなんて知らず、とても危険な目に遭わせてしまって……ごめんなさい……!」


 現場に居合わせてなかったアイナは、重体で運ばれた創伍達の無事をずっと祈っていたのだ。無事に意識を取り戻してくれたことで、込み上げた気持ちを抑えられずに泣き出してしまう。


「そ、そんな……アイナが謝ることないって。悪いのは無茶した俺が――」


「――いいや、キミも悪くない。大敵が現れたことにいち早く気付けず、キミの行動を意地でも止めなかった私の責任だ。本当に申し訳なかった……」


「長官……俺も先走るようなことして……すいませんでした」


 過去を悔いる二人の気持ちを汲み、ジャスティが横から割り込んだ。全ての責任を背負うことで、他の者に気負わせないようにという長官なりの気遣いであった。


 少しばかり心が救われた創伍だが、これで話が終わりという訳にはいかない。


「そうだ……! それで長官、あの朱雷電は一体どうなったんですか!? あとヒバチさんと、つららさんと……シロは……!?」

「まぁ落ち着きたまえ。あの者については、ギリギリのところで守凱君が駆け付け、見事退けてくれたよ。負傷した三人については向こうで寝ている。まだ一度も目を覚ましていないがね……」

「…………!!」


 広くて白い殺風景な室内を見渡すと、大きなベッドが3台並んでいた。その上でシロ、ヒバチ、つららの三人が患者衣を着せられて眠っている……。


 いつもならどんな逆境だろうと戯けながら舞台の進行を務めたシロ……そして豪快に笑い飛ばしていたヒバチや、陽気でマイペースだったつららまでもが、今は沈黙するだけであった。


「……シロ……!!」


 特にシロには初めてに等しい敗北という経験を齎してしまった。その事実が創伍に重くのしかかる……。


「ヒバチくん達の身体は嫌でも時間が解決する。だがキミとワイルド・ジョーカーはしばらく安静にすることだな」

「…………はい。いろいろとありがとうございました」

「礼なら私ではなく、この二人に言ってくれたまえ。壮絶な闘いの中でキミ達を見捨てず救い出した功労者だ」


「「……………………」」


 鈴々と乱狐がおそるおそる前に出る。創伍の窮地に真っ先に駆け付け、朱雷電と共に闘った二人の服は泥で汚れ、髪は傷んではいたが、大きな怪我をしていなかった。


「二人も……無事で良かった。本当にありがとう……!」


「……どいたまっ。あたしら結局闇雄アイツに歯が立たなくて何もしてなかったようなもんだしさ。せめて最後くらいは役に立たないとね」

「ま……まぁ~圧倒的勝利とまではいきませんでしたけど……そのお気持ちだけは受け取っておきますわ!」

裏切鈴々うらぎりんりん……」

「ちょっと何言ってるか分からないですわ」


 満更でもなさそうな二人のやり取りに室内が和む。


 ただし、まだ不穏な点が一つ残っていた……。



「しかし……全滅したと思っていた九闇雄が生きていたとはな」


 腕を組み、俯きながら呟く長官。冷静沈着な彼でもこの度の九闇雄の出現は看過出来ない事態らしく、彼の硬い顔面に今だけは焦りが見られた。


「そうですわ長官! 結局そのって何なんですの!? あの赤髪男の正体を知ってたんですの!?!?」

「えっ、いや……それはだな」

「ほんとそれ。もし長官があんな強い奴の存在を知っていたんなら、あたしと鈴々がもっと早くに聞いておけば少しは対策が出来てたかもしんないじゃん!」


 乱狐と鈴々が食い付くのも当然だ。二人が創造世界に生まれてからの時間は、長官やアイナと比べたら遥かに少ないのだ。言い伝えや伝説なんて掃いて捨てるほど生まれる創造世界でも、無知は罪なりと言われている。W.Eのトップに立つ者であるなら、その存在をいち早く察知出来ていたはずだと指摘されてしまう。


「落ち着きたまえ! まさかとは思っていたが……確信までには至らなかったんだよ。何年も前に滅んだと断定されたもんだから、新たな脅威が現れた可能性も捨てきれなかった。今更何を言っても言い訳にしかならんが、九闇雄は異品なんかとは比べ物にならない存在なのだ……!」


 いくら英雄揃いのW.Eといえど未来を見通すことはできない。いつの時代も、どこの世界でも、何か起きてから後手に回るのは、命を背負う者達の永遠の課題なのだ。


「――長官」


「ん……? 何かね……真城君」


「実は……その朱雷電って奴が――」


 そこへ創伍が、追い打ちをかけるつもりではないのだが、朱雷電との戦いで見聞きしたことを長官に報告した。破片者含めた異品たちは朱雷電の号令によって動いていた事、そしてシロを狙っていたという事も……



「……うぅむ。此度の異品の一斉蜂起に黒幕は居るとしても、九闇雄が暗躍していたとは……これは相当根が深いぞ」


「長官……九闇雄って一体どういう連中なんですか。朱雷電アイツがシロを狙っている以上、ますます俺は無関係じゃ済みません。詳しく教えてくださいっ!」

「そうですわっ! 私達にも教えてくださいまし。最高機密なんて理由で有耶無耶にされたくありません。こちとら被害者ですもの!」


「あぁ……それは……」


 世間知らずの鈴々は置いといて、創伍にとっては九闇雄がこの世界にどれほどの影響を齎す存在なのかは分からない。


 彼の純粋な問い掛けに長官はおろかアイナまでも口を噤む。アーツだけならまだしも、創伍が居合わせている前で語って良いものかと躊躇しているのだ。




 そこへ――




「――語ることを禁じられた闇の英雄だ」



 別の男の声が割り込む。


「守凱っ!!」

「守凱君……怪我は大丈夫なのかね!?」


 朱雷電を退かせた守凱であった。彼との激突時に両腕を負傷したが、包帯で巻いただけで何事も無かったかのように、相変わらずの鋭い目付きで医務室に入ってきた。


「まだ安静にしないとダメよ。傷が完治した訳じゃないんだから……」

「大丈夫だアイナ。この通り指も動かせるから神経は死んでない。時間が経つ内に治るさ」

「でも……!」


 アイナにだけ小さく微笑み、守凱は腕を組んで壁に寄り掛かると、戸惑う長官に代わって九闇雄について語る。


「『一人の闇雄、一夜に一つの異界を滅ぼす。九人揃わば創造世界を』――道を踏み外さねば英雄になれる実力を持ちながら、大罪を犯し創造世界の歴史上から消され、名前を読むことさえ恐れられた反逆者。W.Eが嘗て相対した、異品とはまた別の敵だ。お前が戦った朱雷電は、九闇雄の中でも三番手――ヤツがお前の作品を利用したのは、その内のリーダーの指示によるものだろう」

「守凱君……するとまさか……」

「えぇ……そのまさかです。おそらくヤツらは今も九つの席を埋めているはず」


 淡々と語る守凱は、まるで彼らをよく知っており、どこか自らの過去を振り返っているようにも窺えた……。やがて視線は創伍を睨むようにして向けられると、これまでの経緯を彼なりの推測で語っていく。


「ここ数日の異界調査で分かったのは――現界での人間狩りと、他の異界での一斉蜂起を破片者含めた異品共に起こさせたのは九闇雄ということ。連中はどういう訳か真城のスケッチブックを入手し、そこに描かれた世界終末を口実に異品共を掻き立てたんだろう。それが自分達の暗躍を隠すカモフラージュとなり、W.Eを撹乱させつつ労せず功を成せる。そうでもなければあの朱雷電がこんな回りくどいマネをするはずがない。最終的な目標は、破片者と共通の景品であるワイルド・ジョーカーだ。今後も道化ソイツがのさばる限り、破片者と九闇雄らは今後も侵攻を続け、犠牲者は増え続けるだろう」

「つまりワイルド・ジョーカーを手放さない限り、現界はおろか、全異世界に九闇雄の攻撃が来ると……」


「そんな――!」


 納得がいかず、ベッドから起き上がった創伍は守凱に反論する。


「それじゃあまるでシロが疫病神みたいじゃないですか!」


 しかし守凱は言葉を曲げるつもりもなく、創伍への一睨いちげいを強めて言い放つ――


「本来交わすはずのない契約を交わされた為に、闇雄のおまけ付きで全世界を混乱に巻き込まれているというのに、お前達を疫病神と言わずして何だと言うんだ?」

「俺には破片者を作った責任があるから疫病神だって構いません。でもシロが滅んだはずの九闇雄を生き返らせた訳でもなし、シロが居なくても九闇雄はどのみち攻撃してきたかもしれないじゃないか!」

「それも十分有り得るかもしれんがな」

「何だとっ……!」


 W.Eの中でただ一人、守凱だけは創伍とシロを仲間として見ていない。監視下に置かれている事には、創伍も多少の申し訳なさを感じていたが、あからさまな守凱の発言に対して怒りを抑えられなかった。


「やめんか二人とも! 言い争っている場合ではないだろ!」

「長官……」


 そんな一触即発の中、長官の大きな手が二人を遮る。


「誰が元凶など、もとを正していてはキリがないぞ。過ぎた事より今後の行動を考えるしかないだろう」

「仮にどんな対策を講じようと、この二人がいる限り我々は振り回されるばかりだと言っているんですよ。長官も報告書をご覧になられたでしょう。朱雷電の言ったことが事実なら今日が終わりではなく、これから多くの犠牲者が出る始まりになるのです」


「——その今日の犠牲者を"0人"という結果に覆したのは、この二人ではないのかね」


「…………」


 創伍達が犠牲を招いたのが事実と言うなら、犠牲を防いだのもまた事実。彼の秘めたる力により、朱雷電に殺されたアーツ達は皆生き返り犠牲者数は異例の0人……こんな手品紛いを自分達が出来ない以上、守凱は反論出来なかった。



「え……? 犠牲者0人って……俺が知らない間に、何かあったんですか??」


「創伍、あなた全然覚えてないの……!?」

「え~!? あれ無意識にやってたんですの真城さん!?!?」


 しかし肝心な本人は、そんな逆転劇があったことすら覚えていない。アイナに朱雷電との戦いの顛末を聞かされ、耳を疑うばかりの自分の異変に言葉が出なかった。



……


…………


………………



「…………そんな……俺が、そんなことを……!?」

「真城君、何も覚えていないのかね!?」


「はい……気を失ってからさっき起きるまでの間の記憶が全く無いんです。こんなこと聞かされるまでどうやって決着が付いたかも……知らなかった」


 朱雷電と死闘を繰り広げた自分の両手を恐る恐る見つめる。



「いったい……俺の中に……何が……?!」



 シロから賜った両腕は、死の淵に陥った創伍を蘇らせた。それからは想像力を武器にした能力を与えただけでなく、生まれた頃から欠落していた殺意をも目覚めさせた。

 そして闘いが激しさを増すにつれ、創伍は自分の知らない一面を記憶の回想と共に目の当たりにしていく。そんな創伍は自分が何者なのか不気味に感じてしまっていたのだ……。


 そんな彼に……


「ふん。望んで選んだ道の結果だろう……自業自得だ」

「ちょっと守凱、言いすぎよ……!」


 アイナが止めようとするも、守凱は塞ぎ込む創伍に容赦なく叱責の言葉を浴びせたのだ。


「運が良かったと思うんだな……。闘いとは勝つか負けるか生きるか死ぬか……一度死んだ者が蘇ることなんて有り得ないんだ。俺からすれば、今回の闘いも道化の自作自演にさえ思っている」

「…………っ!」


「こんな奇跡、二度は起きんと思っておけ。結局お前が自らの意思と力をもって闘わなくては、守りたい者も守れないんだ。それが出来ないなら……さっさとお前の守ろうとした儚い日常にでも帰るがいい」


 遂には帰れと吐き捨て、髪を靡かせながら医務室を後にした。

 守凱だけが去り、意気消沈とした雰囲気に包まれる……。


「…………」

「気にしないで創伍! 彼、あぁは言ってもあなたの事が心配で……」


 アイナが懸命に創伍をフォローしようとしたが……


「あの人の言う通りだ……」

「え??」


 ……手遅れであった。


「俺は……誰一人守れていない。朱雷電の強さを思い知らされ、シロが貫かれた時はただ奇跡に縋るように何も出来なかったんだ……。そして気を失う寸前には力が欲しいって……都合の良いことばっか求めるただの我儘じゃないかよ」

「創伍……」

「あんな強い奴が他にうじゃうじゃ現れたら……今の俺には何も守れない……! シロがいないだけで何も出来ない俺が、一体何を守れるって言うんだよ……! チクショウ……!!」


 ベッドの上で俯く創伍の目からはボロボロと涙が溢れる。誰も失っていないが、誰も守れていない。朱雷電に与えられた痛みと敗北感だけ鮮明に覚えており、守凱からは自分の無力さと現実を突きつけられ、悔しさを抑えられないのだ。


 時計は朝の6時を刻み、本部内に響くチャイムが夜明けを報せる。しかし医務室に居た長官やアイナ、そして鈴々には、終始咽び泣く創伍の声だけしか聞こえなかった……。



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