行間07「ある少女の詠唱」



『――あぁ、私の英雄よ。私は何も要りません。私は何も要りませんから、どうか私の全てを受け取ってください』



 深い闇の中……何処からともなく声が聞こえる。



『私が貴方に捧げるは「剣」と「棍」、「玉座」と「聖杯」――血に飢えた剣と棍には、憎き罪人つみびと達の血を吸わせ、渇いた喉を潤したまへ。そして罪人の死屍転がる舞台の上には、煌びやかな玉座と聖杯……どうかそこに座して、勝利の美酒に酔いたまへ……。私はこれらを貴方に捧げ、未来永劫輝き続けてほしい』



 幼い少女の声だ。少女と言っても声にあどけなさは無く、艶やかさ、淑やかさを併せていながら、どこか寂しげに語る女性らしい声……。

 シロとは対照的に感じるが、創伍には声に思い当たる人物が浮かばない。


『私の渇望は「愛慕あいぼ」――貴方が何者になろうと愛したい。どれだけ拒絶されても構わない。たとえ私と貴方の出会いが、多くの犠牲を伴う血生臭い歌劇の脚本の筋書き通りであっても、私は最期まで貴方に添い遂げたい。そして貴方の渇望は「破壊」――自分の脅威になる者に打ち勝つ力が欲しい。ならば私は先の物を全て貴方に託し、貴方の破壊を見届けよう。傷ついた時は、貴方の傷口を私の血で洗おう。私の命は貴方の物……最後に貴方という英雄さえ立っていれば、私は死んでも満たされるのだから』


 少女の言葉に嘘偽りはない。想い人のためなら我が身を捨てる覚悟まであるだろう。生涯の幕を閉じるまで傍にいたいという情愛をが強く伝わる詠唱であった。

 しかしその反面、心酔している。想い人以外の存在はどうなろうと構わないと言いたげで、狂気を孕んだような内容にも受け取れた。


『故に私と一つとなり、私の英雄になってください。これは貴方にしか出来ないことだから……』


 創伍は、自分を誘うように囁く少女の声から逃げたかった。このまま耳を貸していたら、何かが起きるのではという不穏に駆られていたのだ。


 現にその予感は当たっていた。少女の声は創伍を逃すまいと、彼の意思に関わらず耳元に寄っていき、より鮮明に聞こえてくる。


 迫り来る声と少女の甘い吐息は、まるで金縛りのよう。創伍は朱雷電との戦いで味わった死の恐怖とは全く違う、禁断の領域に立ち入ったような背徳感に心から戦慄するのであった。


 そして少女の口からは――



破壊デストラクション――「殺戮の道化師キラー・クラウン」』



 暗い闇の中で、それだけははっきりと聞こえた創伍は、有無を言わさず少女との契約の詠唱にピリオドを打たれる。


 そしてそれに突き動かされるかのように、創伍は目を覚ましたのだ――



……


…………


………………



 * * *



 AM9:16 Worldワールド・.Eyesアイズ・.MedicalCenterメディカルセンター


「はぁっ――!」


 目を覚ました創伍はまたもや叫びながら起き上がる。

 息を荒げて辺りを見渡すが、見覚えのある殺風景な医務室で思い出した。


「そうか……あの後二度寝したのか……」


 守凱と言い争った後、アイナ達が創伍を気遣って退室すると、戦闘による疲労はまだ回復していなかったのか気絶したように眠りに落ちたのだ。


 ただ悪夢に魘されていたと一人納得し、頭を枕に置いて仰向けになる。


「でも今の声……何だったんだ?」


 夢の中で聞こえた少女の声は、シロと創伍が契約を結んだ時のような詠唱とどこか似ていた。しかし見えない相手に詰め寄られる内に堪らず目が覚め、分からず終いとなってしまう。


「特に身体に異変はないし……気のせいかな」


 結局は夢なのだろうと深く考え込まず、隣のベッドで眠るシロを見守る。


「シロ……ごめんな。俺が力不足ばっかりに……」


 代われるものなら代わってやりたい。自分がその苦しみを本来味わわねばならないのに……と苦しそうな彼女の寝顔に、創伍は自分の非力さを心の中で責めていた。


 そんな気落ちした彼に――




「自分を責めないで。創伍――」


「えっ――」




 声が聞こえた。医務室には気絶したシロとつららとヒバチ以外、起きているのは自分だけなはずなのに……誰かが彼の名前を呼んだのだ。


「朱雷電の攻撃を受けたのは、彼女の本意なんだよ。でも最後まで創伍を守るべき役目を持つはずが、こんな簡単に意識を失う羽目になるなんて……道化失格だと思わないかい??」


「……誰かいるのか!?」


 声は――創伍のベッドの掛布団の中からであった。曇った声で響く声と、を誰かに掴まれている感触に今更気付く。


 不気味な状況に、創伍が布団を引っぺがしてみると――



「もう寝なくていいのかい? ボクはもうちょっとキミの隣で、キミの体温を感じていたかったんだけど……おっと。起きた以上は挨拶をしなくちゃだね」


「………………は??」


「おはよう……創伍♪」



 幼い少女だった。黒く艶のある長髪、黒い羽衣と黒薄着のワンピースを着た黒ずくめの少女が、創伍の黒の左腕に抱きつきながら、同じベッドの上で寝ていたのだ。

 上目遣いで向ける瞳は赤く、妖しい笑みを浮かべながら、少女は創伍の名を呼ぶ。



「やっと会えたね……ボクの愛しい真城 創伍」


「……??」



 まるでシロを黒く染めたような少女――見た目も体格も、彼女の白い部分を全て黒く塗り替えたようなシロそっくりの少女が一人――創伍の目の前に現れたのだ。




 * * *

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