愛の残り時間

蒔田ナイ

木野浩太の日常

この恋愛に名前を付けるのなら、それは「嘘」だ。



「あまり遅くに帰ると、カミさんに叱られるぞ。」

その声に気付き、僕は画用紙を広げる手を止めた。

「園長もでしょ。」

僕がそう言うと田中園長は、薄い頭をかきながらつられて笑った。

「俺はいいんだよ。遅く帰った方がかえって喜ばれるくらいだ。木野君、もうパパなんだから。早く帰ってやれよ。」

「これだけ片付けたら帰るので。」

手にした画用紙には利用者が描いたサンタクロースが笑っている。毎年恒例のクリスマス会まで二週間を切っていた。僕の職場はデイサービスセンター。日中の生活を支援する仕事だ。気付けば僕がこの職場で一番の古株だ。この施設が開所した十一年前に一緒に入社した仲間達は次々に辞めていき、もっと金になる仕事をしている。

「まぁ、戸締りだけよろしくな。お先に失礼するよ。」

田中園長はそう言って「お疲れ様」と作業室を出て行った。時計の針は18時を過ぎていた。携帯を取り出し、「もう少し仕事片付けたら帰るよ」と亜美にメールを送り、僕は利用者の作品を壁に貼り付けていく。十枚ほど飾った所で携帯が鳴り、「お疲れ様。気を付けて帰ってきてね」と返事がきた。残業して帰るのは申し訳ないが、亜美は不満も言わず許してくれる。

「帰りにコンビニでケーキでも買ってやるか。」

画鋲に手を伸ばし、飾り付けを終わらすことに集中した。



「これ、お土産。」

「ケーキ?」

レジ袋の中身を確認すると、亜美は嬉しそうに取り出した。

「また無駄遣いして悪いんだ。」

そう言いつつ、彼女の声は優しげだ。

「美香はもう寝てるよな。」

「うん、今日は寝付くのが早かったから。」 「そうか。今日も一緒にお風呂入れなかったなぁ…」

施設の行事前はどうしても残業になってしまう。少しでも亜美の負担を減らそうと自分から提案した美香とのお風呂だが、ここ最近はおざなりだ。寝室をそっと覗くと、安らかに眠る美香の姿があった。来年の春、やっと一歳になる。最近は寝返りやハイハイと目が離せない状態だ。子どもの成長の速さに驚くばかりだ。自分が親になって初めて分かる事が多い。

「おかず温めるから、先にお風呂入っておいでよ。」

いつの間にか隣にいた亜美がそう言って僕を促し、僕はもう少し寝顔を見ていたかったが「はいよ」と告げて寝室のドアを閉めた。



風呂から出ると、カウンターキッチンの向こうでエプロンを片付ける亜美の姿が見えた。

「温野菜のサラダと鮭のムニエルね」

はい、とテーブルに置かれる料理は彩りも良く、栄養面も考えて作っているのが分かった。ただ、近頃は野菜や魚中心で味付けも薄味なのが少し残念だ。

「また温野菜か...って顔してる。」

「そんなこと思っていないよ。いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう。」

「こうちゃん、お腹ぷよぷよなんだからダイエットしなきゃね。」

聞き飽きた台詞を言われ、はいはいと返事をして流す。それほど気にした事のない自分の腹をさすり、「まぁ、まだ大丈夫」と思いつつ、素材の味をふんだんに活かした温野菜を頬張り、忘れる事にした。


朝、美香が髪の毛を引っ張る痛みで目を覚まし、重たい腰をあげて布団を出た。いつからか目覚まし時計が無くとも起きられるようになったのは、間違いなく美香のおかげだ。美香は何がそんなに楽しいのか、大きな目をくりくりとさせて、僕の靴下を振り回す。

「あら、パパ起こしたのね。」

亜美が美香を抱っこし、頭をそっと撫でる。いつもの朝だ。何も変わらない僕の今日が始まる。

「今日は早く帰れるように頑張るよ。」

薄ベージュのチノパンを履きながらそう言うと、亜美が「いつもそう言ってるのにパパ遅いもんねぇ」と美香に笑う。

「今日はクリスマス会のボランティアさんの事で園長と打ち合わせなんだよ。ほら、僕はその責任者だからさ。」

「ああ、誰かにお願いするかもって言ってたやつね。」

「前、実習に来てた学生に声をかけてみたんだ。パートさんが育休中だから、人手が欲しいんだ。」

食卓につくと、トースト二枚とサラダが置かれ、僕はそれらを食べながら「あの子に会うのも久しぶりだな」と数年前の夏に実習に来ていた学生を思い出していた。何事にも真剣で、真っ直ぐな目をした彼女を...




「篠目 乙加です。大学の実習ではお世話になりました。クリスマス会のお手伝いに参加できると聞いて嬉しく思います。皆さん、またよろしくお願いします。」

彼女はそう自己紹介をして、頭を下げた。篠目さんは大学時代に実習に来ていた子で、今は福祉施設で働く社会人だ。

「篠目さん、仕事もあるのに本当に悪いね。今日も仕事終わりだろう?」




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愛の残り時間 蒔田ナイ @haihai-pepi

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