第3話*弐 暗転スル_譌・常

 428番街区は第7永久動力炉のほど近くにある。第7永久炉からのエネルギー供給の恩恵が篤い地区で、商業施設が多く、昼夜を問わず人びとの往来の止まぬ場所だ。


 永久炉とは、その名の通り恒久的にエネルギーを生み出す機関であり、この国の根幹を支えている施設だった。永久動力炉から生み出されるのは、熱や光といったものから、服飾品にも使われる鉱石、さらには食料まであり様々だ。


 7つの永久動力炉がこの国に誕生して以来、人びとは飢えを知らず、渇きを忘れて、永久に続く享楽に浸っている。常に安定して経済は周り、生きる糧に憂慮する必要すらなくなった。


 そもそも、そのように明日の行く末が分からないような世界を、少なくとも自分には想像ができない。全ての人が、多少の貧富の差こそあれど、困窮にあえぐことなく、生を謳歌するこの国は、きっと過去の世界が夢見た理想郷なのだろう。


 遠くに聳える永久動力炉を眺めながら、そんなことを思った。


「ほれ、クレープ」


「……」


 アシモが持ってきたクレープを無言で受け取る。バナナの上にアイス、その上に生クリーム、そしてそれを光沢のあるチョコレートソースが彩っている。見てるだけで胃がもたれそうだ。


「なあハルト、いい加減そろそろ機嫌直せよ」


「全部アシモのせいじゃん。……甘ッ!」


 予想通りクレープは糖分の塊のような甘さだ。この激甘トッピングはアシモの趣味だろう。


「お、どれどれ……。うまっ!」


 アシモはクレープを口に運ぶと、幸せそうに言った。きっと舌の成長が三歳児の時点で止まってるのだろう。


「アシモって相変わらず甘党だよね」


「クレープは甘い方がいいだろ、そういう食いもんなんだからさ」


 そう言いながら、クレープを器用に食べていく。


「はぁ、疲れたなあ」


 このベンチでクレープを食べるまでに、大型の商業施設を何周もしていた。部屋で言っていたアシモのプランに、容赦なく付き合わされた結果だった。


「相変わらず体力ねーなーハルトは。まあ後はゲーセン行って、音ゲーだな」


「そろそろ帰ろうよ……」


 空は既に日が落ちかけていて、遠くの空が茜色に染まっている。そろそろ4時といったところか。


「ゲームは少し間が空くとすぐ鈍るからなあ、勉強みたいなもんだな」


「僕にはその向学心は理解できないよ」


「はは、褒めるなって!」


「褒めてないけど」


 手元のクレープを口へと運ぶ。やはり甘ったるい。生クリームでむせそうだ。


「――あの!」


「ん?」


 ふと、かけられた声に顔を上げると、いつのまにか数名の女学生に囲まれていた。


「Juvenalis《ユウェナリス》のアシモさんですよね? 」


 女学生は訊ねた。


「あちゃー、ばれちゃったか」


 アシモはバツが悪そうにそう呟くと、すぐさま黄色い悲鳴が耳を劈いた。


「私たちファンなんです!」


「サイン下さい!」


「いつも応援してます!」


「新曲カッコよかったです!」


 見る見るうちにアシモにできた取り巻きから、爪弾きにされるように自分はベンチから追いたてられてしまった。


「……はぁ、またか」


 静かにそう呟いた。


 アシモはネット内外で活動する、いわゆるアーティストだ。数年前は無名だったものの、ここ最近はメディア露出をよくするようになった。動画共有サイトでもランキング上位に食い込む健闘ぶりを見せている。銀髪の美しい容姿。その若干16歳のアシモが率いる新進気鋭のバンド『Juvenalis』。メディアが食いつかないはずはなかった。


「はいはい、サイン欲しい人は一列に並んでな」


 遠巻きに見るアシモは、どこからともなく増えていくファンを慣れたように捌いていく。その姿は、遠い日に見た幼馴染とは別人のようだった。



 ――ああ、やっぱりアシモと僕は、違う生き物なんだ。



 そんな台詞が脳裏をよぎる。それはあまりにも分かりやすい劣等感だったが、それでも耐えることは、ハルトにはできなかった。


 取り囲まれたアシモを尻目に、踵を返す。


 もう用事に付き合う必要もないだろう。あの調子ならば、しばらくは動けないだろうし、そもそももう自分など眼中にないだろう。もう十分なはずだ。


 道をまっすぐ進んでいく。大通りを折れ、路地に入り、あてどなく歩く。


 脳裏には、拭えぬ嫉妬と羨望が張り付き、それがどうしようもなく気分を落ち込ませた。アシモの努力はわかる。あいつだって、最初から有名だったわけじゃない。時の運こそあれど、努力で現在の位置を手にしたのだ。それを手放しでなど、自分もたかが知れる。


 絶えず押し寄せてくる自己嫌悪。それから逃げるように、先へ、先へひたすらに進む。


 気づけば、全く知らない街並みが広がっていた。


 緑化政策と銘打って植えられた路傍の木。絶えず往来する人。道を駆け抜ける黒鉄くろがね。どこも見覚えがあり、そして見慣れぬ光景だ。どこまでも画一的なこの街に、ひどく眩暈を覚えた。


「帰ろう……」


 家に帰って、何もかも忘れて眠ろう。今日は変わらぬ一日で、きっと何もなかった。天気は晴れで、学校は休みで、昔と同じように、笑顔のアシモがいて――。



 ――その時だった。



「——!?」


 地面が割れるかのような激震。と同時に、耳を覆いたくなるような轟音が辺りにこだます。


「な、なんだ。今の……?」


 地の揺れが沈み、辺りは静寂に包まれる。人々は当惑したように根源を探し、車は横転して道を滞らせていた。


 辺りを見回す。街路樹、人、車、鉄橋、ビル……、そして『黒』


 遥か遠く、距離にして2kmほど先に『黒煙』が見えた。先ほど見ていた第7永久炉の方面だ。


「永久動力炉に、何かが……?」


 感じたことのない悪い予感が脳裏を過ぎる。背筋は強張り、脳は粟立つ。


 と同時に、今度は周囲から絶望の悲鳴が上がる。



 ――嗚呼、ああ、アア――


 悲鳴の先にあったのは、ものだった。


『歪』


 当惑する脳裏に、そんな言葉が浮かぶ。



 ――人がを失っていく。



 身体は腐り、肉は焦げ、焼け落ち、そこから新たな肉体からだが生まれ、成長していく。それも不完全な形で。


 腕、あるいは足。あるいは胴体。あるいは首……。いびつな形で生まれ出でたその体は、すぐさま生気をなくし、そして再び腐り落ちていく。まるで、崩壊と再生の坩堝に投げ込まれたかのようだった。


「アア、ああ……」


 それは嘆きなのか、あるいは苦痛の呻きなのだろうか。声にならない叫びをあげながら、よろめき、倒れ、伏し、そして立ち上がり、再び倒れ、歪んだ歩みでそれは徐々に人々へと向かっていく。


 混乱。


 一面の恐怖が人々を支配し、それが人々を行く当てのない逃走へと駆り立てる。


 逃げるでもない。死に立ち向かうでもない。ただその場で立ちすくむこの身は、いつあの歪な病魔に蝕まれるかわからない。心が絶望で染まっていくのが分かる。この期に及んで、自分には眼前で起きている出来事が、全く理解できなかった。まるで頭に靄がかかったように、脳が思考することを放棄している。



 ――早くしないと、死んじゃうよ?


「え……?」


 不意に声がして、振り返る。


 ――ふふふ。


 そこには一人の少女が、笑みを浮かべながら立っていた。


「君は、だれ?」


 咄嗟に出たのは、そんな言葉だった。


 ――教えてあげない。


 そういう少女の顔は、見えない。霞がかかっているかのように、視覚がそれを認識しようとしない。目に見えるのは、褪せた白色の長い髪だけ。


 まるで時が止まったようだった。この世界にいるのは自分と、この少女だけ。そんな気すらしてくるほどに、先ほどまでの喧騒ははるか遠く、耳に届かない。


「これは、夢……?」


 目の前に起きるあまりの非現実に、そんなことを疑う。


「そうだ。これは全部夢なんだ」


 疑いは、根拠のない妄信に変わる。


 ――そう、これは夢。


 少女は静かに首肯した。


 ――決して覚めない眠りについた、魔女の夢。


「それってどういう――」


 意味なのか。そう答えるより早く



 ――だからあなたは、この微睡まどろみの中で目を覚ますの。



 それは確かに聞こえた、の声だった。




 ――***——

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