第4話*参 暗転スル_譌・常

 ――***——


 NIHILよりLUX_


 炉心を特定_


 SEPTIMUM破棄に伴う補填を開始_


 ――***——



「はいどーも、これからも『Juvenalis』をどうぞよろしく」


「はい! 応援してるので頑張ってください」


 目の前の少女は緊張しているのか、少し震えた声でそう言うと、後ろで控えている女の子達の元へ向かっていった。前に向き直ると目の前に並んでいたファンの列はもう無く、アシモはそれを見ると一つ大きく息をついた。


「どうやら今ので最後みたいだな」


 こんなに自分に人気が集まるなんて、少し前には想像もしていなかった。歌詞を書き始めたのも、音楽活動を始めたのも、自作の音源をネット上にアップし始めたのも、全て気まぐれだった。自己満足で作った歌詞に、遠い昔に聞いたことのある曲調と、自分の趣味とを付与して作った曲だ。誰にも聞かれることがないまま、ひっそりと楽曲を更新し続けていくんだろう。そんなことを昔はよく思っていた。


「しっかし疲れたなあ、サイン書くのって意外と大変なんだよなあ。まだそんなに慣れてないし」


 利き手の関節をほぐすようにぐりぐりと回す。メディアに顔を出すようになってから、こんなことが増えた。


「さてと、ハルト怒ってるよなあ……」


 わざわざ家まで行って引きこもっていたハルトを、強引な手段を使ってまでここに連れてきたのは自分だ。だのに、ファンの対応に追われてそのハルトを放置してしまった。


 アシモの心を罪悪感が包む。


「やっぱり、いないよなぁ」


 先程までハルトがいた場所に目をやると、そこには誰もいなかった。周りを見渡しても、それらしき人影はどこにもない。


「あー、やっちゃったなあ」


 ハルトは最近学校を頻繁に休むようになった。そればかりか、他人と距離を置くようになり、家族同然だったアシモにも近づかなくなっている。


「これじゃあ、単にアイツに嫌な思いをさせただけじゃねぇかよ、オレ……」


 他人と距離を置くようになった理由はわからない。昔は、社交的と言えずとも、少なくとも友達は結構いるほうだった筈だ。それが今は、学校でも話すのは数人、それも必要に迫られた時だけだ。そんなハルトのことが、心配で仕方ない。いつか一人になってしまうのではないかと、気が気でない。


「まぁ、こういうとこだろうな。アイツがオレから離れていってるのは」


 自嘲気味にアシモは呟く。自分の身勝手さには正直自分でも呆れている。ただ、自分から離れて欲しくないというだけで、ハルトを振り回しているのだから。


「まあ反省は後だな。とりあえずハルトを探さなきゃ」


 汚れないようにベンチに置いていた残りのクレープを一息に口に頬張ると、アシモは走り出した。


 向かうとしたら駅か、徒歩で家へ向かうかだ。


 行く手を人混みが遮る。428番街区の往来を縫うのは容易ではない。


「ゲーム屋、とかにいるわけもないか」


 目の前のゲームショップに視線を向ける。ディスプレイには新作のアクションゲームがアップされている。ハルトが好むタイプのものだ。しかし、店内にもそれらしき影はない。


「やっぱ駅だよなあ」


 徒歩でも家に帰ることはできるが、効率が悪い。普通に考えれば駅に向かう筈だ。


 道を曲がり、路地を折れると、駅前のスクランブル交差点が見えた。


「結構走ったし、さすがに追いついたよな」


 駅前は街中以上に人でごった返している。まるでこのルクスの人間が一箇所に集まったような混雑の仕方だ。


 アシモは辺りを見回す。何処かにハルトの姿があるはず……。


 ビル全体が一つの巨大なスクリーンとなって、せわしなく情報を押し付けてくる。路傍に植えられた植物すら、薄暗くなった空の闇をかき消すようにイルミネーションを着飾っている。街全体が煩雑な情報と光で支配されている。


 やっぱり見当たらない。


 もう帰ってしまったのか。いや、ここまでハルトの足ならもう少しかかるはずだ。追い抜いた? 可能性はある。それならば、ここで待っていれば会えるはずだ。


 しかし、その時だった。


 地面を突き上げるような振動、そして空を裂くような轟音。


「なっ——」


 一瞬のうちに人々は静まり、恐怖に地面に伏せる。


 音が氾濫していた428番街区は一瞬のうちに静寂に支配された。


「一体、なんだ?」


 刹那のしじまの後に、人々の動揺の声が大きくなる。



 ――何が起きた? 今の音と振動は何だ?



 人々の不安と疑念は膨らんでいく。そして、やがて動揺は悲鳴へと変わっていく。


 428番街区の幾千の瞳が捉えたのは、を放つ第7永久動力炉の姿だった。


「動力炉から、煙……? いや、違う。あれは、なんだ?」


 永久炉から放たれる漆黒の狼煙。それは沖天の勢いで宙へ昇っていき、そして空を覆っていく。



 ――空が、裂けていく。



 宵闇より遥かに深い黒。それが黄昏の空を罅割らせていく。


 それは明らかに、炎から出た煙ではなかった。それは他の何物でもない『黒』。



 ――アアああぁぁ



 刹那、四方より上がる悲鳴。


 いや、それは悲鳴と呼ぶにはあまりにも歪すぎた。それは獣の咆哮のように耳を劈く。


 形を失う人の姿。変容していく身体。生まれては腐り落ちていく四肢。



 ――ヤバい。



 第六感が告げている。に居るべきではないと。



「——ッ!」



 アシモは脱兎のごとく走り出す。


「くそ、くそ、くそ」


 乱れる呼吸でひたすらに悪態をつく。この状況にではなく、親友をほったらかした数分前の自分に。


「ハルト、お前、今どこにいるんだよ……!」


 最悪だ。こんな時に限って、ハルトからは携帯を取り上げたまま返していなかった。ハルトの身に何かあれば全て自分の責任だ。こんな混沌とした状況の街に、通信端末を持たせずに、ほっぽり出すなんて!


 息が切れる。目まぐるしく変わる街の光景に、幾度も人が変質するのが見て取れる。そしてそれらが、人々におぼつかない足取りで迫っていくのも。



 ――どこだ。どこだ。どこだ。



 来た道は戻った。行くとすれば、家のほうだ。だがもし違ったら? 脳裏を過ぎる不穏。アシモは逡巡する。


 空は漆黒に裂かれ、異様な様相を呈している。まるで画面の割れた液晶画面のように、ところどころが視認できない。


「一か八か、だな」


 身体を直感に任せて走る。


 崩壊していく人と、街と、空。


 鼓動は逼迫し、今にも心臓は壊れそうだった。



 ――待ってろよ、ハルト……!



 ――***——



『世界』を見た気がした。


 この空間と時間の埒外を。


 この瞳は捉えていた。


 永遠の戦乱が国を焼き、死体がまるで蝋のように闇夜を灯すのを。


 雨が街を沈め、波が全てを攫い、その身を砕くのを。


 鉄が肉を裂き、霹靂のような轟音とともに、貫くのを。


 絶えず脈動する地が、生をまるごと飲み込むのを。


 跋扈し、蠢動する生命が、無に帰すのを。


 私は、僕は、俺は――。


 手と手を重ね合わせ、ただ祈る。世界の胎動と、その終焉に背を向けたこなぎに酷く同情した。最後に彼女は何を思って闇に飲まれたのだろう。


 全てが連なっているのを感じる。生と死、再生と崩壊の連環を、行きつ戻りつ。歯車を歪に噛み合わせながら、世界は動く。



 ――ああ、嫌だな。


 そう思った。これから起こるこの世界の不条理も、遠い過去に刻まれた、この身の記憶も。


 だから、犠牲が必要だった。全てを背負ってくれる尊い人形が。


 必要だったのだ。



 ――見せないで。見たくない。こんなの、嫌だよ。



 脳に情報が叩きつけられる。熱した焼き鏝で、罪人に烙印を押し付けるように、刻まれる。知りたくもないこの世の摂理を。


 執拗な責め苦がこの身を蝕む。皮膚の下で小さな蟲が這っているような不快感。頭の中では羽虫がぶんぶんと、飛び回っているようだ。


 いつまでも、いつまでも。この一瞬は、連綿と続いていく。



 ――ああ、愛しい子よ。私は羨ましい。



 目の前の男がそう言って、歯噛みしたのを覚えている。


 歪んでいる。自分も、この男も。



 ――目は



 少女は問う。この微睡の外で、悲しみをその深紅の双眸に浮かべながら。



 ああ。でも――


 躊躇いはない。なぜなら、そもそもこの役割は、最初から他人に与えられたものなのだから。



 ――、いらない。



 頭に霞がかかる。現実が押し寄せてくる。その前に。



 掌に握りしめた世界の残滓を、おれは投げ棄てた。




 ――***——

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