第15話*弐 外側_
――旧帝国ルクス領、王都ダルシス上空。
赫灼と灯っていた永劫の光は消え、ただひたすらに深い闇の中に、蝋燭の様な僅かながらの明かりが見える。光を失った王都。そこに、かつての繁栄は見て取れなかった。
「私たち、空を飛んでるの? 」
「うん、そうだよ。飛行機っていうんだ」
「すごいわ……!私、空を飛んでる……!」
隣の席ではしゃぐセプティは、どうやら本当に飛行機というものを知らないらしく、これでもかというほど窓の外を食い入るように見つめていた。
「でも、真っ暗ね。せっかく空を飛んでいるのに……」
セプティの視線は相も変わらず外を向いていたが、残念そうに目を少しだけ伏せたのが背中越しにわかった。
「セプティ、お前の国には本当に飛行機がないのか?」
アシモが難しそうな顔をして尋ねる。
「よくわからないけど、くにってなにかな?」
振り返ってセプティが言ったその言葉に、思わずハルトとアシモは顔を見合わせる。
「『国』が分からないの……?」
「ごめんなさい。私、わからないことばかりで……」
セプティは困ったように謝罪する。
「く、国っていうのは大きな、なんていうか人が集まったもので……。一つの共同体みたいなものかな」
我ながら、説明が下手だ。もっと国語の授業を受けておくべきだった。
「それはコモンのこと?」
「コモン?」
セプティの口から、聞きなれぬ単語が出る。
「人が集まっているところなら、知っているよ。私もそこで生まれたの。巡礼で離れることになっちゃったけど……。ハルト達が言う『国』ってそういうところ?」
「多分そうだと思うよ」
ハルトはなるべく思っていることが悟られないように話す。
この数分間の彼女との会話で分かったこと。それは、どうやらセプティがいたコモンというところは、この国とは文化や慣習といったものが異なるところだということだ。しかし、言語体系は殆どこの国の標準言語と変わらないらしく、意思の疎通には問題がなかった。
「『飛行機』っていうのは、今乗っているこの乗り物のこと?」
「うん、それであってる」
「本当に凄いわ。空を飛べるなんて、どういう風に動いているの?」
「えっとそれは……」
知らない。この世界にあふれる文明の利器といものの恩恵を、余すところなく受けているのにもかかわらず、自分たちはあまりにその原理について蒙昧だった。『そういうものだから』という理由で、全てを受け入れていた。
それを痛感する。
「セプティ、一旦その話は置いておこう。今度は少しこちらからも質問させてくれ」
アシモは質問に答えあぐねるハルトにさり気なく助け船を出しながら、セプティに言った。
「うんもちろん。でも私が知っていることで、役に立つことなんてあるかしら」
「俺たちはただ、セプティがいたところより、少し便利なものがあるだけの国に生まれた一般人なんだ。セプティにしかわからないことだって絶対にあるさ」
アシモがそういうと、セプティはにっこり微笑んだ。
「まずは、セプティが目を覚ました時の話だ。あの時『黒煙に飲み込まれた』って言ってたよな」
「うん……」
「あまり楽しい思い出じゃないと思うが、そのことについて教えてくれ」
それはセプティにとってつらい思い出なのだろう。優しい笑みを浮かべていた彼女の顔から、笑みが消えた。
「あの時――」
それは一つの世界の終わりだった。大地に落ちた巨大な黒点。空間を飲み込む異次元。人々は闇に飲まれ、永劫に消え去り、そして後に続くものはいない。『黒煙』と彼女が形容したそれは、あの時永久炉から立ち上っていた『黒』を想起させた。
一つの共同体が『黒煙』に飲み込まれた時、別の共同体にそれを伝える使命を帯びたものを巡礼者と呼び、その巡礼の徒だけが、世界の崩壊の有様を知っていたのだという。そしてセプティは、その最後の巡礼者だった。
『此岸』と呼ばれるこの世の終わり。大地の裂け目。
「——で、目が覚めたらあの場所にいたの」
セプティも、自身が何を言っているのか判然としないのだろう。その言葉からは不安がひしひしと感じられた。
「この世の終わり――『此岸』か……。やっぱ聞いたことねえな」
「少なくとも、このルクス内の出来事ではないみたいだね」
「ルクスの外側、か――」
この
「セプティ。やっぱりルクスって名前に聞き覚えはないか?」
「うん……。少なくとも私は知らないわ。もしかしたら、おじいさま方や司祭様達は知っていたのかもしれないけど……」
「そうか」
ルクスを知らない。この世界でそんなことはあり得るのだろうか。
「現王――いや、今はもう先王か。イェクス王の治世初期に、永久動力炉の余剰生産物を他国に供給していたことがあるらしい。もっとも、他国への物資過剰供給の弊害を考慮して、今はやってないらしいがな」
「そうなんだ」
「歴史の勉強、ちゃんとしろよハルト」
「う……」
ぐうの音も出ない。
「その時から時間は経ってはいるが、それでもこの国の名を聞いたこともないのはおかしい。よっぽど辺境の小国か、外界との接触を断っている秘境の国なのか。それとも……」
それはあり得ない仮定だ。しかし――。
「この世界とは別の世界、とかな」
アシモは言ってから、自嘲気味に小さく笑う。
「ま、んなわけねえか」
「そうだよ。ていうか別の世界ってなにさ」
「知らねえよ。言ってみただけだ」
「でも――」
セプティが口を挟む。
「私も何となく思うの。ここが違う世界なんじゃないかって。自分がいた世界とは違う、どこか遠い世界のその先なんじゃないかって」
そういうと尚もセプティは続ける。
「私、あの瞬間――闇に飲み込まれる瞬間に願ったの。消えたくない、この世界の在り方を知らずに死にたくないって」
「セプティ……」
「でも気づいたら、私は此処にこうして存在していて、空の果てを知りたいと思ってた私は、今こうして空を飛んでいる。世界の果てを――外側を知りたいと思ってた私は、こうして見知らぬ地に居る」
そう言うセプティの瞳は、どこか輝いているように見えた。
「きっと、誰かが私の望みを叶えてくれたんだって。そんな風に思うの。どうしてだろう……」
セプティの記憶の中に一つの陰翳が浮かぶ。
――あなたには、少し教えてあげる。
しかし、それは霞の如く、ノイズを混じらせすぐ消えた。
「うん、そうかもしれないね」
ハルトは気づくと、そんなことを言っていた。
「僕も、なんだか夢を見た気がするんだ。遠い世界の夢を」
「ハルトもそうなの?」
「うん」
ハルトはセプティの問いに首肯して答える。
「その中で、君と似た人を見た気がするんだ。本当にぼんやりとだけど」
「そう、なんだ。君も――」
セプティはそういうと、再び視線を窓の外へと向ける。外は相も変わらず、漆黒の闇に覆われていた。
その時、座席前方の操縦席へと続く扉が開く。
「やっと、元王子サマのご登場か」
現れたダルシスを睨みながらアシモが言う。
あの時、突如現れたこの機体に、ハルト達は殆ど何も説明がないままに乗り込んでいた。あの逼迫する状況の中、選択肢はそれ以外になかったのだ。
「待たせてすまなかった。もうすぐ目的地だ」
ダルシスは短くそう告げると、ハルトとセプティに視線を向けた。
「すまないが、到着したら君たち二人には検査を受けてもらう」
「検査、ですか……?」
ハルトは不安そうにダルシスに訊ねる。
「案ずるな。簡易的なものだ、すぐに終わる」
「そういう問題じゃねえだろうが」
アシモは相も変わらずダルシスに食って掛かった。
「君の心中は察するに余りあるが、今は私を信じてくれないか?」
「アシモ……」
「ちっ……。わかったよ」
アシモは小さく舌打ちすると、付け足す。
「だが、その検査とやらの後には、きっちりさっきの話の答えを聞かせてもらう。いいな」
「異論はない」
ダルシスがそう言った次の瞬間、体は軽い浮遊感を覚えた。どうやら高度を落として着陸態勢に入ったらしい。
「どうやらついたようだ」
機体のハッチが開く。と、同時に冷たい寒気が流れ込む。
「これは――」
視界に入る群青。不自然に凪いだ水面。噎せ返るような生命のにおい。
ハルト達が降り立ったそこは、海の上だった。
――***——
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