第12話*弐 疾走スル_狂気



 どれくらい走っただろう。まだそれほどあの場所から離れていない気もするし、かなり移動した気もする。


 旧帝国ルクス領、王都ダルシス――。


 現ルクス王位継承権第一位——ダルシス王太子の名が冠されたこの国の首都は、政府の行政機関が集まる正しく国家の中枢だ。滅多なことで足を踏み入れられる場所ではなかった。


 喧騒は遠く、ここでも人の往来は確認できない。まるで、この国から一般の国民が姿を消してしまったかのようだ。


「止まれ」


 不意に目の前の男が足を止める。それに合わせるように、アシモとハルトは立ち止まった。


「どうやら追ってきてはいないようだ。賢明な判断だな」


 男は仮面の下でそういうと、こちらへと向き直る。


「おい、本当に追ってきてないのか? まだ逃げたほうが……」


 アシモは不安そうに後方を覗った。あの状況下で、逃げた人間を追わないのはあまりにも不自然だ。先ほどまで感じていたあの女の疑惑の視線を、未だ振り払えていない気がしてならない。


はああ見えて、状況を認識する力に長けている。問題ない」


 男はこの状況に怯んだ様子もなく、淡々と述べる。


「それならいいけどよ。それより――」


 アシモの紺碧の瞳が再び敵意を見せる。


「お前はいったい誰だ」


 幾度も現れる謎の人間。もう二人の目には、誰を信用すべきか判断することができなかった。


「猜疑心か、良い傾向だ。この国の人間はみな、他人を信用しすぎている」


 男はそういうと、顔を覆う仮面に手をかける。


「私もかつてはそうだったがな」


「貴方は……!」


 驚嘆に思わず声が漏れる。


 気品のある射干玉ぬばたまの黒髪。その隙間から突き刺すような鋭い眼光が覗いている。怜悧なその顔立ちをハルト達はよく知っていた。


「ダルシス、王子……!」


 その言葉を聞くとダルシスは言った。


「ふ、もう私は王子ではない」


「は? それってどういうことだよ」


「ちょ、アシモ!言葉遣い!」


 慌ててハルトが訂正しにかかる。この国の王子に何たる言動だ。


「構わない」


 しかし、男――ダルシスは許容の言葉を述べた。


「だってよ」


 アシモが肩を竦めながら言った。


「で、でも……」


 相も変わらず尻込みするハルトを意に介さず、アシモは問う。


「で、何でこの国の王子サマがこんなとこに居て、俺たちを助ける。ていうか、ホントにアンタ、あのダルシス王子なのか?」


「先ほども言った通り、私はもう王子などではない」


 アシモの不遜な態度などまるで気にする風もなく、ダルシスは言った。


「私を本物のダルシスかどうか判断するかは、お前たちに任せよう」


「そりゃどうも」


「アシモ……」


 この男は、間違いなくダルシス王子だ。ここまで姿が似ている人間など存在するはずがない。


「で、もう王子じゃないってどういうことだよ?」


 アシモが訝る。確かに、それは大きな疑問だった。


「今日、この国の王――イェクスは殺され、王位は丞相——イシルドアにされた。だからもう、私はこの国の王子などではない」


 ダルシスは、まるで作られた文面を読み上げるように、冷淡に語る。


「お、おい。殺されたって、どういう――」


「心臓を刃物で一刺しだったようだ。恐らくは即死だろう」


「いや、そういうことじゃないだろ!」


 アシモが声を荒げる。


「イェクスってあんたの親父だろ?」


「そうだが」


「じゃあなんで、お前――」


 その声には確かに怒りが込められていた。


「そんなに平然としてんだよ……!」


「……」


 ダルシスは物珍しい者でも見るかのように、沈黙する。


「それに『継承』って言ったよな、お前。それをいうなら『簒奪』だろ!」


「アシモ、少し落ち着いてよ」


「ハルトは少し黙っていてくれ」


 宥めに入るハルトの静止を振り切るように、アシモはダルシスへと詰め寄る。


「お前が王子かどうかは今はどうでもいい」


 アシモは続ける。


「だが、俺はお前を信用できない」


「それは構わない」


 ダルシスは眼前のアシモを品定めするように一瞥すると、再び口を開く。


「だが、お前たちを取り巻く状況は、私を必要としている。違うか?」


「くっ……」


 アシモは悔しそうに歯噛みする。先ほどダルシスが現れなければ、自分たちは今頃拘束され、尋問を受けていたかもしれない。


「アシモ、ここはダルシス様の言う通りだよ。僕たちはもう……」


 今や国からも追われる身となっている。今は一人でも、有力な人間の後ろ盾が欲しい。それがこの国の元王太子ともなれば、なお心強かった。


「ちっ……。わかってるよ、んなこと」


「英断だ。その判断に敬意を表そう」


 ダルシスが胸に手を当てる。その所作には、確かに王族たる気品が感じられた。


「で、これからどうするよ王子サマ」


 アシモが皮肉交じりに言い放つ。


「もう予定の場所につく」


 そういうと、ダルシスは暗闇に染まった道を進む。


「アシモ、ダルシス様のこと嫌いなの?」


 ハルトは小声でアシモに訊く。


「ああ、気に入らないね」


 ダルシスに聞こえないよう配慮したハルトの声を無視するように、アシモが言う。


「でも、僕たちを助けてくれたのはダルシス様だよ。あの時、あの場所に現れなかったら今頃僕たちは……」


「ハルト、そのダルシスっていうの止めろ」


「アシモこそ、ダルシス様のこと王子サマっていうの止めなよ。感じ悪いよ」


「いんだよ。本当のことなんだから」


「良くないって!アシモは何かダルシス様に恨みでもあるの?」


「ねえけど、ただの態度が――」


 そうアシモが言いかけた時だった。


「——話を遮って悪いが、着いたぞ」


 程度の低い口喧嘩をしている間に、いつの間にか目的地に到着していたらしい。


「え、なんだよこれ」


「これは、バイク……?」


 前時代的なモデルの車両が二台。目の前に置かれていた。


「ここから先は、これで行く」


 ダルシスはさも当然のようにそういうと、シートに跨る。


「え、待ってください。僕たちバイクの運転なんて――」


「いや、俺はできるぞ」


 当惑するハルトを尻目にアシモは言った。


「え、アシモ。バイクの運転免許なんていつ取ったのさ」


「免許は持ってない」


「じゃあダメじゃん!」


 何故そんな人間が運転できるなどと言えるのだろう。


「まあまあ、こういうのゲームでやったことあるから」


「ゲームと本物の区別もつかないの!?」


 全くあきれてものも言えない。


「乗るなら早くしてくれ。時が惜しい」


 ダルシスが手元の時計に視線を向けながら急かす。そうはいっても、無免許でバイクを動かそうとするアシモを止めないわけにはいかない。


「ほら、元王子サマもこう言ってるし、早く乗れよ」


「いや、でも。というよりアシモ、その子どうするのさ」


 アシモの背中で依然と眠る少女。それを乗せて走るというのか。


「まあ何かで体に固定すれば、問題ないだろ」


「アシモ……」


 こいつの無鉄砲さにはこれまで幾度も助けられてきたが、今回ばかりは身の危険を覚えてほしかった。


「で、バイクは二台。そっちにこの子乗せられるか?」


 アシモがダルシスに訊く。


「無論構わないが――」


 その時、ダルシスは後方に誰かが跨るのを感じて振り向く。


「僕、こっちに乗る」


「ハルト!? お前はこっちに――」


「無免許運転してる人の後ろなんて怖くて乗れないよ!」


 当然だ。何が起きるか分からない。こればかりはアシモより、今日初めて会った人間のほうが信用できる。


「だ、そうだ」


 ダルシスはそういうと、後方に取り付けたリアボックスから、一束ロープを取り出して、アシモに渡した。


「これで体に固定しろ」


「ったく、わかったよ……」


 アシモはそう言ってバイクに跨ると、少女を自身の体に固定する。


「では行くぞ。振り落とされないようにな」


 ダルシスがそう言うや否や、体全体に振動が走る。内燃の機関がけたたましい音を吐き出し、起動するのが分かった。


「え、ちょ――」


 これはもしかして、『可燃性の液体』で動いているのか――。


 そんな疑問をよそに、二台の車両は王都を疾走し始めた。




 ――***——

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