第11話*壱 疾走スル_狂気



 息が切れる。


 軟弱な肺は絶え絶えに空気を吐き出し、鼓動は狂ったように鳴っていた。イヤになるほど何もない通路に、終わりがないような錯覚を覚える。


「アシモ、本当にこっちであってるの?」


 思わず、隣を歩くアシモに尋ねる。


「一応、携帯で方位を確認しながら進んでる。多分問題ないはずだ」


 を背負い、片手で端末を操作しながらアシモが言う。携帯端末の通信機能はここでは完全に使用できなかったが、不幸中の幸いというべきか、端末に備わっている機能は使用できた。


「そっか……。ねえその子、本当に生きてるのかな」


 アシモが背中に背負っている少女を見ながら、ハルトが訊く。


「息はある。相変わらず目を覚まさねえけど……」


 あの空間で、見慣れぬ姿の少女は一人倒れていた。先刻まで巨大な大蛇の姿があったその場所に。



 ――あれはもう必要ない。欲しいなら君にあげよう。



 男――サーペントは確かにそう言っていた。とはこの少女のことだったのだろうか。


 ハルトは少女の姿に再び目を向ける。


 およそこの国では見かけることのない、優しい亜麻色の髪。どこか異郷を思わせる印象的な顔立ち。そして、見たこともない繊維で織られた衣服。そのどれもが、異質だった。


「おーい、ハルト」


「……」


 何故だかその少女から目が離せない。この子は一体何者で、どこから来た。なぜあの場所に……。いや、そもそもこの少女はあの時――。


「てい」


「いたっ」


 頭に軽い衝撃。慌てて視線をもとに戻すと、小さく手刀を構えたアシモがこちらを見ていた。


「なーに見蕩れてんだよ」


「そんなんじゃないよ」


「どーかなー」


 アシモがまたぞろニヤリと笑う。


「ま、その気持ちは分からなくはねえけどな。この子、かなり美人だし」


「だから違うって!」


 こいつには何を言っても無駄で、気が済むまでからかってくるのがいつものオチだ。


「でも、この子いったい何者なんだろうな」


 しかし、アシモは打って変わって神妙そうにそう言った。


「わかんないよ。その子も、僕自身も……」


 思い出すのは、巨大な大蛇の頭が弧を描いて消えゆく光景。地より沸き立つ謎の力。抉れた腹部が再生していく感覚。


「あの時、僕は一体何を……」


 記憶が曖昧だ。まるで記憶を何処かに落してしまったかのように判然としない。


「ハルト、その話は一旦おいておけ。あそこを見てみろ」


 目の前を歩くアシモが指をさす。


「あれは、扉……?」


 数メートル先に、扉のようなものがあるのが見てとれた。侵入者の一切を拒む要塞の門。


「どうしようアシモ。あんな扉、どうしたって開かないよきっと」


 引き返して別の道を探すか。いや、ここまでの道程はほとんど一本道だったように思える。引き返すのであれば、再びあの果て無く広がる空間へと戻らなければならない。


「いや、その必要はないんだ。ハルト」


「え? それってどういうこと?」


 アシモはそこまで言うと扉へと近づく。


『生体情報を感知。認証コード、ニューロンを確認』


 無機質な音声がそう告げる。


『登録された生体IDと一致。ロックを解除します」


 次の瞬間、扉はまるでそれが当然の責務であるかのように、外へ通じる扉を開いた。


「え、なんで扉が……?」


 疑問が頭を覆いつくす。なぜ、こんなに簡単に扉が開く。


「さあな。でも考えるのは後だ」


「うん、そうだね……」


 もう疑問はたくさんだ。いちいち考えていたらキリがない。


「おい、ハルト……!」


「――!」


 よく見知った灰色の世界。空には黒が重く垂れこみ、それを天高く伸びた高層ビルの群れが突き刺している。



 ――外だ。



 そう歓喜に震えた時だった。



「動くな」



 突如として向けられた光に目が眩み、堪らず視界を掌で遮る。掌の隙間から辺りを覗うと、こちらを取り囲むように人影があるのが見て取れた。黒い防護服に身を包んだ人影は一様に物々しい雰囲気で、こちらに銃口を向けている。


「待ってくれ! 俺たちは怪しい者じゃない!428番街区の混乱から逃げてきた一般人だ!」


 アシモが叫ぶ。反射的にハルトは両の手を挙げ、敵意がないことを見せた。


「頼む。意識のない人間がいるんだ。そちらでこいつを――」


「黙れ」


 アシモの声を遮るように、冷たい声が響いた。


「嘘をつくなら、もう少しマシなウソを吐いてみせろ」


 一人の人影が歩み出る。


「貴様たちがたった今出てきたところがどういう場所か、知らないわけがないだろう」


 そう冷ややかに浴びせる声は確かに女のそれだった。


「第七永久動力炉。異変の原因は、貴様たちだな?」


 声の主は重装に身を包んでいるが、それでもその体つきが華奢なものであることが分かった。


「違う! 俺たちはこんな場所とは無関係の人間で――」


くどい」


 女は有無を言わせぬ声音で、アシモの弁解を斬る。


「無関係の人間が何故、永久動力炉内部から出てこれる? そこは限られた人間しか入ることが許されない禁忌の場所だ」


 その言葉に、二人は声を詰まらせた。それは至極真っ当な台詞だった。


「違うんだ……! うまく説明できねえけど、勝手に扉が開いたんだ!」


 それは最後の悪あがきだった。この状況でそんな言葉を信用する人間など一人もいるはずがないことは、アシモにもよくわかっていた。


「ふ、笑わせてくれる。せめてもの情けだ、話は後でじっくり聞いてやる」


 女はそう言うと、片手で後方の人影に合図を送る。


「くそっ……」


 武装した数人の人影がこちらに近づいてくるのが分かった。


 このまま捕まったらどうなる? 確かにあの場所よりかは安全かもしれないが、この状況での拘束となれば、永遠に牢獄で過ごす羽目になるかもしれない。


 絶望で視界が暗くなる。



 ――しかし、そのときだった



「使えるべきあるじを見誤ったな。エレアノール」


 恐怖に瞑った眼をあけると、異様な出で立ちをした男が、眼前に背を向け立っているのが見えた。


「何者だ!」


 女の声に合わせて、一斉に銃口が男へと向けられる。


「私に銃を向けるとは、相変わらずのだな」


「な……!」


 刹那、女の顔が驚愕に歪む。


「お前は、まさか――」


 瞬間、視界が白に包まれる。


「な、何なんだよ一体!」


「わからないよ!」


 女と同様、自分たちもこの状況を掴めずに混乱していた。


「おい」


 気付けば、目の前には幾何学的な模様の仮面をつけた男の姿があった。


「あ、お前——」


「今は黙って、私に附いてこい」


 男はそういうと、煙の中を駆けていく。


「アシモ、どうする!?」


「どうこうも、行くしかねえだろ!」


 背中の少女を再び後ろ手に背負うと、アシモは走り出す。


 再びの疾走。三つの人影は、脱兎のごとくそこから離れていった。



 ――***——



「追いますか? エレアノール准将」


 身体に取り付けた通信端末から、自身の部下であるイチカの声が聞こえた。


「いや、いい」


 エレアノールは短く返答すると、端末に向かって部隊に呼びかける。


「各自、連絡があるまで待機せよ――」


 冷静に指示を飛ばす。今は焦っている場合ではない。


 エレアノールは通信を切ると、一つ大きく息をつき、思考を巡らせた。


「あの男の声、あれは確かに……」


 いや、そんな筈はない。だが、仮にそうだとすると、状況は思っていた以上に最悪かもしれない。



 ――第七永久動力炉の異変。周辺及び、内部偵察の指令。



 あの命令が下達されてどれくらいの時間が経った? なぜ次の指令が下りない。おかしい――。


「イチカ」


「はい」


 回線を再び開き、イチカに声をかける。


「ルクス中央司令部HQに情報開示の要請を送れ」


「了解しました。准将」


「それと……」


 そこまで言って、エレアノールは逡巡する。いや、今は決断すべき時だ。


「皇室庁に連絡を」


「皇室庁、ですか?」


 通信越しのイチカの声が一瞬訝しんだのをエレアノールは聞き逃さなかった。


「王城内に、王太子――ダルシスがいるか確認を取ってくれ」


 数秒の沈黙の後『了解』の声を聞いたエレアノールは空を仰いだ。黒く、どこまでも深い空の闇を。


「ダルシス……。お前なのか……?」


 声は闇に消え、疑念は空へと散っていく。


 そこに一抹の不安を残して――。



 ――***——


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