第7話*陸 暗転スル_譌・常
――***——
「ハルト!ハルト――」
腕に抱えられたハルトは、まるで眠っているように、アシモの呼びかけにピクリとも動くことがない。今度こそ本当に死んでしまったのではないだろうか。嫌な汗が額から流れる。
「——ッ!」
隙を見て後方を覗った。どうやらさっきの少年の姿をした化け物は、追ってきていないようだ。
「くそっ! 一体何だったんだよあれは!」
およそ人間とは思えない。炎を纏い、自在に操る芸当などどこの手品師の真似ごとだ。いや百歩譲っても、マジシャンはその力で無辜の人間を焼き殺したりはしないだろう。それに自分へと一身に注がれたあの憎悪。あれはいったい何だったんだ。あれは俺を知っている風なことを言っていた。それは何故だ。どこかで奴と会ったことがあったのか。
――わからない。
「とりあえず、問題はハルトだ。こいつを何とかしないと……」
立ち止まり、抱えたハルトを通路の床に横たえ、心臓に手を当てる。
ドクン、ドクン――。
確かに聞こえた心臓の鼓動に、アシモは少し安堵した。
「どうやら気絶してるだけみたいだな」
しかし、問題は意識が戻らないということだ。あの瞬間に一体何があった。
あの時自分が目にしたのは、いとも容易く腕を捥ぐハルトの姿。最初は何が起きたのか理解できなかった。ただ、継ぎ接ぎの腕が外れた。そんな
「あの一瞬で腕を切断した……? いや、あれじゃあまるで……」
――接合部を分解したみたいだ。
再び意識のないハルトを負ぶって通路を進む。状況は全く掴めないが、進むしかない。この場所は思った以上に危険だ。こんな場所に踏み込むべきではなかった。またハルトを危険に晒すなんて。
「くそっ」
アシモは唇をかんだ。自分の判断が裏目にしか出ない。ハルトが自分を責めるのも当然だ。この状況は全て自身の行動と決断が招いたものだ。
「なにが『絶対にお前を死なせはしない』だよ……。かっこわりぃ」
あの時言った言葉が、頭の中で気障ったらしく反響する。このままでは、いつか本当に死なせてしまうかもしれない。それだけはダメだ。何があっても、こいつだけは……。
ふと、目の前を見ると遠くに扉があるのが見える。
アシモは一つ大きく
「こりゃあ引き返すしかないか……」
幾重にも施された電子錠。一切の招かれざる者を通さない重厚な壁。それはこの先にあるものの重要性が一目でわかるほどの、大仰な扉だった。
「くそっ、ここまで来たのに。またあの場所に引き返すのか……」
この事態を予測していなかったわけではない。この場所が永久動力炉の内部であれば、当然このような仕掛けが施されているのは容易に想像できた。
しかし、まさかあんな化け物がいて、行く手を塞がれるとは思ってもみなかった。この最悪の状況下における、最悪の番狂わせだ。
――ガン!
拳を扉に打ち付ける。やり場のない怒りと、自身に対する不甲斐のなさが容赦なく自分を責め立てる。あの時こんな賭けに出ずに、素直に地下を進んでいれば……。
『生体情報を感知。認証コード、ニューロンを確認』
その時だった、無機質な音声で構成されたアナウンスが響く。
「は……?」
『登録された生体IDと一致。ロックを解除します」
「な――」
次の瞬間、難攻不落に見えた扉はいとも容易く左右に開いた。
「なんだ、ぶっこわれてんのか?」
自分の拳が、何かを壊したのだろうか?いや、そんな柔なつくりのはずがない。しかしそれ以外に考えられるとしたら……。
「やっぱり、この動力炉に異変が起きてるんだな」
そうでなければ国家の最高機密ともいえる施設内に、こうまで簡単に侵入できるはずがない。しかし、この偶然は僥倖だ。この調子ならば、この場所を突っ切って王都へ到達できる。
「ありがたく通らせてもらうぜ」
扉の先は再びの暗闇だった。動力がここまで回ってきていないのだろうか。アシモは、ハルトを背中で支えながら、端末のライトを点灯させる。
――コン、コン、コン
足音が空間内に反響して消えていく。どうやらかなり広い場所であるらしい。ライトが浮かび上がらせる視界の先には、何もない。まるで伽藍堂だ。
おかしい。あんな物々しい雰囲気の扉の先に人はおろか、何者もいないなんて。この何もない空間もその異様さをより際立たせていた。
本当に、これがこの国を支えている動力炉の施設なのか?それにしてはあまりにも何もなさすぎる。この空間は一体何のために存在しているのだ。
脳裏を果てしない疑問が駆け巡る。どうして、何故。
自分たちは生まれた時から、七つある永久炉に、生命の全てを依存している。食も、衣服も、生きるのに必要なものは全て、永久炉の支給に頼っていた。そのことになんの疑問も抱かずに。
いや、僅かながら疑問はこの胸にあった。だが考えても無駄なことだと、割り切っていた。永遠に知ることはないことだ、と。
しかし此処に来て、その疑念は大きく膨らんでいた。自分たちは一体、今まで何に頼って生きてきたのだろうか――。
――おかえり。
瞬間、目が光に眩む。刹那の閃光に、堪らず目を瞑った。
「待ちわびたよ」
声が響く。美しく、そして果てしない陶酔を感じる男の声が。
「また、かよ――!」
そう悪態をつく。掌で視界に影を作りながら目を徐々に開く。そして、視界はすぐにある一点へと注がれた。
それは脈動する『闇』。まるで心の臓のように拍動する『黒』——。
それは空間の中天で、鉄の枷に束縛されながら絶えず鳴動している。
――なんだ、これは。
「美しいだろう? これがこの世界の
前方に芝居じみた大仰な所作で『闇』を仰ぎ見る男がいた。
男はまるで戯曲の登場人物のように、芝居じみた動きでこちらへと振り返る。
「——!」
瞬間、時が止まる。
絹のような銀色の髪、深い水底のような紺碧の双眸。
一瞬アシモは、それが鏡写しになった自分の姿だと錯覚しそうになった。
「どうして。そう言いたげな顔だね」
男はアシモから言葉を奪って続ける。
「私は君だ。アシモ」
自分が、こいつ? 一体何を言っている?
「そして、君は私でもあるのだ」
「意味わかんねえこと言ってんじゃねえよ!」
そう、吠えた。絶叫は空間を反響して虚しく消えていく。眼前の脈動する『闇』。目の前の男。全てが不気味で、異質だ。
何も分からない。ただ現状確かなことは、この場から離れたほうが良いということだ。
「ふ、相変わらず短気だね。誰に似たのだろう」
男は臆した様子もなく言う。相変わらず? こいつにおれの何が分かる。
「お前が誰かなんて今はどうでもいい。そこを退け」
それは精いっぱいの抵抗であり、そして敵意の開示だった。
「おお、怖い。しかし、だ。君には演じてもらいたい演目がある。そんな無粋な表情は止めたまえ」
太々しい笑みを浮かべながら、男の視線は背中で依然眠っているハルトへと向けられる。
「彼にも重要な役回りを用意している。この世界を黄昏へ導く、大事な立ち位置を、ね」
そういって、男は宙を仰ぐ。
視線の先には、あの拍動する『闇」。
「巡礼の徒よ。其は独善の冠を賜った」
――ドクン。
闇が大きく鼓動を打つ。
「怠惰を払いし者よ。其は怯懦の
――ドクン。ドクン。
徐々に、闇の鼓動は早くなる。男の言葉に呼応するように。
「汝に知恵を与えたもう。
喝采など聞こえない。だが、確かに男には見えていたのだろう。
一つの世界を見守る。幾千、幾万の瞳が。崩壊を見届けた、
「目を開きなさい。第七の炉心」
そして、男は確かに言った。
――セプティ。
早くなった鼓動が止まる。そして、闇は徐々に罅割れる。
暗い闇夜を稲光が裂くように――。
――パリン
弾ける。泡沫のように。
「さあ、幕開けだ」
刹那、闇から大量の深紅の霧が噴出す。血なまぐさい鉄の臭いが充満していく。
そして滞留した紅の霧が歪な像を結ぶ――。
「なんだ、こいつは――」
それは巨大な蛇だった。その巨大な体躯には二つの頭がついている。
ぎょろり、と大蛇の目が開く。一方の頭が鎌首を擡げて、こちらを睥睨した。
「くそ――」
恐怖。明らかな危険が、この身を逃走へと急き立てる。
「逃げずともいい。君たちをまだ舞台から退場させるつもりはないからね」
男は相も変わらない芝居じみた台詞を語る。
「んなこと、信じられるかっての!」
当てどない遁走。辺りを見回す。さっきの道を戻れば……。
しかし、一向に出口が見当たらない。まるで、そんなものは最初から存在していないかのように、伽藍堂の空間が果て無く続いている。
しゅるる、と後ろで蛇が舌を鳴らす。
振り返れば、その大蛇の頭は眼前にあった。
「くっ……!」
覚悟を決める。こいつからは逃れられない。人を一人抱えているのだ。到底逃げることなど叶わなかった。
せめて、ハルトだけでも……。
咄嗟に後ろを振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。いつの間にか背中に感じていた温もりも、鼓動も、重さもなくなっている。
「ハルト……?」
何処だ、どこに行った?先ほどまで、確かにいたのに!
「さあ、解き放ってくれ」
目の前に向き直る。そこには確かに見慣れた、しかし血に濡れた友の姿があった。
「ハルト!」
「……」
呼びかけにハルトは答えない。目の前の大蛇が二つの鎌首をハルトに向ける。
次の瞬間、
眼前の双頭の怪物を伴って――。
――***——
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