第6話*伍 暗転スル_譌・常
――***——
UMBRAよりLUXへ
ELEMENTUM_
SEXTUM炉心_稼働
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コツコツ、と子気味いい音が響く。およそ生気というものが感じられない無機質な白い回廊は、視覚と感覚を鈍らせていく。進めど進めど、視界に入るのは白だけ。どれくらい歩いたのか、どのくらいの時間が経ったのか。それすら曖昧になってきていた。
――ドクン、ドクン。
規則的に響いていた何かの起動音は、通路を進むにつれ奇妙な何かへと変わっていく。まるで、絶えず拍動する心臓のような音だ。
「ねえ、アシモ」
「なんだ?」
ハルトは訊く。
「アシモはこの場所がなんなのか、わかってるの?」
「まあ、予想くらいはできてるさ」
意味も分からず先へと進んでいるとは思っていなかったが、この場所が一体どういう場所なのかという推測ができているのは、正直意外だった。どうやらアシモはある程度の予測はしているらしい。
「さっき地下鉄からここに入った穴、あるだろ」
「うん」
「あれは恐らく、普段は閉じていたものだと思う」
「それは、どうして?」
当然の疑問を口にする。
「地下鉄の壁の側面と比べると、入り口が綺麗すぎるんだよ」
アシモはつづけた。
「もし普段からあの穴が開いているものなら、地下の埃で少なくとも入り口は、地下の壁と同じくらい汚れているはずだろう。なのに汚れ一つないどころか、ここは寒気がするほど清潔だ」
確かに地下で感じた重苦しい淀んだ空気とは違い、ここの空気はかなり清潔なものに感じる。
「でも、だとしたら、なんで普段開いていないところが、さっきは開いていたんだろう? ただでさえ、今はこんな状況なのに……」
今は有事だ。長き安寧を過ごしてきたこの国の、未曽有の危機の最中。
「だから開いていたのかもしれないって、俺はにらんでる」
「え、どういうこと?」
アシモは、相も変わらず無機質な白い通路の壁を、コツコツと確かめるように叩きながら言う。
「ハルト、第七永久炉に起きたこと覚えてるか?」
「うん……。確かあの時、煙のようなものが出てた……。永久炉に何かが起こったんだろうけど……」
思い出すのは、この国の繁栄の象徴でもある永久動力炉に起きた異変。黒煙を上げる第七永久動力炉の姿。あの瞬間、胸を満たした絶望は未だ拭えていない。
「そうだ、第七永久炉に何かが起きた。なら、エネルギーのほぼ全てをそれで賄っているこの国は、そんな最悪の事態にどういう対応をとると思う?」
「原因の特定、調査……かな」
「俺もそう思う」
アシモは歩みを止めて周りを見渡す。何もない、白い空間を。
「だから調査のために、動力炉へ続く扉を開いた。それなら辻褄が合うだろ」
「え、待ってよ! じゃあ此処は、この場所は……」
もう皆まで聞かなくとも頭の中では、アシモの予測していることが分かっていた。だが、それでも動揺が隠せない。この場所が、まさか……。
「ああ。多分ここは第七永久動力炉の施設内部だ」
「……!」
当惑が言葉を詰まらせる。
永久動力炉はこの国に住む自分たちにとって、かなり身近なものだ。生きるために必要なものすべてを提供してくれる、親のような存在。だがそれとは正反対に、自分たちは永久動力炉という機関の存在に対してあまりに無知だった。いや、知らないというよりは、知れなかった。
「アシモは、ここが……永久動力炉だってわかってて、足を踏み入れたんだよね?」
「ああ」
アシモは迷わず肯定した。
「アシモだって知ってるだろ、永久動力炉の内部情報は、国家機密だって!」
この国の保有する七基の動力炉の情報は、国によって完全に秘匿されている。その理由は判然としないが、一介の国民が知る情報としては、重すぎるものに違いなかった。
「もし誰かに見つかったら、どうなるかわからないよ!」
「だろうな」
動揺を隠せないハルトとは対照的に、アシモは平然としている。
「こんな状況なんだ、訳を話せばなんとかなるだろ」
「なんとかって……」
そんな簡単に済む話なのだろうか。
「まあ万が一捕まっても、むしろそっちのほうが今は安全そうだしな」
「アシモ……」
アシモの考えが合理的なものなのか、もうハルトには判断できるほどの余裕は残されていなかった。少なくとも、今は目の前の友の機転を信じるより他はない。
「でも、なんでわざわざ動力炉に入ろうと思ったの? 他に理由があるんでしょ?」
でなければ、不確実な危ない橋を渡る必要はないはずだ。
「第七永久炉は428番街区に隣接していて、王都ダルシスまで跨うように位置してる。つまり、この動力炉を突っ切っちまえば、一気に事態を把握できる国の中枢に出られるって算段だ」
「なるほど……」
この国の首都である王都ダルシス。そこならば、この事態を収拾できる組織が駐留しているはずだ。それを考慮しているアシモの判断は、この状況下における最善手かもしれなかった。
「さて、このうんざりする道もそろそろ終わりみたいだな」
正面、どこまでも続くかに思えた通路に確かな終わりが見えた。
「あれは、分かれ道?」
「そうみたいだな」
今までの完全な一本道と違い、この先は二手に分かれているようだった。
「まあ、その先がここと変わらなかったらがっかりだけど」
「そうならないことを願うよ」
正直言うと、今の状態が不安でならない。王都に抜けられるという可能性を見せられた今、ハルトの心はあきれるほど焦燥に駆られている。早くこの窮状から脱したい。それしか頭にはなかった。
しかし、希望的観測が出来たのはそこまでだった。
「なんだ、このニオイ……?」
焦げ
――うああああああ!
遠くから叫喚が通路に響く。絶望と恐怖が入り混じった絶叫。
「また、ここもなの……!?」
臓腑が締め付けられるのを感じる。再び脳はその悲鳴に粟立った。希望など抱くものではなかった。この状況はどこも変わらず、地獄だったのだ。
「ハルト、行くぞ」
アシモが悲鳴のほうへ走り出す。
「アシモ! なんでそっちへ向かうの?」
「状況を確認して、危険なら計画は変更して引き返す!」
白く清潔な通路が、黒く染まっていく。無機質な空気は、有機物が焦げた不快な臭いへと変わっていく。
「——!」
通路を曲がると、そこには消えかけた炎と、黒い何かがあった。
「これは……!」
状況に絶句する。
「死体だ。酷いな、焼け爛れてる……」
アシモは目を伏せていった。
まだそれは息があるのか、ヒュー、ヒューと、口だった穴から音を立てている。
「なんで、どうして……」
こんなところで、人が焼けているのか。そもそも火の気のないこの場所の、どこから発火したのだろう。
「アシモ、やっぱりここは――」
そう言いかけた時だった。
「あーあ。またハズレだよ」
前方から気怠そうな、退屈そうな、そんな声が響く。
「ったく、貧乏くじばっかひかせやがって。黒髪に黒い瞳って、そんなんで見つかるはずねエだろうが。ナメてんのかサーペントのヤロウ。次会ったら燃やしてやろうかな、マジで」
意味が分からないことをぶつぶつと呟きながら、その少年は姿を現した。
「だ、だれ!?」
「あれ、またいんじゃん黒髪。横のでっかいのは、あー違うな。全然違う。マッタクの論外」
適当そうに、少年は軽い調子でそんなことを言った。
「おい、お前誰だ?」
アシモが訊く。
「あ?」
少年は気分を害したように眉をピクリと動かす。そしてアシモの顔を一瞥すると、不敵な笑みを浮かべた。
「あー、お前あれか。はいはいはいはい、そういうことね。今日は案外ついてるかもしんねえなあ」
「おい、意味わかんねえこと言ってんじゃねえぞ」
アシモが確かな敵意を見せた。それは付き合いの長いハルトでも初めて見る顔だった。
「とりあえずそっちのちびは置いておいて……」
瞬間、少年の体が炎に包まれる。
「そっちの銀髪は一万回くらい殺す」
――ドクン。
鼓動が早鐘を打つ。こいつは危険だと、直感が告げている。
「ハルト走れ! 引き返す!」
刹那にアシモが吼える。
身体は無意識のうちに、来た道を逆走していた。
「へえ、結構な啖呵切った割に潔いじゃんかよ。まあ……」
「——っ!」
分かれ道に差し掛かった瞬間、眼前が炎の壁で覆われる。
「逃がさねえけどな」
少年は満足そうな笑みを浮かべると、ゆっくりと二人のほうへ歩んでいく。
「左に曲がれ!」
その叫びの通りに左へ曲がる。目の前には再び通路が続いていた。
「はあ、はあ――」
「はは! 息上がるの早いな、もやしっ子」
再び少年の声。歩いているとは思えない速さで近づいてくる。
「ハルト急げ!」
目の前を走るアシモが急かす。
「わかってるよ!でも――」
その時だった。体が宙に浮く、そしてすぐに体が床にたたきつけられるのを感じた。
「ほーら、そんなんだから転ぶんだよ」
「ハルト!」
――痛い。
立ち上がろうとした足が、じくりと痛んだ。どうやら捻っているらしい。
「まあ、予定とは違うけど――」
いつの間に、少年はハルトの眼前へと移動して顔を覗き込んでいた。炎のような紅蓮の瞳がこちらに向けられている。
「お前から殺す」
少年の手がこちらへと伸びる。恐怖に堪らず目を瞑る。
――嫌だ。いやだ。イヤだ。
しかし、少年の手がハルトに届くことはなかった。
「お前――」
「え……?」
掌にぬくもりを感じた。人肌の心地よいぬくもり。
一瞬の微睡にも似た感覚に、視線を落とす。
腕だ。
そう思った。まるで壊れた人形の一部みたいだ。そんなことを思った。いや、違う。人形はこんな風に、温かくない。それに……。
――血は流れないはずだ。
「あ、あ――」
何故だ、なぜここに腕が。眼前には一変して困惑した表情の少年が呆然としていた。
「——ハルト!」
身体が浮かび上がる。顔を見上げると、アシモの顔が見えた。どうやら抱きかかえられているらしい。体が上下に振動して、まるで揺籃のようだ。
ああ、なんだか懐かしい感覚だ。小さい頃を思い出す。まだ幼い、赤子だったころの、あの感覚を。
意識はかすれ、現実が遠のいていく――。
――***——
「なるほど、ね」
少年はもげた腕を珍しいものでも見るようにまじまじと眺めた。肩の付け根から外れた腕は、床に転がり、腕が先ほどまでついていたところからは、心臓の拍動に合わせて、血液が吐き出されている。
「ったく、いてえな」
残った片腕の掌を断面にあてる。傷口は徐々に塞がり、再生した肉芽から徐々に腕が形を成していく。まったく『再生の奔流』がなければまずかった。
「ま、何はともあれ――」
新たに生え変わった腕の感覚を確かめるように、腕をぐりぐりと動かす。新しい腕の具合は良いが、血液が足らない。
「ようやく見つけた」
こんなとこで待ち伏せをしろと言われたときは、正直断ろうとも思ったが、結果オーライだ。なにせ長い間探していたやつが見つかったのだから。
「あいつがアタリなわけね」
あの瞬間、あの黒髪が行使したのは紛れもない永久機関に干渉した力だ。理由は分からないが、本人はそれを自覚して使ったわけではないようにも見えた。
「まあ、これでアタリの目星はついたわけだな」
あの間抜け面。幼さの残る甘えた顔。それも情報に加えてくれればよかったのに。
「さて、一回報告に戻るか。あの銀髪を殺せなかったのは、正直むかつくけどな」
あの下品な銀色の髪と青い瞳。それにあの吐き気を催す不快な
――次は殺す。
その妄執は少年がその場から消えた後も、黒いヘドロのように、空間に染みついていた。
――***——
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