第5話 橘水樹

 俺が香里先輩と出会ったのは中学2年生の時だった。彼女が吹奏楽で使うという重い楽器を運んでいるところを廊下で見かけ、手伝った。出会いはそんな小さなことだった。

 それから、廊下ですれ違う度に挨拶をするようになり、いつの間にか話しをするようになっていた。学年が違ったため頻繁に会うことはなかったが、何かの理由で学校に残っているとき、吹奏楽部の練習が終わるまで残ったりすることもたまにあった。

 そうして、仲良くなるうちに家が近所であることやお互いローリエを知っていることを知り、香里先輩が部活を引退してからは、帰り道や近所の公園、ローリエで話しをするのが当たり前になっていった。

 授業がだるかった、誰と誰が付き合い始めた、課題がどうとか、そういう会話ばかりだった。

 テストが近くなると、放課後の教室に2人で勉強したり、難しい課題が出ると手伝ってもらったりした。その時点では彼女に対して恋愛感情を持っていなかった。いや、持っていたが気づいていなかっただけかもしれない。どちらにせよ、明確に好きだとは思っていなかった。

 そんなある日、香里先輩と2人で遊びに行くことになった。学校の外で会う香里先輩は別人のようで、思わず息をのむほど美しかった。いつも見る制服姿とは違い、オシャレをしている香里先輩はとても大人っぽかった。そんな香里先輩の歩く姿、笑顔になる瞬間、長い髪を耳にかける仕草、彼女の動作1つ1つが俺を魅了していった。その日から、俺は香里先輩を1人の"先輩"としてではなく、1人の"女性"として見るようになっていった。

 それからは毎日が楽しかった。廊下ですれ違うだけ、遠くから見かけるだけ、名前を見るだけ、たったそれだけのことでも、彼女を感じられる学校が楽しかった。

 その後も、俺と香里先輩は2人で遊びに行った。夏祭りや街のイベントなどいろんな体験をした。彼女はきっと俺の気持ちに気づいていただろうし、俺も彼女が俺のことを好きだと思ってくれているのは感じていた。でも、付き合うとかそういうことは一切なかった。手をつないだりキスをしたりということもない。彼女がそれを望んでいるようには見えなかったし、俺自身もこの関係がとても心地よかった。

 そして、香里先輩の卒業が近づくにつれ、俺たちが2人でいる時間は長くなっていった。

 休み時間にもたまに会うようになり、放課後は毎日のように一緒に帰り、クリスマスにはプレゼントを交換し合い、正月には一緒に近所の神社に初詣をしに行き、バレンタインにはチョコをもらった。そういった恋人同士がやるようなイベントごとを俺たち2人は積極的にしていった。世界はとても色鮮やかで、生きていて今が1番幸せだと、中学生ながらに思った。彼女もきっと同じ気持ちだっただろう。

 そして、卒業式の日。いつものように2人で帰っていた。

「今日で終わりかぁ」

「感慨深い?」

「んー、よく分からない」

 そう言って香里先輩は黙る。少し経ってからこちらを向き、でもと言う

「水樹と会えなくなるのは、ちょっと寂しいかな」

 少し泣きそうな表情をしていた。

 そんな香里先輩がとても愛おしく感じられ、いつの間にか彼女を抱きしめていた。

 彼女も俺のことを抱きしめ返してくれると思っていた。でも、彼女は叫びながら俺のことを思いっきり振り払った。



「やめて!!!!」



 俺は何が起きたのか理解できずにその場に立ち尽くしていた。

 彼女は泣いていた。その目には恐怖が映っており、怯えているようだった。それと同時に自分のしたことに対して戸惑ってもいるようだった。

 俺は彼女に近づこうと一歩踏み出すが、彼女はさらに怯えた様子で一歩下がる。

 言葉が出てこなかった。

 そして、彼女は泣きながら走り去っていった。


 俺は、香里先輩が去った後もずっと、ずっとその場に立ち尽くしていた。


 それ以来、俺たちが連絡を取ることはなく、俺は深い絶望の中で涙した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る