貴方を殺す物語

小野寺こゆみ

小夜啼鳥〈ナイチンゲール〉


 とある国に悪魔が来ていた時代、小夜啼鳥と呼ばれる少年がいました。小夜啼鳥はとても美しい容姿をしていましたが、特に誉めそやされたのは、声でした。小夜啼鳥の声は、黄金の鈴を澄んだ湖に沈めたような、軽やかな音色と重厚な響きを併せ持った不思議な声で、聖なる力がそなわっていました。王様はたくさんの宝物と引き換えに小夜啼鳥の両親から小夜啼鳥を引き取り、お城の一室を大きな鳥籠に改造すると、綺麗な着物で着飾らせた小夜啼鳥を宝石の鎖で鳥籠につなぎました。

 小夜啼鳥は、昼間は歌わずに、王様の傍に静かにたたずんでいました。そして夜になると、王様に捧げる子守歌を、鳥籠から国中に響き渡らせます。そうして人々は幸せな眠りにつき、不幸をもたらす悪魔どもは歌の力で立ち去りました。人々は小夜啼鳥に感謝し、彼のために祈りました。

 でも、彼はいつか大きくなって、すっかり大人の声になってしまうでしょう。その声に、聖なる力は宿るのでしょうか。人々は不安になって、王様に新たな小夜啼鳥を見つけ出すよう頼みました。王様もすっかり不安になって、小夜啼鳥に毎日、喉を良くする蜜を飲ませ続け、その一方で、何人もの少年をお城に呼んで、歌わせました。それでも、小夜啼鳥のように美しい歌声を持つ者は現れませんし、小夜啼鳥は日に日に成長していきます。

 そこへ、旅人がやってきました。王様が悩んでいると聞いて、やってきたのです。旅人は言いました。王様、よい方法があります。小夜啼鳥を大人にしなければいいのです。

 王様は旅人にたずねました。どうやってやればいいのだろう。そんなことができるのならば、ぜひお願いしたい、褒美ははずむぞ。

 旅人は、すぐにでもやってみせましょう、ここに小夜啼鳥を呼んできてください。と、にっこり笑いました。旅人の口の間からは、とがった牙がのぞいていました。

 


 小夜啼鳥と呼ばれたその少年は、確かに愛らしい姿をしている。くりくりとしたぬばだまの瞳は潤んでいて、赤みがかった茶髪は、緩くうねって彼の柔らかな頬を彩り、シンプルなシャツとズボンから突き出た細い手足はまさしく小鳥のようだ。

 ただ、彼の囀りが流れ出るであろう喉には、幾重にも白いレースのリボンが巻かれていて、首の後ろでちょうちょ結びにされたそれは、まるで包帯のようだった。

彼は僕の瞳を見つめて、にっこり笑う。僕は彼の瞳を見つめて、はじめまして、と笑う。なんとか上手く笑えたのか、彼はぺこりと可愛らしく頭を下げた。

 僕はこれから、彼が死に至るまでの物語を考えて語る。〆切は今日の朝まで、それまでに彼を満足させられなければ、そこで契約は終了。彼が満足すれば、また次の誰かを死に至らせる。

 そういう契約を、僕は吸血鬼と交わした。


 ――オレたちを死なせてほしいんだ、と、吸血鬼は言った。

 僕が、吸血鬼を殺すのは作家ではなくエクソシストですよ、と言うと、彼は笑って、エクソシストが吸血鬼を殺せるのは、物語の中だけの話だよ、と笑った。

 ――物語の中だけだから、物語の中で殺してほしいんだ。オレたちはね、もう死んでいるけど、未だに生きている。そうなると、あとはもう、この世からゆっくりと消えていくほかないんだ。長い時間をかけて、静かに消えていって、最後には灰すら残らない。だけど、物語ならちゃんと残る。その中に僕らの死にざまが残っていればさ、ああ、こんなひとが生きて死んでいったんだって思ってくれる人が現れるかもしれないでしょう。オレはね、そういう人を待ってみたいと思ったんだ。

 僕は、お引き受けしますけど、作家というのは人間として最底辺にいる存在ですから、貴方を不快にさせると思いますよ、と返した。

 すると吸血鬼は、オレたちは人間を終えているよ、と、また笑った。


 小夜啼鳥の部屋には、鳥籠がある。一般的なドーム型をしているが、彼一人入れるぐらい巨大で、中には藁ではなく円形のベッドが据えられている。それが中央にあって、あとはテーブルや椅子が申し訳程度に置かれていた。

 小夜啼鳥を含め、この屋敷で暮らす吸血鬼は、夜を売って暮らしている。イコール体を売っている、というわけではないらしいが、この子は主にそういうサービスを提供しているんだろう。鳥籠の真横に備え付けられた小さなチェストの中身を邪推しつつ、僕は彼にテーブルを指し示す。すると彼は、たたっと走って、ホテルに備え付けてあるような、小さな冷蔵庫からビールを取り出して、伺うような視線を投げてよこす。僕が頷くと、彼は缶ビールを両手に一本ずつ掴んで持ってきた。

 椅子に座るやいなや、ビールをぷしゅっと開けてぐいっと飲んではぁ、と息を吐き出す様子が、なんだか僕よりもおっさん臭くて、でも可憐な見た目に何故か似合っていたので笑ったら、彼も照れ笑いを返した。僕もビールに口をつけて、そういえば彼は僕よりもはるかに年上の可能性があるんだと思い出す。

 しばし無言の時間が心地よくて二人揃ってくぴくぴビールを飲み続ける。すると、不意に小夜啼鳥は、僕に灰皿を差し出した。僕は誘われるがままに、その灰皿を受け取り、ズボンのポケットからセブンスターを取り出す。

 それに火をつけたとき、彼の表情は一変した。

 さっきまで漂わせていた、小鳥のような庇護欲を駆り立てる可愛さはどこへやら。下品なまでにくぁ、と開かれた口で、僕の吐き出す副流煙を、肺一杯に吸い込む彼は、熱に浮かされた目をしていた。

 一酸化炭素、ニコチン、タール、それらが混じった僕の吐息を吸い込めるだけ吸い込んだ彼は、僕の指から煙草を奪って、火のついたままのそれを飲み込んだ。こくん、と白いちょうちょが翅を震わせる。黒い目から一粒、涙がこぼれた。

「好きなの?」

 煙草の箱を差し出すと、少し骨ばった指が一本つまみ出した。そのまま、上目遣いで睨みつけながら、僕の唇にフィルターを当てる彼は、可愛らしい外見とは裏腹に、官能的な啼き声を響かせる小夜啼鳥そのものだ。

「君の喉は機械? それとも生身?」

 すり、と人差し指で彼の喉仏の辺りを撫でると、彼はぱちんと瞬きを一つして、床に直接置かれたミニコンポのスイッチを足の指で入れた。途端に大音量で流れ出すソプラノは、ストラヴィンスキーの夜鶯。折角の美声も質の悪いコンポで思い切り流されるとただの騒音で、変な蘊蓄を垂れ流したのが悪かったのかと平謝りすれば、また行儀悪く足でスイッチを切った。

「悪かったよ」

 僕はまた煙草に火を点けて、今度は思い切り煙を吐き出す。彼は恍惚としてその煙を吸い、そしてまた、僕の吸いかけを食べた。彼は小夜啼鳥のくせに、喉を傷めつけるのが好きらしい。じゅ、と煙草の火が喉奥に押し付けられるかすかな音がすると、彼の足先が緩く丸まるのは、きっとそういうことだろう。

僕は彼の細い首に手をかける。彼の瞳が恐怖と期待でどろどろに融けだす。僕は喉仏の上に、親指でしっかりと力をかけていく。彼の喉からひゅーと幾度も繰り返されたであろう末期の吐息が漏れ出して、僕はそれがなんだかおかしくて、はははと笑いながらごりごりと喉仏を潰した。

 ばきん。

 吸血鬼の首を折った、という感覚ではなくて、飼っていた小鳥をうっかり握りつぶしてしまった、という感じだった。椅子の上にかろうじて引っかかって、びく、びく、と不規則に跳ねる彼の身体は、さっきと一切変わらず、細くて白くて美しい羽根で覆われているはずなのに、薔薇のとげでぼろぼろになったオスカー・ワイルドの小夜啼鳥のようだ。でも、エゴのために身を滅ぼしたわけでもないのに、なんでこんなにみすぼらしく見えるんだろう。

 白いリボンの裾を引っ張ると、それは簡単に解けて、醜く引き攣れた傷を露わにした。ナイフで何度も抉られたようなそれに、みすぼらしく見える理由を悟る。小夜啼鳥であることを自らやめた小鳥に、一体どんな美しさがあるというのだろう。

 しかし、吸血鬼として見るならば、彼は今が一番うつくしい。

 彼を殺す物語、例えばこんなのはどうだろうか。僕は彼の死体に、ゆっくりと語り掛ける。

「小夜啼鳥はとても美しい声をもっていて、王様は彼のことをとても大切にするあまり、ある旅人の口車に乗ってしまうんだ。そして……」

「みすぼらしく死ぬ。……お願い、みすぼらしく殺して。ぼくは結局、小鳥にはなりきれずに、吸血鬼なんかになっちゃったんだから」

 椅子に座り直した彼の口から出てきたのは、老人のように嗄れた声だった。薄桃色の唇と、赤い舌から出てくる、タールのように黒くどろりとした声。小夜啼鳥にはあまりにも不似合いなそれを、僕は物語のラストに添えると決めた。

 僕は彼の首にもう一度リボンを巻き付けた。綺麗にちょうちょ結びができずに、縦結びになってしまったそれを、後ろ手で器用に結び直した彼は、「ぼくがなんでここにいるのか、聞かないの」と言った。

「聞かないよ。聞いても意味がない。僕は君を殺す物語を書く。君の伝記を書くわけじゃない。君がどういう人間かは、首を絞めたときにわかった。いいかい、僕が君のことをどれだけ知ったって、君の人となりとか、行動パターンとか、そんなものは書けない。それは僕が考えた君であって君じゃない。僕が君に関して確実に書けるのは、君が首を傷めつけられることがたまらなく好きだってことだけなんだ。そして、それだけが確実に君を君たらしめることなんだ」

 小夜啼鳥は、低く嗤うと、そのために僕の首を折っといて、謝りもしないなんて酷い人、と僕を詰った。慌てて、ところで君はなんで自分で煙草を吸わないの、と話を逸らすと、彼はまた嗤って言った。

「知らないの。煙草って不味いんだよ」



 旅人は連れてこられた小夜啼鳥に、あるものを手渡しました。それは大きな赤い宝石が柄についた、小ぶりなナイフでした。旅人は小夜啼鳥に言いました。君がこのナイフを使ってやりたいことはなんだい。

 小夜啼鳥はナイフをしっかり握ると、それを自分の喉に突き刺しました。王様はすぐに小夜啼鳥をとり押さえるように家来に命令しましたが、間に合いません。小夜啼鳥は何度も何度も喉を刺し、ついには倒れ伏して、動かなくなりました。

 王様は怒って、旅人にどなりました。わしの小夜啼鳥が、勝手に死んでしまいおった。どうしてくれるんだ。

 旅人は言いました。私は、小夜啼鳥を大人にしないようにすると言ったのです。御覧なさい、小夜啼鳥はもう二度と、大人になんかなりませんよ。王様、人間の小夜啼鳥なんかやめて、機械で出来た小夜啼鳥をお買いになったらどうでしょう。いくら歌わせても声は枯れないし、大人になんてなりませんよ。

 旅人が鞄から取り出した、ダイヤでできた小夜啼鳥に、王様は驚きました。なんて綺麗な小夜啼鳥だ。でも、声はどうだ。聖なる力の宿った声でないと、悪魔がやってきてしまう。

 旅人がぜんまいを巻くと、すぐに機械の小夜啼鳥は歌いだします。王様は、ああ、好い声だ、これならきっと悪魔は寄ってこれないだろう、と笑いました。そして、小夜啼鳥を指さすと、その出来損ないは身ぐるみ剥いでから城の外へ捨ててしまえ、わしが世話してやったのに、自分で喉をついて全部だめにした恩知らずな鳥だ。と言って、家来に小夜啼鳥の処理を命じました。

 小夜啼鳥の体は、そのまま城門の外に捨てられました。集まってきた人々は、そのみすぼらしい死体が、幸せそうに、喉から血を吹き出しながら蝦蟇のような笑い声を響かせて死んでいくのを見ると、気味悪がって、道の端に蹴とばして、あとは彼の身体が腐り落ちるまで、ずっと見て見ぬふりをし続けたそうです。



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