僕が覗く

ピザ鳩

僕が覗く

日曜の朝の現実逃避のような読書は突然のチャイムに邪魔された。

寝巻きのまま、ドアを開けると左胸に猫のワッペンの着いた作業着を着た青年が小さめの茶封筒を持ってそこに立っていた。程よく小麦色になった肌と、綺麗な白い歯を見せる青年は、自分とはかけ離れた爽やかさを持っていた。

「すいません、こちらにサインをお願いします。」

青年に言われるまま書面に自分の苗字をミミズが這ったような力の無い字でサインをし、青年が持っていた茶封筒を受け取った。

「ありがとうございました!!」

青年が帽子を外し軽くお辞儀をしたと思えば、すぐさま走り出し階段を駆け下りていった。走り出した際に、地面に落ちた汗をみて真面目な青年とはかけ離れた生活の自分に深い嫌悪感を抱いた。

もらった茶封筒を無造作に破り、中を確認すると一枚のCDがあった。そういえば先日近所のCDショップに売っていなかったそれをネット通販で注文していたのを思い出した。売り切れていたため買えなかったのではなく、元々入荷すらしていなかったインディーズバンドのCDだ。最近流行りの在り来りなギターロックバンドだが、その”在り来たり感”が好きだ、というなんとも自称音楽通のような上から目線の意見を持ちながらこのバンドを応援している。だが、ライブハウスには1度も足を運んだこともなく、CDだってパソコンに取り込んでiPodに入れてしまえば、歌詞カードを読むことなくそのCDもただの部屋の一部として同化していくこのバンドを、本当に好きなのか疑問に思うこともある。

今日もまた、いつものようにフィルムを雑に開け、パソコンにCDを取り込み、取り込み終わったらケースにしまい、いつものCDの山の中に埋もれてしまうのだろう。僕自身でもそう思っていたが、気がつけばディスクよりも先に歌詞カードを手に取っていた。

歌詞カードは、表紙にピントのあっていない虹の写真が移されていて、中を開くと真っ白い背景に黒く細い力のないフォントの文字で、収録されている曲の歌詞だけが書かれていた。初めてと言っていいくらいにしっかりと歌詞を読み込んだが、思っていた以上に歌詞は薄っぺらく、伝えたいことがイマイチわからなかった。歌詞を負いながら曲を聴くこともなく歌詞カードをしまってパソコンにデータを取り込むことなくCDの山の頂上に優しく乗せて、また僕は小説の世界へ逃げることにした。


少し遅めのおひるごはんを作るためにパスタを茹でていたら、またチャイムがなった。

コンロの火を弱くしてドアを開けると、そこには中年の警察官がいた。

警察手帳をどうだと少し自慢げに見えるように力強く突き出し、自分が今は立場上だと言わんばかりに口を開いた。

「このあたり、最近物騒になってきたので近隣住民の安否確認を含め住民の方に身分証の提示をお願いしていまして・・・この間隣町で、アパートで変死体が発見されたニュースがあったじゃないですか。あの遺体は実は住所不定の不法入国者だったとかで・・・あっ、この不法入国ってのは警察内部だけの情報で、メディアにも出してない情報なので誰にも言わないでくださいよ?これが今メディアに知られちゃったら私の明日のご飯と寝る場所がなくなっちゃいそうなので・・・」

と、こちらが聞いてもいない事情を世間話のように淡々と、でも内緒話のように高揚感のある話し方でこの中年は話していた。

「というわけで、すみませんが免許証の提示をお願いできませんか?」

「あぁ、ごめんなさい。僕免許もってなくてですね。」

「あら、そうなんですね~。じゃあ保険証でも構いませんよ。」

となぜか少し生ぬるい言い回しで保険証の提示を求められ、保険証に書いてある僕の名前・生年月日・住所などを専用の紙に記入していた。

「最近、こんなふうに近隣の人に聞いてまわってるんですか?昨日から暑くなったので大変じゃないですか?」

わざわざこちらから質問をすることもなかったのに、保険証の情報をまじまじと見られているのが、何やら自分の裸を見られているようで、ひどく恥ずかしく、そしてひどく悔しく思えて来て何とも言えない焦りが出たので、ついこちらから話しかけてしまった。するとその中年はこちらを見ることなく

「そうですねー。まぁ私は今日から外回りしてるんで、昨日の暑さはよくわかんないけどホントに参りますよ~。こんな見た目なんで脂汗がひどくて」

「今日は特に暑いですよ。昨日のこの時間はまだこんなに暑くなったので、夕方までこの暑さは続くみたいですよ。先ほど天気予報で言っていたので、刑事さんも気をつけてください。」

見てもいない天気予報の話をあからさまにさっきあったかのように流暢に話す。ある種、虚言癖とも言えるようなこの癖も治したいと思いながら、中年から保険証を受け取った。

「お休みのところ失礼しました。お昼の準備中だったみたいですが・・・大丈夫でしたか?」

「大丈夫ですよ、煮込み料理だったので特に急ぎでもなかったので。」

また、何でもない嘘をついた。そのあとも適当にやり取りをし、中年は上の階に上がっていった。隣の部屋にチャイムを鳴らさなかったのが少し気になったが、それよりも少し茹で過ぎたパスタのことが気になった。レトルトのソースをかけ、なんでもないお昼ご飯にやっとありつける。テレビをつけると番組の合間の天気予報が流れてた。ここら近辺は午後からにわか雨の予報が流れていた。


月曜日。僕はいつもように7時に起き、適当な朝ごはんを食べ、適当な時間に家を出る。

毎日のようにこのドアから1日が始まる。

いつもと同じ満員電車の小田急線。いつもと同じ張り詰めた空気のオフィス。いつもと同じ笑えないお昼のワイドショー。ワイドショーでは昨日地方で起きた連続殺人事件のことで持ちきりだった。コメンテーターと名乗るおじさんが感情むき出しで殺人犯を批判した。

たしかに殺人は罪だ。遺された人達の事を考えると心が痛む。でも、被害にもあっていない東京に住んでる金持ちの評論家に言われたところでなにも思わないしなにも響かない。このおじさんの言葉でだれがどう思うのか分からないが、僕はなんだかこの人のことは好きになれない。そう確信して、缶コーヒを飲みほし未だ声を荒げるおじさんを画面から消した。

いつものようにサービス残業で酷使した体を帰りの混み合った電車が更に僕の体を痛めつける。毎日こんなことをして何になるのかとたまに思うがその思いを口にすることはなく誰にも見えない、僕の奥の奥に鍵をかけて思考を塞いだ。月曜日からそんなことを思っていては今週は生きていけない。そう思ったからだ。そんな刺々しい思考が心のいたるところに引っかかって僕は週末の仕事をサボってしまった。


土曜日。昨日の酒が抜けないまま布団にいたがチャイムが鳴ったので布団から離れざるを得なかった。ドアの向こうにはもう見たくないと思うほどたくさんの時間を過ごした人がいた。

「家に置いてた荷物を取りに来たんだけど。上がっても大丈夫?」

僕が返事をする前に、既に彼女は僕が見たことないブーツを脱ぐ準備をしていた。

「あんたの家にいろいろ置いてたと思ってたけど、そんなになかったわね。」

「、まぁ泊まりに来ても君は僕の家にあるものしか使わなかったからね。」

「そっか。そうだったわね。」

「うん」

別れたばかりの彼女に対して僕は言葉を選びながら会話をしていた。こんなに会話をするのに気を使って、最適な言葉を探して、怒ってるの?と聞かれないためにいつもより少し明るい声で言葉を発して。好きだったはずなのに、一度拒絶されると、あぁそうなのかと受け入れてしまった。僕は本当に彼女のことが好きだったのだろうか。

荷物をまとめて、じゃあね。と優しい一言を残し彼女はドアの向こうへと消えていった。

少し部屋が広く感じた。もう2度と会うことはないあの人はもっと幸せになるだろう。

そう思えば思うほど、自分がとても小さく情けない存在に思えてきた。溢れる涙を隠すために僕は少し熱いシャワーを浴びることにした。



濡れた髪を乾かしているとまた、チャイムがなった。夕方から来客の予定もない僕は疑問に思いながらドアを開けた。ドアの向こうにはいるはずの訪ね人がいなかった。宅急便の青年も個人情報を聞いて回る警官も、別れたばかりの彼女も。

尋ね人がいないドアの向こうに広がるのは、言葉にするのが勿体無いくらいに綺麗な夕焼けだった。夕焼けのオレンジと赤、近づいてくる夜の青、それが混ざって生まれる紫。そしてそれを彩る入道雲。僕が写真家ならこんなに素敵な空をシャッターに収めないなんて馬鹿なことはしない。生憎手元になにもなかったので、僕はこの空をこの目に焼き付けることにした。ドアを閉め、少し歩けば携帯を持ってきて携帯のカメラでこの空を切り取ればいいのだか、今ドアを閉めると、この景色がなくなってしまうのでのではないかという、

恐怖感みたいな感情が僕の体を縛るようにその場から動かしてくれなかった。

この夕焼けが僕の心の汚れたところをシャワーのように優しく洗い流してくれたような気がした。


部屋に戻り、窓から見える夕焼けと夜の境目にカーテンでサヨナラをし、僕は再び本の世界に体を沈めた。








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