第55話 兄のプライド



 龍宮クロアには、特殊な才能があるわけではなかった。



 魔力性質こそ無形と流形の二つのチャンネルを開いているが、家人が期待したようなカニングフォークやパーソナルギフトにも目覚めず、また魔力総量や魔力出力も平凡であり、大きな成長は望めない。仮に訓練を積んだとしても、ただ平均的な魔法士として成長すると思われていた。


 そんな周囲の評価を覆したのは、ひとえにクロア自身の鍛錬の賜である。


 始めは、親に従うままに始めた修練だった。

 神咒宗家の一角を担う子供としての魔法の修行は、別に楽しいものではなかった。


 学校から下校すると始まるよくわからない鍛錬は、子供心にもどかしく、もっと遊びたいというのが子供の頃のクロアの本音だった。友達からの誘いを断り、嫌々やらされる修行など、身に入るはずもなかった。


 そんな彼が今のようなストイックな性格に変わったのは、妹であるハクアが理由だった。


 龍宮ハクア。

 相貌失認。

 無貌の理。


 特殊な固有能力パーソナルギフトを持って生まれたハクアは、同時に人の顔を認識できないという障害を持っていた。

 制御の出来ないパーソナルギフトは、彼女の存在を周囲の認識から消し去るほどに強力な代物であり、まだ幼い少女が持つにはあまりに過ぎた力だった。


 少しでも気を抜くと、両親ですらもハクアの存在を忘れかけた。

 幼いハクアは、顔を認識できないから、自分が誰に頼ればいいかすらもわからなかった。


 ハクアの存在に右往左往しながらも、当時の龍宮家当主である祖父は、ハクアの才能を如何に伸ばすかを考えていた。周囲の認識を操作するその能力は破格の代物であり、裏稼業に特化すれば必ず活きる能力だった。


 そうした思惑もあり、ハクアは小学校に上がる頃にはクロア以上の修練を与えられていた。

 訓練のたびに存在の危機を迎える妹を見て、クロアは漠然とした恐怖を覚えていた。


 しかし、クロアには何もできなかった。


 まだ、低学年くらいの時分である。親に物申すだけの力もなければ、修行を止めるような権利もない。ハクアの能力開発を主導しているのは祖父である。龍宮家において祖父に逆らえる者は居ない。

 ただの子供でしかないクロアには、意見をするなんてことはもってのほかであった。彼は、妹が追い詰められていくのをただ見ていることしかできなかった。


 それが変わったのは、ほんのちょっとのきっかけだった。



 ある日のこと。

 自身のトレーニングを終えて入浴を済ませた所で、クロアはハクアとすれ違った。


 彼女も修行の後だったのだろう。全身の魔力を消費して、顔は青白く、今にも倒れそうな弱々しさだった。その姿はまるで霞のようで、確かにその場にいるはずなのに、触れると消えてしまいそうなくらい儚い雰囲気だった。


 フラフラと歩いてくるハクアとぶつかった時、彼女はうつろな目を向けてきた。

 彼女は兄の姿を見ても、誰だかわからずに戸惑って立ちすくんでいた。


 そんな妹の姿を見て、思わず声をかけていた。


「辛くないのか。お前」


 それに、ハクアは答えた。


「分からない」


 何も――分からない。


 辛いでも苦しいでもない。


 嫌だという言葉でもなく、何もわからないと答えたのだ。

 自分の意志を表示することすらできなくなっている。修行が始まる前は、ちょっとしたことで泣き出したような妹が、涙すら見せなくなったのだ。


 その答えを聞いて、はっきりとクロアは危機感を覚えた。


 ――このままでは、妹は家に殺されてしまう。


 才能に溢れながら、その才能に食い殺されそうな妹を見て、なんとかしなければと思った。

 ハクアが注目されているのは、彼女の才能が稀有なものだからだ。

 けれど、その能力開発はかなり難航していると小耳に挟んだ。その上で、ハクアの魔法士としての素養をこれから探っていこうとしていた。


 何にしても、龍宮家が求めているのは、次代当主としての圧倒的な才であった。

 霊子戦争が終わって十数年が経ち、魔法士のあり方は少しずつ変わっていた。現代における魔法の大家としての立ち位置を問われていた時に、はっきりと目に見える形での『才能』は、次期当主に必要な要素だった。


 ハクアの持つ魔法の才能はそれを期待できるほどのものだと、親類たちが話していたのを聞いた。

 その時、クロアは誰にも言わずに心のなかで思った。



 俺がハクアより強くなれば、ハクアは家から開放されるのではないか――と。





 理由を得たクロアの成長は早かった。


 周囲がおののくほどに、彼はストイックに鍛錬に取り組んだ。魔法を操るために知識と体力をつけた。娯楽の代わりに次々と習い事をこなして自身を高めていった。小学生とは思えないハードワークなスケジュールであっても、クロアは当たり前のようにこなしていった。


 自分に必要なのは目的だったのだと、クロアはその時に初めて気がついた。


 別に、妹のことが何よりも大切だ、なんてことはない。

 二つ年下の妹は、すぐ泣くし、好き嫌いは多いし、無口で良くわからないからやりづらいし、クロアのことを見ても無視するような奴だから、気に食わないと思っていたくらいだ。


 けれど、それでも。

 その少女は、この世に二人と居ない妹だった。


 おそらく、自分ともっとも境遇が近いはずの妹。その妹が、自分以上に過酷な境遇にいるのだ。

 それなら、と、そんなことをクロアは思ったのだった。


 そうして龍宮クロアは、龍宮家だけでなく、周囲で知らぬものがいないくらいに、実力をつけた。

 龍宮家が伝える呪法にも精通し、次期当主として認められるほどにまで上り詰めた。クロアが認められるごとに、ハクアへの関心は薄くなっていった。もとより、制御が難しい能力を無理に開発しようとしていたので、誰もが疲弊していたのだ。そこに、もっとわかりやすい期待の形を与えれば、認められるのは時間の問題だった。


 まだまだ修行は途中であるとは言え、彼の元々の目的は達成されたといえる。


 ――誤算があったとすれば、ハクアが思いの外、負けず嫌いだったことだろうか。


「兄さんを倒すのは、私なんだから」


 そんなことを言いながら、クロアに挑んでくるようになったのはいつのことだったか。


 パーソナルギフトの制御とも折り合いをつけ、いつの間にか、ハクアは安定して魔法の鍛錬を行えるようになっていた。

 おそらく、祖父が主導で行っていた無理な修行がなくなったため、安定した制御が出来るようになったのだろう。元々、『無貌の理』には、人の認識そのものを制御することを期待されていたのだが、最終的には、自己の存在を少しだけ認識から外すくらいの能力に落ち着いた。


 それで良かったとクロアは思ったのだが、ハクアはそんな兄の気も知らずに、まるで兄の後を追うようにして修業に励み始めた。

 固有能力パーソナルギフトを元に自然魔法カニングフォークに目覚めるほどだから、魔法のチャンネルの深度はかなり深い。その才能を余すことなく発揮し、どんどんハクアは成長していった。


 その成長を嬉しく思いながらも、クロアは漠然とした不安を抱えていた。


 もし、ハクアの実力が明確に自分を超えてしまったら――また、龍宮家は彼女を祭り上げようとするのではないか。


 実際は、ハクアの才能は制御するには難しいものでもあるので、そうはならないだろうと思っていた。

 けれど、あくまでクロアはハクアより上に居なければいけなかった。兄としての意地もあるが、何よりハクアのために。ハクアが、自由に生きるために。


 ――とっくの昔に分かっていた。

 龍宮ハクアは才人で、自分は凡人だ。


 今のハクアを見ていると思うのだ。きっとクロアが余計なことをしなくても、彼女なら家が与える試練も最終的には乗り越えたのではないかと。

 もしかしたら、クロアは彼女の成長の機会を奪っただけなのかもしれない。


 けれど、同時にこうも思うのだ。


 才能あふれるハクアには、、と。


 実際、彼女は中学に上がると同時に、まるで巣立つように海外に旅立った。海外でがむしゃらに武者修行をし、そのたびに実力を上げて戻ってくる。そんな彼女に負けないようにするのは、本当に骨が折れた。


 もうすでに、シューターズとレースでは敵わない。

 マギクスアーツではかろうじて勝ち越しているが、それもいつまで続くかわからない。


 負けられないのだ。

 負けを認めてしまえば、彼女の自由を奪ってしまう。


 ハクアには、永遠に自分の背中を追いかけてもらわないといけない。だからクロアは、もっと高みを目指す。たとえ泥臭くても、どんなに格好悪くても、地べたを這いつくばってでも、負けるわけにはいかないのだ。


 だから――妹以外の相手にも、負ける訳にはいかない。

 それが、龍宮クロアの強さの源泉であった。



 ※ ※ ※



 龍宮クロアは、ラストフェイズに移行した途端、小型エネミーを一体破壊した。


 あとは大型エネミーを破壊すれば、それで逆転は不可能になる。コウヤが何らかの手段で中型エネミーを破壊したのを見たが、それも悪あがきだろう。


 元々、鏑木コウヤは、ゲーム前から不利な状況に立たされていたのだ。

 そんな彼に悪いと思いつつ、クロアはしたたかにその状況を利用させてもらった。


 ゲーム開始直後から、プレイヤーアタックをするという暴挙。その他にも、様々な策を弄し、更には遠見センリという切り札までも犠牲にしながら、ここまで来た。

 本来ならば圧倒していなければいけない勝負であるのに、ここまで食い下がられている。


 そもそもが、コウヤは数日前に左腕を切り落とされるような重症を負っていて、本調子な訳がない。その上、連戦に次ぐ連戦で消耗もしているだろう。それなのに――彼はここまで勝ち越してきて、更にはクロアを追い詰めようとしている。


 改めて、目の前の敵を、尊敬する。


 二年前には全く思いもしなかった。

 自身と同じ二年という期間を過ごしながら、ここまで成長する男がいるという事実は、クロアに喜びと嫉妬を覚えさせる。


 だから、この勝負は負けられない。


「まあ……妹の彼氏には、負けられねぇよな」


 冗談交じりに言いながら、真剣な目でフィールドを見据える。

 今回の試合で、クロアはエネミーセレクトで大型エネミーを選択していた。全長三メートルの巨人型のエネミーは、破壊すると10点の得点がある代わりに、耐久性が高いため生半可な攻撃では倒れない。故に、よっぽど自信のあるプレイヤーでない限りは選ぶこと自体が自殺行為なエネミーだ。


 けれど、クロアには大型エネミーを一撃で倒すためのとっておきがあった。


 自身のメインデバイスのメモリスロットを七個使った大型術式。

 その工程、実に六工程。

 魔法士が一人で行える工程数の限界は七工程と言われているが、それに近い魔法式をクロアは作り上げていた。


 名を、『大弓破城槌アリエス・バリスタ


 小銃型デバイスを中心に据えて、巨大な大弓を魔力で編む。矢には城の城門を破壊する時に用いられると言われる破城槌を模した巨大な杭。それに城壁を破壊するという概念を丁寧に編み込み、推進力には後年の後継技術である大砲の概念を付与する。そうして最後には、大量の魔力を注ぎ込んでレーザーのように打ち出す。


 イメージしたものは、遠見センリの『床弩、宙を穿つ』という必殺の技だ。 


 これを打ち込みさえすれば、勝負には勝てる。


 すでに魔法は組み上がっている。

 あとは撃ちこむだけだ。


 ――と、その時だった。



 世界が、時を止めた。



(これは――あのファントムの)


 全身が動かない感覚は、二年前の経験と同じだった。

 身体が固定されたように動かず、ただ意識だけが残る感覚。


 確かに、厄介なスキルだった。どのタイミングで時間停止が解けるか分からず、それまでしようとしていた行動のタイミングをずらされる。特に動く的を狙う時には、大きな邪魔を与えることができるだろう。


 ――だが、今この状況では関係ない。


 魔法士が大型エネミーを一撃で葬るには、そうとう大きな術式が必要だ。それこそ、比良坂キサキのような特殊能力がある場合は別だが、鏑木コウヤにはそんなものはない。


 時間停止が解けたタイミングで、クロアは丁寧に狙い直せばいい。


 ただ、それだけのことだ。


 さあ、早く時間よ動け――

 意識だけが残る中、クロアはまっすぐに先を見通し続けた。



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