第50話 現視の魔眼
鏑木コウヤと神夜カザリの試合が行われている同時刻。
比良坂キサキは、校舎の中を走っていた。
息が切れる。以前だったら、この程度の全力疾走で音を上げることなんてなかった。シューターズをできなくなって、トレーニング量が落ちたからだろう。今でも基礎体力の維持はしているつもりだが、かつて程の情熱はなくなってしまった。
歯を食いしばりながら足を動かす。二回への階段を駆け上り、転がり込むようにクラス別のロッカールムへと駆け込んだ。
個人ロッカーは、認証コード式で鍵がかかっている。解除には、自身の学生証と暗証番号が必要だ。手早くそれを入力するが、エラーが出る。間違えたかと思ってもう一度入力するが、またエラー。どう考えてもおかしい。
焦燥と苛立ちで泣きそうになる。
そんなキサキに、背後から声がかけられた。
「はぁ、はぁ……。や、やっと、追いつきましたよ。キサキ先輩」
翡翠色の眼をしたキリエが、ロッカールームの入り口に立っていた。
彼女も走ってきたのか、憔悴したように顔を青くしている。息を整えながら歩み寄ってくる彼女に、キサキは意外そうに尋ねる。
「キリエちゃん……なんで」
「コウヤ先輩についていても、僕に出来ることは何もないですから。こっちに来た方がよっぽど役に立てるかと思いまして」
言いながら、キリエはロッカーから一時も視線を外そうとしない。
周囲の魔力がざわめき、彼女の眼へと集中しているのが感じられる。
「クラッキング――されていますね。書き換えられてますよ、番号」
そう冷静に言いながら、彼女は更に周囲の魔力をかき集める。周囲のマナが絶え間なくキリエの両目に流れていく。その消費量ははっきり言って異常だ。ただでさえ制御の難しいマナを、とめどなく使い捨てている。
尋常でない魔力消費量に、怯えたようにキサキは尋ねる。
「ねえ、キリエちゃん。それ、大丈夫なの……」
「集中しているんで静かにしてください。……これじゃだめ。『リカーシブル』――なら視点を……『トレース・バック』――主犯の視点……あった。ならこれで『リピート』」
ぶつぶつとつぶやいていたキリエは、急に目を見開いたまま表情を無くす。瞳孔が開いた瞳はまっすぐにロッカーを見つめている。
やがて――現実に戻ってきたかのように、キリエの顔に色が戻る。
「『リターン・カレント』『私はここにいる』――わかりました。十二桁です」
目を閉じたキリエは、そのまま十二桁の英数字を口にする。
慌ててそれを入力すると、本当にロックは解除された。
「すごい! ありがとう、キリエちゃん。これなら――」
「さて。それはどうですかね」
興奮して感謝を告げるキサキに、キリエはどこか諦めたような声で答える。
その理由は、すぐに明らかになった。
開かれたキサキのロッカーの中には、教科書や教材とともにデバイスが複数置いてある。その中に、確かにライフル型のメインデバイスは存在した。
しかし――力任せに叩き折ったような無残な姿を晒して、だが。
「……そん、な」
「あらら。これはひどい。時間がなかったみたいですし、折るのが精一杯だったんでしょうね」
ライフル型デバイスは、銃身に当たる部分が真っ二つに折られていた。
あまりの惨状に、キサキは膝を折ってその場にへたり込む。
ここに来るまで、様々な妨害があった時点で気づいておくべきだった。キサキはコウヤの仲間だと知られているのだ。ならば、こうした手段を取ってくるのも考えられないわけではない。
こんなことなら、最初から事務局にでも行って、貸出用のデバイスを貸借すればよかった。今から事務局に行って貸出手続きをしていたら、最後の試合にも間に合わないかもしれない。完全に詰んでいる。
「どう、しよう……こんなの、コウちゃんが負けちゃう」
頭が真っ白になった後に、絶望の波が押し寄せてくる。
それらは涙腺を刺激し、目尻から次々と溢れ出てくる。悲しみや悔しさよりも、何より恐怖が先に立っていた。
鏑木コウヤのために何かがしたかった。彼が負ける姿を見たくなかった。
プレイヤーからリタイアしてしまったからこそ、キサキにはコウヤが眩しくて仕方がなかった。今の自分ができないことをして、かつての自分と同じ場所を目指す男の子がいる。そこに、夢を重ねてしまう自分がいる。
ひどい話だ。他人に自分の夢を重ねるなんて、図々しいにも程がある。それが分かっていながら、今のキサキにはそうすることしかできなかった。
なのに、その男の子さえも、今は窮地に立たされている。
「こんなの……ひどいよぉ」
なんでコウヤなのだ。
なんであたしなのだ。
頭にめぐるのはそんな、周りを責めるような言葉ばかりだった。
周りが何もしなければ、コウヤはのびのびとプレイできるのに。なんでジャマをするのだ。そもそも、去年の試合、あの対戦相手が余計な真似をしなければ、自分はまだ現役でプレイできていたのに。なんで今自分は現役でないのだ。なぜ。なぜ――
「――っつぅ。勘弁してください」
「え?」
痛みを堪えるような声で、我に返った。
振り返った先には、頭痛をこらえるように頭を押さえたキリエの姿があった。彼女はつらそうに顔をしかめながらキサキを見下ろしていた。
「キサキ先輩。その先は、ちょっとやめておいたほうが良いです」
キリエはつらそうに右目を閉じて手でおさえている。開いている左目は、過去視が発動したままの翡翠色だった。
その宝石のような眼で見下ろしたまま、彼女は言う。
「嫌な過去です。ドロドロとした感情なのに、汚れきれない半端な濁り方。先輩、人のこと嫌うの苦手なんでしょう? それなのに人を恨もうとしても、自分が傷つくだけですよ」
「……何を」
心臓を鷲掴みにされたような気持ち悪さを覚えながら、キサキは怯えたように尋ねる。
「何を視たの。キリエちゃん」
きっと今、過去を見られた。
先ほどとは違う、怖気に似た恐怖が背筋を駆ける。詳しくは分からないが、自分の中の大切なものに触られたのを感じる。
身構えるキサキに構わず、キリエはそっと息を吐いて地べたに座り込む。
「キサキ先輩が悪いんですよ? あんなに悪感情を垂れ流すもんですから、自然と引きずられちゃったんです」
「……あたしの記憶。視たんだね」
「視えてしまったんですよ。不可抗力です」
咎めるようなキサキの言葉に、キリエはバツが悪そうに言う。
「過去視にも色々ありまして、僕の場合は主に二つ。残留思念や情報を解析して過去を再現する『情報回帰』と、他者に感応して記憶を引き出す『視点回帰』。今やったのは、後者の方です。あと、僕自身の記憶を遡って、無意識下の事象を組み立てる『回想回帰』なんてのもあるんですが、こっちは完全制御出来てます」
ため息をついて、キリエは目を閉じたまま上に顔を向ける。まぶたをかばうように、右手を顔に当てている。
その仕草は、優等生に疲れた普通の女子高生のような雰囲気だった。
ぼやくように、キリエは言う。
「まあ、こうなることは分かってましたけどね」
「……どういう意味?」
「コウヤ先輩の話ですよ」
ふいに話題を変えながら、キリエは疲れ切ったように苦笑を漏らす。
「今のあの人、自分で考えている以上に敵が多いですし。不評を力でねじ伏せるには、まだこっちでの生活長くないですからね。本気でジャマをするなら、彼の知り合いのデバイス、全部壊すくらいのことはするだろうなって」
「分かっていたんだったら、なんで」
「言う前に走り出したのはキサキ先輩ですよ。ま、そうするって分かっていたからこそ、僕もついてきたんですが」
倦怠感を隠そうともせず、キリエはだらけた様子で上を見上げる。そしてわずかに悩むような仕草をしたあと、小さく息を吐いた。
「……はぁ。さっき謝られたばかりなんですけどね。できれば使いたくなかったんですが、仕方ないです」
顔に当てた右手を取り、キリエは正面を向く。
座った視点からだと、少し高い位置にロッカーはある。億劫そうに膝を立て、キリエはそのまま、ロッカーの中で真っ二つになっているデバイスに目を向ける。
「なに、してるの。それ以上過去を視ても、もうどうしようも」
「キサキ先輩も魔眼を持ってるのに、まだわからないんですか?」
キリエの瞳の色が翡翠に染まる。それとともに、周囲のマナが励起し、いっせいにキリエの眼へと流れ込んでいく。
問題は、その量が尋常じゃなかった。
先程までの過去視でもかなりのマナを消費していたが、今回はその数十倍だ。
まるでこの空間に満ちているマナを使い尽くすかのように、際限なく取り込んでいる。
「眼の異能には、基本的に受容器としての機能と能動器としての異能の二つがあります。過去視なんて、自分の中で完結するだけの超能力です。外界に影響をあたえるものじゃない」
魔眼とは本来、二つの能力を有している。
例えば、キサキの持つ『弱体視の魔眼』は、受容器の機能として、情報密度の強弱を見分ける『弱点視』を持っている。
『弱点視』で視た外界の仕組みに対して、『弱体視』で働きかける、というのがキサキの持つ魔眼の本質であった。
では、キリエの『過去視の魔眼』には、能動器としてどんな力があるのか。
「『
言葉とともに、周囲のマナが落ち着きを取り戻した。
カニングフォークの行使を終え、キリエは目を閉じる。
そのまま、探るようにしてロッカーの中からデバイスを取り出してから、キサキに向けて差し出す。
真っ二つだったはずの銃身が、もとに戻っていた。
「う……嘘」
瞠目して、差し出されたライフル型デバイスを受け取る。
「だって、さっきまで折れてたのに。なんで……」
「過去にあった姿を『再現』したんです」
なんでもないことのように、キリエは目を閉じたまま自分の魔眼について語る。
「『過去視で視たもの』を、『過去あった場所』で、『現在に存在』させる。それが出来るのが、僕の『
「そんなの……それ、物質の創造じゃない。一時的に存在させるだけならともかく、恒久的な創造だなんて、錬金術並のカニングフォークなのに」
「勘違いしないでほしいですけど、ゼロから作るのはさすがに難しいですよ」
目を閉じたまま、けだるげにキリエは説明する。
「魔力の消費も激しいですし。僕の魔力量だと、あくまで材料が揃っていることが前提です。今回の場合、銃身を折られているだけだったんで、そのまま使いました。メモリは無事でしたし、修復自体は簡単な、ちゃんとした魔法式があればすぐに出来るものですよ」
やったこととしては、自前の修復魔法を魔眼の力で後押しした形である。
修復の魔法なんていう複雑な魔法式を、デバイス無しで適当に組んだ上で成功させたのは魔眼の力だ。
この魔眼の欠点は、修復不可能な破壊――例えば、溶接されたような素の原型を留めていない素材は、使うことが出来ないということだ。あくまで術者であるキリエの価値観に依る基準であるが、常識的な範囲内の基準であるとキリエは考えている。
「それより、急がなくていいんですか? もう十五分はかかってます。戻った時には、下手すると二試合くらい終わっているかもしれませんよ?」
「……ッ。そうだった。あ、ありがとう、キリエちゃん!」
「いえいえ、お気になさらず」
ひらひらと手を振りながら、キリエはぺたりとそのまま地面に座り込むと、にへらっと笑って言った。
「僕はちょっと魔力を使いすぎたので、休んでいきますね」
「うん。わかったよ。……本当に、ありがとう!」
キサキは深く頭を下げると、転びそうなほどに全力で駆け出してロッカールームを飛び出した。
ライフル型の大きなデバイスを両腕で大事そうに抱え込む。これを鏑木コウヤに届ける。それだけを考えて、懸命に足を動かした。
「待ってて、コウちゃん……! 今行くから!」
※ ※ ※
ロッカールームに、國見キリエは一人残された。
座り込んでロッカーに背を預けた彼女は、左目から血を流していた。どうやら、眼球の奥の血管が切れたらしい。流血そのものは大したものではないが、微かに鈍痛が目の裏で響く。
「……ほんと、何やってるんでしょうね、僕」
カニングフォークの使用は、術者に大きな負担を強いる。
莫大なエネルギーを持つ大地のマナをかき集めて神秘を体現するのだ。その情報圧は確実に生身を蝕んでいく。その上、一歩間違えれば暴走しかねない力だからこそ、制御をしようとすればするほど精神的にも肉体的にも負荷は大きい。
だからこそ、使い所は見極めなければいけないと散々学習してきた。
それでも、キリエは『現視の魔眼』を使った。
それも、オリエントに来てから、二回も使った。
一度はついさきほどのライフル型デバイスの修復。
そしてもう一回は、先日のシューターズシングル戦予選。鏑木コウヤのサブデバイスの中のメモリを改竄した時にである。
(だって、今キサキ先輩のデバイスがなかったら、コウヤ先輩は七戦目の龍宮先輩に負けてしまうでしょうし。シングル戦の時にしても、あのままだったら、忌部先輩の特大砲に為す術なく負けてしまったでしょうし)
どちらも鏑木コウヤのためである。
目を閉じて、頭に走る痛みが引くのを待つ。頭がズキズキと痛むので、思考を散漫にさせ、眠りにつくように意識をぼやけさせる。
自分という存在が曖昧になるのを感じながら、その心地よさに浸っていく。
国見キリエは静かに回顧する。
過ぎ去りし日々を。
初めて覚えた、執着という感情を――
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