第34話 生老病死の紊乱者



「サッちゃん、寝てもうたな」


 泣き疲れてしなだれかかるようにして眠ってしまったキサキを見て、アキラはやれやれと肩をすくめながら言った。


 三十分ほど前に病室に入ってきたキサキは、涙声で言葉にならない言葉を重ねながら、コウヤにしがみついて離れようとしなかった。

 キサキのあまりの様相に、そっとしておいた方が良いと判断した医師たちが外に出て半時、ようやくおとなしくなったと思いきや、すやすやと眠り始めたのだった。


 右腕にしがみついたまま横になったキサキのお蔭で、ベッドの半分以上が占領されてしまっている。

 そんな彼女を見下ろしながら、コウヤは軽く苦笑する。


「たく、人の気も知らないで、自由なもんだよな」


 切断された左腕の接合手術から二時間位しか経っていない彼も本当は限界なのだが、目の前でああも泣かれてしまうと、休むに休めなかった。


 そんなコウヤに、矢羽タカミが声を掛ける。


「サキ、昨日から一睡もできていなかったみたいなの。ちょっと思いつめすぎてたみたいだから、感情を爆発できてよかったと思う。だから、許してあげてね」


 そう言ってから、タカミはキサキの体を持ち上げる。最後までコウヤの腕を掴んで離そうとしなかったが、それを無理やり引き剥がす。


「じゃ、サキは連れて帰るね。コウヤくん、お大事に。アキラ、コウヤくんのことよろしくね」

「了解了解。ほな、タカミちゃんもゆっくり休みぃ」


 そう、アキラは軽く手を振ってタカミを見送る。

 タカミとキサキの二人が病室を出ていくのを確認した後、アキラはにやりと意地悪そうに笑いながら、からかい混じりに言った。


「良かったんか? あのまま帰らせて」

「? どういう意味っすか?」

「何て、無防備なサッちゃんを好き放題するチャンスやったやん? あんだけ気ぃ許しとったんやし、据え膳食わぬはなんとやらってやで」


 どこまで本気なのか、アキラはニヤニヤしながらコウヤの答えを待っている。

 野次馬根性バリバリのいやらしい問いかけは、久しぶりに会った少年をからかっている風でもある。


 そんなあからさまな態度に、コウヤは頭をかきながらはぐらかすように言う。


「キサキですよ? そんな気起きませんって」

「そか? 可愛いと思うけどなぁ。今だって、自分のことあんなに心配してくれとったやん?」

「そりゃまあ、可愛いのは否定しないっすけどね」

「なんや。やっぱ脈あるんやないか」


 愉快そうにケラケラと笑いながら言うアキラに、コウヤは嫌そうな顔をして言う。


「何故かみんな、俺とキサキをくっつけたがるんすけど、なんでっすかね?」

「そんなん、可愛い子どもたちの成長が楽しみやからに決まっとるやん。ま、昔から知っとる目をかけとった子供らの仲が発展したりすると、大人は嬉しくなるもんや」

「おっさんたちの野次馬根性ってやつっすか」

「おいこら。まだおっさん言われるほど年食うてへんわ! お兄さんって言い直しぃ!」


 そこは譲れないポイントだったのか、アキラは必死そうに大声を出す。コウヤはそれを見て思わず吹き出してしまった。

 ひとしきり笑いあった後、アキラは小さく息をつきながら仕切り直すように言った。


「それにしても、ほんま久しぶりやな。ま、再会がこんな形になったんは間が悪かったけど、力になれたようで良かったわ」

「すみません、久しぶりなのに助けてもらっちゃって」

「そう気にすんなや。ワイと自分の仲やろ」


 ギャハハ、という下品な笑い方も今となっては懐かしい。

 中学時代に随分と目をかけてくれた年上の男性は、相も変わらずといった様子で自由に振る舞う。会うのは久しぶりだと言うのに、時間の経過を感じさせない雰囲気があった。


 アキラとメグが病院を訪れたのは夕方前だった。


 昼過ぎに久良岐魔法クラブを訪れた二人は、矢羽タカミからコウヤが襲われたことを知り、その足で病院に向かった。そして、コウヤの容態を見るやいなや担当の医師と直接話をし、腕の接合手術をその日のうちに執刀してもらうよう交渉をしたのだった。


「切断された肉体は、時間が経てば経つほど接合の成功率は下がる。問題なんは呪詛による情報圧汚染だけなんやから、それを除去さえできるんやったらすぐにでも手術やったがええやろ」


 アキラが交渉の材料として持ち出したのは、一つの魔道具だった。


 白蛇の脱殻が巻き付いた、身の丈ほどもある木の杖。それは今もなおアキラの手元に握られており、術後のコウヤを癒やし続けている。

 昨夜と今日、短い期間に二度もの大手術でコウヤの体力は限界だったが、この杖のおかげでなんとか気を保っていられた。


 浄化と治癒の効果を持つ魔杖。

 ひと目見ただけでも凄まじい魔力を保有しているのがわかる、とんでもない逸品だ。


「その杖……すごい魔道具みたいっすけど、何でしたっけ?」

「なんや、アスクレピオスの杖を知らんのか。あかんで、コウやん。魔法士なんやったら、有名所の神話はある程度押さえとかんと」

「アスクレピオス……確か、医療の神様でしたっけ?」


 たしなめるようなアキラの言葉で、ようやくその正体に思い至る。


 アスクレピオス――ギリシャ神話の英雄の一人で、死者すらも甦らせる医術の腕を持つ名医である。その功績から最終的には神の座についたとされ、医学の守護神として名高い医神だ。

 そんなアスクレピオスの象徴とも言えるのが、クスシヘビが巻き付いた杖であり、世界中で医学の象徴として使われるシンボルである。


生老病死の紊乱者ロッド・オブ・アスクレピオス


 それが、今回アキラが使用した魔道具の名前だった。


「傷を治す目的やったら、これを超える魔道具はあらへんからな。なんせ、死者すらも蘇らせた医神のシンボルや。概念的な情報密度だけやったら、並の神霊を凌駕するくらいやで」

「そんなすごいの、なんで持ってるんすか」

「アホ。さすがに本物やないわ。パチもんに決まっとるやろ」


 話を聞けば聞くほどとんでもない神具であると思ったのだが、それをアキラは一蹴する。どうやらレプリカだったらしく、いつもどおり彼のお手製の魔道具のようだった。


 ただ、と。

 ニヤリと笑いながら、アキラは自慢気に言った。


「素材に関しては一級品やで。つい昨日まで北海道に行っとったからな。自然の中で何百年と熟成された神聖な供物やったら事欠かんかった」


 杖の部分に使われた木材は、樹齢300年超えのハルニレの樹皮を削って作ったもので、アイヌ神話の最高神の一柱である『チキサニカムイ』の御神体とも言える。

 白蛇の脱殻は、河東郡鹿追町に伝わる『白蛇姫物語』の逸話を組むもので、伝承の舞台となった然別湖の側で見つけた一品だった。


 どちらも神秘級の代物で、それ自体が大量のマナを保有しているため、素材としてはこれ以上ない一級品である。


 それに加えて、アキラ自身が持つパーソナルギフト『英雄相似因子』によって、アスクレピオスの杖の効果を擬似的に再現したのだった。


「最初はハルニレの樹皮つこうて、発火の魔杖でも作ったろて思うとったんやけど、今思えばこっちが正解やったわ。内蔵魔力を考えると、あと二、三回くらいは瀕死からの蘇生が可能みたいやし、コウやんが重症や聞いて即興で作ったもんやけど、期待以上の効果やった」

「そんな貴重な素材、使わせちゃってすいません」

「かまへんって。ほら、なんや? 自分、向こうでジェーン杯優勝したんやろ? 遅くなったけど、その優勝祝とでも思っとき」


 照れ隠しでもするように、アキラは目をそらしてヘラヘラ笑いながら言う。

 そんな彼を前に、コウヤは左腕を撫でながらしみじみという。


「龍宮先輩から、アキラさんならなんとかしてくれるかもって言われた時はあんまり期待してなかったっすけど、ここまで解決してくれるとは思いませんでした」


 包帯の上からつながった左腕は、まだ感覚こそ戻らないが、その重みはしっかりと感じ取れている。

 いくらアキラが頼りになると言っても、的確にこういう場面で助けてくれるとまでは期待していなかったので、あまりに出来すぎていてどこか夢のようでもあった。


 今もなお、アキラは『生老病死の紊乱者ロッド・オブ・アスクレピオス』を手に持ってコウヤに魔力を与え続けている。大怪我に加えて二度の手術で消耗しきったコウヤの自己治癒能力が戻るまで、こうしてそばで治癒魔法をかけ続けると言っていた。


「コウやんの場合、一度左腕を治療したっていう経験があったんが幸いやった。一度やったことは、魔力さえあれば後追いで真似できるからな。ワイは医者やないから細かい治療はできひんから、正直助かったわ」


 コウヤは魔法のチャンネルを開いた時に、マナの過剰摂取で左腕を壊している。その情報圧汚染がずっと残っていたのを、アメリカの魔法医に治療を受けたことがあった。その時の除染の経験があったため、今回もスムーズに行えたのだという。


「それにしても自分、厄介なことに巻き込まれとるなぁ」


 話題を変えるように、アキラは座り直しながら言った。


「この傷、ファントムからやられたもんやろ? ここまでバタバタやったから後回しにしとったけど、詳しく聞かせてみ?」

「あー。そうっすね……。俺も状況しっかり把握しているわけじゃないっすけど、順を追って説明するとですね」


 どう話したものか迷いながら、コウヤはポツポツと話し始めた。



 アメリカに行って、治療を受けたこと。

 國見キリエや龍宮ハクアと再会して、賑やかに過ごしたこと。

 キリエと敵対し、ハクアと恋仲になって、アマの大会に挑戦したこと。

 日本に戻ってきてオリエントに復学し、そこで自然派から敵視されたこと。

 インハイの予選で、妨害工作を受けながらもシングル戦では代表になったこと。



 かなりかいつまんで話をしたのだが、それでも全て話し終わるのに二時間近くかかった。


 途中、アキラが知っている人間関係が判明したりして何度も脱線したため、思いの外時間がかかったのだ。それと共に、アキラの顔の広さを実感することになった。


「はぁん。國見家の絶縁された長女、どこに行っとったんやと思ったけど、まさか海外に逃亡しとったとはなぁ。そこでも問題起こしとる辺り、ありゃ筋金入りやな」

「國見のこと、知ってるんすね」

「まあ、魔法界じゃちょっとした語り草になっとったしな」


 どこか苦々しそうに顔をしかめながら、アキラはキリエのことを語る。


「業界じゃって呼ばれとって、少なくとも一人は確実に殺しとる。一般家庭やったら間違いなく少年院行きやったやろけど、うまいこと逃げたもんや。それがお家騒動のどさくさで復縁しとるんやから油断ならんわ」


 キリエについて語るアキラは、普段のおちゃらけた様子が嘘のように厳しい顔つきをしていた。彼が危険視するほどに、國見キリエという少女は油断ならない存在のようだ。


 コウヤ自身も、アメリカに居た時にさんざん煮え湯を飲まされてきたので、アキラの危惧は的を射たものだと思っていた。アマの大会の帰りに荒くれ者から襲撃を受けた時は、大抵がキリエの手引きだったので、疑うなという方が難しいくらいである。


「ちなみに、ホンマにこの襲撃、國見の長女の仕業やないんやな?」

「そう念押しされると不安になるっすけど、あいつ倫理観は破綻してますけど正直者ではありますから、多分大丈夫じゃないかと。それに、あんま手口が似てないんすよね」

「ならええけど、でも油断はせんようにな。パーソナルギフトを持っとる人間は、皆どこかしら偏執的な所があるもんや。ワイやサッちゃんにしてもそうやけど、他者とは明確に違う法則で生きとるから、根本的に常識が違う。そのことは念頭に置いといたがええ」


 その忠告は、これまでアキラから言われたどんなアドバイスよりも真摯なものだった。


 パーソナルギフト――例えば、英雄の逸話を再現できるアキラや、モノの情報密度を操作できるキサキ。そして、過去を視ることの出来る國見キリエ。それらは情報界との特殊なパスを持つ超能力者であり、通常の魔法行使とは違う法則で事象を改変する。それゆえに、見えている景色が違うのだ。


 そもそも、人はそれぞれ違う感覚質クオリアを持っているものだ。主観の体験によって精神は形成されていくので、特に際立った超能力は内面の形成に大きく関わってくる。


 あえてそんな忠告をしてくるということは、アキラ自身にも何かしら思うところがあるのだろう。それに踏み込んで良いものか、コウヤには判断がつかなかった。


 コウヤが戸惑いを見せていると、アキラは表情を緩めてギャハハと笑った。


「ま、頭の片隅にでも置いとき。それより、次やな」


 アキラの手元には、タブレット型のデバイスが握られている。それ自体はアキラの私物だが、中にあるデータは、キサキからもらったデータである。


 キサキが集めた生徒たちの対戦データ。まだほとんど精査できていない状態だが、学内予選の話をする時に話しやすいかと思って見せたのだった。アキラには中学時代に指導を受けたこともあるので、データを見せることにためらいはなかった。


「ふぅん。さすがオリエントっちゅう感じやな。有名所の子女がよう集まっとるわ。――なあコウやん。この遠宮キヨネって子、さっき模擬戦で負けたってゆうた相手やな?」

「そうっす。もしかして、遠宮って有名な家なんすか?」


 コウヤの問いに、アキラは首を振る。


「んにゃ。家柄は別に特別じゃなかったはずや。けど……このファントム、ヨハン・シュヴェールトには見覚えがあってな。この子、十中八九、の娘さんやろ。そりゃあ強いはずや」

「知り合いなんですか?」

「ああ。遠宮詩江うたえ先生って言うて、大学の軍事訓練時代の教官やったんや。そらもう鬼みたいな女でな、同期は全員メッタメタにしごかれたもんやで。しっかし、子供がおるってのは聞いとったけど、もうこんな大きくなったんやな」


 アキラはどこか懐かしそうに目を細める。鬼のようと言いながらも、その声色には信頼感からくる親しみを感じた。


「そもそもこの人、経歴が頭おかしくってな。戦時中は十代やったらしいけど、第一線で異人とやりやっとったらしい。そんで、その時にバディとして活躍したんが、このヨハン・シュヴェールトや」

「戦争経験者だったんすか。そりゃ強いはずだ」

「そや。それも単に強いんやなくて、ヨハンは『上手い』って言った方がええ。あのは、やつの原始そのものやから、接近戦じゃ無敵に近い。技術として上回らん限り近接戦闘は避けた方がええで」


 ドイツ流剣術――十四世紀から十七世紀にかけて神聖ローマ帝国の各所で伝え教えられた最強の両手剣術。十七世紀に入ってイタリア流のレイピア剣術が流行したことで廃れはしたものの、実践的な殺人術としては他の追随を許さない流派だ。


 思いがけず原始を知ることができたが、しかしこういった『技術』が実体化したたぐいのファントムは、対策が取りづらいことで有名だ。

 ステータスの差よりも純粋な技量で上回る必要があるため、敵に回したくない相手である。


「ヨハン相手やったら、テンカちゃんが瞬殺されたのも不思議やないわ。んー、ま。こいつの対策についてはあとで話そうや。あとは、そうやな……」


 アキラは蛇杖を握ったまま、チラリとコウヤの様子を確認する。

 ずいぶん長く話をしているので、そろそろ疲労は限界に近いはずだ。軽い情報共有のつもりだったが、これ以上は無理がたたるので、明日に回した方が良いかもしれない。


 ただ――一つだけ、今のうちにはっきりさせておかないといけないことがあった。


「とりあえず、今のとこ話しときたいのは、これが最後や」


 タブレットの画面を軽く叩くと、アキラは本題に切り込んだ。


「神夜カザリ――神夜家の次男。こいつについてや」

「ああ……」


 ついに来たか、とコウヤは姿勢を正す。

 神夜カザリ。

 表立ってなにかされたわけではないが、事あるごとに嫌味を言ってくる先輩である。チハルからも、要注意人物として名前が挙げられたくらいだ。


「チハルにも、そいつには気をつけろって言われているんすよね。やっぱり、アキラさんも注意しなきゃいけないと思います?」

「注意? そんなもんやない。


 あまりにもはっきり言い切るものだから、被害者であるコウヤの方が驚いてしまった。


「そりゃあ、明里先生と密談してたってキサキも言ってましたし、怪しいのは確かですけど、でも証拠がないっすよ」

「その『明里って教師』も警戒対象なんやけどな。……まあ、確かに証拠はない。けど――一つ確かなんが、コウやんの左腕の傷口には時流系の情報圧汚染が起きとったことや」

「時流系――『端境はざかい流結界』ってことですか?」


 端境流結界術。時間に結界を張るという特殊なその結界術は、神夜家に連なる家系が秘匿する魔法である。

 似た効果や似た術式は他にも存在するが、それを体系立てて使っているのは、日本においては神夜家のみである。


 故に、アキラは神夜カザリを限りなく黒だと判断した。

 それに、もう一つ、確信を深める要因があった。


「でも、襲撃してきたファントムは、影を操作するようなファントムでしたよ。神夜先輩のファントムは日本人形みたいなやつですし、それに影法師はあんなに小柄じゃなかったと思うんですよね。得物も……確か、影を変形させてきたような」

「………いや。そうやな」


 言葉を重ねるコウヤをじっと観察した後、アキラはそれ以上の追求をやめて小さく息を吐く。

 

 時間が経ってもこれほど根深く潜在意識に侵食する暗示となると、下手をすれば質問者の方がその認識に引きずられかねない。


 蛇杖に魔力を回しながら、アキラはコウヤの認識に引っ張られないように気を保つ。この暗示を解呪するためには、大掛かりな催眠療法が必要になるだろう。それは、今の体力が落ちきっているコウヤにはかなり厳しいものになるはずだ。


 それに――重要なのはそこではない。


「なあ、コウやん」


 最後に、確認をするようにアキラはコウヤに問う。


「自分、バディ戦のスケジュールはどうなっとる?」

「正直厳しいっす。腕が治っても、参加できるかどうか……」


 バディ戦のインハイ予選が始まるのは明日からだ。


 予選は三週間かけて行われるのだが、コウヤの場合は嫌がらせのように第一週にほとんどのスケジュールが組まれている。目立った所だと、二日目にはウィッチクラフトレース四戦、三日目にはマギクスアーツ五戦、そして四日目にはシューターズが七戦という形だ。


 そもそも重症で立つのもやっとの状態なのだ。さらに、テンカの方も因子が破壊されて一時的な休眠状態に入っている。

 もはや辞退するのが当たり前なのだが、はっきりと決めたくなかったので回答を先送りにしているのが実情だった。


「シューターズの初戦は三日目の一戦、か……。なあ、コウやんのメインは、やっぱシューターズなんやろ?」

「……まあ、そうっすけど」


 それを聞いたアキラは、神妙な顔で考え込んだ後、あっさりと言った。


「よし。シューターズ以外の試合は全部棄権しい。そのかわり、三日目には間に合わせたるわ」

「……間に合わせるって、どうするつもりっすか?」

「これで治癒をかけ続ける」


 言いながら、アキラは蛇杖を掲げてみせる。『生老病死の紊乱者ロッド・オブ・アスクレピオス』の治癒促進効果をすべて使用して、コウヤの体力を戻すと言っているのだ。


「素材のマナを全部使い切れば、コウやんとテンカちゃん、ふたりとも戦えるくらいにはなるやろ。もちろん、万全にはならんやろうし、自然回復するよりも身体に負荷はかかるやろけど、何もせんよりましや」

「そ、そんな! 悪いっすよ」

「悪い? そんな事あらへん」


 慌てて断ろうとするコウヤに、アキラは露悪的に口角を上げながら言った。


「これは、自分のためだけやない。ワイにとっても意味のあることや」

「どういう意味っすか?」

「なぁに。。そいつに好き勝手させん為にも、コウやんには頑張ってもらわなあかん。やから、あくまでギブアンドテイクや」


 彼の言う知った名前というのが誰のことなのかはわからないが、あくまでこれは取引なのだという。建前としていっているのか、本音なのかは判断がつかないが、しかしその考え方はコウヤの好みでもあった。


 コウヤは左腕の包帯を軽く触る。


 間に合うかはわからない。魔法による治癒は、人体への負荷を減らすために基本は自己治癒能力の促進という形に抑えられている。それを過剰に行うのだから、場合によっては後遺症なども出るだろう。


 それでも――可能性があるのなら、賭けてみたかった。


「よろしくお願いします、アキラさん」


 期限はあと二日。

 インターハイ予選バディ戦の期限は、刻々と近づいていた。




 ※ ※ ※




 寒さの中に溶け込むようなイメージだった。


 広がる雪原、凍りつく身体。視界を遮るような吹雪のカーテンこそが、彼女の原点だ。


 個人ではなく空間として在った時、『スノーフィールドの停止冷原』には情緒というものはなかった。そこにあったのは方向性だけであり、それを願った個人の意識すらも凍りついて吸収されていた。


 今、それを思い出そうとしても、うまく認識できない。


 霊子災害レイスと、霊子生体ファントムは、地続きではあるが別存在だ。かつて霊子災害であった存在でも、ファントムとして発生し直した時点でその在り方は別物になっている。

 ゆえに、冬空テンカにはスノーフィールドの停止冷原の時の記憶はあっても、その時の価値観は失われてしまっている。


 すべて止まってしまえばいい、と思ったのは覚えている。

 でも、全て止まってしまえ、と思う気持ちはわからない。


 今の冬空テンカの価値観で同様のことを思っても、それはレイスとして活動していた時のものとは別の感情だろうと言うのがわかる。

 分かってしまうのだ。

 人格パターンとして人間の精神で物事を考えるようになったことで、レイスだった頃の価値観は失われてしまったのだから。


 だから――テンカは人間の少女の精神で、霊子災害の被害に直面する。


 逃げ惑う人。凍え死ぬことを怖がる人。熱意を壊されて立ち止まる人。

 それらを思い返しながら、冬空テンカは自身の原始に触れ続ける。


 その時だった。


「にゃにゃ。にゃんか派手にやられたみたいにゃ、雪娘」


 情報空間内に、一つの霊子生体が顕現するのを感じた。


 デバイス内のメモリには容量が存在する。

 鏑木コウヤの持つデバイスはお世辞にも大容量とは言えないので、二人目のファントムが入ってくると圧迫感がひどい。


 文句を言おうとしたが、情報体として形を作るのにも手間取るくらいに今のテンカは消耗しきっている。五つある因子のうち四つも破壊されてしまっているのだ。今は雪原に溶け込むようにしてなんとか形を保っている。


「――なんですの。化け猫。貴女の炎でトドメでも指しに来たんですの?」


 積もった雪の表面に、ガワだけをなんとか形成して、テンカは憎まれ口を叩く。


 そんな彼女に、侵入者――二夜メグは、「にゃはは」と笑いながら言った。


「違うにゃ。むしろ助けに来たにゃよ。アタシ、あちこちで活躍していい女にゃ」


 どこまで本気で言っているのかわからないが、メグはドヤ顔でその場に座り込むと、本当に魔力の循環を手伝い始める。

 ファントム同士の魔力の循環は、場合によっては拒絶反応を起こしかねないのだが、自信満々でやってきただけあって、それは無いようだった。


 メグの持つ因子『恩返し』のパッシブスキル『猫又の恩返し』。

 それは、バディからの供給魔力を増幅して、半分を戻すというものだ。これによって彼女はかなり燃費の良いファントムなのだが、そのパッシブスキルを応用して、アキラから流れてきた魔力の余剰分をテンカに回しているのだった。


 ファントムの因子は、全身を巡る血管のようなものだ。修復のためには、根気よく魔力を回し続けるしかない。

 四つもの因子が壊されているテンカが回せる魔力量には限界があったので、この手助けは正直助かった。


「なぜですの?」

「さー、なぜかにゃー」


 テンカの問いに、メグはとぼけたように答える。

 二人の仲は、別にいいわけでも悪いわけでもない。アキラとバディを組んだ後も、メグは所属の関係でそれほど久良岐魔法クラブに居たわけではないので、あまり深く話したことはなかった。


 けれど――気難しいテンカでも、不思議とメグのことは信頼できた。


「これは、雑談ですわ」


 回復に専念しながら、テンカはなんとなしに口を開く。


「コウヤを襲ったファントムは、日本刀を持っていましたわ。あと、熱を使っていました」

「ふむふむ」

「そして、忘れそうになるんですが、

「むむ、それは初耳にゃね」

「ええ。何故か、コウヤもキサキも、それにあの遠見センリですら、あの包帯男を口にしていないみたいですの」


 デバイスの中で、意識だけの状態で何度か事情聴取には参加した。テンカは発言できるほど回復していなかったため、ほとんど聞くだけの状態だったが、それでも違和感は大きかった。


 何より棄権だと思ったのは、それを口にしようとした瞬間、テンカですら包帯男の存在を忘却しそうになったことだった。


 だから――その記憶を、慌てて『固定』した。


「一つだけ、わたくしの無事だった因子のおかげで、今それを口にできましたわ。でも、口にしてしまった以上、今にも消えそうですの。だから、覚えておいてくださいまし」

「にゃるほど。わかったにゃ。バッチリ覚えとくにゃ」


 安心させるように、メグはコクリとうなずいた。

 それを見て、テンカは大きく息を吐いた。


「……忘れませんわ。わたくしも、忘れません。だから――」


 背中を貫いた日本刀の痛みを思い出す。

 燃えるような灼熱の熱波は、これ以上ないほどテンカの意識に刻み込まれている。たとえ、包帯男のことを忘れてしまたっとしても、あの影法師の魔力だけは、絶対に忘却しない。


「必ず見つけてみせますわ」


 情報体を際限なく凍りつかせながら。

 冬空テンカは、その意識の底で心火を燃やし続けた。



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