第32話 情報圧汚染



『もしもし、キーちゃん!? ちょっとちょっとちょっと、何やってんのさこんな時間まで! 門限バリバリ破ってんじゃん! 今何時だと思ってんの!? 夜どころかもう朝! お天道さんが登っちゃってるよ! 門限やぶりどころか一周回って外出時間! 朝帰りだYO! そりゃデートで浮かれるのはわかるけど、お泊りになるならもっと早く連絡を――って、あれ、あれれ? ど、どなた? 鏑木……じゃないよね。……へ、えぇええ!? た、龍宮先輩? こ、これは失礼しますた! やば。噛んじゃった……。ふぇ? あ、いえいえ、こっちの話で。それで、どうして恐れ多くも龍宮先輩のような一部では名前を言ってはいけないお方が、キーちゃんの携帯でお電話を? ……え? えええええええええええええええ!? 襲われたって、キーちゃんは大丈夫なんですか!? ……はぁ。あ、だいじょうぶなんですね。良かったぁ。いやいや、キーちゃんは大丈夫でも鏑木が大怪我じゃだめじゃん! 一体全体何がどうなってデートやってて大怪我なんて……。はい、はい……。わっかりました。では、そういうことでしたら寮監さんに言っておきますのでご安心くださいませ! ……ちなみに、龍宮先輩? そのぉ……一応ですよ。一応聞いときたいことがあって。キーちゃんに限ってそういうことはないと思うんですけど、鏑木だったらありえるかなーとか思うんで、いちおー確認なんすけど、良いです?』




『鏑木が刺されたのって、痴情のもつれとかですか?』



 ※ ※ ※



「……なかなかパンチの効いた後輩だったな」


 ピンク色の携帯端末を手元で弄びながら、龍宮クロアは苦笑いをこぼした。


 時刻は午前七時半。

 場所は、市内の総合病院。


 魔法に精通した医師が常駐している病院であり、魔法関係者が怪我や病気をした場合、まず運ばれる場所でもある。


 昨日の夕方、公園で襲撃を受けた鏑木コウヤと比良坂キサキは、その日のうちにこの病院に運び込まれ治療を受けた。キサキは幸いにして大きな怪我はなかったが、コウヤは搬送された直後に緊急手術が行われた。

 手術自体は日付が変わる前に終わったが、怪我が怪我なのでそのまま入院となった。


 付き添いに来ていたクロアは、第一発見者ということで警察からの事情聴取を受け、そのまま病院の患者関係者宿泊施設に泊まらせてもらうことにした。


 宿泊施設と言うよりは仮眠室と言ったほうが良い四畳半ほどの畳部屋で、七時頃に目を覚ましたクロアは、真っ先にキサキの様子を見に行った。

 キサキに目立った外傷はなかったが、魔眼の暴走による情報圧汚染によって精神に大きなダメージを負っていた。そのため、彼女もまた病室に一時入院という形で宿泊していたのだが――


 早朝にもかかわらず、キサキはベッドに上体を起こしていた。


 目には包帯を巻いているが、すでに目を覚ましているのがわかる。

 まるで生気が抜けたように呆然と体を起こしているその様子は、見ているだけで痛々しかった。


 キサキの携帯が小刻みに震えていたが、彼女は取る様子を見せなかった。

 放置するのも座りが悪かったので、キサキに一言断ってクロアが代わりに電話口出たのだが、その結果としてキサキのルームメイトである不夜城ホノカと話をするはめになったのだった。


 クロアはピンク色の携帯端末を返しながら、優しく声を掛ける。


「とりあえず、こんなところでいいか? 比良坂」

「……はい。ごめんなさい、クロアさん」


 顔をあげようともせず、うなだれた様子でキサキはボソボソと言う。


 礼ではなく謝罪の言葉が先に出てきた。

 一年前までの快活な様子は鳴りを潜め、悲壮な幸薄さが彼女を取り巻いている。痛ましいその様子を見ていられなくて、クロアは思わず息を吐いた。


「他に連絡しておいたほうが良いところはあるか?」

「………」

「そうだな。とりあえず、久良岐さんには連絡しておく。その後はまた相談しよう」

「……………」

「少し休んでいたほうが良い。横になるだけでも気は楽になるからな。今から鏑木の様子も見てくるから、何かあったら看護師を呼ぶんだぞ」

「……………はい」


 こくり、と僅かに頭が動く。聞こえていないわけではないようだが、やはり精神的に追い詰められているようだ。こればかりは時間をかけて持ち直していくしか無い。


 キサキの病室を出たクロアは、ナースステーションに顔を出して挨拶をした後、公衆電話を利用して久良岐魔法クラブに電話をかけた。

 八時前という時間に人がいるか不安だったが、都合よく出勤直後の職員が居たため、伝言を頼んだ。


 それから、鏑木コウヤの病室に向かう。

 その時だった。


「ご苦労をかけました。感謝します、龍宮先輩」


 クロアの通話が終わるのを待っていたかのように、横から声をかけられた。


 その声に振り返ったクロアは、壁に背をかけている少女を見て納得したようにうなずいた。


「名前だけだとわからなかったが、やっと分かった。國見家の長女だな」


 オリエントの制服を来た少女――國見キリエは、クロアの言葉に小さくうなずいた。


 昨日の夕方、クロアの元に学内ネットのアドレスから、一通のメールが届いた。

 それは、鏑木コウヤが何者かに襲われているという内容で、場所の指定だけがされた簡素なメールだった。

 國見という署名から、神咒宗家の國見家に関係する人間なのはわかったが、あいにくクロアには國見家の知り合いは居なかったため、最初はいたずらかなにかと疑いを抱いた。しかし、センリの遠見の魔眼で実際にコウヤが襲われているところを確認したため、慌てて救援に向かったという流れだった。


 國見家の長女。

 問題を起こして勘当された問題児にして、つい最近お家騒動のどさくさに紛れて復縁した、油断ならない少女。


「何度か顔を合わせたことはあるが、話をするのは初めてだな? 最も、妹から話は聞いているから、全く知らないというわけではない」

「はい。僕も、龍宮先輩の話はよく聞いています。それこそ、妹さんから色々と」


 含みをもたせるような言い方をしながら、キリエは壁から背を離してクロアの正面に立つ。

 余裕を持ったような意地の悪い笑顔を浮かべているが、どこか無理をしている風にも見える。


 真正面から見上げられたクロアは、牽制半分に尋ねる。


「どういうつもりで俺にメールを送ったんだ? 助けて欲しいともなにも書かずに、ただ襲われているとだけ書いても仕方ないだろう?」

「龍宮先輩なら、それで様子を見てくれると思いましたから。僕じゃあ、流石にファントム二体の襲撃に対応するなんてできませんからね」

「体よく利用したってわけか。まあ、俺が好きでやったことだ。何も言うまい。それより――お前は鏑木と敵対しているという話を聞いていたが、それがなぜ助けるような真似をする?」


 ハクアからは断片的にしか聞いていないが、昨年一年間、鏑木コウヤと國見キリエはかなり険悪な関係だったと聞いている。詳細については知らないが、ハクア自身もかなり敵意を向けていた様子だった。


 それがなぜ、助けるようなまねをするのか。


「誤解――というわけではないですが、まあ心境の変化だと思ってください」


 ニコニコと笑いながら、キリエはゆっくりと距離を詰めてくる。

 そして――彼女はそっと、


「―――、」


 それを見た瞬間、クロアは瞬時に魔力を全身に巡らせる。

 一工程にも満たない、簡単な身体強化の魔法。全身を魔力で包むことでわずかながら魔法の干渉の耐性を作り、なおかつすぐに魔力を変換できるように待機させる。デバイスこそ無いが、二工程程度の魔法式なら瞬時に組めるように記憶している。


 全身の魔力を励起状態にしながら、クロアは淡々と尋ねる。


「どういうつもりだ? 國見」


 キリエの瞳――過去視の魔眼についてはハクアから聞いている。

 その発動の気配を感じて、クロアは即時に対応をとった。防御だけでなく、すぐに攻撃に転じれるようにまで身構えられたのは、日頃の修練の賜物だろう。


 それを見て取ったのか、キリエはあっさりと目をもとに戻し、両手を上げて謝罪する。


「失礼しました。敵対の意思はありませんので、許してください」

「魔眼で人を視ようとしておいて、敵対の意思がないというのは都合がいい話だ」

「ご存知でしたか。ならなおさら申し訳ありません。これは癖みたいなものなので、危害を加えるつもりはないです」

「人の過去を覗き見るのが癖なのか」

「性分とでも思ってもらえれば」


 そりゃまた随分と趣味の悪い性分があったものだ。


 クロアは困ったように頭をかきながら、励起状態の魔力を開放して緊張を解く。困ったことに、キリエには誤魔化そうとしている感じはない。

 ここまで短い会話の中で、目の前の少女に敵意がないという事実だけが分かった。底知れない不気味さはあるが、少なくとも敵意を向けるほどの危険性はない。


 無駄な争いは嫌いだ。

 感情のやり取りは、できればプラスに働くもので有りたい。クロアにとって人間関係とは、高め合うものであって欲しいものだ。だから、余計なことで争いになることは避けたかった。


「ここにいるということは、國見も事情聴取を受けたんだろう。どうだ? 鏑木を襲った相手に心当たりはあるのか?」

「まあ、目星くらいはありますが、実行犯とは限らないです。それに――この場合は、知っている方が口にできないので、あまり協力できたとは言い難いですね」

「……? それはどういう意味だ?」


 要領を得ないキリエの言葉に、クロアは疑問を口にする。

 それに対して、キリエは曖昧に笑いながら答えた。


「おそらく、貴方のファントムも同じことを言うと思いますよ」


 ではこれで、と言って、キリエはあっさりと背を向けて去って行った。

 あとに残されたクロアは、困ったように頭をかいてから、肩をすくめて歩き出した。



※ ※ ※



 病院全体が目を覚まし始め、入院患者たちの喧騒で慌ただしく朝の時間が過ぎていく。


 コウヤの個室の前にたどり着いたクロアは、その扉の前に佇む遠見センリに声を掛けられた。


「クロアか。少しは休めたか?」

「おかげさまでな。悪い、監視を頼んで」

「カカ。これも役割だ。普段はやらんが、こういうときくらいはファントムらしいことをするのも悪くない」


 二メートル近い大男は、カカカと愉快そうに笑う。

 彼の言葉は嘘ではなく、センリは護衛業務のようなものを普段は一切やらない。せいぜいが実家の山門を守るくらいで、クロアと共にいるときですら身構えての護衛などまったくしないくらいである。


 もっとも、それでありながら危害を加えられる時には瞬時に反応するのだから、この神霊の実力が図抜けている証明でもある。


 そんな彼は、今日に限っては一晩中鏑木コウヤの病室を見張っていた。

 彼自身思うところがあったのか定かではないが、そのお蔭で病院側の警備は必要なかった。


「それで? 鏑木は?」


 早速、クロアはコウヤの容態を尋ねる。


 緊急手術から一晩。

 左腕の切断と背中の刀傷はかなりの重症だったと聞く。少しでも対処が遅ければ死んでいてもおかしくない怪我だったことを考えると、まだ意識が戻らなくても仕方がない。一命をとりとめただけでも十分すぎるほどだ。


 そう思っての半ば形式的な問いかけだったのだが、センリからの返答は以外なものだった。


「驚くが良い。あの坊主、

「……冗談だろう?」

「カカ! そのようなつまらん嘘は言わん。驚嘆することに、今まさに朝食をとっているくらいだ。あの胆力は平和な現代では異常なほどだ。よほどの修行を積んでいると見た」


 半信半疑のクロアに、センリは愉快げに言う。

 このファントムが手放しで褒めるということは相当のものである。クロアですら、彼に褒められたことは数えるほどしか無い。


 センリと連れ立って病室に入ると、確かに鏑木コウヤは目を覚まして食事をとっていた。


「ああ、おはようございます、先輩」


 右手にスプーンを握って病院食のおかゆを口にしていたコウヤは、クロアの姿を見ると驚いたように目を丸くしてから、すぐに頭を下げてきた。


「助けてもらったみたいで、ありがとうございます」

「気にするな。むしろ助けに入るのが遅かったくらいだ。それより――本当に目を覚ましていたんだな。かなりの重症だったはずだが」


 目を覚ましていると言っても、もっと消耗していると思ったのだが、おかゆとはいえ経口摂取で食事を取れるくらいにまで回復しているとは意外だった。

 受け答えもしっかりしており、とても病人には見えない。これでは、先程会ったばかりのキサキの方が病人のようだ。


「もう大丈夫なのか? 医者の話では、回復にはかなり時間がかかるって話だろう?」

「そうっすね。なんとか意識ははっきりしてますが、消耗は激しいっす。ただ、魔力の循環路は途切れてないので、思ったより早く回復しそうではあります」


 顔色は悪いが、言動がしっかりしている分は元気そうだった。


 魔法士が普段使っている魔力は、元は生命力の余剰分なので、使い方次第では自然治癒力を高める作用がある。理屈としては拳法や仙道に伝わる気功術の概念と同じであり、高度な魔力操作の賜物でもある。

 それを意識して行えるところを見るに、センリの言う通りかなりの修行を積んできているのがわかる。


 だが――あれだけの大怪我で無事なはずもなく、ひと目で分かる変化が目を引いた。


「……やっぱり、その腕は」

「ああ――」


 クロアの視線に気づいたコウヤは、バツが悪そうに目を伏せる。


 彼の左腕は肘から下がなく、病院服の左袖は虚しく垂れ落ちている。腕の欠損という大きな見た目の変化は、思った以上に注意を引いた。


 センリが現場に辿り着いた時には、すでに切り落とされた状態だったと聞いている。これでよく生き残ったものだとしみじみと思う。


 龍宮クロアも魔法の修行にあたってそこそこの修羅場をくぐり抜けてきているが、それでも実際に命のやり取りをしたことはない。せいぜいが、センリに連れられて霊子災害の調伏の手伝いをしたことがあるくらいだ。それは彼にとって僅かな劣等感でもあり、だからこそそれに直面して平然としている鏑木コウヤのことが奇異に映った。


 困ったように口ごもってしまったクロアを見て、場をつなぐようにコウヤは口を開く。


「でも、まったく治らないってわけじゃないんすよ。センリさんが適切に処置してくれたおかげで、切断された左腕の状態はかなり良いそうなので、技術的には接合可能って話でした」

「治るのか、その左腕?」


 聞きづらかったことをコウヤから話してくれたので、クロアは身を乗り出しながら尋ねる。


 それに、コウヤは困ったように顔をしかめながら言う。


「ちょっとだけ短くなるそうですけど、神経もきれいで、接合後はリハビリ次第では元のように動くようです。ただ――」

「ただ、なんだ?」

「……傷口に情報圧汚染の症状が出ていて、このままだとうまく癒着しないそうです」

「呪詛、ってことか」


 おそらく、襲ってきた影法師のファントムによるものだろう。


 情報圧汚染とは、虚構が必要以上に現実を侵食する現象のことを指す言葉だ。


 魔法は情報界にアクセスして現実界を改変する技術だが、その改変にかかる情報量の過多を情報圧という。

 本来ありえない事象を魔力で無理に引き起こしているので、現実を塗りつぶすためには相応の魔力――情報量を必要とする。それはしばしば、必要以上に現実を侵食する。


 具体的には、ファントムは存在そのものが一種の情報圧汚染と言える。彼らは霊子細胞という概念情報を保存できる特殊な素粒子によって現界しているが、その実態は膨大な情報の塊である。彼らは腕一つ動かすことにも魔力を消費して現実を改変しており、常に自身の情報で周囲の情報を塗り替えているようなものである。


 ファントムによる干渉は、物理的な傷以上に、概念的な侵食の方が問題となりやすい。今回の場合、影法師の刀による何らかのスキルが、コウヤの左腕の傷口を塗りつぶして接合できないように邪魔をしているようだ。


「現実でファントムの攻撃を食らうことなんて、そうそう無いっすからね。さっき医者とも話をしたんですけど、このレベルの呪詛になると、解呪にはAランクの魔法士が必要だって言われました」

「それは、知識としての話じゃなくて、純粋に魔法の深度の問題だな?」

「はい。霊子庭園ならともかく、現実でこの深度の解呪は、リスクが大きすぎるそうです」


 呪詛の解呪には、かけられたときと同じように情報界にアクセスして、問題となる部分を解きほぐす必要がある。

 それは、普通に魔法を使う時以上に難しく、下手に手を出して失敗すると、予想外の改変を引き起こしてしまう可能性がある。


 だからこそ、現実で五工程クラスの魔法行使が許可されているようなAランクライセンス持ちが必要となるのだ。


「普通の病院の医師ならBランクライセンスで十分だからな。Aランクとなると、魔法学府の付属医院か、海外くらいにしか居ないだろう」

「オリエントの付属医院には紹介状を書いてもらえるそうですけど、あそこは海外からも患者が来るくらいの状態なので、予約待ちは避けられないだろうって言われました。どこの病院も、数カ月は掛かりそうですね」

「あとは、医師以外でそのレベルの解呪ができる魔法士を探すか、ってところか」


 魔法を使った治療には本来は医師免許が必要になるが、例外が2つある。

 一つは、緊急避難としての治癒魔法。

 そしてもう一つは、呪詛の解呪である。


 無論、どちらも魔法士ライセンスの範囲内でしか許可されていないが、そもそも現実でそれほどの魔法を使える魔法士はそうそう居ないという問題がある。

 情報界へのアクセスが容易な霊子庭園ならともかく、現実での魔法行使は、何枚もの手袋をはめた状態で砂粒を掴むような操作になるので、どうしても改変が粗くなるのだ。


 情報体であるファントムならともかく、現実に肉体を持つ人間ではそれが限界である。


「力になってやりたいが、そもそも俺では実力不足だな。俺の実家にしても、呪詛のたぐいはあまり詳しくなかったはずだ」


 申し訳なさそうに告げながら、クロアはちらりと後ろを見やる。


「センリ。お前の眼なら、解呪の方法が分かったりはしないか?」


 その問いに、ここまで黙っていたセンリが小さく息を吐きながら答える。


「見えはするが、。俺は魔法に関しては素人だからな。自分にかけられた呪詛なら強引にでも破れるが、他人のものとなるととんとわからん」

「そうか……。ちなみに、今一度確認だが、本当に襲撃犯のことはわからないんだな?」


 念を押すように、クロアは尋ねる。


 センリは昨日の戦闘の際、襲撃犯と直接拳を交えている。その時に、彼は敵の姿を見透かしたと言っていた。


 しかし、警察からの事情聴取の時には、相手のことを認識できなくなっていたのだ。


「俺の魔眼は確かに影法師の正体を見破った。そこまでは事実だ。だが――奴が視界から外れた途端、認識にノイズが走った。どうやら最後に特殊な認識阻害のスキルを食らったらしい。ハッ。用意周到な奴らだよ。姿形だけじゃなく、攻撃方法まで曖昧と来た。更に厄介なのは、下手に確信を持って話そうとすると、偽装された事実に認識が固定される術式が組まれていることだ。よほど正体をバレたくないんだろうな」


 警察との事情聴取では、おそらく複数のファントムによるスキルの複合であるという結論になった。


 

 というのが共通見解となった。


「これに関しては、比良坂も同様の主張をしている。あとは鏑木と、お前のファントムだけだが、なにか俺たちが見落としている情報はありそうか?」

「そうっすね。あの時……」


 そこで、僅かに違和感を覚えたようにコウヤが顔をしかめる。

 しかしすぐに、彼は疑念を振り払うように首を振った。


「確かに、。俺もテンも、あいつに一瞬でやられたんです」

「そうか……何かしら正体につながるヒントでもあれば、解呪の役に立てるんだが」


 ここまで複数の視点で見ておきながら、誰一人その実体を見ることができてない敵。よほど警戒心の高い相手なのだろう。


「そういった手合ならジュンが得意だったがな」


 そうぼやくように、センリが口を開いた。


「あいつの密教呪術は、もとを辿れば教義の秘匿から派生した情報の隠匿だ。自身の呪術はもとより、他者の呪術の隠された要素を見出すことにかけてはかなりのものだった。あいつなら、解呪までいかずとも、無効化するくらいに分解することは出来るだろう」


 彼が言っているのは、龍宮ハクアのバディである風見ジュンのことだろう。


 センリとジュンは、同時期に龍宮家が召喚をしたファントムである。すでに百年近く現実に存在し続けている古参ファントムである彼らは、互いのことをよく知っている。


「ジュンか……。一応、ハクアにも連絡をとってみるか?」

「いえ。それなら俺の方からやります。あんまり心配はかけたくないっすけど、こういうこと隠していると、あいつ怒るんで」


 あまり気乗りしないようだったが、コウヤははっきりとそう言った。


 その言い方に独特の親しみを感じて、クロアは思わず小さな笑いを漏らす。コウヤとハクアが交際をしていることは聞いていたが、この分ならそれなりに信頼しあっているらしい。


 話をしている間に、朝食を終えて食堂から戻る入院患者たちの声が廊下から響いてきた。そういえば、コウヤも朝食をとっている所だったのを思い出す。


「寝起きに悪いな。とにかく今は、養生したほうが良い」

「すいません、面倒をかけて」

「知らない仲じゃないんだ、気にするな」


 そう言って立ち上がりながら、クロアは思わず喉元まで出かかった言葉を飲み込む。


 コウヤが襲われたことはもとより、今何よりも問題なのは、コウヤの左腕だ。

 それを治す算段を立てようと躍起になっているのは、クロア自身に思うところがあるからだ。


 今の展望が見えない状態でそれを口にするのはためらわれる。だが、どうしても胸の奥に失望の念を抱いてしまう。


 怪我の治りは思ったより早くなりそうだと言っていた。左腕に関しても、時間はかかるが治せないわけではない。だが――それでは、間に合わない。


 来週から始まるバディ戦。

 シューターズの予選には、流石に間に合いはしないだろうと。


「Aランクの魔法士、か」


 その時だった。

 病室を出ようとするクロアに対して、センリが腕組みをしながら難しい顔をして言った。


「なあクロア。一人だが、Aランクの魔法士の知り合いがいるんじゃないか?」

「誰の話だ?」

「一月のユースカップの話だ。対戦はしなかったが、会場で少し話をしていただろう。あの男は関西ブロックの代表の一人だったが、確か

「……あぁ!」


 そこまで言われて、ようやくクロアにも合点がいった。


 そもそも接点がない相手なので忘れていたが、あの男ならば、確かに呪詛の解呪にも精通している可能性が高い。なにせ、嫌がらせじみた呪術に関してはスペシャリストだ!


「そうだ。あの人、今は北海道で発生した霊子災害の遠征チームに参加していたはずだ。ちょっと前に、ようやく調伏が終わったというニュースを見た。なら帰ってきているはずだ!」


 柄にもなくテンションを上げているクロアに対して、コウヤは困惑したように首を傾げている。そんな彼に向けて、クロアは安心させるように言う。


「お前がよく知っている人だ」




 ※ ※ ※




 ジリジリと太陽がアスファルトを焼いている。


 まだ6月の下旬だと言うのに、早くも夏の影が街に差し込んでいる。うだるような暑さまでではないが、厳しい直射日光が容赦なく皮膚を突き刺してくる。


 そんな中を、とあるバディが久良岐魔法クラブを目指して歩いていた。


「あぁあもう疲れたにゃ! お腹へったにゃ! だからバスに乗ろうって言うたんにゃ! もう、アキラのバカ! アホ! 甲斐性なし!」

「うるせぇ! どこかの誰かのせいでスカピンなんを忘れたんかこのボケ猫! てめぇがあの時、二号艇なんぞに持ち金全額突っ込んだりせんかったら、今頃タクシーで悠々と帰っとるわ!」

「一番と三番は師弟関係だから当たり目が低いって言ったのはアキラにゃ! それに、二番の単勝は倍率十二倍だったんにゃからハイリスク・ハイリターンだったにゃ!」

「オッズがたけぇってことは、大穴になるだけ人気がねぇってことだっつぅの! ああもう、わいはなんで、こないバカ猫を競艇になんて連れて行ったんや!」


 フラフラと歩く二人は、ボロボロのみすぼらしい服装で互いに言い合いを続けていた。

 情報体であるファントムですら身につけている衣服を修復できないくらい、限界まで魔力消費を切り詰めているようだ。そんな二人は、どうやら競艇賭博の話で言い合いをしているらしい。


 この二人、実はつい昨日まで北海道に居たのだが、そこでの仕事を終えて帰る時になって、手持ちの金が乏しいことに気づいた。

 遠征中の生活費は公金で賄われていたのだが、成功報酬は後払いになるので、遠征が終えてからの生活費に困ることになった。


 そこで、一発当てようとして、惨敗したらしい。


「はぁああああああ。もう疲れた! 魔法クラブについたらなんか食わしてもらお」

「ずるいにゃ! アタシもいい加減ステーキとかビフテキとか肉とか肉とか食べたいにゃ!」

「おいこら、そんな贅沢言うんやない。いいか、メグ。タカる時はな、まず下手に出るんや。ほんとぉーは助けてもらうんは心苦しいんやけど、でもご厚意に甘えさせてもらいます、ゆう態度が大事なんや。そうやって下に下に出るんが、タカリのコツやで。そうすりゃ気のいいやつやったら、最後には肉を食わせてくれる」

「おお! そうにゃか! にゃら、どーしてもお肉を食わせてくれるっていうから、ご厚意に甘えるにゃ!」


 そんなアホな会話を繰り広げながら、お馬鹿なバディは久良岐魔法クラブの門を叩いた。


 夕薙アキラと二夜メグ。


 彼らが鏑木コウヤの現状を知るのは、この数時間後の話である。




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