第28話 失恋の話
土曜の朝早くから身支度を始めたキサキに、同室の不夜城ホノカが猫目を細めながら愉快そうにからかってきた。
「ん? なになにキーちゃん。おめかししちゃって、デート?」
「ち、違うもん。ちょっと遊びに行くだけ、っていうか……」
デートっていうのやめて、と。キサキは気まずそうに顔をそむけながら言った。
土曜日、九時半。
集合は十一時にしていたので、まだ少し時間がある。鏡の前で顔をしかめながら、キサキは先程から服をとっかえひっかえしていた。
キサキ自身はおしゃれには無頓着な質で、彼女の保有する服はもっぱらバディのタカミが選んだものである。矢羽タカミはおしゃれ好きで、久良岐家に居た頃はよくキサキを着せ替え人形にして遊んでいた過去がある。
そのおかげで今まで服には困らないで生きてきたキサキだったが、まさに今、これから着ていく服に悩むという年頃の女子らしいことをしていた。
「デートじゃないっていうんなら、なんでそんな悩んでんのさー。どーせ鏑木と行くんでしょ? 元カレが相手なんだから、気ぃ使う必要ないんじゃね?」
「だから元カレじゃないって……。違うの。おしゃれっていうか、これは……」
動きやすいかどうか、と口に出しかけて、キサキは口ごもる。
別に、遊びに行くのに動きやすさを重視するのはおかしなことでも何でも無いのだが、それでもキサキはその理由を口にするのを憚った。
そんな彼女の歯切れの悪い様子に、ホノカは小首をかしげながらベッドに寝転がった。
「まーなんでも良いけどさ。ちゃんと門限には帰ってくんだよ。昨日もギリギリだったし、目つけられかけてるよ、キーちゃん」
「うん、分かってるよ」
「あと、動きやすいのが良いんだったら、ジーンズ貸そうか?」
「…………」
自身のクローゼットの中にあるボトムスを見る。
見事にタカミの趣味でスカートだらけであり、機能性は申し分ないが、ちと派手だ。普段は大して気にせず履いていたし、デートという意味では本来なら正しい選択だが、今日のところは出来れば避けたい。
ポリポリと頬を搔きながら、キサキはバツが悪そうに言った。
「……ねえ、ホノ」
「なんじゃい、キーちゃん」
「破いちゃったらゴメンね」
「……キーちゃんは一体何をするつもりなのさ」
ホノカにジーンズを借りて、ついでにトップスについてもコーデのアドバイスを貰い、更には調子に乗ったホノカによって化粧なんかもさせられて、なんとか準備が終わったのが十時すぎのことだった。
※ ※ ※
十一時、駅前。
「おおう」
待ち合わせ場所に現れたキサキを見て、コウヤは思わず声を上げておののいた。
そんなコウヤの反応に、キサキはおずおずと尋ねる。
「えっと……なにかおかしい?」
「おかしいっつーか……お前、そういう趣味だっけ?」
一言で言うなら、パンクファッションだった。
黒のレザージャケットに、インナーはなにやら禍々しい模様の入った赤いシャツ。ボトムスはあちこち傷の入ったダメージジーンズで、腰のベルトには何やら鎖がついてジャラジャラと音を鳴らしている。これで髪の色でも染めていれば完全にパンクファッションだが、流石にそこまではしておらず、キサキの黒髪はいつものように綺麗な原色を保っていた。
背丈こそ低いが、スリムな体型の彼女が着るとそこそこ様になってしまっているのが、反応に困る要素なのだろう。いつものピンクのメガネすらも過激なアクセサリーのように見えるくらいだ。
コウヤには、中学時代に何度も私服姿を見せているので今さらだとは思っていたが、やはりホノカに借りた服のインパクトは絶大だった。
だからだろうか。
思わずと言った様子でコウヤが言う。
「そんなの、タカミさんが許さないだろ……」
「う、それは思った」
コウヤの言葉に、キサキは苦笑しながらうなずいた。
タカミはどちらかといえば可愛い系の少女趣味な服を好むので、こんなパンクな格好を見たら顔をしかめることだろう。それを考えると、ちょっとだけ悪いことをしているような気分になって、ドキドキしてきた。
そこで、実体化してコウヤと腕を組んでいるテンカが不愉快そうに言う。
「イメチェンとはけしからんですわね、キサキ! 抜け駆けしてコウヤに色気を使おうだなんて、いつから貴女はそんな卑しい女になったんですの?」
「別に色気とか使ってないよぉ。っていうか、今のテンちゃんには言われたくないな……」
苦笑いするキサキの視線の先には、これまた気合の入った衣装のテンカがいる。
白フリル付きの清楚なブラウスに、下はチェック柄のロングフレアスカート。頭にはベージュのニットハットをかぶっている。いつもの白装束は封印され、見事な森ガールコーデとなって、地面に足をつけて立っていた。
ちなみにこの服もまた、矢羽タカミセレクションのうちの一つである。
ファントムの衣服は、実際に購入したものを情報体に解体するか、一からプログラムするかのどちらかになる。費用対効果を考えるとどちらも大して変わらないことや、やはりデザイナーがデザインした服飾の方が良いことを考えると、店で買うことが多い。
コウヤが見るのははじめての服だったが、実はこの服をテンカは当初かなり嫌がっていたということをキサキは知っている。それをあえて持ち出すほどに気合を入れているらしい。
コウヤに寄り添うように腕組みしているテンカを見て、キサキは怪訝そうに目を細める。
「なんだか、近くない?」
「……昨日からひっついて離れねぇんだよ、こいつ」
自宅ならともかく、往来ともなると流石に理性が働くのか、コウヤは困ったように顔をしかめる。それに対して、テンカはキョトンとした顔で言う。
「問題ありますか? コウヤ」
「無いと思うか?」
ダメ元で聞き返したコウヤに、テンカはニコニコ笑いながら答えた。
「でもコウヤは、今日一日わたくしのわがままを聞いてくれると言ってくださいましたよね?」
「何言っちゃってんのコウちゃん」
呆れたように頬を引きつらせながら、キサキは思わずそう言う。
それに、コウヤは肩をすくめる。
「仕方なかったんだよ。こいつ、昨日惨敗して元気なかったんだから」
「ちょ、ちょっとコウヤ! そういうことはあんまり言わないでくださいまし!」
負けて落ち込んでいたことを暴露されて、テンカは恥ずかしそうに顔を赤くして文句を言う。それで居ながら、片時もコウヤの腕から離れようとしないのだから筋金入りだ。二年半前も距離自体は近かった記憶があるが、ここまでベタベタはしていなかったと思う。
そんな仲睦まじさを通り越したバディの様子を見て、キサキの心中にちょっとした悪戯心が芽生えた。
「いいの? コウちゃん。ハクアちゃんと付き合ってるのに、そんなにベタベタして」
からかい混じりにキサキが上目遣いで言うと、コウヤはポリポリと頬を搔きながら返答する。
「このくらいで嫉妬してくれんなら、むしろ嬉しいけどな」
「……コウちゃん、それノロケ?」
「なんでだよ。むしろ構ってもらえてないって愚痴だぜ」
「そうなんだ……」
それが惚気だと言っているのだと、キサキは苦笑いを浮かべた。
まさか自分が呆れられていると気づいていないコウヤは、右腕にテンカをひっつけたまま、駅の方を指し示しながら言った。
「それよりとっとと行こうぜ。まず新都の方で飯でも食おう」
「ねえコウちゃん。電話では聞きそびれてたけど、遊びに行くって、なにか予定でもあるの?」
「んにゃ、ノープラン」
「マジかこの男」
「良いだろ別に。一番の目的は気晴らしなんだから。んー、そうだな。とりあえず、二人に合わせて俺もなんか服でも買おうかな」
そう、コウヤは自分の格好を見下ろしながら言う。ちなみに彼の今日の服装は、グレーのシャツにジーンズという簡素な格好だ。別におかしいと言うほどの格好ではないのだが、気合の入った二人の少女に比べるとさすがに見劣りする。
方針が定まった所で、駅のホームに向けて歩き始める。
「あ、そうだ」
と、そこでふと思いついたように、コウヤは左手を差し出して冗談っぽく言う。
「キサキも、腕組むか?」
「……うーん」
あからさまに冗談だと分かったが、だからこそキサキは、乗ってみようかと考える。
今、自分を悩ませている問題も、そうしたきっかけがあればスッキリするかもしれない。幸い、コウヤに対して心理的抵抗はそれほど無いことだし、何より好奇心もある。目の前で甘えているテンカの姿を見ていると、そんな気の迷いを起こしそうになった。
だが――どうしても、異性に身を寄せて歩く自分の姿がピンとこなかった。
「せっかくだけど、止めとく」
「ははっ。せっかくって、何だよそれ」
「うーん。経験するのも悪くないって思ったんだけどね。でも、なんか歩きづらそうだし」
「そりゃそうだ」
くく、と愉快そうに笑って、コウヤは右側に寄り添うテンカを促す。
二人は歩き始めながら、他愛のない会話をしている。「テンは食べたいものとかあるか?」「わたくしは何でも良いですわ。コウヤはどうします?」「そーだな。あんま新都の方詳しくないし、適当にぶらぶらすっか」そんな自然な会話が、親密さを表しているようだった。
そんな二人の姿を見て、キサキは少しだけ寂しさのようなものを覚えた。
昔の自分だったら、先程のコウヤの冗談にどう答えただろうか? いや、そもそも昔のコウヤは、そんな冗談を言う男子ではなかった。別に、チャラくなったとかそういうことではなく、ただその仕草が自然だった。
中学時代なら、キサキは気にせず距離を縮めていただろう。あの頃は、抱きついたり腕を引っ張ったりは日常的だった。けれど、それは男女のスキンシップではなく、あくまで同年代の友人に対する接触だった。
「そっか」
そこでようやく、キサキは胸のうちに湧き上がる違和感に気づいた。
今のコウヤが、昔に比べると男性らしくなっていたことに、今さら気づいて驚いたのだ。
気づいてしまって、昔と同じではないことを意識して――寂しさを覚えた。
「……あたしも、誰か好きになれば割り切れるのかな」
そんな風にぼやいてみて、あまりに中身のない言葉に、一人でため息を付いたのだった。
※ ※ ※
「なんていうか、不毛ですわね」
冬空テンカがそんなことを口にしたのは、午後二時頃。ファーストフード店で少し遅めの昼食をとっているときのことだった。
お昼いっぱい、ブティックを回ってそこそこ楽しい時間を過ごしていた。コウヤの私服だけでなく、キサキやテンカのものも軽く見て回り、それぞれ好きなものを購入していた。キサキはあまり荷物を作りたくなかったのだが、場の空気を壊したくなかったので彼らに付き合って一着購入して、ロッカーに預けてきていた。
選んだ服は、落ち着いたデザインだったが、どことなくタカミが好みそうな少女趣味の意匠のものになっていた。
閑話休題。
それは、コウヤがトイレに行くために席を立った時のことだった。
向かいに座っているテンカが、不審そうな顔でこちらを睨みながら言ったのだ。
不毛だ、と。
「テンちゃん。それ、どういうこと?」
「どうもこうもありませんわよ。コウヤの手前、黙っていようとは思っていましたが、そうやって気を使っているのが馬鹿らしいと思ったんですわ」
コウヤに対しては随分と気を許しているテンカも、キサキに対しては相変わらずツンケンとしている。歯に衣着せぬ物言いも顕在で、その変わらなさがキサキにとっては好ましく思えた。
大方、コウヤとの関係を邪推しているのだろう。
それが根も葉もないものだと分かっていても、この年齢になって異性と親しくしていれば、疑いを抱いてもおかしくない。ましてテンカはコウヤへの好意を隠そうともしていないのだから、そこのところは気になるだろう。
けれど、キサキにとってコウヤは、無二の親友以上でも以下でもない。
学院ではさんざん『元カレ』だの何だのと言われてきたが、キサキが『そういう感情』を持つことは、絶対にないのだから、後ろめたいところなど何一つ無いのだ。
――などと、どこか冷めた気持ちでそんなことを考えていたのだが、テンカの口から出てきたのは、全く予想外のセリフだった。
「キサキ。貴女、コウヤになにか隠していますわね?」
「…………」
なんのこと? と返すには間を取りすぎた。
きっとテンカは、何かしらの確信があって聞いてきたわけではないようだった。だから「テンちゃんもあたしがコウちゃんを好きなんて言うの?」とでも冗談めかして返せば、それで誤魔化せたはずだ。けれど、そのタイミングは見事に逃してしまった。
心当たりがあったからこそ、虚をつかれたのだ。
誤魔化すことも出来ず、笑って流すことも出来ず、キサキは気まずげに目を伏せることしか出来なかった。
そんな彼女に向けて、テンカは小さくため息を付いて言う。
「隠す、というのは少し言い過ぎたかもしれませんわ。その様子だと、言いづらいって印象ですが、間違いありませんか?」
「……うん。でも、なんでわかったの?」
「分かったも何も、昨日の歯切れの悪い電話や、今日のいまいちテンションの空回りした貴女を見れば、わたくしでなくても気になりますわよ。コウヤにしても、貴女がなにか悩んでいるんじゃないかってくらいは思っているはずですわ」
「う……ごめん。気を使わせちゃって」
「そんなことで謝らないでくださいまし。友人なんですから、気にするのは当たり前じゃありませんか」
「え……?」
友人、という言葉がテンカの口から出たことに、キサキは驚いて目を丸くする。
そんなキサキの反応に、テンカはバツが悪そうに頬を搔きながらそっぽを向く。ツンとした態度はいつもの気の強い彼女だが、雪のように白い肌が微かに赤く染まっているのまでは隠しきれないようだった。
素直じゃない友人の姿に、キサキは小さく吹き出す。
なんだか、久しぶりに笑った気がした。
「む、笑いましたわね!」
「ごめんってば。でも、ありがと」
「礼を言われるようなことなんてしてませんわ! そんなことより、変な空気を気取られてコウヤに気を使わせるようなことは無いようにしてくださいまし。もし言わなければいけないことがあるんでしたら、早めにすることですわ」
「うん、そうする。でも――」
キサキは大きく息を吐いて、気持ちを入れ替えるようにしながら言った。
「せっかくだから、思いっきり遊んでからにするよ」
「貴女がそれで良いなら、何も言いませんわよ。……ま、コウヤにとっても、その方が楽しめると思いますしね」
ツンケンしながらそっけなく言うテンカだったが、その表情は柔らかかった。
コウヤが楽しめるかを気にしている辺り、どうやらこの問答も、今日一日の空気を改善するために口にしたものらしい。どこまでも、コウヤのことが第一なファントムである。
二年半前からすると考えられない――と思いながらも、あの頃から、この雪原の神霊は、鏑木コウヤという少年を慕っていたように思う。
その親愛の形が変わっただけで、きっと、根の部分は変わらないんだろう。
「ほんと、テンちゃんはコウちゃんのこと好きなんだねぇ」
「何を言ってますの」
思わず口にした感想に、テンカはすました顔でなんでもないことのように言う。
「キサキだって、コウヤのこと好きでしょうに」
「あたし? 違うよ、あたしは……」
「野暮なことは、言わないでくださいまし」
テンカは穏やかな表情で、真正面からキサキを見つめる。
彼女はどこまでも純粋な表情で、素直じゃない少女に向けて促すように言う。
「別に、好きの形は一つじゃありませんわ。男女の好きも、親友の好きも、形が違うだけで好意の一つに違いないじゃありませんの」
「………テンちゃん」
「貴女は、周りから関係を邪推されすぎて意固地になっているだけですわ。他の誰かなんと言おうと、わたくしやクラブの人たちにはちゃんと分かっているのですから、前みたいに自然になって欲しいものですわ」
あ、コウヤが返ってきますわよ、と。
言いたいことだけ言って、キサキは借りてきた猫のようにすまし顔になる。その後、戻ってきたコウヤと顔を合わせるやいなや、またニコニコと表情を緩めるのだから、百面相でも見ている気分だった。
好きの形は一つじゃない。
その言葉は、キサキの胸にストンと落ちてきて、丁度落ち着きのいい場所にはまり込んだような気がした。
※ ※ ※
恋愛について考えてみよう。
誰と誰が好き合って、誰と誰が付き合って。
どこまで進んだとか、どこまでやったとか。
色恋沙汰に夢を見て、惚れた腫れたと騒ぐ。
高校生ともなると、そこら中ででそういった話が聞こえてくる。いかに魔法学府の学生といえども、そこに通うのは十代の少年少女に過ぎない。恋バナは日常的に行われ、否応なく噂を耳にするものだから、どうしても耳年増になってしまう。
そういった話を聞くたびに、比良坂キサキは純粋に。
「すごいなぁ」
と、そう思うのだ。
だって、考えても見て欲しい。
誰かに対して、恋をして、愛するのだ。
そんな感情が自分の内側から湧いてくるなんて、すごいに決まっているじゃないか。
恋しいと思う気持ち。
愛しいと思う気持ち。
恋い焦がれ、愛狂い、渇き欲する強烈な感情。
それはきっと、自分を手放しても惜しくないと思えるくらい、どうすることも出来ない感情なのだろう。何かを好きになるということはそれくらい素晴らしいことで――その中でも、誰かを好きになるということは、それくらい劇的なことだ。
劇的で、悲喜劇的で、悲喜交交で。
見ているだけで悶えるような、なんて羨ましい感情なのだろう。
けれど。
同時、こうも思うのだ。
きっと自分は、その感情を手に入れることは出来ないだろうと。
比良坂キサキは、常に自分が責められているような強迫観念にとらわれている。
小学生時代から続くその錯覚は、未だに彼女を責め苛んでいる。むしろ、成長して見識が広がるたびにそれはひどくなっていった。
キサキの直ぐ側には、常に亡霊が立っている。
小学生時代、彼女を誘拐した伊賦夜坂家の男性は、事あるごとにキサキを攻め立てる。「お前が悪い」「お前がいなければ」「お前が元凶だ」――日常の些細な出来事が、キサキにとっては針のむしろのように感じて仕方がなかった。
気にしない。
気にしない、気にしない、気にしない。
だって、あたしが悪いのは事実なんだから、気にする必要なんてどこにもない。
物事を深く考えるのが少なくなった。
いつも笑って誤魔化すようになった。
大げさに反応することが多くなった。
楽しんでるふりをするようになった。
そしていつの間にか――嘘だったのが、本当になった。
そうすると、ほら。
何も、怖くなくなった。
怖くなくなると同時に――何も、感じなくなったけれど。
比良坂キサキは、人を好きになれない。
対人関係における感情を偽っている彼女は、誰かを好きになるという感情に向き合うことが出来ないからだ。彼女が他者に向ける感情は、常に一枚のフィルターがかけられていて、どんなに近づいても直接触れることが出来ない。
誰かに抱く好意に嘘はなくても、その好意が親愛に変わることは決して無い。
比良坂キサキは、そこまで自分を誰かに明け渡すことが出来ない。
あぁ――だから、羨ましい。
人を好きだという気持ち。
誰かに恋するという感情。
相手が愛しいという想い。
自分という形を誰かにさらけ出す事のできる情緒が、羨ましくて仕方ないのだ。
そんな彼女の偏執的な精神は、物事への執着のなさとして現れていた。
一見すると何にでも屈託なく興味を示すように見えるキサキだが、それは反射的なものに過ぎない。好みや趣向がまったくないわけではないが、大抵のことはどうでもいいと考えている。ただその一瞬を忘れさせてくれるのなら、何だって良いのだ。
私服も、食事も、遊戯も。好きだけれども、他に代替品があるのならそれでも良い。誰かが勧めてくれるのならそれが正解だし、自分から進んで探さなくても選択肢は溢れている。ちょっとしたことでもすぐに笑ったり泣いたり出来ても、喉元すぎればすぐに忘れてしまう。
こだわりがないのだ。
こだわるほどの執着がない。
唯一――ソーサラーシューターズを除いて。
誰かに気を許すことの出来ないキサキにとって、自分のすべてをさらけ出すことのできるものは、競技だった。
ソーサラーシューターズ。
何よりも熱中することが出来、唯一幻想からの叱責を忘れることが出来ること。幼い頃から逃げるようにそれにのめり込んだキサキは、いつしかシューターズのことを考えるのが当たり前になっていた。
それはキサキにとって、恋い焦がれ、愛狂うような感情だったのだろう。
シューターズが関わったときだけ、キサキは何にでも同等の感情を持つことが出来た。大人たちにしつこいくらい果敢に挑戦したり、学外の男子を競技に誘ったり、霊子災害から生まれたファントムと仲良くなろうとしたり――普段なら、幻聴から逃れるための刹那的な奇行に過ぎない暴走も、シューターズが関わるときだけずっと継続して行えた。
初めて、比良坂キサキはまともな人間関係を築くことが出来た。
何年もかけて、キサキはやっと、普通の人と同じくらいの情緒を手に入れたのだ。
けれど。
今、比良坂キサキは、ソーサラーシューターズを奪われた。
心を奪われるほどに心酔したものを、彼女は奪われたのだった。
※ ※ ※
ああ、だから。
キサキはコウヤのことが
海外に行って、シューターズを上達してきた鏑木コウヤという少年のことが、羨ましく、そして同時に妬ましくもあった。そんな感情が自分の内側にあったことに驚いたくらいで、ショックを隠せなかった。
あんなに好きだったのに。
今は、こんなにも目をそらしたい。
でも――やっぱり、嫌いになれないのだ。
※ ※ ※
「ねえ、コウちゃん」
「なんだよ、キサキ」
キサキたちは、ふらりと寄ったゲームセンターでシューティングゲームに興じていた。
画面に映し出された映像を、おもちゃのレーザー銃で射撃するデジタルゲーム。かつてはテレビゲームですら勝てなかったコウヤが、今はそこそこ食いついてくる。
キサキとコウヤがプレイする横で、テンカが賑やかに歓声を上げている。
魔力を使わないデジタルゲームなら、キサキはまだこうして射撃を行うことができる。それが作り物だと分かっていても、射撃の瞬間はやはり心が沸き立つ。
妬ましく、苦しいと思った。
けれども、やはり好きだ。
「あたし、やっぱりこういうの好きみたい」
「は! そりゃ、今更だろ」
キサキが安々とスコアを重ねていく横で、コウヤは額に汗を浮かべながら必死に食らいついてくる。その様子は、かつて久良岐魔法クラブで競い合って練習した時の顔にそっくりだ。
「うん。そうだね」
ニッコリと笑って、キサキは「あは」っと笑い声を上げる。
なんだか、ずっと悩んでいたのが馬鹿らしく感じてしまった。コウヤへの羨望と嫉妬。それは間違いなく胸のうちにある。けれども、それだけじゃないのも確かだ。
コウヤを応援する気持ち。
それも、確かにあるのだ。
だから――
「コウちゃん、話があるんだ」
ひとしきりゲームを遊んで、心地良い倦怠感を覚えながら休憩している時に、キサキは缶ジュース片手に気安く言った。
「来週からの、バディ戦の話」
それは、キサキにとって一つの決意だった。
競技者としてはまだ抵抗のあることだが――比良坂キサキという一人の少女にとって、その選択は後悔のないことだと信じている。
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