第27話 泣き虫バディのあやし方




 時は少し遡って、六時四十分。


 下校時刻間近のこの時間、構内に残る生徒もほとんどなくなり、管理人や警備員が学内の見回りを始めている。オリエント魔法研究学院は大学部まで含めて六キロメートル四方の土地を有しているので、全体の見回りにはかなりの人数が割かれる。


「もうすぐ下校時間だぞ。早く帰りなさい」

「ごめんなさーい。データ取得に時間がかかって。もうすぐ終わります」


 そんな警備員たちに平然と挨拶をしながら、國見キリエはパブリックスペースのベンチに座って、タブレット型のデバイスをいじっていた。


 キリエはにこやかに警備員に手を振った後、タブレット型デバイスに意識を集中させる。


「……よし。やっと解析終了。あとは」


 小さくつぶやきながら、キリエはまっすぐに顔を上げる。


 目線の先は、広場の奥の柱の位置。


 そこに強力な情報圧の跡を見つけたのは、下校する間際のことだった。

 おそらくは強力な結界を張った跡なのだろう。ご丁寧に、そこで起きたことを隠すための隠蔽工作まで行われており、過去視持ちのキリエですら容易には干渉できなかった。


 六時くらいにそれを見つけたキリエは、今の今まで結界の残滓に解析を試みていた。


 そしてようやく結界に穴を開けた彼女は、その空間に残った情報を、残らず『過去視の魔眼』で精査し始める。


「――『リターン・カレント』『私はここにいる』」


 翡翠に輝く瞳が元の色に戻り、キリエは小さく息を吐く。

 過去の情報と今の自分が混じり合う不安定な感覚に襲われながら、手慣れた手順で自己を確立していく。


 そうして、「ふぅむ」と、彼女は腕組みして唇を尖らせた。


「神夜先輩に、あれは明里先生――時間帯は午後の始め、インハイ予選の結果発表あたりですね。けれど、まさか声を拾えないとは、思った以上にこの結界、強力ですね」


 隠蔽に行われた魔法さえクラッキングしてしまえば、あとは全て見通せると思ってたのだが、考えが甘かったようだ。

 キリエが回収できた過去は、神夜カザリと明里宗近が結界を張って密会をしていた様子だけである。


 とはいえ、場面は映像としてくっきりと記録できたので、少し時間をかけて読唇術でも使えば、あらかたの会話は把握できるはずだ。

 はたから見ればストーカーじみた執念であるが、彼女にとっては大した労力ではない。そうした『隠された過去の解明』は、キリエにとってはもはやライフワークなので、特に理由がなくても衝動的に行ってしまうものだった。


 脳内の記憶領域へのショートカットをタブレット型デバイスに紐づけしてから、キリエは大きく伸びをする。

 時刻は六時五十分。

 もうすぐ下校時間だ。


「そういえば」


 校門までの道を歩きながら、キリエはふとぼやくようにいう。


「あの結界に、一人だけ気づいているみたいでしたね」


 神夜カザリと明里宗近の密会。それは、観測されないように結界で隠されたものだったため、通行人は誰も二人の姿を意識していなかった。


 しかし一人だけ。

 少し離れた場所で、隠されたはずの二人の姿を直視していた生徒が居た。


 それは、キリエもよく知っている生徒だった。


「はてさて。は、いったい何を聞いたんでしょう?」


 くふふ、と笑いながら。

 キリエは密会の内容に思いをはせながら、学院から帰路についた。



 ※ ※ ※



「なぁ。そろそろ機嫌治せよ、テン」

「………」

「はぁ」


 デバイスの中で沈黙を貫くバディの様子に、コウヤはため息を付いた。


 時刻は七時過ぎ。

 すでに寮に帰宅して、一息ついたところだった。シャワーを浴びて汗こそ流したものの、食欲はないため夕食をどうしたものかと迷っているところだった。


 魔力不足の肉体が疲労を訴え、落ち着けてしまった重い腰は中々浮き上がらない。座椅子に座ってだらけきったコウヤは、テーブルに置いたデバイスの中で後ろ姿を向けているテンカを、そっと盗み見る。


 下校する時からずっとこの調子で、そうとうショックだったのだろう。


「ま、仕方ねぇよな」


 遠宮キヨネとのシューターズの模擬戦は、見事に完敗だった。


 さんざん模擬戦をした後だったので疲労していたことや、不意打ち気味の作戦にしてやられたことなど、明確な敗因はいくつかある。だが、どちらにせよ負けは負けだ。


 全力を尽くして、それでもなお上回られた。

 だからこそ、コウヤは悔しさを覚えながらも、素直に負けを受け入れた。

 しかし――当の相手は、勝利を素直に受け入れなかった。





「これで勝ったとは思わないから」


 霊子庭園が解かれて生身に戻るとともに、キヨネはまっさきにそう宣言した。


 試合に勝ったというのに、キヨネは納得がいかないような不機嫌そうな顔をしていた。拳を握りしめて、唇を強く噛み締めた様子は、どちらが勝ったかわからないほどだ。


 そんな彼女の隣で、やれやれと言った風にヨハンが方をすくめて口を開いた。


「ま、今のは不意打ちだったからね。少年も、こんな負け方は認めないだろ?」

「……そんなことないっすよ」

「けど、うちの嬢ちゃんはそうは思わないみたいだ」


 ヘラヘラとそう言ってから、ヨハンはサッと霊体化して姿を消した。

 あとに残されたキヨネは、居心地悪そうに目を背けると、そっと息を吐いた。


「これで、私の手の内のひとつは明かしたから」

「……ヨハン、ってことか」

「そう。去年のインハイ予選に参加した人ならみんな知ってるけど、鏑木くんは知らないでしょ。そのかわり、私はあなたのバディを見せてもらった」

「瞬殺だったけどな。あんなんで良かったのか?」

「良いの」


 そう言うと、キヨネはトレーニングルームの端に置いていた鍵を手に取った。


「これは私が納得したいだけだから。だから、鏑木くん」

「なんだ?」

「来週からのバディ戦。私とあなたが当たるのはシューターズだけ。……そこで、全力で勝負するって、約束して」


 制服の袖を強く握りしめながら、キヨネは睨むように言った。その鋭い目つきに反して、言葉はどこかすがるようで、痛々しさすら覚える。


 コウヤはその感情を知っている。

 それは、相手にされないことを誰よりも恐れる心細さだ。


 だからこそ、コウヤは。


「当たり前だ。今日の借りは、きっちりと返してやるから覚悟しろ」

「……ええ。期待してる」


 安心したように表情を緩めたキヨネは、手に持った鍵をコウヤに向けて投げると「じゃあ、戸締まりよろしくね」と言って去っていった。





 そして、現在。

 勝ったとは思わない、などと言われたものの、負けた事実は消えずにしこりとなって残っており、気分が沈んだままのコウヤとテンカだった。


「しっかし、シューターズでここまでの完敗は久しぶりだな」


 得点差だけで言えば、17対18と一点差なので接戦のように見えるが、試合内容を見れば終始相手のペースに踊らされていたので、文句なしの完敗である。


 負けた経験はそれこそ数え切れないほどあるが、ここ一年ほどは接戦以外での敗退は殆どなかった。それくらい、海外での実戦経験でコウヤは飛躍的に実力をつけていた。


 シューターズが点取り競技である以上、戦略の相性や運によっては全戦全勝というわけにはいかないが、それでも大きな実力差が無い限りは完敗というのはまずない。


「バディ戦はまだ経験が浅いってことだな。気をつけねぇと」


 仮に今の作戦を本番でやられていたら、まず間違いなく勝てなかっただろう。シングル戦はともかく、バディ戦はまだまだ経験不足なので、想定外の作戦にハマってしまうことがある。

 今回はその戒めとしていい経験だったと思うべきだろう。


「……よし。反省終わり」


 負けた時は、それを引きずりすぎないことが肝心だ。

 数え切れないほど敗北を重ねてきたからこそ、その辺りのメンタルコントロールは慣れたものだった。


 問題は、そこまでメンタルが強くないであろうバディへのフォローである。


「ほら、テン。そろそろ飯にするから、食べるんなら実体化しろよ」

「…………」

「あんな不意打ち、二度は通じないんだから気にすんなって。そうふさぎこまれてると、こっちだって気が滅入るだろ」

「…………」

「あぁ、もう」


 さすがにイライラしてきたコウヤは、デバイスのメモリ領域の一部を停止させ、電子体の活動領域を狭めていく。

 デバイス内のメモリ容量がファントムのサイズを受け入れられなくなった瞬間、はじき出されるように目の前にテンカが実体化した。


 テンカは丸テーブルに顔を伏せたままだった。


「おい。大丈夫か、テン」


 心配になったコウヤは、何気なくテンカの肩を揺する。

 そこでようやく、テンカは顔を上げた。


「…………こりゃひどい」

「…………ひどい言い草ですわ」


 マジ泣きだった。


 目は涙で充血し、白い頬には涙の跡がくっきりと残っていた。唇は強く噛み締めたせいか紫色に変色していて、見るからに不健康そうである。


 現実に実体を取っているときならともかく、電子体の時に起きた外見の変化は、霊子体に再構成する過程でなかったコトにできるはずである。それなのにこの泣き顔ということは、現在進行系で泣きはらしているからだろう。


「そんな泣かなくても。今までだって、負けたことくらいあるだろ?」

「だって、だって……」


 コウヤの言葉に、テンカはまたボロボロと瞳から涙をこぼし始める。こぼれた涙のしずくは瞬間的に凍りついての氷の結晶となり、机の上に霜を降らせる。


 えぐ、えぐと泣きながら、テンカは涙声で言う。


「わ、わたくし、何も出来なくて……コウヤに、迷惑をかけて……。う、ぅううう。コウヤはあんなに強くなったのに、わた、わたくしが、足を引っ張って……、うぇええん。こんなの、バディ、失格、だし……、ひっく。合わせる顔がない、からぁ……」

「………お、おう」


 想像以上にマジ泣きだった。


 ところどころ口調が崩れている辺り、本当にショックを受けているらしい。

 考えても見れば、手も足も出せずに瞬殺されたのは二年半前の遠見センリ戦以来なので、成長してついた自信が砕け散ったような気持ちなのかもしれない。


 外見が成長している分、子供みたいに泣かれるとどうにもきまりが悪い。コウヤは困ったように頬をかいた後、仕方なさそうに息を吐いた。


「ったく。テン、こっち来い」

「う、……ふぇ?」

「ほら」


 右手を広げて、左手で誘うように彼女の白装束を引っ張る。


 促されるまま近づいてきたテンカを、コウヤは抱きとめるようにして引き寄せる。そして、かつて子供の姿だった頃にやったように、テンカの頭を膝の上に乗せて膝枕をしてやる。


 昔はこうして、泣き出した彼女を慰めていたことを思い出す。懐かしさを覚えながら、コウヤはポンポンと彼女の頭をなでてやる。


「成長したくせに、ずっと子供のまんまだな、お前」

「う、ぅううう。コウヤが、優しい……ひぐ」


 かつてなら憎まれ口のひとつでも叩いた雪女が、今はなされるがままで泣きじゃくっている。これは成長なのかそれとも退化と形容すべきか。ともかく、昔と扱い自体は対して変わらないなぁと思うコウヤだった。


 雪原の神霊である彼女を抱きとめていると、夏だと言うのに体が凍えてくるが、それを必死でこらえながらしばらくテンカを甘えさせる。

 そうしながら、コウヤは手元のデバイスを片手間に操作して、いくつかの情報を閲覧する。


(とりあえず、遠宮とヨハンのデータが取れたのは良かった……が、あんま分かったとは言い難いよなぁ)


 キヨネについては、シューターズのグループ戦も含めれば二戦しているので、ゲームへのスタンスのようなものはなんとなく見えてくる。

 彼女は純粋に、競技ルールで相手を上回ることを目指すタイプだ。

 こういった手合は、一戦に入れ込むモチベーションが非常に高い半面、長期的かつ連戦になると調子を崩しやすいはずだ。


 もっとも、一日に何戦も行う場合なら優位に立てるだろうが、来週から始まるバディ戦のスケジュール的にそれは期待できないだろう。


 そして、問題となるバディ。

 ヨハン・シュヴェールト。


 腰の下げた剣や、中世騎士風の服装から、西洋の剣士なのだろうとは予測していたが、まさかあれほどの達人だとは思わなかった。ゲーム中はひたすら対応に追われて、剣術の特徴を観察する余裕もなかったくらいだ。


(因子も、ほとんどが剣士に関係するものだしな。非公開の因子が一つと、あと『教義』っつーのがよくわからないけど、これだけじゃ考察のしようもない)


 コウヤは剣術に詳しいわけではないので、彼の構えを見ただけではどんな流派なのかもわからない。せいぜいが、西洋剣を用いた古流剣術であるといった程度だ。


(はっきり言って情報不足は否めないな。特に、学院っていう組織内でのゲームだから、どいつもある程度戦術を確立しているはずだ。シングル戦ならまだ予想の範囲内だったけど、ファントムっていう強力な手札があるバディ戦は、何が起こるかわからない)


 今日の模擬戦にしても、ヨハンの強さを少しでも意識していれば、不意打ちで瞬殺されることもなかったはずだ。

 知らないということは、それだけでハンデを背負っているに等しい。

 特に、ファントムという武力の持つ影響力は凄まじいので、来週からのバディ戦ではそうした初見殺しも増えてくることだろう。


 まずいのは、コウヤとテンカは学内での模擬戦をかなり見られてしまっているという点だ。


 もちろん、全ての手札を晒しては居ないが、それでもテンカの性能はある程度見抜かれていると考えていい。二年のブランクを埋めるために率先してバディ戦を行ってきたのが、ここに来て仇になった感じである。


(同じ講義を取ってる生徒の記録は自前で撮ってはいるけど、それ以外は研究不足だ。学院が保管してる映像記録は膨大すぎるし、ダウンロードは有料。際限なく出来るものじゃない)


 対戦相手の研究は絞ってやるべきだろう。


 そこまで考えた所で、ふと、携帯電話が着信を知らせてきた。


 コウヤは携帯端末と魔法デバイスは分けて使用している。携帯を手にとって画面を見ると、比良坂キサキの名前が表示されていた。


「もしもし。どうした?」


 深く考えずに通話ボタンを押すと、電話口から緊張したような声が響いた。


『えと……コウちゃん。無事?』

「無事って、何の話だよ」


 苦笑しながら、コウヤは膝に乗っているテンカの頭を軽く撫でる。テンカはくすぐったそうにうめいた後、ちらりとコウヤの顔を見上げてきた。


「キサキですの?」

「ああ――」


 コウヤは軽くうなずいてから、電話口に意識を戻す。


「なんだ? 俺が誰かに襲われる計画でも聞いたのか?」

『う……ううん。そういうんじゃ、無いんだけど。ただ、ちょっとね』


 コウヤの問に、キサキは歯切れ悪く答える。なんとも要領の得ない反応に、コウヤは困ったように声を尖らせる。


「おいキサキ。なんかお前、ちょっと前から様子がおかしいぞ。最近は学内でもあんまり会わないし、一体どうしたんだよ」

『それは……ちょっと忙しかったんだよ。別に避けてたわけじゃないし』


 その言い訳は、暗に避けていたことをほのめかしているようなものだが、キサキはそれに気づいた様子もない。ただただ、尻込みしたように言葉を濁らせている。物事をはっきりと言うキサキにしては珍しい反応だった。


 なんか悩みでもあるのかな、と不思議に思ったコウヤは、自然な思いつきで提案をした。


「そうだ。キサキ、明日って暇?」

『え? なんで?』

「休みだし、気晴らしに遊びに行かねぇか。テンカも一緒に」


 コウヤとしては、気落ちしているテンカを元気づける目的もあっての提案だった。その狙い自体は成功したのか、膝の上で寝ているテンカが、嬉しそうに目を輝かせた。


 もしキサキもなにか悩みがあるのなら丁度いいし、それに来週からのバディ戦につても相談がしたかった。

 そんな下心込みの提案だったのだが、電話口の反応は意外なものだった。


『え、デート!?』

「…………」


 いや、テンカも一緒にって言ったよな?


 そんなわけで、ハーレムデートの決定である。




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