第12話 恋情と親愛、そして祝福




『だから、あれほど用心しなさいって言ったじゃない』


 はぁ、と。

 深々としたため息が電話越しに聞こえる。


 その態度に気を悪くしたコウヤは、ムキになって言い返す。


「仕方ないだろ。ここはロスじゃなくて日本なんだし、あんな直接的な手段を取ってくるやつがいるなんて、思わなかったんだから」

『それが甘いのよ。いい、犯罪者なんて連中はね、目的のためだったら手段を選ばないから、犯罪者になるの。あいつらに常識的な行動を期待しても無駄なのよ』


 海外生活が長いだけあって、さすが含蓄のある言葉を言ってくれる。


 現在ロンドンにいる龍宮ハクアは、二十時を狙うようにして電話をかけてきた。

 謎の襲撃の後、ヘトヘトで帰ってきた直後のことである。


 おざなりな返答で事情を説明すると、ほれ見たことかと、ハクアからお説教が飛んできたのだ。


『そもそも、アンタ。ベルスター杯にジェーン杯なんて、シューターズのアマじゃ最高峰の大会なのよ。それに優勝したって自覚、いい加減持ちなさいよ』

「そりゃあわかってるけどよ。でも、実態はライセンスも持ってないゴロツキばかりが参加している大会だぜ? 優勝決定戦はさすがに実力者ばかりだったけど、予選なんてマジでルール違反しかなかったのを、みんな知らないだけだろ」

『だとしても、周囲が知るのは、優勝決定戦で実力者を押しのけて、アンタが優勝したって事実だけよ。そんなの、貴族主義のオリエントじゃ、鼻つまみ扱いされても仕方ないわ』

「分かってたのかよそれ」

『そりゃあね。だから私は、オリエント行きたくなかったんだし』


 つまりハクアは、オリエント行きが嫌だったから、海外留学なんて手段をとって、各地を武者修行と称して練り歩いているというわけだ。

 その結果、飛び級で魔法士としてのライセンスを取得しているのだから、流石である。ここまで結果を出せば、誰も文句は言えないだろう。


 もっとも、それを言うと、決まって彼女は「でも兄さんに勝てないんじゃ、意味がない」と言うのだ。ストイックなのか自己評価が低いのか、判断が難しい少女である。


『とにかく、実力行使してきたってことは、少し気をつけたほうが良いわね』


 電話口で、ハクアは我が事のようにコウヤの心配をしてくる。


『案外学校の教師陣もグルの可能性があるから。近年だと、自然派は後継者不足と内部分裂が多くて、一層派閥争いが激しくなってるって話だし。標的にされたら潰されるわよ、アンタ』

「そうだな。はぁ。せっかく國見との問題が解決したってのに、面倒だ」

『そのキチガイ女のことだけど。本当に今度は関係ないんでしょうね?』


 そんなわけ無いだろうというニュアンスを暗に込めながら、ハクアは疑り深く聞く。

 ハクアにしても、ロサンゼルスに居た頃に、キリエからかなりの被害を被っている。そうやって疑り深くなるのも仕方ないと言えるだろう。


「俺もそこは疑ってるよ。ただまあ、状況的に今回は違うと思う。次も違うとまでは言えないから、警戒はするつもりだけど」

『……ごめんね。あの女が帰ると分かってたら、私も帰国すればよかったのに』


 不意打ち気味に、ハクアは驚くほどしおらしい声で謝罪を口にする。


 別に彼女が負い目を感じる必要など無いのだが、國見キリエに関しては、ハクアもいろんなことがあった。

 コウヤにしろ、ハクアにしろ、二人共割り切れない思いを抱え続けている。それらを拭い去って、まっさらな状態になれるのは、まだまだ先だろう。


 だからこそ、それを振り払うように、コウヤはあえて明るく返す。


「無理すんなよ。お前もそっちで予定あるんだろ。國見だって、前に比べたら随分大人しくなってるから、大丈夫だ。お前が気にすることじゃないさ」


 とにかく今は、互いの目標に向けて邁進することが、一番の近道だと思うしか無い。


 そうして、互いの近況を報告しあったところで、ハクアが終わりを切り出してきた。

 


『それじゃ、お昼終わるから、この辺で切るわね』

「ああ。今からトレーニングか?」

『新商品の試作テストなの。私に出資してくれるって企業がいるんだけど、そこのデバイスの使用テストがあるのよ。もう、慣れない術式ばかり起動させられて、面倒の連続よ』

「はは。すげぇなお前は」


 心の底から、遥か彼方にいる少女に賞賛と激励を送る。


「頑張れよ。すぐに追いついてやるから」

『待ってるわよ。アンタが居ないと、張り合いなくて面白くないんだから』


 そう言って、ずっと先へと行ってしまったライバルは、応援の言葉と共に通話を切った。


 ハクアの声の残滓を感じながら、コウヤは携帯端末をベッドに放り投げる。そうして、制服を着たまま、ゴロンと転がり込んだ。


 どっと疲労感が襲ってくる。

 謎の襲撃から、まだ一時間も経っていない。張り詰めていた精神が一気に切れるのを感じる。このままでは寝てしまうと思いつつも、その快楽に身を任せたい衝動に襲われる。

 そのまま、コウヤはうつらうつらと、まどろみを覚え始めた。


 そこに、嫌味混じりの声がかけられる。


「随分と幸せそうな会話でしたわね。コウヤ」


 寝転がったまま顔だけを向けると、ムッとした顔で正座をしているテンカの姿があった。

 何が気に食わないのか、彼女は不機嫌を隠そうともしてない。


「電話の相手。ハクアというのは、あの拳銃娘ですわよね?」

「ああ、覚えてたか。そうだよ、あの栗毛の女。ロサンゼルスに居たときに、あいつも近くに居たもんで、よくシューターズの練習に付き合ってもらったんだ」


 気軽に答えるコウヤに対し、テンカは静かに問いを投げかける。


「それだけ、ですか?」

「ん? それだけ、ってどういう意味だ?」

「とぼけないでくださいまし」


 はぐらかそうとしたコウヤに、テンカは真正面から言葉をぶつける。


 態度として不機嫌そうにしてはいるが、その目は真剣でありながら、どこか柔らかい。

 別に糾弾するつもりではなく、あくまで正直な気持ちを聞きたいといった様子だ。


 テンカは小さく息を吐いて、改まった風に言う。


「この際だから、はっきりさせておきたいのですが。わたくしはコウヤのことが好きです」

「お、おう……」


 思わず言葉に詰まる。


 確かに再会してから今日まで、そういうアピールをされては来たが、こうはっきりと言われると、どう返事をして良いのかわからなくなる。ここまで直球な告白をされたのは初めてだった。


 好き――つまり、恋愛感情を持っていると、おおっぴらに公言してきたのだ。


 だが、その後に続く言葉は、少しニュアンスの違うものだった。


「けれど、わたくしの好きは、あくまでファントムとしてのものと考えてください。主従関係を前提とした、親愛と捉えて頂きたいです」

「……すまん。どういう意味だ?」


 言葉の意味がわからず、戸惑う。

 思いの外真剣な話なので、寝転がったままでは失礼だろう。コウヤは身体を起こして、正面からテンカと向かい合う。


 察しの悪いコウヤに、テンカは丁寧に受け答えをする。


「つまりわたくしは、女性としての愛情で、あなたを縛るつもりはないと言っているのですわ」


 言いながら、彼女は両手を胸の前で組み、目を伏せる。

 それは、胸の内に灯るぬくもりを、大事に抱えるような仕草だった。


 冬空テンカは、その内に持つ小さな熱情を、確かな言葉としてコウヤに渡す。


「どんなに思い焦がれても、わたくしはファントム。種族の差は、絶対的にございますわ。だから、わたくしはあなたのことを恋い慕いますが、あなたが誰かと恋仲になることを、とやかく言うつもりはありません」

「……テンカ」

「そりゃあ、どこの馬の骨とも知れぬアバズレ女なら別ですけど。けど、あなたが本当に好きになった相手でしたら、わたくしはちゃんと応援しますわ」


 別に自分を選ばなくても良い。

 ただ自分が、そばにいることを許してくれればそれでいいと。


 そんな、まるで都合のいい女のようなセリフを、テンカは真面目な顔で言うのだった。


「だから、隠し事はしないでくださいませ。無論、どうしても嫌なら構いませんが」

「……いや。そうだな」


 そこまで言われてしまうと、こちらとしても相応の態度を取らなければならない。


 コウヤは罰が悪そうに頭をかくと、一瞬だけ目をそらしてから、まっすぐにテンカを見る。

 未だ整理のついていない感情。

 あえて目をそらしていたそれに、今一度目を向ける。


「ハクアと付き合ってた。といっても、一年間という期限付きでの交際だった」

「……ということは、今は別れているということですの?」

「そういうことになる。ただ、もし俺がオリエントを卒業して、互いに恋人が居なければ、もう一度やり直してもいいと、そんな約束をしている」

「なんですのそれ。よくわからないですわね」


 直球の反応だった。

 あまりに直截な言葉に、思わずコウヤは苦笑を漏らす。


「俺とあいつじゃ、進路が違いすぎたんだよ。あいつは去年の時点で海外の魔法学府の卒業内定とってたし、俺はオリエント入学のために日本に戻るつもりだったからな。だから、どのみちずっと一緒には居られなかった」

「だから、別れたんですの? 遠距離でも、今みたいに電話で関係は続けられるでしょうに。それをわざわざ離別すると公言して、そのくせ今後復縁の可能性だけは残すだなんて、中途半端ではありませんこと? ……ほんと、よくわかりませんわ」


 コウヤの言葉に、テンカはブツブツと文句を言っている。

 しかし、表立って反対はしないと言ってしまった以上、あまり強く言えないようだった。


 その様子を見ながら、コウヤ自身も、ハクアとの奇妙な関係を再確認することになった。

 実際、男女交際という形を取ってはいたが、そのあり方は、普通の恋愛とは少し違うものだったようにも思う。


「そもそも、キサキはどうするんですの」


 ふいに、テンカが予想外の名前を口にした。


「ハクアはともかくとして、あの弾幕娘のことは、なんとも思ってませんの?」

「は? なんでそこでキサキの名前が出るんだよ」

「わたくしはてっきり、付き合うのならキサキの方だと思ってましたのよ」


 たちの悪い冗談かと思ったが、思いの外テンカは本気の目で言っていた。


 キサキ……あいつかぁ。


 コウヤは彼女の姿を思い返す。

 出会ったときの、お転婆ながら可愛らしい顔立ちをした少女。そして、最近再会したときの、メガネをかけてどこか天然っぽい快活な少女。


 確かに、魅力的な少女である――とは、思うが。


「うん、ないな」


 バッサリと切り捨てた。


 うん、ない。

 あいつはなんていうか、もう悪友みたいなものだ。


「なんかもう、あいつが女って思えないんだよな。そりゃあ、密着されたりすりゃドキドキするけど、あいつの方に恥じらいが無いから気にするだけ無駄だし、それにあいつ、すぐに手が出るし……意識してると、こっちが馬鹿みたいだし」

「……何ていうか、同情しますわ。本当に」


 テンカは呆れながらも、コウヤの言葉に同意してきた。

 そこではたと、思い出したように、テンカは怪訝な顔で聞いてくる。


「でも、乱暴具合では、ハクアも変わらなかったように思いますけど?」

「否定はできないけど、でもあいつはまだ品があるぞ? ちゃんと常識もわきまえてる。少なくとも、路上で魔力弾ぶっ放して遊んだりはしない」

「そりゃあキサキに比べれば、大抵の娘は常識人だと思いますが……」


 テンカすらも、苦笑を漏らしながらそう感想を言う。

 おそらく今頃、キサキはくしゃみの連続だろう。


 ひとしきり二人で笑いあった後、テンカは何気なく話の本題に入った。


「そもそも、どういったきっかけで、あの龍宮ハクアとそんな関係になったんですの?」

「……あー。それはな」


 ポツポツと、とりとめなくコウヤは話し始めた。


 もともと、ハクアは武者修行の旅と称して、世界中を駆け回っていた。

 それこそ行方不明に近い形で、連絡すら取れなかったことも多かったという。

 中学生の少女が治安の良くない場所を出入りしていることに心配もされたが、幸い、側にはバディである風見ジュンがついていたので、大事にはならなかったようだ。


 そんなおり、コウヤが両親の都合でロサンゼルスに行った頃、ちょうどハクアも、怪我の治療目的でロサンゼルスを訪れていた。

 同じ魔法医師の元で再会したのだが、それをきっかけに、ハクアはしばらくロサンゼルスにいつくことになった。


 家の財力を頼りに、世界中を飛び回っていたハクアだったが、如何に大人びていようと、所詮は中学生の女子である。ほとんど意地だけで行っていたその武者修行の旅も、知り合いと出会うことで一旦取りやめとなった。


「『アンタを鍛えてあげる』って言われてな。それで、まあ左腕の治療の合間に、ハクアからゲームについてのノウハウを一通りレクチャーされた」


 それが、アメリカ生活の一年目。

 國見キリエも大人しくしていた頃で、毎日が平和で楽しかった日々だった。


 それが急変したのは、二年目。

 オリエントへの入学が白紙になりかけた頃の話だ。


 両親とのゴタゴタと、キリエの暗躍によって、コウヤの精神はかなりギリギリだった。

 今思えば、その時のコウヤの心労は、ほぼ全てキリエを元凶とするものだったので、はっきりとあの女は害悪であると言える。


 資金集めのためにウィザードリィ・ゲームの大会にも出始めたのもこの頃だ。

 ライセンスのないコウヤではアマチュアの大会にしか出ることができず、しかもそうしたアマの大会は無法地帯も良いところだった。

 歳を偽って出た大会で、ひどい目にあうこともしょっちゅうだった。


 当時は、まるで周囲の全てが敵に見えて仕方がなかった。


 そんな中で、あまりにもひどいコウヤの姿を見かねたのか、ハクアがその提案をしてきたのだ。


『私がアンタの唯一の味方になってあげる。だから、そんな情けない姿見せないでよ』


 期限付きで付き合ってあげる、と。彼女は言った。

 他の全員が敵だったとしても、自分だけはアンタの味方になってあげるから――と。


 周囲の全てが敵に見えていたコウヤにとって、その提案は救いだった。


 そうして、二人は周囲にその関係を印象づけるようにして、様々な大会に顔を出した。

 ローカル紙などでは、アマチュア選手カップルとして特集が組まれたくらいだ。実際、二人は実力もあったので、結果を見せやすかった。

 そうして注目されると、大会における不正などもあまり行われにくくなった。


 無論、それによる風評被害や、嫌がらせなども一定数増えた。からかいやヤッカミ、誹謗中傷などもあったのだが――それはあまり気にならなかった。


 だって、目的のために邁進する上で、互いの存在と、得られる結果以外に欲しいものなどなかったのだから。


「へー。ふーん。そうですか。それはイチャイチャしてましたんですのね。ほーん」


 コウヤの話がだいたい終わった辺りで、テンカは拗ねたように棒読みで言った。


 あんまりと言えばあんまりな態度に、さすがにムッとしてコウヤは言葉を固くする。


「おいこら。ほーんってなんだよ、ほーんって。お前が話せって言うから話したんだろうが。つまらなそうにすんな」

「だって惚気じゃないですの! そんなの、当人以外楽しくなんかありませんわよ。少しくらい雑に扱われるくらいが、ちょうどいいんですのよ」


 ふーんだ、とでも言うように、そっぽを向いてみせるテンカ。


 しかし、すぐに真顔になって向き直ると、神妙な表情で続けた。


「大体の流れはわかりましたが、大概があのアバズレ女の所為ってのは、気になりますわね……まあそれはおいおい聞いていくとして」


 自分の見据えるべき敵を定めたテンカは、ひとまずその問題を置いて。

 目下のところの話の続きを尋ねる。


「単刀直入に聞きますが」


 雪原の神霊は、その白雪のようなまっさらな瞳で、己がバディに問いかける。


「コウヤは今でも、龍宮ハクアのことを好いているのですか?」

「……それを言われたら困るんだが」


 なにせ、ひとまず終わった関係として考えているのだ。


 コウヤの目的である、オリエント行きの資金集めが達成した以上、二人の距離が離れるのは避けられなかった。

 心はともかく、物理的な距離は、否応なく横たわっている。


 もちろん、ハクアが日本に戻ることも出来たし、コウヤが帰国を諦めてハクアのように海外でライセンスを取ることも出来た。


 しかし、二人は最終的にそれを選ばなかった。


「あいつにはたくさん助けられた。だからこそ、あいつの邪魔はしたくなった。もしハクアの隣に立ちたいなら、自力でそこまでたどり着くべきだって、そう思ったんだ」

「……それは。つまり、そういうことですの?」

「正直なことを言うと、恋愛感情よりも、承認欲求のほうが強い。俺はハクアに認められたいんだ。だから、あいつの言った期限を、守った」


 その上で、別れるときに言ったのだ。

 もし卒業までに、お互いに心が変わらなければ、また一緒に旅をしようと。


「『せいぜい頑張りなさい』って言われたよ。正直、あいつが俺のことをどう思っているかよくわかんないから、不安な気持ちはある。ただ、せっかくなら、あいつに近づきたいと思う」

「なるほどですわね」


 コウヤの真っ直ぐな回答に、どこか吹っ切れたように、テンカは息をつく。


「その目的のために、わたくしを使おうと、そういうつもりですわね?」

「いや、テン。俺は別に……」

「分かってますわ。いつかみたいに八つ当たりなんてしませんから、安心してくださいまし」


 いつかのトラウマを思い出し、コウヤは思わず慌てかける。

 そんな彼に対して、テンカは優しく微笑みながら言う。


「その動機がどうであれ、わたくしたちが目指すものが同じであるのなら、構いませんわ。バディとして頂点を目指すのなら、それに応えるとします。今のわたくしは、あなたのものです。どうぞ存分に使ってくださいな」


 コウヤの前にかしずきながら、テンカは芝居がかった風に頭を垂れ、手を伸ばす。

 その手を、コウヤは苦笑しながら取った。


「情けない男だけど、よろしくな。頼りにしてるよ、相棒」

「ええ。あなたのバディとして、存分に力を振るわせていただきますわ」


 そうして再び。

 バディは互いの目的を確認し合って、絆を深めた。



 ※ ※ ※



「さて」


 と。

 テンカは仕切り直すように、手を叩いて口を開いた。


「いろいろトラブルは有りましたが、真面目な話はここまでです。ここからは、楽しいお話をしましょう」

「楽しいお話って、何をするつもりだよ」


 怪訝な表情を浮かべるコウヤに、テンカはニコニコと愉快そうに頬を緩めて、さっとその場から立ち上がった。


「ふっふーん。ちょっと待っててくださいまし」


 言いながら、彼女はキッチンの方に向かっていく。ワンルームの狭いキッチンなので、その姿を見失うことはない。テンカはまっすぐに冷蔵庫の前に立つと、中から白い箱のようなものを取り出してくる。


 その箱をテーブルの上においたテンカは、そっとコウヤを上目遣いで見上げる。


「ちょこっと寒いですわよ」

「……何する気だ?」

「何、と言われれば……サプライズ、ですわ」


 尋ねたコウヤに、テンカは満面の笑みで答えた。


「『記念すべき日に、祝福の吹雪をブリザード・オブ・ブレッシング』!」


 瞬間。

 部屋中を覆うように、真っ白な雪が舞った。


 それは、床やテーブルの上に振り降りた瞬間に、跡形もなくかき消えていく。空間だけを彩るために召喚された雪化粧は、季節外れでありながらも、思わず見惚れるほどに美しかった。


 それを見せながら、テンカはテーブルに置いた箱を開ける。


 そこには、ホールのケーキがあった。


「一日早いですが、誕生日、おめでとうでございますわ。コウヤ!」

「………ッ!」


 誕生日。

 明日――五月十日は、確かに、コウヤの誕生日だ。


 けれど、どうして。


「水臭いですわね。バディの誕生日くらい、ちゃんと把握していますわ」

「いや、二年前はそんな素振り一回も見せなかっただろ」

「あの時は仮でしたもの。わたくしも素直ではなかったですわ。だから――今年は、誰よりも早く、貴方を祝福したかったのですわ」


 だから、一日早く、こんなサプライズを用意したのだという。


 演出に使われたスキルも、部屋を汚さないように細心の注意を払って作られたアクティブスキルなのだろう。そして、用意されたケーキも、市販のものではなくどうやら手作りらしかった。


 そこでようやく、ここ数日のテンカの奇妙な行動の意味がわかった。このサプライズのために、彼女は毎日ケーキづくりの練習をしていたのだ。


「ふふ、どうですの? わたくしも久良岐魔法クラブで働いた給金がありますから、かなりしっかりとしたケーキになったと自負していますわ。嬉しかったら、褒めてくださっても構いませんことよ?」

「ああ。これは本当にすごい……。すげぇ嬉しいよ。テン」

「……ッ! そ、そうですか」


 コウヤの直截すぎる言葉に、テンカは不意打ち気味に顔を真赤にする。


 けれど、顔を赤くしたいのはコウヤの方だった。

 誕生日を祝われたのなんて、何年ぶりかわからない。


 去年などは、忙しかったのでそれどころではなく、誕生日を祝いそこねたことをハクアが悔いていたくらいだ。両親から祝いの言葉をもらったことくらいはあるが、ここまでしっかりとしたお祝いは、本当に久しぶりだった。


「ありがとう、テン。それ以外に、何も言えない」

「む、無理して言うことはないですわ。それより、ほら、食べてくださいな」


 切り分けられたケーキを食べる。ここで、まずいというようなお約束があるわけでもなく、テンカが作ったケーキは本当に美味しかった。ホイップクリームを冷やしてアイスのようにしたアイスケーキ。夕食もまだだと言うのに、夢中で食べた。


 その姿を、テンカは満足そうに見つめている。



 帰国する前には感じることのなかった平穏。

 その幸せを噛み締めながら、鏑木コウヤは、十六歳の誕生日を迎えたのだった。




 ※ ※ ※



 無論、平穏なだけの時間は、長くは続かない。



 翌日のことである。

 高等部の校内掲示板に、とある告知がなされた。



--------------------------------------



 退学処分

 三年一組・技術研究士・白塔ヨヨ

 三年二組・実践魔法士・馬宮ミノル

 三年八組・支援魔法士・斧倉アザミ

 二年四組・実践魔法士・安桜カノン

 二年六組・支援魔法士・江東原コウシロウ

 ・・・・・・

 ・・・・・・


 以上の者を、公共の場における不適切な魔法使用の罪において、退学処分とする。


 オリエント魔法研究学院学長



--------------------------------------



 ざわつく生徒たちの中、コウヤは厳しい表情で掲示板を見上げていた。


 その処分を受けた生徒の名前には、覚えがあった。


「ああ、コウヤ先輩。こんにちは」


 よこから、楽しそうな声で挨拶をされる。


 見たりしないでも分かる。

 そこにはおそらく、國見キリエのニヤニヤとした楽しそうな笑顔があるのだから。


「あれれー。なんだかそこに貼ってある名前、見覚えがありますねー」

「……お前か?」

「いいえ。僕はまだ何もやってませんよ」


 フルフルと首を振ってみせるキリエ。

 いちいち、行動が不審な女だった。


「けど、僕が密告する前に、こういうことが起きるってことは――この学園は、そういうところだっていう話ですよね。いやあ、失敗って怖いなぁ。権力って凄まじいですねぇ」

「さあな」


 これ以上話に付き合っていると、また一年前のトラウマをフラッシュバックしそうだった。


 コウヤは一度も彼女を見ずにその場から立ち去る。


「あ、インハイの予選、がんばってくださいね、先輩」


 最後の何気ないはずの応援が、なぜだか耳にこびりついて離れなかった。

 その理由は、そう経たずに知ることになる。





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