第11話 過ぎ去りし知の瞳




 コウヤが両親とともにロサンゼルスに住みはじめて、半年ほど経った頃。


 オリエントへの受験のために、魔法関係の施設や日本人学校を行き来し、忙しく活動していた時期に、その女はコウヤの前に姿を現した。


 国見キリエ。

 神咒宗家が一角、国見家の長女にして、人格が破綻した問題児。


 名家の令嬢であるはずの彼女が、なぜ日本から海外に来たかというと。


「いやぁ、ちょっと趣味の『お楽しみ』をやりすぎちゃいまして、勘当されちゃったんですよ。しばらくこちらにいますので、よろしくお願いします」


 ヘラヘラとした態度で。

 悪びれた様子もない、感情の見えない笑顔で、彼女は言った。


 同じ日本人学校に転校してきた彼女は、暇さえあればコウヤにつきまとった。

 顔見知りであることを良いことに、事あるごとにコウヤを頼ってきては、屈託ない笑顔を浮かべていた。はたから見れば、無条件の信頼を寄せる可愛い後輩のように見えただろう。


「同郷のよしみで、僕を助けてくださいね、コウヤさん」


 ニコニコと笑みを浮かべながらそんな風に言われたら、流石に邪険にはできない。なし崩し的に、コウヤは彼女を受け入れることになった。


 正直、その時点で、國見キリエに対しては、コウヤはあまりいい感情を持っていなかった。


 元々、中一のときにちょっとしたトラブルを起こした相手である。過去のこととは言え、そのときの嫌な感情は十分に覚えていた。


 だからこそ身構えて接していたのだが――警戒に反して、キリエが向けてくるのは、依存にも似た無防備な態度だった。

 現地での友人はできたとは言え、日本の知り合いなどほとんど居ない外国の土地のことである。

 その笑顔と態度に、コウヤは次第にほだされていった。


 ほだされて、しまった。

 そしてそれは、あとから考えれば、大きな間違いでもあった。


 結果から言うと、キリエはコウヤの生活を引っ掻き回した。


 最初は偶然かと思ったが、コウヤに降りかかるトラブルの大半が、キリエを起点としたものであることに気づくのに、時間はいらなかった。

 路上で浮浪者に絡まれたり、バイト先が襲撃されたり、魔法クラブで事故が起きたり――そうしたトラブルを辿っていくと、最初のきっかけに、必ずキリエが居た。


 彼女がやることは、ほんの些細なことだ。


 浮浪者にすれ違いざまに一声かけたり、バイト先の経営情報を散布したり、魔法クラブの備品を不良品と変えたり。

 まるでその時の思いつきのように行ったイタズラが、大きなトラブルとなって襲い掛かってくる。


 後から知ったのだが、コウヤのオリエント行きに両親が反対したのも、キリエの暗躍があったかららしい。

 魔法学府への不信感を散々植え付けられた両親は、最後までコウヤのオリエント行きに反対し、終いには喧嘩別れして一人で帰国することになった。


 そうした様々な嫌がらせを行ってきたキリエであるが――彼女自身は、別に悪いことをしているつもりは無いらしく、ただひたすら、こんなことを言うのだった。



「貴方はすごいですよ。コウヤさん」


「本当に――貴方を視ていると、ちっとも飽きない」


「貴方は僕に、。それがたまらなく嬉しいんです」


「だからこれからも、僕の知らない経験を、僕が予測もできない、視たこともないような『過去』を、たくさん積み重ねてくださいね」



 凛々しい顔を可愛らしく笑わせて、彼女は毎回そう言うのだった。


 彼女との因縁は、およそ一年半に渡って続いた。


 二年目はひたすら各地で行われるウィザードリィ・ゲームのアマの大会に出場していたのだが、それらにも、キリエが暗躍することがちょくちょくあった。


 そうして年末。

 ついにちょっとした規模の問題を起こしたキリエに対して、ハクアの力を借りてなんとか事態を沈静化させ、なんとか日本へと送り返したのが、彼女と会った最後だった。




 ※ ※ ※



 そんな、國見キリエが。

 今、コウヤを助けに現れた。


「てめぇ、何のつもりだ。國見」


 凄みを効かせた声で、コウヤは威嚇する。


 今まさに襲ってきている敵すらも眼中にない。

 襲われた相手より、助けてきた相手に対して、コウヤは攻撃的な態度を取っていた。


「何って、助けに来たんですよ」


 それに対して、キリエは相変わらず飄々とした態度で受け流してきた。


「ほら、あんなことがあって、お互いに誤解を抱えたまま、泣く泣くお別れしちゃったじゃないですか。せっかくオリエントに入学したので、僕は貴方に謝りたかったんですよ。でも、なかなか話しかけるタイミングが掴めなかったんですよね」


 ほら、僕って恥ずかしがり屋でしょ? などと、可愛らしくうそぶく。

 彼女の本性を知っているコウヤからすると、何をぶりっ子しているんだという気分である。


 不信感を隠そうともしないコウヤに、あくまでマイペースに、キリエは喋り続ける。


「どう話しかけようかなーって思って、ずっとコウヤ先輩の後を付けていたんです。まあ適当なタイミングを見計らって、気安く肩でも叩いて話しかけようかなー、とか思っていたんですが。そんな時に、いきなり先輩が拉致されるじゃないですか! これは話しかけるチャンス! と思って、助けようと思ったんですよ。霊子庭園の座標も、頑張って探したら、意外と簡単に見つかりましたし、大した手間ではありませんでした」


 あっさりと言い放ったそのセリフに、ローブの敵の一人が、動揺した声を上げる。


「ざ、座標を探しただと!? 現実界とのパスは完全に切ってきたはずだ。お前、どうやってこの座標がわかったんだ!」

「別に? 大したことはしていないですよ」


 狼狽するローブの男に対して、キリエは小首をかしげてキョトンとした声で言う。


「ただちょっと、過去を視ただけです」

「過去を見た……?」

「どんな物事も、?」



 それなら、――と。

 ニヤニヤとした嫌らしい表情で、キリエは意地悪く言った。


 その答えに、ますます動揺する敵の様子を見て、コウヤは小さく嘆息を漏らす。

 どこまで分かってやっているのかわからないが、國見キリエという少女は、そういう掴みどころのない答えを、当たり前のように返してくるのだ。


 一見ふざけているような対応だが、当の本人は大真面目である。

 それというのも、彼女自身の才能が特殊だからだろう。


 過去視の魔眼。

 全ての過去を見通す眼を持つ少女にとって、すべての事象は過ぎ去ったものにすぎない。


「さて。コウヤ先輩。ちょっと痛いですよー」


 言いながら、キリエは手に持ったデバイスに魔力を通して、魔法式を組む。


 途端、コウヤを縫いとめていた槍が真っ二つに折れる。

 その槍は、続けて炎を起こして燃焼し、腹部の残っていた柄も綺麗に消え去った。


 背中から腹部にかけて、ポッカリと穴が空いたまま、ズキズキと痛みが断続的に残る。


「……助かった。礼を言う」

「やだなぁ。僕と先輩の仲じゃないですか。お礼なんていらないですよー」


 嫌々礼を言ったコウヤに、キリエはいっそ憎たらしいほどに笑いながら答える。以前はこの態度に気を許してしまったのだが、今ではただ不快感のみがせり上がってくる。


 そんなキリエに、敵の一人が叫ぶように言う。


「その顔……知ってるぞ! お前、國見家の次女だろ。同じ自然派なのに、俺たちと敵対していいと思っているのか!?」

「聞きました? 先輩。どうやら相手は自然派らしいですよ」


 敵の言葉を聞いたキリエは、小馬鹿にしたように、ニコニコと笑いながら言う。


「嫌ですねー、怖いですねー。先輩はどうやら、自然派の連中に狙われているらしいですよ。日本の一大勢力じゃないですか。いやあ、恐ろしいなぁ」


 そのあまりのマイペースっぷりに、襲撃者たちはあっけにとられたように佇んでいる。

 コウヤはまた一つ、ため息を付いた。


「……俺はまだ、お前が俺を騙すために自演してるんじゃないかって、本気で疑ってるんだが」

「やだなぁ、そんな面倒なことするわけないじゃないですか」


 心外だとでも言うように、わざとらしく唇を尖らせてキリエは言う。


「僕ならきっかけを作るだけで、自分から出張ったりしませんって」

「ああ、そうだったな。そういうやつだよ、お前」


 だからこそ、こうして助けに来たこと自体が、違和感の塊なのだが。


 國見キリエという少女は、始めこそ自分できっかけを起こすのだが、その後は延々と傍観に徹して楽しんでいることが多い。そうしたところも性格が悪いと思うのだが、今更言及した所で仕方ない。


 そんな彼女が、なぜここで、コウヤを助けるなんて面倒事を起こしたのか。

 それこそが、最大の謎であり、問題でもあると思っていた。


「ま、どう思ってもらっても構いませんが」


 能面にニコニコとした笑みを貼り付けて、キリエは敵の方へ向き直る。


「申し訳ありませんが、このあたりでお開きにしませんか?」

「……なんだと?」


 襲撃者の一人が、身動ぎしながら怪訝そうに言う。

 キリエはと言うと、ひらひらと手を振りながら、あくまで気楽そうに言った。


「僕は皆様方の管理下にないので、自由に霊子体を解けます。その上、ここの座標はバッチリ記録して、現実界と紐付けしてきました。いつでも警察に通報できますよ。いやあ、無許可地区における犯罪目的の魔法行使。懲役五年は硬いですねぇ。ことが拉致な上に私刑だと考えると、更に跳ね上がりますねぇ」


 楽しいですねぇ、とでも言いたげに、キリエは声をはずませる。

 そんな彼女に、敵の一人が高圧的な声を上げる。


「き、貴様には関係ないことだ! それに、こちらもたやすく捕まるつもりは――」


 名指しで指をさされた男は、身を震わせ固まる。

 それに気を良くしたのか、キリエはそのまま、一人ずつ順に指を指していく。


「二年四組所属、実践魔法士・安桜カノン。三年一組所属、技術研究士・白塔ヨヨ。三年二組組所属、実践魔法士・馬宮ウタエ。二年六組所属――」

「やめろ!」


 立て続けに出される実名に耐えきれなかったのか、襲撃者の一人がかな切り声を上げた。


「貴様、どうして俺達のことを」

「あはは、正解だったんですね。確証が取れてよかったなぁ」


 手を合わせながら、嬉しそうな表情を浮かべるキリエ。

 横で見ているコウヤですら、その顔は、悪魔が笑っているようにしか見えなかった。


「別に、過去を視ただけですよ。その変なローブも、別に四六時中かぶっているわけじゃないでしょう? まあ、過去まで改変できるほどの認識阻害の可能性もあったので、できれば確証が取りたかったんですけれど」

「き、貴様……」

「それで、どうします?」


 ニッコリと悪魔は笑いながら、二択を迫った。


「僕はあなた方の名前を知ってます。なら、あとは簡単です。現行犯なら、皆さんまとめてお手てにお縄ですからね。だから選んでください」


 歌うような声で、彼女は脅しをかけた。


「上司に泣きつくか、臭い飯を食うか。二つに一つですよ、みなさん♪」



 ※ ※ ※



 霊子庭園が崩壊を始める。

 術者が居なくなったので、あとは現実に戻るだけだ。


 手酷いダメージを受けた上に、事象投影の設定がどうなっているかわからないので、生身に戻るのが少し怖くもある。


 そんなことを思っていると、キリエがあっけらかんとした声で言う。


「大丈夫ですよ。この空間、現実の風景を投影しては居ますが、その座標はかなり情報界寄りでした。管理者もいなくなりましたし、通常の霊子庭園と大して変わらないでしょう。肉体には、そこまで影響は残らないと思います」


 コウヤの腹部に簡易的な治癒魔法をかけながら、キリエは楽しげに話す。


「まあ、肉体は傷つかなくても、精神はちょっとダメージ負ってますからね。できるだけ傷は塞いで戻ったほうが、ギャップがなくて後遺症も少ないと思います」

「…………」


 ペラペラと喋るキリエに対して、コウヤは無言を貫く。


 助けてもらった立場で失礼なのは分かっているが、少しでも気を許すと、面倒事を引き起こすのがこの少女である。またいつ、背後から刺してくるくるかわからない相手なので、警戒するに越したことはない。


 そんなコウヤの内心を知ってか知らずか。

 キリエはまったく気にした様子もなく、以前と同じように、ニコニコと無防備な笑顔で話しかけてくる。


 半年前――昨年末には、殺し合いに近いような争いをした相手だと言うのに。

 それでも國見キリエは、あくまで親しげに、コウヤに近づいてくるのだ。


「はい。これで終わりです」


 腹部への治癒魔法をかけ終えたキリエは、両手をひらひらとさせて尋ねる。


「どうします? 霊子庭園の完全崩壊は、もう少し時間がかかりそうですよ。魔力放出の術式でしたらデバイスの中にあるので、霊子体を壊しますか?」

「……お前。本当に何のつもりだよ」


 こらえきれず、コウヤはそんな言葉を返してしまう。


 その声には自然と険がこもる。彼女との間にあったことをすべて水に流すには、別れてからの期間が短すぎる。

 敵意を隠すだけの余裕もなく、コウヤはただ感情のままに言葉をぶつける。


「何を企んでいるか知らないが、また俺の邪魔をしてくるつもりだったら、本気で容赦しないぞ。それこそ、さっきお前がやってたのと同じだ。ここは日本で、あっちみたいに無法地帯じゃないから、すぐに警察が飛んでくる。いつもみたいに、『偶然』だの『そんなつもりはなかった』なんて言葉が、通じると思ったら――」

「信用しろとは言いませんが、安心してください。先輩」


 コウヤの言葉にかぶせるように、キリエは言う。


 先程まで浮かべていた嘘くさい笑顔は消え、代わりに目を細めてシニカルにこちらを見ていた。

 彼女は肩をすくめながら、あけっぴろげに言う。


「今の僕は、実のところあまり自由がないんですよ。なんとか家に出戻りできたんですが、その条件が、オリエントをちゃんと卒業するってことでしてね。だから、『過去』のようなやんちゃは出来ない立場なんです」

「だから安心しろと?」


 虫のいい話だと、吐き捨てるようにコウヤは言う。


「お前、その言葉で何度、俺を騙して来たと思ってやがる」

「騙してなんかないですよ。ただ、魔が差しただけです」

「余計質が悪いじゃねぇか」

「だからこそ、魔が差すことすら出来ない今の状況は、安心に足ると思いますが?」


 ふてぶてしい態度で、彼女は居直るようにそう言った。白々しい、と切り捨てるには、あまりに投げやりに見える。

 少なくとも、今のキリエには本当に張り合う気概を感じなかった。


 あまりに手応えのない反応に、コウヤはわずかに言いよどむと、じっと彼女の目を見つめる。


「……お前の言葉が本当だという証拠は?」

「國見家のお家騒動でしたら、ちょっとした噂になっているので、それで」


 ニコニコと、美形を無邪気に笑わせて、キリエはコウヤに視線を返した。


 その真っ直ぐな眼差しを前に、コウヤは目を伏せて息を吐く。

 これ以上言い合っても、埒が明かないことは、経験則で分かっている。だったら、諦めて付き合うしか無い。


 せめてもの抵抗でそっぽを向きながら、コウヤは宣言した。


「お前がどう言おうと、過去を水に流すつもりもないし、気を許すつもりもない」

「それでも構いませんよ。僕はただ、先輩とおしゃべりできれば、それでいいです」

「……そうかい」


 そうして、かつての因縁と、ひとまず終止符を打つこととなった。


 まだ割り切れない思いはあるし、このことをハクアが知れば、また「バカじゃないの」と罵られることは確実だろう。

 だが、基本的にお人好しであるコウヤは、怒りを持続させるのが苦手なタイプだ。それなら、建前だけでも立場を決めてしまって、付き合っていくのが一番だ。


「ほら、デバイス貸せよ。とっととこんな空間から出てやる」

「分かりました。はい、先輩」


 手渡されたデバイスに魔力を通し、中の魔法式を読み込んでいく。


 魔法式の組み方には、その人物の性格が出る。

 この少女は相変わらず、不規則というか、個性の強い式の組み方をしている。マテリアル一つとっても、その事象を起こすためにそんな手間をかける必要がどこにあるのかと、何度も思ったものだ。


 どうにか自分なりに魔法を起動させようとしていると、キリエがぼやくように言った。


「それはそれとして。先輩、面倒なのに目をつけられてますね」

「……ほんとにけしかけたの、お前じゃないんだろうな」

「だから言ってるじゃないですかぁ。今の僕にそんな権力無いですし」


 さすがにしつこかったからか、少しむくれたようにキリエは口を尖らせる。いつも飄々としている彼女にしては、珍しい反応だった。

 本当にシロなのかもしれないと思うが、それすらも計算の可能性があると、コウヤは自分を戒める。


「じゃああいつら何なんだよ。ロスならともかく、こっちで恨まれる覚えないぞ」

「自然派って言ってましたしね。ま、大方、先輩のことが気に入らない誰かが、裏で糸を引いているんじゃないですか? 海外の有名なアマの大会の優勝者が、鳴り物入りでエリート主義のオリエントにやってきたんです。そりゃあ、気に食わない人も居ますよ」

「そんなこと言われたら、俺の方も気に食わねぇけどな」


 人の気も知らないで好き勝手言いやがって、と言いたい気持ちはある。


 だが、それを表に出す訳にはいかない。

 本当に、コウヤのことを気に入らない奴らがいるのなら、そうしたちょっとしたことでも、すぐに糾弾してくるだろう。それが集団であるのなら、あっという間に袋叩きにされてしまう。


 そうした政治的な駆け引きは、向こうで嫌というほど経験してきた。

 だから――と言うわけではないが。

 嫌悪感はあるものの、こうして気を置かずに感情を吐露できる相手がいるのは、少しだけ救いかもしれないと、そんな気の迷いを覚えてしまった。


 一分ほどかけて、コウヤは魔力放出の魔法式を組み上げる。


「よし。これで魔力を吐き出せる。國見、お前はどうするんだ?」

「僕はこのまま手首でも切りますよ。霊子体作製に、大した魔力使ってないんで、すぐに消滅できると思います」

「そうか。なら――」


 さっそく魔法式を起動しようとした。

 その時だった。



 空間そのものが揺れるほどの、大きな地響きが響き始めた。



「な、なんだ!?」


 まるで開かない扉を叩き壊すかのように、何度も何度も、強烈な衝撃が加えられる。

 それとともに、青白い空がひび割れていくのが見える。


 その異常事態を、キリエは興味深そうに眺めている。


「霊子庭園への侵入――そっか、高位の情報体なら、ただ力でこじ開けるだけで、侵入することが出来るんですね。へぇ、これは知らない経験だ。ええ、初めて見ましたね」

「いやお前、のんきに言ってるけど、これ大丈夫なのかよ」


 強烈な地響きは、明らかに危険な空気を感じさせる。このままここに居たら、まずいのではないかとコウヤは慌てる。


 そこに、再度衝撃が襲う。


 空が割れ、空間が大きく崩壊する。その穴から、

 そして――




「見つけましたわぁぁああああああ!!」




 割れた空の間から、吹雪を撒き散らしながら、冬空テンカが落下してきた。


 絶叫と共に現れたテンカは、雪混じりの暴風をまといながら、激突するような勢いで地面に着地する。

 さすがはファントムと言ったものか、とんでもないスピードだった割に、全くダメージの様子がない。


 それだけでなく、着地とともに、彼女はすぐさま行動を起こした。


「コウヤから離れやがれ! このアバズレ女!」


 普段のお嬢様言葉が剥がれ、乱暴な口調で叫ぶ。


 テンカは鬼のような形相で、キリエの方を睨むと、周囲の吹雪をまとめ上げながら、思いっきり右腕を突き出した。


「『凍えろ、氷河よ彼方までアイスエイジ・グレイシャー』、凍って、砕けなさいな!」

「へ?」


 当のキリエは、何が起こったのかわからず、間の抜けた声を上げる。


 雪混じりの強力な寒波が襲う。

 冷気の暴風は、一瞬にして周囲の温度を下げ、空気すらも凍りつくす。


 國見キリエは空間ごと凍結させられ、その場には巨大な氷の柱が立ち上った。


 バキッ、と氷にヒビが入る。

 テンカがさっと髪をかきあげて背を向ける間に、氷の柱はキリエごと粉々に砕け散った。


 それによって、キリエの霊子体は消滅した。


「…………」


 その一部始終を、コウヤは身動ぎせず、ただ見ていた。


 突然の奇襲とともに、大規模な魔法行使を行ったテンカはというと、コウヤの姿を見た途端、ぱぁっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。


「コウヤ、コウヤ! もう、心配しましたのよ!」


 テンカはコウヤの直ぐ側でふわふわと浮遊しながら、気遣わしげな表情で彼の無事を確認してくる。


「お怪我はありませんの? 何もされませんでした? ご気分は悪くありません? 一人にしてしまって、本当に申し訳ありません。コウヤの身に何かあったらと思うと、わたくしは、わたくしは……」

「や、大丈夫だから」


 少なくとも、さきほど霊子体を惨殺された女よりは、無事である。


 キリエの消滅とともに、コウヤの手元にあったデバイスも消滅した。もともとキリエの持ち物なので、彼女の霊子体が消滅すれば、同時に消えるのは当たり前だ。


 それとともに、コウヤがこの場から自発的に退場する手段がなくなったとも言える。


「ど、どうしましたの? まさか、やっぱり怪我を」

「まあ、怪我はしてるけど、大したことねぇよ。それよりお前、どうやって」

「どうもこうもありませんわ! コウヤとの通話が途切れたあと、慌てて発信源に向かったら、さっきのアバズレ女が変な術を使って消えたので、追いかけてきましたの」


 怒りに顔を真赤にしながら、テンカは身振り手振りを交えて主張する。


 どうやら、キリエによって確定された座標に対して、延々と攻撃という名の通信を行い、ようやく次元の壁を超えてきたということらしい。


 ファントムは情報界へのアクセスが容易であるとは言え、プロテクトがかかった霊子庭園への侵入は、かなり困難なはずだ。

 それを、崩壊間近だったとはいえ、単騎で行ったことを考えると、ステータス以上にテンカの成長が見て取れる。


 思わず苦笑するコウヤに、テンカが不思議そうに首を傾げる。


「何を笑ってますの、コウヤ。わたくし、何かおかしなことしましたか?」

「いや。ちょっと毒気を抜かれたっつーか。はは。ま、いっか」


 コウヤはその場に座り込み、上空を見上げる。


 テンカが割ってきた空を中心に、崩壊の速度は早まっている。この分なら、あと数分もあれば完全に崩壊するだろう。


「霊子庭園が壊れるまで、のんびりしようぜ。はぁ、疲れたよ」

「む。なんだか腑に落ちませんが、コウヤがそう言うのでしたら、従いますわ」


 そう言って、テンカはコウヤの隣にちょこんと座る。

 二人はそのまま、霊子庭園が解けるまでの僅かな時間を、静かに過ごした。


 その日の帰宅は、トラブルこそあったものの、なんとか無事に帰ることが出来た。


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