第9話 逢魔が時の乱暴な誘い



 ここ数日、テンカはなぜか、ずっと寮の部屋に引きこもっていた。


 週に三日は久良岐魔法クラブにバイトに出ているため、いつも一緒に登校しているわけではないが、それがなければ必ず付いて来たがるテンカがである。


 そんな折に、テンカからメールがあった。


『今日は早く帰って来てくださいね』


 時刻は六時半。

 昨日までは、学内でギリギリまでトレーニングをして帰っていたのだが、時間を潰す必要がないのなら居残りする理由はない。


 今日は一人だったため、手早く片付けをして、ルームの鍵を返しに行った。


 その途中、遠宮キヨネとすれ違った。


「今日も居残り? 精が出るのね」

「そっちこそ、遅くまでお疲れさん。委員の仕事か?」

「ううん、今日は自習。中間考査近いでしょ?」


 彼女が首を横に振ると、それに合わせて三つ編みが揺れる。気の強そうな瞳はどこか疲れたようにたるんでおり、数日前のような険は感じられない。


 実技は早くに試験を終えることが出来るが、座学は通常の学校と同じである。中間考査と期末考査での成績と、提出物によって評定がくだされる。一般教養から魔法学まで、取れる科目は幅広いため、学生によって試験勉強の事情は変わってくる。


 キヨネの場合、時間割の許す限り講義をとっているらしく、いつも座学ではその姿を見かけていた。そんなに勉強してどうするんだと、周囲に言われているのを聞いたことがある。


「疲れてるみたいだが、大丈夫か? あんま無理すんなよ」

「ありがと。でも、心配してもらう義理はないわ」


 そっけなく言いながらも、キヨネは小さく笑みをこぼす。初対面での敵意が嘘のような仕草に、コウヤは毒気を抜かれる。


 それじゃあ、と。彼女は手を軽く振って去ろうとする。

 その時だった。


「やれやれ。せっかく心配してもらってるんだから、ちったぁ甘えりゃいいのに。ほんと、うちのお嬢ちゃんはホント不器用だよねぇ」


 そんな言葉とともに、不意に側に人影が立ち上った。


 無精髭にボサボサの髪の毛という格好の中年男性で、中世風の革製防具を身にまとっていた。

 どこかトボけた風の外見は、オジサンらしい愛嬌を感じさせる風貌である。これで、防具ではなくスーツでも着ていれば、くたびれたサラリーマンに見えるだろう。


 彼はコウヤに向けてウインクをして、茶目っ気を見せる。


「なあ、キミもそう思うだろ? うちのお嬢ちゃん、意地っ張りだからさ。素直になるよう、キミからも言ってやってくれや」

「余計なお世話よ、ヨハン」


 男の登場に、キヨネは嫌そうに顔を歪める。


 彼女は嫌悪感を隠そうともせずに、冷たい目を男に向ける。それに対し、ヨハンと呼ばれた男は、ひらりと両手を挙げて降参のポーズを取る。


「やや、こりゃ失敬。気分を悪くしたなら謝るさ。別に嫌われたいわけじゃないからね」

「……だったら、最初から言うなってのよ」


 敵意をサラリと流されて、キヨネは肩透かしを食らったように顔をしかめる。

 彼女はそのまま困ったように嘆息を漏らした後、仕方なさそうにコウヤに向けて言う。


「こいつは、私のバディよ」

「ヨハン・シュヴェールトってのが、オジサンの名前でね。ま、よろしく。若人」


 そう言いながら、ヨハンは右手を差し出してくる。

 反射的に、コウヤも右手を差し出す。


「鏑木コウヤです。遠宮とは……」

「ライバル、だろ?」


 先回りして答えながら、冗談じみた様子で言葉を重ねる。


「目つけられちゃって、大変だねえ。ほら、うちの嬢ちゃん、喧嘩っ早いからさ。ま、うまく付き合ってくれや」


 飄々と言いながらも、がっしりと力強く握られた右手からは、少なくない圧力を感じた。

 決して強い力ではないのだが、気持ちの強さのようなものが伝わってくる。

 そうかと思えば、彼はさっと手を離して、「そんじゃ、後は若い者同士、仲良くな」と言いながら、あっさりと電子化してしまう。

 捉えどころのないその態度は、身構えていた分、大きく肩透かしを食らってしまう。


「なんつーか、不思議な人だな?」

「ただの迷惑なオッサンよ。家の命令じゃなかったら、誰が好んであんなのと……」


 吐き捨てるように愚痴を言い始めたキヨネだったが、ふとそれが不毛であることに気付いて、不機嫌そうに口を閉ざした。


 苦虫を噛み潰したような顔をしながら、彼女はせめてもの抵抗としてキッとコウヤを睨んだ後、疲れたように小さく息を吐いた。


「駄目。疲れてると、気が立って仕方ないわ」

「誰だってそういう時はある。そういう時は、早く帰って寝ちまえ」

「そうさせてもらう。それじゃあね」


 ひらひらと手を振って、今度こそ、キヨネは校門へと歩いていった。

 最後に。


「鏑木くんの周り、物騒だから、帰る時は気をつけて」

「ん? あぁ。遠宮もな」


 忠告が限定的だったのが不思議だったが、夜道が危険なことには変わりない。

 コウヤも自然と気遣いの言葉を返すと、キヨネは「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らして答えた。


 腑に落ちない感情を抱えはしたが、独りで悩んでいても仕方ないので、コウヤも鍵を返してすぐに帰ることにした。


 その数十分後、彼はその忠告の意味を思い知ることになる。



※ ※ ※



 それは、帰り道だった。


 買い物をして帰ったので、少し遠回りになった。

 テンカからは早めに帰ってこいと言われたが、夕食がないのは困る。あの雪娘にはまともな料理を期待してはならないので、夕飯の準備はコウヤの仕事だった。


 鞄を肩に掛け、左手に買い物袋を下げる。

 この一ヶ月で道にも大体慣れてきて、周囲を眺める余裕があるくらいだ。

 道に植えられた桜が青々とした葉を付けているのを見ながら、コウヤはゆっくりと歩く。


 そこで。

 ふと、視線を感じた。


「…………」


 ぬるい視線だが、それが複数あるとさすがに問題になる。


(今日は随分、あからさまだな)


 復学してからしばらく、気がつけば誰かから見られている感覚はあったが、今日は一段と多い。

 こっそり後をつけるというレベルではなく、堂々と尾行されている。


「気の所為、じゃ済まないな」


 ここは日本で、どこかのスラム街のような無法地帯ではない。海外ならともかく、ここは見知らぬ相手から敵意を向けられるような環境ではないはずだ。


 敵意――そう、今コウヤは、


(振り切れない、か)


 敢えて人通りの多い道を通りながら、何度か行き先を変えてみる。

 コウヤが方向を変える度に、不自然に歩きを変える人影が少なくとも三人は居た。明らかに素人の尾行だが、人数が多いのが不気味だ。


(過剰反応かも知れないけど……念の為、自衛はしておくか)


 コウヤは道路沿いのファーストフード店の前で立ち止まり、壁に背を預けながら、携帯端末を取り出す。

 そして、寮で留守番をしているテンカを呼び出す。


『もう、遅いですわよ、コウヤ」


 数コールで、テンカは電話口に出た。


『早く帰ってくださいって言ったのに、一体どこで油を打っていますの? わたくし、待ちくたびれましたわ』


 テンカはぷりぷりとわざとらしく怒った声で言う。その脳天気な声色に、かすかに毒気を抜かれる気分だった。


 コウヤは受話器に耳を当てたまま、自然体を装って周囲を見渡す。

 見える範囲に、妖しい人影はない。不自然な魔力の励起もないから、まだ気づかれていないはずだ。


 コウヤはできるだけ声を小さくして、テンカに助けを求める。


「悪い、テン。今から迎えに来てくれないか?」

『お迎え、ですか?』


 不思議そうな声でテンカが尋ねる。小首をかしげた姿が目に浮かぶようだった。


『それって、逢い引きの誘いですの? ま、なんて大胆。でも素敵な提案ですわ。そうとなったら、急いで準備をしますから待ってくださいまし』

「期待してるとこ悪いが、そんな話じゃない。後をつけられてる」

『……?』


 これまでも、尾行の気配についてはテンカに話してある。すぐに事情を察したテンカは、声色を氷点下にまで下げながら、冷たい声で言う。


『例のストーカーですわね。わたくしのコウヤを狙うだなんて、不埒な輩もいたものですわ。任せてくださいまし。さっと行って、氷漬けにしてやりますわ』

「待てって。本当にやると傷害罪だぞ」


 日本において、魔法士やファントムによる能力の使用には、細かい規定がある。許可されていない場所で魔法を使って誰かを傷つけたら、かなりの罰則が課せられる可能性がある。それは相手側も同じはずだが、いかんせんストーカーの心理などわからないので、自衛を心がけて無駄にはならない。


 とにかく、通話状態を続けたまま、テンカにはこちらに向かってきてもらうことにした。人間同士だと数の差で押し切られるが、上位存在であるファントムが居れば、抑止力となって相手も手を出しづらいだろう。


 そう考えての行動だったが、判断を誤った。


「……あれ?」


 不意に気付いてしまった。

 コウヤの周辺に、


 思わずテンカとの会話を中断し、コウヤは周囲を見渡してしまう。

 道路には車が当たり前のように走っているし、道路越しの歩道にはちゃんと人がいる。また、コウヤが背を預けていたファーストフード店の店内にも、客の姿が見える。


 なのに、コウヤの周囲だけ、通行人の流れがぱったりと止んでいた。


「まずい」

『ん、どうしましたの、コウ――』


 尋ねかけてきたテンカの声が、途中で無理やり打ち切られた。



 それとともに、急に視界がぶれた。



 まるで、視界の上に別の風景を重ねるような違和感。

 ノイズが走ったように視界がゆがむと共に、周囲の景色が青白いベールに包まれる。


 続けて、体の感覚が鈍り、別の存在へと置き換えられる感触を覚える。

 生身とまったく同じ性能を持つ、別の入れ物に移し替えられたような違和感。


 この感覚は、魔法士であれば慣れ親しんだものでもある。


「……まさか」


 思わず呟いてから、さっとあたりを見渡す。


「やっぱり。霊子庭園……」


 先程までかろうじて居た人影が、完全に消えている。道路を走る車も、歩道にも、ファーストフードの店内にも、誰も人が居ない。青みがかった風景は、現実から切り離された情報空間であることがはっきりとわかった。


 霊子庭園。

 情報界と現実界の間に作られた、事象を改変するための空間。



 鏑木コウヤは、霊子庭園に拉致された。



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