7-2 別れの機会は唐突に
夕焼け空の下、土手のブロック塀に向けて、黙々とボールを投げ続ける。
オーバースローからの、ストレート。ブロック塀のブロックは、ストライクゾーンを意識するのに最適だ。
右手から放たれるボールは、的確なコントロールでブロックを叩く。ボールが指先から離れ、狙った場所に吸い込まれていく瞬間は、何物にも代えられない快感だ。
本当ならば、そこに打者が居て、捕手がいれば、文句がないのだが。
「なんて、贅沢な話だな」
持ち込んだ二十球を投げ終えたコウヤは、一息ついて、散らばったボールを集めにかかった。
そこに、声がかけられる。
「いつもいつも、精が出るね、コウちゃん」
いつから居たのか。
土手を降りる石段の上で、キサキが膝を抱えて座り込んでいた。
彼女はつまらなそうに、ジトッとした目をコウヤへと向けている。
そんな彼女を見上げながら、コウヤは気負いのない様子で、軽く手を振ってみせる。
「よう。今帰りか?」
「これからクラブに行こうと思ってるの。コウちゃんは?」
「あとから行くよ。もうちょっと、ここで投げていくから」
せっかく調子がいいのだ。もう少し、肩を慣らして行きたかった。
その答えを聞いたキサキは、どこか不機嫌そうな表情を見せる。
投球準備に入ったコウヤを見て、彼女はムッとしたまま立ち上がると、トテトテと石段を降りてくる。そして、投球を行うコウヤの近くにしゃがみこんだ。
そのあからさまなアピールに、さすがにコウヤも息を吐く。
「……どうしたんだよ。別に、待ってなくてもいいぞ?」
「べつにー。ただ、楽しそうだな、って思ってさ」
不服さを隠そうともせずに、キサキは拗ねたように言った。
そんな彼女に、コウヤは笑いながら答える。
「そうだな。やっぱ、好きだからな。楽しいよ」
右腕を振り上げ、大振りに振り下ろしながら、ボールを放る。
ただそれだけの動作に、かつてのマウンドを思い出して、自然と高揚するのを感じる。
気が高ぶっていくコウヤとは対象的に、キサキはどんどん気持ちが冷めていく。
そしてついに、二球目を用意していたコウヤに向けて、キサキは冷たい声を浴びせた。
「どうせ試合に出れないのに、何の意味があるの?」
その言葉に、コウヤは怪訝そうにちらりとキサキを見る。
彼女は、唇を尖らせながら文句をたれた。
「クラブに行く日、いっつもここで、一人で野球してるよね。一人で黙々と、ボール投げるだけだけど。そんなに練習して、何の意味があるの?」
「意味なんて別にねーよ。ただ、投げたいから投げてるだけだって」
そう言って、コウヤはあっさりと二球目を投げる。
ストレート。制球には全く問題ない。少しだけ、思ったより球速が出ないのが難点か。
「ボール投げるのが楽しいの?」
「ああ。楽しいね」
「バカじゃないの」
三球目。ボール。
ストライクゾーンから少し下に入ってしまった。
キサキのあまりに遠慮のない口調に、思わず苦笑を漏らす。
コウヤはどこかスッキリした気持ちで、その言葉に頷く。
「……ああ。そうかもしれないな」
小学生の頃、同じようなことを言われたのを思い出す。
もうすぐ二年経つだろうか。あの頃は、思わず反発してしまったが、今では自分なりに、折り合いをつけた。
そんなコウヤの様子が気に入らないのか、キサキが口を尖らせながら言う。
「……なんで、そんなに清々しそうなのよ」
「なんだよ。そんなに不満か?」
「不満だよ」
ムスッとした様子を隠さずに、彼女はコウヤに苦言を漏らす。
「だって、コウちゃんにはシューターズがあるじゃん。やれもしない競技を続ける意味なんて無いよ。シューターズだけ見ていれば、それでいいのに」
そう言われて、ようやくコウヤは、キサキがへそを曲げている理由に気づいた。
おそらく、コウヤがシューターズ以外の競技に夢中なのが気に入らないのだ。彼女は、コウヤが未だに野球を引きずっているだと思っているのだろう。
そのストレートな物言いは、事によっては喧嘩を売っていると捉えられてもおかしくない。
だが、コウヤはそれを笑い飛ばすように、軽く流した。
「何だよ。お前、もしかして嫉妬してんのか?」
「……ッ! はぁ!? な、何言ってんの。あたしが、何に嫉妬するって?」
思ったよりも動揺したようで、キサキはわなわなと震えながらコウヤを睨む。
そんな彼女に、コウヤは苦笑しながら、さっと左手を振ってみせる。
「別に、シューターズを蔑ろにしてるつもりはねぇよ。これはただの趣味だ。元々、感応判定の件がなくても、俺はもう、野球は出来ない。だって、左肘を壊してるからな」
あの時。
小学六年の夏の大会。限界まで投げ切って、左肘を壊した。
それでも投げたかったから、痛みなんて無視して投げ続けた。
そうして限界を越えた先に、本来知覚できないチャンネルを開き、無理やり患部を補強した。
そんな無茶をした肘が、元に戻るはずもなかった。
あの時は、二重の意味で、再起不能だったのだ。
「一応右腕でも投げられるようには練習してたけれど、力も精度も、左の方がうまかった。それが壊れた時は、正直言って絶望したよ」
六年間。
がむしゃらにやり続けて、自分の一部とさえ思ったものを、急に奪われたのだ。
心にポッカリと、穴が開いたような気分だった。
その空虚な気持ちを埋める事ができず、無様にも荒れてしまった。
その穴を埋めてくれたのは、キサキであり、シューターズだった。
「だから、キサキには感謝してるよ。シューターズに誘ってくれなかったら、俺はずっと割り切れなかったと思う。他に夢中になれるものを見つけたからこそ、野球が好きだったっていう気持ちも思い出せた。ありがとう」
ふいに真っ直ぐな感謝の言葉を向けられて、キサキは頬を赤らめる。
「ふ、ふん。おだてても、何も出ないんですけどー」
動揺を必死で隠しながら、彼女はツンとそっぽを向く。
しかし、その強情な態度はそう長く続かなかった。
しゃがんだままのキサキは、緊張したように小さく息を吐くと、目線を外したまま言いづらそうに口を開く。
「それなのに、行くんだ。治療」
「……やっぱり聞いてたか」
変に絡んでくると思ったら、案の定である。
バレているのならしょうがない、と。コウヤは開き直りながら言う。
「父親がアメリカに海外赴任するから、それについていくんだよ。母親がついていくっていうんだから、仕方ねぇだろ。治療はそのついでだ」
海外赴任の話を聞かされたのは、夏の終わりのことだ。
まだ中学生でしか無いコウヤからすれば、親が行くと言えば、ついて行くしか無い。
それに、赴任先の土地には、有名な医師がいるという話だった。
そこで治療をすれば、全盛期とまでは言わないまでも、日常で軽く投げることができるくらいには、回復するかもしれないと言われた。
そもそも、肘の形が変わってしまっているので、日常生活でも、うまく伸ばすことができなくなっている。ゲームを行っていても、左腕はほとんどお荷物になっていたのだ。それが多少なりとも治るというのなら、是非もない話だった。
治療期間は、リハビリを含めて一年間。
それが終わったとしても、親の赴任期間がいつまでかかるかわからない。日本に戻ってくるのは、いつになるか全く不明だった。
「高校はどうすんの。オリエントに、一緒に行くって言ったじゃん」
「……努力は、するつもりだ」
チクリと刺すようなキサキの言葉に、コウヤはこれからのことを語る。
「魔法学府を受験するための単位は、久良岐さんに頼んで、今のうちに取れる分は全部取ったし、残りも、通信で取らせてくれるって言った。あとは、受験だけれど、さすがに合格すれば、親も寮暮らしを認めると思う。それまでに、肘は治す」
「……本当だよね?」
聞き返しながら、キサキは思わずと言った様子で立ち上がる。
そして、詰め寄るようにして一歩近づき、コウヤを上目遣いで見てくる。
「本当に、一緒にオリエントに通ってくれるよね?」
不安そうに揺れる瞳が、コウヤを見つめてくる。
その潤んだ瞳を見て、コウヤは少しだけ、バツの悪い思いを浮かべる。
実際、キサキの気持ちも分かる。
ほかならぬコウヤ自身が、海外に行くことに心細さを覚えているのだ。
中学生にとって、遠く離れることは、一生の別離に等しい。どんなに固い絆を持っていても、遠くはなれてしまえば、お互いの生活に必死で、いつの間にか忘れてしまうかも知れない。
それでも、と。コウヤは静かにこう答えた。
「『
にやりと、安心させるように笑ってみせる。
「あっちの魔法クラブで、あっと驚く練習して、戻ってきてやるからよ」
「……ほんとだよ」
コツン、と。
更に一歩を踏み込んできたキサキは、その勢いのまま、コウヤの胸に額を預けてきた。その不意打ちの行動を受けて、コウヤは思わずドギマギする。
普段ががさつなキサキであるだけに、思いもかけないしおらしい態度に、どう反応していいかわからなくなった。
コウヤの胸に頭をつけたまま、キサキはぼやくように言った。
「一年前はあんなにちびだったのに、いつの間に、こんなに大きくなったの」
「ちびって言うな……。そりゃあ、いつまでも小さいままじゃねぇよ」
この一年で随分と身長が伸び、今ではキサキより頭一つ分くらいは大きくなっている。
コウヤからすると、キサキが思った以上に小さく感じて、どうしても居心地の悪さを覚えてしまう。これだけ近いと、同年代の異性を意識してしまい、落ち着かない。
「な、なあ。キサキ?」
「もうちょっと」
強情なお姫様である。
なんとなく手持ち無沙汰になったコウヤは、恐る恐る、キサキの頭に手をのせる。
つやのある黒髪の感触を感じる。出会った頃と同じ、綺麗な髪の色。その美しさに惹かれなかったと言えば嘘になる。
それを間近で感じながら、コウヤは暫くの間、緊張を続けることになった。
※ ※ ※
予備校に顔を出すと、厭らしい笑みを浮かべたチハルが居た。
「やあ。ちゃんとサッちゃんを納得させられたかい?」
「やっぱてめぇの仕業かよ。どうせ出歯亀してたんだろ。白々しい」
「まさか。のぞき見なんてしてないよ。ただ、なんとなく会話の内容は想像つくだけで」
ひょうひょうと言うキツネ顔は、いつも通りの調子だったので、コウヤはどこか安心したように息を吐く。
どっかりと近くの椅子に座りながら、コウヤはチハルを見る。
「っていうか、まだチハルには言ってなかっただろ。なんで知ってんだよ、俺が海外行くこと」
「比呂人さんとタカミの会話をちょっと耳に挟んじゃってね。詳しくは知らないけど本決まりっぽかったから、真っ先にサッちゃんに教えたんだ」
「趣味悪すぎんだろ」
碌なやつじゃねぇなと改めて思うコウヤだった。
ジト目を向けるコウヤに対して、チハルは気にした風もなく、マイペースでニヤニヤと笑いながら聞いてくる。
「ま、だから正確なことは知らないんだけどさ。いつからいなくなるの?」
「年明け。八月末に言われて、四ヶ月後には海外とか、無茶ぶりもいいとこだろ」
「うわぁ。そりゃ大変だ。英語とか大丈夫?」
「大丈夫じゃない。死ぬ。おかげで、英会話スクールにも通わなきゃいけなくて、どんどん時間がなくなりやがる」
「あはは! お疲れ様」
苦々しい顔で愚痴を言うコウヤに、楽しそうにチハルは笑いかける。
ニヤニヤと笑っているチハルは、わざとらしく腕組みをして、大仰に言った。
「いやぁ。でも、年が明けたら君とお別れなんて、寂しいなぁ。もっと色々、遊びたかったのに」
「そーだな。お前の悪知恵に毎回付き合うのは、なんだかんだで楽しかったよ」
主にキサキへの嫌がらせが多かったが、そのたびに返り討ちにあう記憶しかないあたり、どうしようもない二人だった。
くつくつと二人して笑い合って、ふぅ、と一息ついた。
「ちなみに、他の人には? 特にテンカちゃんには伝えたの?」
「ああ、そっちは、昨日な。……盛大に泣かれたけど」
「あはは。そういうところ、ほんと可愛いよね、あの子」
「まったくだ」
コウヤは頷くと、しんみりとした気持ちでつぶやく。
「口を開けば可愛げがないくせに、わかりやすいんだよ、あいつ」
言葉では、「下僕がどこへ行こうと知ったことではありませんわ。とっととお行きなさいな。しっし」と言ったテンカであるが、さすがにそれが誤魔化しであることくらい分かる。
テンカと組んでこれまでゲームの練習をしてきたが、それはあくまで仮の契約だ。
一年も離れれば、ファントムといえど、新しいバディを見つける可能性がある。
そもそも、まだ正式な魔法士でもないコウヤに、フリーのファントムがずっと付き合ってくれたことの方が奇跡のようなものなのだ。
次の大会が、彼女との最後になるかもしれない。
そう思いながら、コウヤは残された時間を、全力で楽しもうと思った。
そして、一ヶ月後。
十一月。
ジュニア大会が、開幕する。
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