5-5 土蜘蛛、襲来



 突如として襲撃を受けたテンカは、絶叫を上げながら中空へと身を躍らせた。


「て、テン!」

「近づくな、鏑木!」


 思わず駆けだしそうになったコウヤを、ジュンが鋭い声で制止する。


 ジュンは短く呪文を唱えて、最低限の防御を背後のハクアへと施す。

 そしてすぐに、全力で地を蹴って飛び出すと、落下しているテンカを抱きとめた。


「『ア・ビ・ラ・ウン・ケン』――『光明真言こうみょうしんごん曼荼羅まんだら』!」


 彼は着地するとともに、手に持った護符を五枚、空に向けて投げつける。


 光明真言こうみょうしんごん――大日如来だいにちにょらいの力を借りて、あらゆる災いから身を守る、密教における最高の真言マントラ

 本来は二十三文字からなる真言なのだが、ジュンは護符を用いることで、簡易的な曼荼羅まんだらを作成して代用していた。


 現在のジュンが持つ、最大級の防御呪法。


 しかし――それは、


 テンカを強襲した日本刀は、禍々しい気を荒々しく噴出させて、その護符をあっさりと焼き尽くしたのだ。

 日本刀は、くるくると回転しながら、先程テンカから噴出した魔力を集めると、その毒々しい黒い気を周囲へと広げていく。


 ソレはやがて、巨大な一つの影を取った。



「ギ、ギギ、ギギャアアアアアアアアアアアア!」



 丸みを帯びた巨大な胴体に、太い八つの足。

 その各所を、鎧のようなどす黒い金属が守っており、中央には、人の顔を模したドクロが浮かび出てくる。

 全長十メートルはあろうその巨大な影は、毒々しい魔力を撒き散らしながら、つんざくような金切声をあげる。


 その叫び声とともに、辺りに猛烈な吹雪が巻き起こる。


 暴風に吹き飛ばされたジュンは、テンカを抱えたまま、なんとか地面に着地した。


「ぐ……、だと……!」


 目を剥きながら、ジュンは苦々しそうにその名を口にする。


 土蜘蛛つちぐも――元は大和朝廷に歯向かった土豪や豪族を示す蔑称であり、いつしか朝敵そのものを指す、反逆の代名詞となった。

 その烙印を押されたものは、深い呪いとともに、周囲を破壊し尽くす純粋な暴威となる。


 霊子災害としてのランクは、最低でもAランク。

 プロの魔法士が集団で討伐するような、大規模災害の一つである。



「GUGYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」



 その怪物は、金属が擦り合うような不快な音を響かせながら、辺り一帯を猛吹雪で覆っていく。


 それは一種の結界であり、空間を覆い尽くす豪雪だった。


 方角を見失う程度の結界ならば良いが、仮に空間そのものを切り取る類のものであれば、吹雪に囲まれたが最後――この怪物から逃げるのは、至難の業となるだろう。


「逃げろ! お嬢、鏑木!」


 ジュンは抱きかかえていたテンカをその場に下ろすと、鉄扇を構えながらコウヤ達に向けて叫ぶ。

 その言葉に、真っ先に反応したのはハクアだ。

 彼女はすぐにコウヤの手を引くと、閉じ始めている結界の出口へと駆け出す。


(なんとか、お嬢たちが逃げる時間を稼ぐ――ッ!)


 ジュンは鉄扇を振るいながら、土蜘蛛を引きつけるために突撃する。


 土蜘蛛が振り下ろす足は、その一撃一撃が、地をえぐり粉砕する威力を持っている。ソレが暴れるだけで、地形そのものが変化しかねない。正に、災害そのものである。


 振り下ろされる足の合間を縫いつつ、ジュンは鉄扇を振るって直撃を受け流すと、すぐさま反撃にかかる。


「『ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン』!」


 不動真言ふどうしんごんを唱えながら、見をひねって打ち下ろすように鉄扇を振るう。

 肉体は、不動明王の加護を付与して強化し、更に鉄扇からは、仕込み刃を表に出して、叩きつけるとともに斬りつける。


 しかし――鉄扇による打撃は、土蜘蛛の足を透過して空振りした。


「……くそっ、。なら!」


 舌打ちをしながら、ジュンは周囲に護符を振りまく。

 そこに刻まれているのは、種子しゅじと呼ばれる、梵字ぼんじで記された仏尊の真言マントラである。


 記されている内容は、孔雀明王くじゃくみょうおう種子真言しゅじしんごん


「『オン・マユラ・キランディ・ソワカ』!」


 ジュンが真言を唱えるとともに、魔力で編んだ護符が、力を発揮する。


 孔雀明王の力を借りた密教呪法を、孔雀経法くじゃくきょうほうと呼ぶ。

 ジュンは護符を使った簡易呪術によって、大地のマナを励起させると、自身の魔力を使うことなく、情報界へのアクセスと改変を行う。


 魔力の鎖が、土蜘蛛を縛り上げる。


 ジュンは立て続けに、護符を投入して呪縛を強化していく。二重三重に重ねられた鎖は、確かに土蜘蛛の動きを止めてみせた。



 しかし――動きを止めることが出来たのは、本当に一瞬だけだった。



「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」



 金切声と共にどす黒い魔力が拡散し、全ての護符は消し炭になった。


「ぐ、ぁあ……ッ!」


 呪術の失敗によるフィードバックに、ジュンは膝をついて呻く。


 術式が強引に破られたので、操作していたマナが暴走したのだ。

 直接体内にマナを取り込んだ場合に比べるとマシだが、それでも一瞬だけ、全身がしびれたように麻痺を起こす。


 その一瞬は、護衛としては致命的だった。


「……ぐ、まずい、お嬢!」


 歯を食いしばりながら、ジュンはハクアの方を見る。


 コウヤとハクアは、あと少しで出口にたどり着く所だった。

 二人は雪道に足を取られながら、スキー板を放り出して、懸命に結界の出口へと向かって走っている。


 その背中に、大地の破片が迫っていた。


 土蜘蛛の踏みつけは、地面を叩き割り、その破片を辺り一帯に吹き飛ばしたのだ。

 地吹雪混じりの土の塊は、散弾のようにコウヤたちに迫る。


「っ! !」


 それにかろうじて気づいたハクアは、コウヤをかばうように抱きついた。

 彼女は手持ちのデバイスで簡易的な魔力防御の術式を組むと、衝撃に備える。



 そして――ハクアは、無数の破片の直撃を受けた。



 ジュンの施した守護護符も、ハクア自身が組んだ魔力障壁も無意味だった。


 強烈な勢いで叩きつけられた破片の内、一つが魔力障壁を突き破り、


「あ……がっ……!」


 ハクアは息を呑みながら、痛みに目を見開く。


 破片に撃ち抜かれた衝撃で、彼女の身体は宙を大きく舞う。

 そして、大量の血を撒き散らしながら、その場に叩きつけられた。


「は、ハクア!」

「お嬢!」


 血を流しながら倒れるハクアに、コウヤは駆け寄る。


 ようやく身体の自由が戻ったジュンは、二人を守るように土蜘蛛の前に立ちふさがった。


「う、ぐぅう、ぁああぁあッ……!」


 ハクアはうめきながら、右足を押さえてうずくまっていた。その足からは、ととめどなく鮮血が溢れて雪面を赤く染めている。

 胴体への直撃は避けられているとは言え、足の怪我は、部位によっては命にかかわる。


 すぐにでも治癒の呪術を掛けたいところだが、目の前の怪物がその時間をくれるとは思えなかった。


 ジュンは護符を取り出しながら、今できる最高の防御を広げていく。

 しかしそれも、余波は防げても直撃は防げない。


(くそ……せめて、少しでいいから時間が取れれば)


 もともと風見ジュンは、後方支援のファントムであり、直接戦闘に長けたものではない。

 占星術の派生で密教呪術も多少は扱えるが、あくまで基礎程度だ。その上、霊子災害に対して何の準備も行っていないため、有効的な攻撃手段をほとんど持って無かった。


 星を読むにも、運勢を変えるにも、時間がなさすぎた。


 せめてハクアだけは、この身を犠牲にしてでも守らねばと、ジュンは護符を使って自身に加護を付与しながら、土蜘蛛を引きつける準備を行った。


 その時だった。




「『凍えろ、吹雪よ風に舞えブリザード・ホワイトアウト』!」




 周囲を覆う吹雪とは別に、猛烈な吹雪が、土蜘蛛の周囲に巻き起こった。


 一寸先すらも見えないほどの、濃密な雪の嵐。

 それは一瞬にして土蜘蛛の全身を覆い、そしてジュン達の姿すらも覆い隠した。


 その吹雪を生み出したファントム――冬空テンカは、息も絶え絶えに叫ぶ。


「速く! こっち、ですわ!」


 一メートル先も見えないほどの吹雪の中、ジュンは風の流れを瞬時に読むと、テンカの姿をはっきりと認識する。彼女は倒れ込んだまま、精一杯に手を伸ばしていた。


「お嬢。少しの我慢だ」


 ジュンは小さくそうつぶやくと、怪我をしたハクアと、呆然としたコウヤの二人を乱暴に抱えて、テンカの方まで吹雪の中を突っ切った。


 そして――吹雪による結界は、閉じきってしまった。




※ ※ ※




「や、やりました、わね」


 肩で息をしながら、テンカは弱々しく顔を上げる。

 彼女に護符を貼りながら、ジュンが小さく賞賛を送った。


「よくやってくれた、冬空。お前が居なかったら、全滅だった」

「ふ、ふふ。そう素直に褒められると、照れますわね。でも、いい気分ですわ」


 すでに刀で刺された胸の傷は塞がっているが、大量の魔力を消費しているテンカは、今にも実体化が解けそうだった。


 現在、コウヤたちは巨大なかまくらの中に身を潜めていた。

 テンカの雪で作り上げたかまくらは、ワンルームくらいの広さで、四人が軽く寝転べる程度の余裕はあった。


 更には、ジュンによって星のめぐりを変えられ、認識阻害と危機回避の魔術が使われているので、しばらくは身を隠せるはずだった。


「それにしても……何なんですの、アレは。急に現れたにしては、あまりにも規模が大きすぎますわ。あれほどの霊子災害でしたら、地域一帯は封鎖されるレベルでしょうに」

「お前の言うとおりだ。こんな行楽地で出会っていい化物じゃない」


 余裕が戻って、いつもの冷たい表情を浮かべたジュンは、落ち着いて子供二人を見る。


 まず、足を怪我したハクアは、なんとか止血を完了させて寝かせてある。しかし、血を流しすぎているのと、周囲の気温が低いことを考えると、予断を許さない状態だ。かろうじて意識はあるようだが、早めに医療機関に連れて行くべきだろう。


 次にコウヤであるが、こちらは厳しい表情をして、ずっと黙り込んでいる。おそらくは、自分をかばってハクアが怪我をしたことに責任を感じているのだろう。彼はハクアから片時も目を離さず、強く彼女の手を握りしめている。



(お嬢を守れなかったのは、俺の落ち度だ。こいつが気に病むことではない、が――この歳の子供に、それを聞かせて、何の意味がある)



 ハクアもコウヤも、歳の割には精神年齢が高いが、それでもまだ子供だ。突如として災害に直面して、平静でいられるわけがない。


 この場において、一番の年長はジュンだ。外見こそ十代の美少年の姿であるが、彼はすでに百年近く存在している、天然の神霊である。

 ファントムという身ではあるが、せめて子どもたちを帰すために、全力を尽くさなければならない。


「状況を整理しよう」


 ちらりと、ジュンはテンカの方を見ながら言う。


 テンカはと言うと、護符が効いてきたのか、落ち着きを取り戻している。

 その様子を見るに、ジュンの予想は当たりのようだった。


「まず、分かっていることを確認する」


 説明とともに、この場にいる全員を落ち着かせるために、ジュンはあえて皆に聞かせるように話を始めた。

 本来は彼の柄ではないのだが、この場を取り仕切れるのは、ジュンしか居なかった。


「あの化物についてだが、特徴から察するに、土蜘蛛で間違いない」

「土蜘蛛、といいますと、大妖怪のたぐいではありませんか。なんでそんなのが」


 目を丸くするテンカに、ジュンは小さく首を振る。


「それは不明だ。目下、あの土蜘蛛の正体について確定できる情報はない。だが、二つほど分かっていることがある」


 ジュンは指を二つ立てて、そのうちの一つを折ってみせる。


「まず一つ。冬空を襲った日本刀。あれを媒介にして、やつは現実に干渉している。おそらくはあの日本刀が霊具だろう。次に、二つ目」


 二つ目の指を折って、ジュンはまっすぐにテンカの方を見る。


「やつは冬空を襲った時、その能力の一部を吸収している。それが、この雪の結界だ。そして、冬空を襲った理由だが――龍脈が切れていたことと、関係がある」

「どういうことですの? 龍脈って、確か星の血管のようなもの、と聞いてますが」


 龍脈とは、自然魔力マナの通り道のことである。

 あらゆるものに、自然魔力は通っているが、特に大地には、星が持つ生命の息吹が巡っており、それが根付くことで大地に生命が芽吹く。


 これが密集した山のことを霊山と呼び、情報界とのアクセスがし易い場所として、信仰の対象となっている。


 もともとは、その龍脈の流れが意図的に切られていたのが、違和感のきっかけだった。


「この霊山において、何者かが細工をして、一時的に龍脈の流れを壊していた。これにより、大地を走るマナが、無秩序にあふれていた」


 スキー場での違和感の正体はこれであり、このせいで、霊子庭園用の増幅器アンプがうまく作動しなかったのだ。

 そんな不具合は、人為的に起こさない限りは、あり得ない現象である。


「何事もなければ、時間が経てば龍脈自体は修繕されるが、意図的に破壊され続けるとなると話は別だ。行き場を失ったマナは、自然な通り道を探す。この霊山で言えば、雪山を構成する『雪』なんかは、恰好な因子だ。つまり――」

「……テンカに、マナが集まった。そう言いたいのね、ジュンは」


 息を切らしながら、臥せっているハクアが、会話に参加してきた。

 それに、コウヤが身を乗り出して話すのを止めようとする。


「ハクア。喋って大丈夫なのか」

「大丈夫。むしろ、話してないと、痛みでどうかしそうだから」


 心配げなコウヤをいさめながら、ハクアはジュンに対して言う。


「えっと……つまり、こういうことよね」


 彼女は状況を整理するように、自身の考えを口にする。


「龍脈を壊して、マナを力のある因子に集める。それが、正体不明の敵の目的だったけど、困ったことに、より相性のいい神霊であるテンカが居たから、そっちにマナが集まっちゃった。だから、あの刀はテンカを襲撃して、そのマナを横取りした。――こんなところで、どうかな、ジュン」


「俺も、同じ考えだ。さすがだな」


 この状況でありながら同じ考察を行ったハクアに、ジュンは素直に賞賛を送る。


 先程までテンカが消耗していたのは、一度に大量の魔力を奪われたからである。彼女が襲われたのはマナの回収のみが目的だったため、直接的なダメージを受けなかったのだ。


 この状況に置いて、テンカが動けることは、ちょっとした光明である。

 その事実を確認しつつ、ジュンは話の続きを勧める。


「龍脈の切断は意図的だ。つまり、この霊子災害はである可能性が高い。早急に、専門の部隊を編成して、対処する必要があるだろう」

「わたくしたちでは、倒せないんですの?」


 無駄とはわかりつつも、テンカはあえてその質問を向ける。


 先程見た土蜘蛛の脅威は、テンカの能力をはるかに上回っていた。しかし、熟練のファントムであるジュンならばどうかと、彼女は思ったのだろう。


 それに対して、ジュンははっきりと首を横に振る。


霊子災害レイスは、『情報界』の住人だ。『現実界』にいる俺たちでは、基本的に干渉ができない。倒す方法があるとすれば、二つだけ。霊子庭園を展開するか、カニングフォークを使うかだ」


 霊子災害レイスは、情報界にその本体があり、何らかの霊具を媒体にして、現実にその虚像を投影している。そのため、現実界からの物理的な干渉ができないのだ。

 さきほど、ジュンが振るった鉄扇がすり抜けたのも、それが理由である。


 それに干渉するためには、ジュンが言ったとおり、二つ。



 一つは、霊子庭園を展開して、相手と自分の位相を合わせること。


 霊子庭園とは、情報界と現実界に作った仮想空間であるが、その本質は、魔法士が情報界の改変を行いやすいフィールドを作り、そこに敵を引きずり込むことにある。

 そもそも、霊子庭園自体が、霊子災害レイスと戦うために編み出されたもので、現在のような魔法競技のための使い方は副産物にすぎない。


 二つ目は、自然魔法カニングフォークを使うこと。


 マナは、情報界に認識を直結させるためのショートカットであり、マナを肉体に取り込んで発動させた魔法は、体内の魔力を利用したものよりも、はるかに精度の高い改変を行える。

 その代わり、熟練の術者であっても、フィードバックによる肉体の損傷のリスクがある。


「俺たちファントムのスキルは、カニングフォークに近いから、かろうじてダメージを与えられるだろう。しかし、現実界で、なおかつ魔力供給が限られている中では、大したダメージを与えられない。まともに戦うためには、霊子庭園の展開は必須だ。だが――」

「私の実力じゃ、増幅器アンプなしにそんな大規模の霊子庭園、作れないわね」


 血の気の引いた顔で、ハクアは素直にその事実を認める。


 そもそもプロの魔法士でさえ、広範囲の霊子庭園の展開には数人がかりで取り掛かるのだ。如何にハクアが秀才であると言っても、魔力量にも技術にも限界はある。ましてや、怪我をして衰弱している現在の彼女では、万に一つの可能性もない。


 事実上、このメンバーでの討伐は不可能ということだ。


 それがわかったことで、この場の空気がずんと重くなる。


 その空気を察しながら、ジュンはあくまで淡々と、状況に対する打開策を口にする。


「だが、助けを呼ぶだけなら、話は別だ」

「助け……でも、この空間、すでに結界が張られてるわよ。どうやって、外と連絡を取るの?」


 ジュンの言葉に、ハクアが疑問を呈する。

 それに対して、ジュンは冷静に答える。


「時間が出来たから、風を読んで、この結界について軽く調べた。この雪の結界は、土蜘蛛の本来の能力じゃない。あくまで冬空の能力の劣化だ。効果としては、寒さで体温を奪うのと、方角を見失わせる程度の能力でしか無い」


 ジュンの持つ『風読み』の因子には、『堪輿かんよの才』と言うパッシブスキルがある。これは、風を媒介として、魔力の及ぶ範囲における出来事を感知するという能力だ。

 これにより、ジュンは結界の境目が、地続きであることを確認していた。


 空間そのものを断絶させるたぐいの結界だった場合は手間だったが、これならば、方角さえ見失わなければ、まっすぐにペンションへと帰ることが出来る。


「土蜘蛛が完全に暴れだせば、さすがにペンションの住人も気づくだろうが、そのときには、間近にいる俺達はすでに亡き者だ。特にお嬢には、怪我の問題もある。だからそうなる前に、増援を呼びたい。あそこは龍宮家の息がかかっているから、魔法関係者も何人かいる」

「それがあれば、倒せるのですか!」

「いや。倒すには、準備が足りない」


 僅かな可能性に目を輝かせたテンカに、ジュンははっきりと現実を突きつける。


「あの規模の霊子災害レイスは、大掛かりな討伐隊が必要だ。だから、最悪、一時的な封印でいい。とにかく、まだ発生したてで、動きが緩慢な今のうちに、対処する必要がある」

「それで――」


 先を急かすように、ハクアが辛そうに顔を歪めながら尋ねる。


「具体的に、どうやって、助けを呼ぶの?」


 そのハクアの問いに、ジュンは端的に、作戦の内容を口にした。



「俺が土蜘蛛を引きつける間に、冬空に結界を突破してもらう」



 それは。

 たった一人で、囮を務めるという内容だった。


「…………」


 その言葉に、ハクアは考えるように目を閉じる。


 実際、ジュンの作戦は、この場における最適解だ。


 雪の結界は体温と方角がネックであり、それは元の能力を持つテンカならば問題ない。

 土蜘蛛の相手にしても、この中では、唯一足止めが出来るのが、ジュンである。


 怪我をしたハクアや、まともに魔法式が組めないコウヤには、取れる役割がない。その事実を痛いほど感じているため、二人はその作戦に、口出しすることが出来ない。


「……出来るの、ジュン?」


 目を開いたハクアは、自身のバディに向けて、かろうじてそれだけを尋ねる。


 ジュンは元々、直接戦闘が得意なタイプではない。

 土蜘蛛を相手に時間を稼ぐと言っても、逃げ惑うのがせいぜいだろう。如何にファントムでも、現実界で致命的なダメージを負えば、消滅の危険がある。


 ハクアの問いは、その危険な役回りを任せてもいいのかという、確認だった。


 それに、風読みの神霊は、静かに頷いた。


「お前らを無事に帰す。それだけは確約する」

「そう……」


 ハクアは悔しそうに唇をかみながら、重々しく、頷いた。

 その間、コウヤはハクアの手を握ったまま、一言も口を利かずに壁を睨んでいた。



 こうして、救援要請作戦は開始された。



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