5-4 白きゲレンデに一筋の刃
「いやっほぉおおおお! 最っ高、ですわぁああああ!」
遠くで、
初心者コースに飽きた彼女は、早々に上級コースへと移って、氷で作ったスキー板で雪山を駆け回っていた。
「元気だなぁ、あいつ」
リフトで登ってきたばかりのコウヤは、かなり遠くからでも響いてくるテンカの声に、遠い目をしながらぼやく。
それに、ハクアもまた、声の聞こえる方角に目をやりながら答える。
「この辺は霊山だし、龍脈が密集しているから、神霊にとっては活動しやすいらしいわ。テンカの場合、雪の神霊だから、相性も良いんでしょうね」
ちなみに、もうひとりのファントムである風見ジュンは、リフト乗り場のそばにしゃがんで携帯ゲームをやっている。雪山にまで来てゲームを行う自由なファントムだが、彼にとっては平常運転だ。
そんな中。
不満げに、ハクアは唇を尖らせた。
「……納得行かないわ」
その反応に、もう一度滑ろうと準備をしていたコウヤは「何がだよ」と怪訝な顔で聞き返す。
「あんた、スキーは初めてって言ったじゃない」
「嘘じゃないぞ。最初は転んでたし」
「にしては、うますぎでしょ」
ハクアは手を腰に当てると、不服そうに文句を言った。
「まだ一時間も経ってないのに、リフトの乗り降りだってスムーズだし、滑るのだって、すごく上手じゃない。なんでよ」
「なんでって言われてもな」
頭を掻きながら、困ったように目をそらす。
実際、最初の滑り始めは、まったく自由が効かず、何度も転んで、立ち上がるのも一苦労だった。
そのたびにハクアが楽しげにコツを教えて来たのだが、一度教えられたことはすぐに吸収し、三十分も経つ頃には初心者とは思えないくらいに滑れるようになった。
驚くべきは、その集中力である。
ただ黙々と、教えられたことを繰り返すというのは、簡単なようで難しい。この一時間、コウヤは無駄口も叩かず、本当に反復練習だけを行ってきた。これには、隣で見ていたハクアも驚くほどの集中力だった。
まだ不慣れた部分はあるが、遊びで滑る分には十分過ぎるくらいだ。
コウヤの上達が思った以上に早かったため、色々教えるつもりでいたハクアとしては、あまり面白くないらしい。
「私が初めての時は、兄さんに教わりながら、滑れるようになるまで丸一日かかったのに……。そんなにあっさり滑られたら、面白くないじゃない」
「おい、僻みかよ」
「だって私は、転ぶたびに兄さんに笑われたんだもの」
いじけたようにそう言うハクアだったが、それは暗に、自分も人の失敗を笑いたいと言っているようなものである。
友人の珍しい拗ね方に、コウヤは微笑ましさに苦笑する。普段は大人びた態度のくせに、妙なところで張り合うのが、彼女の困った点だった。
ハクアは不満を表に出したまま、ふいに尋ねてきた。
「そういえばあんたって、霊子体でも身体能力だけは妙に高いわよね。前になんかやってたの?」
「去年まで、野球をやってたくらいだ。それも、怪我でできなくなったけどな」
「野球……ああ、なるほど」
ちらりとコウヤの左腕を見て、すぐに察するハクア。彼女のこういう察しの良さは、素直に好感を覚えるポイントだった。
ようやく気を取り直したのか、話を変えるように、彼女は腰から手を外しながら言う。
「その様子なら、実際にスキーシューターやっても問題ないかもね。コウヤの場合、霊子体の方が自由度高いだろうし」
と、そこで。
天才肌のキサキに対して、コウヤがライバル心を燃やしているのを知っているハクアは、どこか愉快げに、焚き付けるように言う。
「どうする? キサキに一泡吹かせたいなら、今日のうちにそっちの練習もしておく?」
「いいな、それ」
ニヤッと笑ってみせるコウヤに、ハクアも楽しげに表情を緩めた。
そんなわけで、善は急げ。
二人は連れ立って、霊子庭園展開用の機材が設置されているコースに移動を始めた。
移動を始めると、声もかけていないのに、ジュンがすぐさまハクアの後ろについてくる。さすがはハクアの従者である。
離れからは、「ひゃっはあああああああ! 無敵ですわぁあああああ!!」というおバカの声が響いている。ちなみにクリスマスイブのこの日、スキー場は結構な賑わいを見せている。誰かに迷惑をかけていなければいいが。
「そういえば」
歩きながら、なんとなしに、聞きそびれていたことを尋ねる。
「お前の兄さん……クロアさんは、なんで今回来れなかったんだ?」
「そう、それ! ねえ、聞いてよ」
思いの外、話題に対するハクアの反応が良かった。
「もう、ほんと自分勝手で腹立つのよ、あの人! 先月くらいから急に、『修行してくる』って言って、急に家を出て、九州の方に行っちゃったのよ」
まるで話を振られるのを待っていたかのように、憤然としてハクアは答える。
「『今度こそは認めてもらうんだ』とかわけのわからないこと言ってて、碌に連絡もよこさないの。おかげでゲームの練習相手が居なくて、困ったものよ」
「修行って、なんか漫画みたいだな……」
ハクアの兄、龍宮クロアは、コウヤ達の一つ上で、中学二年生である。
まだ一度しか会っていないが、あの精悍な顔立ちとがっしりした体格を考えれば、まったく冗談に聞こえない。
クロアに対しては、あのキサキですらゲームで負け越しているくらいだ。ほぼ同年代でありながら、彼は圧倒的な実力を持っている。
「前に、ハクアでもクロアさんには勝てないって言ってたけど、そんなにすごいのか、あの人」
「認めるのは癪だけど、その通りよ。あの人は、すごいなんてもんじゃない。ちょっと前に、魔法学府の大学生相手に、ゲームで勝ったくらいよ」
兄の話題になると、ハクアはいつも口が軽くなる。
乱暴な口調でありながら、どこか親しみを感じさせる調子で、彼女は愚痴を言う。
「あの人はほんと、昔からなんでも出来たのよ。スキーだって、私と同じ日に始めたのに、スキー板を履いたらすぐに滑ってたし。私がどんなに本気で挑んでも、いつも余裕綽々で対応される。そのくせ、努力は惜しまないし。本当に、気に食わないわ」
「年上だし、仕方ないだろ。ハクアだって、まだ小学生なのに俺より強いだろ」
「そりゃあ、コウヤと私じゃ、訓練の質も量も違うもの」
当然といった調子で、ハクアはつまらなそうに言う。
「でも、兄さんと私は同じ環境で育っているから、間にあるのは時間だけ。……けど、年齢なんて言い訳にすぎないわ。そんなものは、訓練次第いくらでも埋まる」
苦々しそうに口をへの字に曲げながら、彼女はふいに黙り込む。
そして、顔を背けながら、独り言のように言った。
「このままじゃ、私はずっと兄さんの後ろ姿を追い続けることになるわ。……きっと、一生」
その声には、様々な感情が入り乱れているようだった。
掛ける言葉が見つからなかったコウヤは、余計なことは言わずに静かに黙り込む。ハクアの独白の余韻は、静かに雪景色に溶けていった。
※ ※ ※
「やっとついたわね」
リフトでパッションコースまで登ってみると、利用客の年齢層がぐっと上がった。
傾斜も急で、曲がりくねったこのコースは、明らかに上級者向けであるため、今のコウヤが滑るには難易度が高いコースだが、目的はそちらではない。
コースのはじめの所に、一メートルくらいの高さ円柱が設置されていた。その上にはガラスの球体が乗っかっており、中にスキーコースのミニチュアが見えた。
霊子庭園展開用の
本来の霊子庭園は、
実際の公式競技で使われる増幅器などは、四方に置かれて、等身大の結界を張ることになるのだが、こうした公共施設での私的利用では、ミニチュアサイズに縮尺して、他の利用者の迷惑にならないようにしている。
その機械に手を触れて、魔力を通し始めたところで、ハクアが怪訝そうに顔をしかめた。
「……あれ? なんか調子が悪いわね」
「どうかしたのか?」
「うまく魔力が通らないのよ。どうしたのかしら……」
ガラス球に手を乗せたまま、ハクアは困ったように首を傾げる。
「故障じゃないのか?」
「んー。確かにここ、ペンションに近くて使用頻度も高いから、可能性はあるかも。あとで叔父さんに知らせとかなきゃ……。仕方ないし、別のところに行ってみましょ」
このゲレンデの中で、増幅器が置かれているコースは、あと四つだった。
中級コースのパノラマコースとフォレストコース。
上級者向けのチャレンジコースとダイナミックコース。
それぞれ、リフトに乗っていくにしても時間がかかる。
時刻は現在四時過ぎなので、帰りのことも考えると、一箇所くらいが限界だろう。
「一番近いのはチャレンジコースかな。でも、あそこ斜面が急だから、難しいのよね」
「……なあ、パノラマコースってのは、どんなところなんだ?」
一通り上げられた名前の中に、聞き覚えのあるコースが有ったので、思わず尋ねていた。
突然の質問に怪訝な顔をしながら、ハクアは答える。
「パノラマコースは、見通しの良い開けたコースね。一番上まで登るのは時間がかかるけど、コースの難易度自体は低いから、滑りやすいわよ。何? 気になるの」
「いや……見て損はないって、勧められたから」
ふいにキリエの顔を思い出しながら、コウヤは渋面を浮かべる。なんとなく、彼女の言葉に誘導されているような気分になって、語尾が弱くなる。
そんなコウヤの様子を不思議に思いながらも、特にこだわりもなかったハクアは、あっさりとパノラマコースに行くことを決めた。
「そこのリフトでそのまま昇れるから、行ってみましょうか」
そろそろ日が落ちてきたため、利用客も少なくなってきている。
その波に逆らうようにして、二人はそばのリフト乗り場から、更に雪山の上へと向かう。
上に上がるごとに、視界がひらけていく。
木々が完全になくなり、真っ白な雪面と、なだらかな坂が見渡す限り続いている。
ちらりと後ろを振り返ると、リフトの上から、真っ白に開けたゲレンデの様子が一望できた。
スキーを楽しむ人々と、いくつものリフト。
上級コースの近くにはスキージャンプ台が設置されていて、テンカがジャンプをしているのが見える。障害物代わりの木々がコースを作り出していて、その間を人々が滑っていくのが見える。
その眺めに、思わず感嘆の息を漏らす。
「へぇ、こりゃすげぇ」
「でしょ。このゲレンデの名物の一つなの。ほら、あそこ見てみて。ここからなら、ペンションの辺りも見えるのよ。下まで滑らなくても、展望目的でここまで昇る人もいるくらいよ」
隣のハクアが、どこか得意げに言う。それも無理はないだろうと、コウヤは思った。広大な景色は、それだけで見る者の気持ちをつかむだけの物があった。
十分ほど掛けて、ようやく一番上にたどり着いた。景色を見ながら、随分と高く昇ることになった。
※ ※ ※
二人はリフトから降りて、そっと一息をついた。
その時だった。
ふわふわと、テンカが浮遊しながら近づいてきた。
つい先程まで、ダイナミックコースのスキー台で大ジャンプを決めていたはずだが、今は妙に元気がない。不審に思いながら、コウヤは彼女に声をかける。
「よう、テンカ。どうした? もう遊び疲れたのか?」
「いえ……そういうわけでは無いのですが」
彼女はコウヤのそばに寄り添うと、どこか言いづらそうに口ごもる。
いつもズバズバという彼女にしては珍しい、と思っていると、テンカはもどかしそうに、曖昧な言葉を口にする。
「その……なんだか様子がおかしいんですの。なに、と言われると困るのですが。こう、力が溢れるのに、手応えがない、といいますか……」
「ん? どういうことだよ」
もじもじと、調子が悪そうにしているテンカは、自分でもその違和感を言葉にできない様子だった。
何かが間違えているのに、その正体がわからず、もどかしいという顔をしている。
どう声を掛けてよいかわからず、コウヤが戸惑っていると、後ろから別の声が響いた。
「おかしいわ。ここも、魔力が通らない。どうなってるの?」
ハクアが、増幅器の前で首を傾げていた。
その目は、訝しげに
すると、そばでスキー場全体を見下ろしていたジュンが、ボソリと言った。
「……龍脈が意図的に切られてる」
「え? どういうこと?」
「冬空の言う違和感もそのせいだ。土地に、誰かが細工している」
フードを脱いで、周囲の風に耳を傾けながら、ジュンは油断なく辺りを見渡す。
「お嬢。早めに戻った方が良い。まずいことが起きているかもしれない」
急かすように、ジュンは厳しい口調で言う。
普段の彼からは考えられないほどに、切迫した雰囲気を感じて、ハクアは「う、うん。分かった」と、素直に従った。
ジュンの助言に従い、二人は下りのリフトを待つ。スキーで滑って降りるよりも、リフトの方が安全なのだそうだ。
辺りはもう暗くなり始めていて、人が少なくなってきていた。ナイトコースがないこのスキー場では、五時を過ぎると殆どの人影がなくなる。
リフトを待つ間、テンカがふと、背後の林に目をやる。
「……なんですの」
「どうした? テン」
「いえ……何か、見られているような……」
身構えながら、テンカがその林を睨む。
スキーのために整地されているゲレンデでは、木々はあくまで景色の一つであり、必ず人の手が入っている。
しかし、高台付近にあるこの場所においては、後ろには鬱蒼と茂った雑木林が、自然なままで不気味に存在している。
野生の勘なのか、テンカはそちらの方に釘付けになっている。
しかし――テンカの反応速度よりもはるかに速く、ソレは、飛来した。
「冬空! 避けろ!」
誰よりもいち早く反応したのは、やはりジュンだった。
彼はハクアを庇いながら、手に鉄扇を広げて迎撃の構えを取る。そして、鋭くテンカに向けて鋭く叫び声を飛ばす。
「え?」
しかし、ジュンの言葉も虚しく、
テンカは呆けた顔で、ソレを胸元に受けた。
「あ――けほっ。……なん、ですの」
テンカは、自身の胸元に突き立てられたものを、呆然と見下ろす。
それは、日本刀だった。
中空より飛来したむき出しの刀は、猛スピードでテンカの身体を貫くと、弾かれるように刀身を身体から引き抜き、その刃を宙へと舞わせた。
「あ、……が、ぁああああああああああ!」
その衝撃で浮遊しているテンカは、次の瞬間、傷口から大量の魔力を噴出させた。
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