4‐2 もう一人の天才
自分の実力がどれほどのものかくらい、痛いほどわかっていた。
曲がりなりにも、一度は他のスポーツで――野球で、結果を出したのだ。
その時と比べて、今の自分が、どれだけの練度で臨めているかは、競技が違っても嫌でも分かる。
ウィザードリィ・ゲームにおいて、鏑木コウヤは弱い。
奇策を弄したり、不意をついたりしてたまにキサキに勝つことはあるが、それはあくまで、相手が本気でない場合だ。キサキが少しでも本気を出せば、あっさりと負けてしまう。
あまりにも遠い背中。
それを意識するたびに、コウヤは歯痒い思いを抱えていた。
何よりも、その遠い背中をした少女が、誰よりも競技に打ち込んでいるというのが、眩しくて仕方がないのだ。
(少しでも、あいつと近い世界が見たい)
コウヤが知っているシューターズのプレイヤーは、キサキだけだ。
クラブの会員の中には、シューターズがうまい大人もたくさんいるが、彼らはそれを専門にやっているわけではない。あくまで趣味としてうちこむ程度で、本気で競技として取り込んでいるのは、このクラブではキサキだけだ。
本当の意味で、魔法士と呼べるのも、彼女だけだろう。
だからこそ、龍宮ハクアの姿は、キサキと重なる部分があった。
(届かないのはわかっている。でも――)
スポーツウェアに着替え、模擬戦の準備をしながら、コウヤは思う。
(少しでもうまい奴と勝負していかないと、上達のきっかけもつかめない)
いつまでも、キサキを一人になんてしていられない。
※ ※ ※
「準備はできた?」
「ああ」
「そ。じゃあ、霊子庭園を展開するわよ。場所は、その端の方を使おうかしら」
久良岐魔法クラブに来るのははじめてのくせに、ハクアはまるで見知った場所であるかのように、ずんずんと歩いて行く。まだトレーニング室は人がまばらなので、それほど周りには迷惑がかからない。
「ルールは大会形式でいい? シングル戦だから、セレクトなしの、フラッグ固定。時間は、各フェイズ二、五、三の合計十分。あと、霊子弾の使用はどうする?」
「それでいい。霊子弾は一発ずつだ」
「おーけー。ま、肩慣らしにはちょうどいいわね」
彼女はそう言いながら、手のデバイスをフィールド装置に読み込ませる。
霊子庭園では、デバイスは現実にあるものを精巧に模したものが再現される。そのモデリングは、事前にデバイス自体にプログラムされているもので、これが曖昧だと、霊子庭園内での魔法の行使に難が出てくる。
クラブ生であるコウヤは、クラブ所有のデバイスをレンタルしているため、すでに登録しているが、ハクアははじめての利用なので、デバイス情報の登録が必要なのだ。
ウィザードリィ・ゲームにおいて、持ち込めるデバイスは、どのゲームでもメイン一つにサブが二つと決まっている。
多くの術式を組み込めるメインデバイスと、シンプルな魔法を組み込んだサブデバイス。それらを組み合わせて闘うのが、ゲームの醍醐味である。
ハクアが用意したデバイスは、ハンドガン型が二つと、チョーカー型が一つだった。
(……自動式と回転式を模した拳銃……二つ? まさか、あれがサブデバイス?)
通常、シューターズでは、メインデバイスに銃型を用いるのが定石である。
これは、的を狙うシューターズならではの定石であり、刻一刻と変化するゲームにおいて、魔力弾に様々な術式を込める必要があるからだ。
銃型デバイスは、デフォルトで魔力弾の生成術式が組み込まれており、メモリスロットにはそれ以外の術式を組み込むことが出来る。
例えば、ハンドガン型を選んでいたからといって、遠距離狙撃が出来ないわけではない。魔法式の組み方によっては、拳銃では狙えない距離でも、とっさに狙うことが出来る。
しかし、それはあくまでメインデバイスだから出来ることである。
サブデバイスには、組み込める魔法式が限られている。
大抵が一工程、多くても二工程までの術式しか込められないので、サブデバイスでハンドガン型となると、本当に魔力弾を撃つだけの機能しか期待できなくなる。
(さすがにそれくらいは分かっているだろうし、となると、まさか手加減か?)
そう思うと、無性に腹立たしくなってくる。
キサキとやるときは、たまには手を抜けよと思うくらい、いつも全力で向かってくる。しかし、こうして手加減されていることを感じると、それはそれで嫌なものだと分かった。
(いいさ。それくらいの実力差は、分かってたんだ)
その上で、食らいついてやる。
霊子庭園が展開され、体が霊子体に転換される。
右手には、馴染んだ
今のコウヤが、キサキとの勝負において、もっとも調子よく戦えるスタイルを選んだ。
全身に魔力を巡らせる。
指の先からつま先まで、しっかりと自分の身体が感じ取れる。
「それじゃ、始めるぞ」
「そうね。とっととやりましょう」
五十メートルほど距離を取り、互いに頷き合う。
ステージは、森林ステージだ。
高い木々が生い茂り、見晴らしが特に悪いステージ。小回りをきかせながら、木々の間を飛び交うフラッグを撃ち合わなければいけない。
ゲームスタート。
まずはオープニングフェイズ。
二分間、フィールドに隠されたフラッグを狙う時間。
ここである程度稼いでおかないと、メインフェイズ以降の主導権を握れなくなる。
コウヤは木の影に隠れながら、邪魔な木へと連続で魔力弾を叩き込む。オート射撃のような魔力弾の連撃に、巨木が倒れるのを確認した。
その倒れた木を利用して、コウヤは高く飛び上がる。そのまま側の樹の枝に飛び乗り、周囲を見渡す。目に入ったフラッグを、二個壊した。
簡単な身体強化を行っているとはいえ、コウヤの身体能力では、このまま別の木に乗り移るような芸当はできない。
おとなしく木の上から飛び降りると、先ほど上から見た景色を思い出しながら、フラッグの場所を予測して動き始める。
――と、その時だった。
「『フライクーゲル』」
わざと聞こえるように。
敵は、その呪文を唱えた。
「『フォイア』!」
瞬間、コウヤの左肩を、鋭い痛みが駆け抜ける。
その衝撃に、コウヤは体のバランスを崩すと、地面におもいっきり激突する。二回転ほどしてようやく止まった身体は、全身が鈍い痛みで満たされている。
慌てて起き上がろうとする。
そんなコウヤの眼前を、一人の人影が、ものすごいスピードで駆け抜けていった。
「トロいわね。木偶の坊」
龍宮ハクアは、樹の幹を蹴りながら、木々の間を縫うように駆ける。
ツインテールをたなびかせながら、小柄な身体が空間を疾走する。その足は一度として地につく様子はなく、まるで宙を駆けるように走り抜けていく。
瞬く間に駆け抜けていったハクアは、その間も、魔力弾をいくつも周囲に叩き込んでいる。
両手には、拳銃型のサブデバイス。
二丁拳銃のスタイルで、彼女はフィールドを縦横無尽に駆け抜けていた。
2対28
10点は先程の霊子弾の点数だろうから、それを除くと、すでにハクアは十八個もフラッグを破壊していることになる。
(なんて、速さだ!)
すぐに追いかけようとするが、その時にはもう何もかもが遅かった。
コウヤのそばにあるフラッグはすべて破壊され、ハクアはというと、離れたところにあるフラッグを壊しにかかっている。
『これより、メインフェイズを開始します』
そうこうするうちに、アナウンスとともにメインフェイズが始まる。
射出されるクレーの射撃。
どのタイミングでクレーが射出されるかはわからないので、プレイヤーは、射出音と飛来するクレーの影を見て、タイミングを計らないといけない。
スコアボードは、2対38。
ソーサラーシューターズのシングル戦は、得点源が限られているため、先に60点を獲得されると、その時点でゲームが終了になる。
もうすでに、ハクアは折り返し地点に入っている。
(く、くそ)
コウヤはメインデバイスに魔力を通し、魔法式を発動させる。
マテリアル『物理・聴覚』、コンバータ『強化』。それを起点とし、物理属性のみでなく、概念属性も付与して、聴覚を起点とした全身の感覚を強化拡張する。
視界に、音が見えるようになった。
擬似的な共感覚。
とにかく鋭敏に尖らせた聴覚で、射出音を逃すまいと身構える。
――しかし。
その頑張りは、スコアボードの更新によって、無意味と化す。
2対42
(え! どうして!?)
射出音はしていない。
けれど、クレーが破壊された結果だけが、ボードに反映されている。
(……なんで。射出音はしてない……クレーはまだ飛んでないはずなのに!)
おかしいと思いながら、彼はとにかく移動しようとフィールドを走る。
その間にも、スコアボードはどんどん変化していく。
44、46、48、50、52――
(ち、チクショウ!)
闇雲に、コウヤは走りだす。
偶然見つけたフラッグを、がむしゃらに撃ちぬく。そこで、音が聞こえないことに気づく。
(やっぱり音が――ん、なに!?)
「――、――っ!」
声が聞こえない。
思わず口を開いて声を出そうとするが、それらは口腔内で声として成立しているのに、それが外に出た瞬間、音としての機能を失っていた。
コウヤが動揺している間にも、スコアボードは変化を止めない。
3対54、3対56、3対58――
決着に王手がかかった、その時。
コウヤの視界の端に、飛来するクレーが映った。
(くそ、あれだけでも――ッ!)
デバイスを向けて、魔力弾を放とうとした時だった。
「手元がお留守よ」
コウヤの手に握られたショットガン型デバイスが、強力な衝撃によって弾き飛ばされた。
デバイスは弧を描くように宙を飛び、数メートル先に落ちる。
「な、んで」
目を丸くするコウヤの目の前で、肝心のクレーも、あっさりと破壊される。
――いつの間に戻ってきたのか。
見上げた枝の上に、龍宮ハクアが立っている。
彼女の右手に握られた拳銃デバイスは、銃口をまっすぐこちらに向けている。左手は水平に構えられ、それによってクレーを破壊したのが見て取れる。
ゲームが終了した。
3対60
言い訳のしようがない、コールド負けだった。
※ ※ ※
「
霊子庭園が解け、互いが生身に戻った所で、ハクアはネタばらしをしてきた。
「元はとある神童が発表した魔法式でね。一定区間において発生した音を打ち消すってのを、二工程でやる術式。それを応用して、一時的にアンタの周囲の音を相殺させてもらった。そうすれば、メインフェイズにはいった直後の相手を騙すことができるから」
「……騙す、って」
「クレー射撃の一番のヒントは、射出音なのは誰でも同じでしょ。だから、それが一時的にでも聞こえなければ、対応は後手に回らざるをえない。ま、アンタはそれにすら、気づくのに時間がかかったみたいだけど」
腕を組みながら、ハクアは淡々と告げる。
「魔力弾の生成も時間がかかりすぎだし、ゲームメイクも動きに無駄が多い。霊子弾があるのに無防備な姿を晒し過ぎだし、狙うことに集中しすぎて、周りが見えてない。アンタほんとに、その比良坂キサキと一緒に練習してんの?」
「………」
返す言葉もない。
言い訳もしようもないくらいにボロ負けだったので、何も言えない。何より、勝負の中で何も得るものがなかったのが、堪えた。
打ちひしがれているコウヤに対して、ハクアはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「不思議ね。試合の時は感じなかったのに、終わった後だと、勝負の熱を感じるわ。随分悔しそうだけど、その熱意をどうして試合中に出せないのかしら」
「……どういう意味だよ」
「言葉通りよ。試合中のアンタからは勝負の熱を感じなかった。まるで、何かをためらっているようにね。だから、つまらないわ」
ヒラヒラと、ハクアは気だるげに手を振る。
「勝つ気のないやつと競うつもりはないわ。たとえ暇つぶしでも、御免よ」
だから消えろと。
案にそんな意志を込めながら、彼女は背を向ける。
居心地悪く、コウヤが顔を伏せた、その時だった。
「じゃあ、あたしならどうかな? ハクアちゃん」
いつの間に来たのか。
トレーニングルームの入り口に、比良坂キサキの姿があった。
「あたしのことを訪ねて来たって聞いたんだけど。なんでコウちゃんが勝負してるのかな? しかも、なんだか心外なこと言われてるし」
珍しく、不機嫌そうな様子のキサキは、ずんずんと歩いてきながら、ハクアの前に立つ。
それに対して、ハクアはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「その様子だと、アンタが比良坂キサキで間違いないみたいね。私のことは、もう知ってるってことでいいかしら?」
「話は聞いたけど、直接自己紹介して欲しいかな。名前も言わない無礼な人に、コウちゃんがいじめられたなんて思いたくないから」
「あはは、いじめね。確かに、実力差を考えたら、結果的にそうなってしまったわね」
楽しそうに笑うハクアは、端末型デバイスを叩いて、ファントムを呼び出す。
ジャージ姿のファントムが出現すると同時に、彼女は改めて自己紹介をする。
「私は龍宮ハクア。アンタには、龍宮クロアの妹って言ったほうがわかりやすいわよね。そんで、こっちはお目付け役の風見ジュン」
「あたしは比良坂キサキ。それで、あたしに何の用?」
「何でもいい。アンタが得意な競技でいいから、勝負しなさい」
「いいよ」
即答だった。
普段なら、弾むように言うであろう言葉を、キサキは押し殺したように言った。
「勝負でも何でもしてあげる。だからこれ以上、コウちゃんを侮辱するのはやめて」
「……別に、侮辱したつもりは無いんだけどね」
キサキの思いつめた表情を見て、罰が悪そうに頬を掻くハクア。
苦笑いを浮かべて気を取り直しながら、彼女は言う。
「ま、あんたが勝負してくれるんなら、なんでも良いわ。こっちからの条件は一つ。バディ戦であること。それ以外は何の勝負でも良い。まあ、どうせシューターズでしょうけど」
「わかった。ちょっとタカミを呼んでくるから、待ってなさい」
背を向けかけたキサキは、ちらりと、居心地悪そうにしているコウヤを見る。
「ごめんね、コウちゃん」
「……っ」
コウヤは奥歯を強く噛む。
すぐにキサキは、トレーニングルームを出て行った。タカミを呼んで、すぐに戻ってくるだろう。その間、コウヤはハクアと二人で取り残された。
キサキの背を見ながら、ハクアが苦笑を漏らす。
「はぁ。『ごめんね』、だって。彼女、自分がなにを言ったか、分かってないんでしょうね」
「………」
「それで。鏑木コウヤ」
ようやく、彼女はコウヤの名前を呼んだ。
「これだけバカにされて、アンタは何も出来ないのかしら?」
「……さあな」
小さく息を吐いて、コウヤは精一杯のつよがりを言う。
「せいぜい、勉強させてもらうよ」
その言葉に、ハクアはつまらなそうに目を細めた後、小さく息を吐いた。
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