第四章 二丁拳銃の襲撃者 十三歳 秋
4‐1 小さな道場破り
十月。
徐々に肌寒くなる空気の中、コウヤは学校帰りに、久良岐魔法クラブへと向かっていた。
バスで近くの停留所まで行き、そこから川沿いの土手を歩いて行く。
土手の下では、小学生たちがキャッチボールをしているのが見えた。
数人でボールを投げて回すだけの簡単な遊び。あまり上手ではないのか、何度も取りこぼしては、ボールを追って駆けている姿が見える。
けれど、子どもたちは何よりも真剣に、楽しんでいる。
「………」
思わず、左腕を触っていた。
感傷を振り払うようにして、頭を振って歩き始める。
今朝、母親から言われたことを思い出す。
「あんたもうグローブ使わないでしょ? 欲しがっている子がいるんだけど、あげても良い?」
不意打ちだったので、何を言われたかわからなかった。
グローブは部屋にちゃんとしまってあった。母にとって邪魔になるようなことはなかったはずだ。それなのに、母はそれを不要なものとして発言をしていた。
「ボールにしても、あんなにたくさんあっても仕方ないでしょ。どうせあんた、もう野球は出来ないんだから」
「別に、しないなんて言ってないだろ」
「そうなの? でも、今は魔法の方ばかりやってるじゃないの。それもどうかと思うけどね。あまりやりすぎて、野球の時みたいに怪我しないでよね」
心底不思議そうな顔で言う母が、憎らしかった。
子供じみた捨て台詞とともに家を出てきてしまったのだが、学校でも一日、嫌な思いがくすぶり続けた。その気持ちのままここまで来てしまったが、そこで野球をする小学生の姿などを見てしまった。
もう野球はできない。
その一言は、思いの外、コウヤの心をえぐっていた。
「出来無い訳じゃ……ねぇよ」
いびつに曲がった左腕を触りながら、コウヤは恨みがましくそうぼやく。
第二種感応判定――魔力持ちになって、もう一年が経つ。
魔力持ちになった人間は、スポーツ等の公式試合には、まず出場することができなくなるので、実質的に選手生命は終わったと言っても良い。
けれど、それは公式試合だけの話であり、アマチュアの大会では、そこまでの参加制限はない。さすがに魔法の使用は禁止であるが、普通にプレイをする分には、問題ない。
だがそれは、身体が満足に動けばの話である。
「……この腕じゃ、捕球も無理だからな」
コウヤの左腕は、肩から上にうまく上がらないのと、肘の部分がいびつに曲がっている。
稼働自体は、少し不自由はするが、日常生活には困らない程度の障害だ。しかし、重いものを抱えたり、精密な動きとなると、とたんに難しくなる。
去年の夏。パーフェクトゲームと引き換えに得たのが、左腕の故障だった。
限界を超えて投げ続けた。
ここで壊れてもいいと。この試合さえ勝てればそれで良いと思って、痛みを超えて投げ続けた。
そうして限界を越えた先に、本来近くできないはずのチャンネルを開き、無理やり患部を補強した。無茶に無茶を重ねたのだ。順当な結果と言えるだろう。
魔力持ちにならずとも、コウヤは再起不能だったのだ。
シューターズをするにあたっても、この左腕の障害はちょっとした枷になっていた。
本来は両手で構えなければいけない銃を、コウヤはほとんど右腕だけで撃っている。そのためのデバイスの調整もしているし、一応、左手で支える練習はしているので、最近では安定してきているが、障害があることに変わりはない。
完全にできなくなった競技と、かろうじて行える競技。
今は確かに、シューターズを練習している。
でも――だからといって、野球が嫌いになったわけではない。
「………」
久良岐魔法クラブが見えてきた所で、コウヤは立ち止まる。
母親に言われたからだろうか。
コウヤの胸のうちに、漠然とした恐怖があった。
自分をこの競技に誘ってくれた少女が、心底からシューターズのことを好きでいることをコウヤは知っている。
その姿に感化されて、コウヤ自身も彼女に追いつきたいと思った。いつか彼女の好きと同じくらい、自分もシューターズを好きであると言えるようになりたいと思っている。
けれど。
その時の好きは、野球の好きと同じであると言えるだろうか?
(考えるべきじゃなかった)
(これは、気づいちゃいけないことだった)
小学校六年間、死ぬ気で打ち込んだ。
本当に、身体が壊れて、別の世界のチャンネルを開いてしまうまで打ち込んだのだ。まさにその瞬間、死んでもいいと思った。照りつけるマウンドの上で、この一投こそが、自分の人生の全てであると、傲慢にも思い込んだくらいだ。
その時の記憶があるからこそ、余計に思うのだ。
あの時の気持ちは、たやすく捨ててしまって良い程度のものだったのかと。
シューターズを好きになればなるほど、野球が全てだった頃の自分が消えてなくなりそうで、怖かったのだ。
そんな漠然とした恐怖を抱えながらも、コウヤは一歩を踏み出す。
彼にはもう、それしか無いのだから。
「ねえ、あんた」
久良岐魔法クラブの扉を開くところで、唐突にそんな風に声をかけられた。
「そう、あんたよ。もしかして、あんたが比良坂キサキ?」
声の主は、入口のそばで壁に背を掛けていた。
コウヤと同じくらいの年の頃の少女。フードを目深にかぶっていて、顔はよく見えない。少し背が高めであるが、背中にランドセルを背負っていることから、小学生であることがわかる。
側にキサキがいるのかと思い、コウヤは周囲を見渡す。しかし、キサキの姿はない。
「あのね、無視するのやめてくれない?」
キョロキョロするコウヤに、少女は苛立ったような声を向けてくる。
まさか自分に対して言っているのだろうか。
「なんだよ。キサキのこと、探しているんじゃないのか?」
「そう。だから、あんたじゃないのって、聞いてるじゃない」
「どっからどう見たら、俺が女子に見えるんだよ」
真面目くさった顔で言う少女に、コウヤは呆れながら聞き返す。
それに対して、少女は眼を丸くしながら答えた。
「ん? 女子……あ、そっか『キサキ』って、考えてみたら女子の名前ね。兄さんの言い方だと、どっちかわかんなかったけど。ということは、もしかしてアンタって男子?」
「だから、見てわからないのかよ」
「悪いわね。ちょっと事情があるのよ。流しなさい」
言いながら、少女はフードを脱いで見せる。
彫りの深い顔立ちと、ツインテールに結った鮮やかな亜麻色の髪が特徴の少女だった。外国の血でも混ざっているのか、肌の色が白く、つり上がった目尻は、それだけで彼女の気の強さが見て取れる。
彼女は腰に手を当てると、気取った風に尋ねる。
「このクラブに、子供は多くないと聞いたわ。だったら、知ってるでしょう? 比良坂キサキ。私はそいつに用があるの。紹介しなさい」
「なんだよ、いきなり。だいたいお前は何だ? 一体キサキに会って、何する気だよ」
強引な彼女の態度に、タジタジになりながらコウヤは尋ねる。
それに、少女はすました顔で答える。
「何って、決闘よ。兄さんが珍しく人を褒めたんだもの。実力を確かめなきゃ気がすまないわ」
「に、兄さん?」
「そ。私の兄さん」
少女の瞳がまっすぐにコウヤを見つめる。
「私は
※ ※ ※
龍宮ハクア。
年齢は十二歳で、現在小学六年生。
神咒宗家の一角、龍宮家の長女。
彼女は、少し前に総会で出会った、龍宮クロアの妹だと言う。
簡単な自己紹介の後、対処に困ったコウヤは、とにかく魔法クラブの中に入ってもらうことにした。
誰か大人に相談しようと思ったが、そこにちょうど、タカミの姿を見つけたので、彼女に助けを求める。
「ふぅん。サキのこと尋ねてきたんだ。この子」
タカミの言葉に、ハクアは尊大な態度を崩さずに返す。
「そうよ。あんたは、もしかして比良坂キサキのファントム? だったらちょうどいいわ。あんたとも勝負してあげるから、覚悟しなさい」
「あ、あはは。なんか勝手に勝負が決定してる」
苦笑いしながら、タカミは一つ疑問を呈する。
「龍宮って言ったら、あの龍宮家よね? 確か地元は関東の方だったはずだけど。ここまでどうやってきたの?」
「そんなの、電車で来たに決まってるでしょ。久々の長旅で疲れたわ。さすがに日帰りは無理だから、今日はこっちに泊まるつもりだけど」
この1つ年下の少女は、なんと新幹線で一時間以上かかる距離を、一人で来たのだという。しかも泊まりがけというのだから、驚くしか無い。
どうしたものかと困っているタカミとコウヤに対して、ハクアはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「一人じゃないわよ。不愉快だけど、ちゃんとお目付け役が付いてるわ」
彼女がそう言うと、側で空間が揺れるのが見えた。
すぐに、ハクアの側に人影が実体化する。
上下揃った灰色のジャージ姿で、フードを目深にかぶっている。フードの上からヘッドホンを付けており、顔は隠れてよく見えない。
おそらくは、ハクアの契約ファントムなのだろう。
「ジュン、自己紹介しなさい」
「風見ジュンだ。よろしく」
眠たそうな声で彼は言う。
全体的に、活力を感じない。引きこもりを無理やり外に連れだしたような印象を抱かせる出で立ちだった。
そんな二人の様子を見て、タカミは困ったように腕を組む。
「んー、サキは今日、学校で委員会があるから遅くなるって言ってたのよね。一応、クラブに顔を出すとは言ってたけど、遅くなるわよ」
「構わないわ。いつまででも待ってあげる」
「いや、あのね。そうじゃなくて……」
「ん? 何か問題あるの?」
平然とした顔でそう言うハクアに、頭痛を覚えたようにタカミは頭を押さえる。やがて説得を諦めたのか、当り障りのない言葉で濁した。
「とりあえず、非会員だから施設利用料金を払ってもらうわよ。あと、他の会員の邪魔はしないこと。週末だし、今からの時間、人が増えるんだから」
「わかってるわよ。さすがに人の邪魔をしようとは思わないわ」
態度の割に物分りがよく、彼女はコクリと頷いた。
言葉通り、ハクアはそのあと、所定の手続きをしておとなしくしていた。傍らにいたファントムは、用がある時以外はずっと霊体化しており、何も問題を起こすことはない。
隅のベンチに座って、ゆらゆらとツインテールを揺らしている姿は、年相応の外見で、確かにまだ小学生なのだと思わされる。しかし、先程の大人相手にも物怖じしない堂々とした態度は、あまりにも年齢離れしていた。
そんな彼女が気になって仕方がなかったコウヤは、ハクアに声を掛けていた。
「なあ。お前」
「私は『お前』じゃないわ。人の名前くらいちゃんと呼びなさい」
「そっちだって、『あんた』って呼んでるじゃないか」
「仕方ないでしょ。あんたの名前知らないんだから。それが嫌なら、早く名乗りなさいよ」
言われてみると、まだコウヤは彼女に向けて名乗っていなかった。言い方は腹立たしかったが、確かに言うとおりだった。
「鏑木コウヤだよ。中一だ。お前より歳上なんだから、敬語くらい使え」
「ふん。一つ歳が違うくらいで、偉そうに。弱い奴に敬語なんて使って、何になるの」
「弱いって、決めつけんなよ。何も知らないくせに」
「うん、そうね。私はあんたのこと、なんにも知らない。でも、『見れば』分かるわ」
目をこちらに向けながら、ハクアは淡々と事実を述べるかのように言う。
「感応判定は物理かしら。目覚めて一年程度。魔力総量はまだ伸びる余地があるみたいだけど、今の段階じゃ大したことない。練度は、この程度の挑発で励起するような魔力炉なら、制御もいまいちね。頭も良さそうじゃないから、大した術式も組めてないでしょ。仮に術式があっても、読み込むのに時間が掛かると見た」
「……なんだよ、お前」
ハッタリとも思えないハクアの言葉に、コウヤは思わず身じろぎをする。
そんなコウヤをつまらなそうに見て、「ふん」と一つ鼻を鳴らす。
「魔法士なら当然の技術でしょ。多分、『比良坂キサキ』だって出来るはずだわ。ま、あんたみたいに目覚めたばかりだと、まだその段階にも至ってないんでしょうけど。そんだけ魔力を垂れ流してたら、探ってくださいって言ってるようなものよ」
面と向かって、未熟であることを指摘される。
それ自体はしかたがないことだ。コウヤが魔法の訓練をはじめて、まだ一年も経っていない。どんな物事も、基礎を積み重ねてはじめて、上達が見えてくる。魔法という分野において、まだコウヤはその地点に居ない。
しかし、キサキと比べられたこと、それがコウヤにとって、割り切れない思いを抱かせる。
「……なあ、龍宮。お前はどうして、比良坂を尋ねてきたんだ」
「それなら言ったでしょう? 兄さんが認めたやつを見に来たのよ」
待ち時間の暇つぶしにでもするつもりか、ハクアは話をする体勢になる。
「ちょっと前に、総会があったでしょ? 私は参加しなかったけど、兄さんがそこで、面白い奴に会ったって言ってたのよ。それが、『比良坂キサキ』」
それはおそらく、夏の話だろう。
コウヤたちが國見キリエたちとトラブルを起こしている間に、キサキが出会った少年。
龍宮クロア。
後から聞いた話だと、キサキは彼とウィザードリィ・ゲームの試合を何回かしたらしい。シューターズだけでなく、マギクスアーツなどでも挑み、そしてその全てで負けたと聞く。
年上とはいえ、同年代でキサキを倒せる人がいるというのは、コウヤにとって衝撃だった。
「言っておくけど、兄さんが人のことを気にするのって、珍しいのよ。本当に実力を認めてないと、あんなに楽しそうには話さない。それこそ、二人の神童のことを話す時くらいかしら。まあ、あの二人はそもそも規格外だったけれど」
後半はブツブツと自分に言うように尻すぼみになる。
やがて、自問の時間は終わったのか、コウヤに向けて言うように、身振りをしてみせる。
「とにかく、兄さんが認めるってのは珍しい事なのよ。しかもあの人にとっては、メイン競技じゃないシューターズの実力を認めたっていうじゃない。だから、私もそいつに会ってみようと思ったの」
会って、決闘を申し込む。
そう、静かに彼女は言った。
「兄さんを倒すのは私なのよ。他の誰かに、その役目をやるつもりはない。だから、あの人がすごいといった相手は、私も倒せないと行けないの」
そんな時代錯誤な言い方に、コウヤは困ったように口を閉じる。
前に出会った國見キリエやその取り巻きもそうだが、神咒宗家の血筋の子供は、こんなおかしな奴しか居ないのだろうか。
言い方こそ当然のように言っているが、その行動は、子供とは思えないくらい常軌を逸している。ただ気になるからで、見知らぬ土地に一人で行くだなんて、コウヤには理解の及ばないことだった。
けれど、一つだけ。
「なあ、龍宮」
「その呼び方、気に喰わないわね。苗字は嫌いなのよ。名前で呼びなさい」
「……ハクア。これでいいか?」
「うん。私もあんたのこと、コウヤって呼ぶわ。それで、どうしたの?」
「俺と、勝負してくれよ」
提案しておきながら、内心では、断られるのではないかと思っていた。
しかし、予想に反して、あっさりと彼女は頷いた。
「競技は何? アンタが一番得意なのでいいわよ」
「なら、シューターズで」
「ふぅん。ま、暇つぶし程度にはなるでしょ」
夏以来の、クラブ生以外との勝負だった。
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