3‐7 比良坂キサキの自罰的防衛
比良坂キサキは自問する。
果たして、どうすればよかっただろうかと。
女子トイレの個室にこもって、彼女は一人、自問を繰り返す。
まだ腫れぼったい目尻は、先程まで泣いていたことを証明するものであるが、その涙自体はすでに消えている。
感情をめいいっぱい発露させた後は、ただ冷静に己を振り返る時間だ。
彼女は、その自由な振る舞いの割に、自己評価の低い少女だった。
自身がいつも感情に任せて動いている自覚があるからこそ、何か問題が起きた時、まず自分の所為であると考えてしまうところがある。
それは大抵の場合当たりであり、そのことが余計に、彼女の自己評価を下げている。
(知らない子と遊べると思って、テンションが上っちゃった。そのせいで、周りのことが見えなくなっちゃった。いつもみたいに、全力を尽くしちゃった)
全力をつくすのは悪いことではない。
けれど、相手の実力を見極めるのもまた、プレイヤーとして必要なスキルである。
それが未熟だからこそ、彼女はよく、こうして同年代から疎まれる。
好きだからという理由を元に、人にも同じくらいの気持ちの強さを求める。
一人だけで暴走し、誰も彼女にはついて来ることが出来ない。
それを寂しいとは思うが、相手を責めることは出来ない。
だってこれは、自分のわがままなのだから。
(今回もそう。勝手に期待して、自分の理想を押し付けた。だから、しっぺ返しを食らった)
本当のところは違ったのだが、彼女には、それくらいしか、あんな嫌がらせを受ける覚えはなかった。
自分が何か気に障ることをしたからこそ、意趣返しを受ける。きっとあたしは何か悪いことをしてしまったのだ。
だから、全部、自分が悪い。
その考え方が悪いかどうかはともかくとして――そうすることで、彼女は他者から向けられる悪意から、自分を守っているのだった。
自分の行動を反省するが、それに対して具体的な改善策を取らないのも、その歪な精神性に起因するものだった。
自分にとって非のある部分を残すことで、悪意に対する言い訳をする。きっとそんなひどいことをされるからには、自分に悪いところがあるからだと、正当化を行う。
そうだ、そもそもあたしは、好き勝手なことをして、悪いことをしているじゃないか。
だから、あたしが悪い。
(人から嫌われるのは嫌だけど)
(あたしが悪いんだから、仕方ない)
――だけど、こんな悪いあたしでも。
――受け入れてくれる人が、いるのだから良いじゃないか。
その内側にある本音から目をそらすのは、今に始まったことではなかった。
そうやって目をそらさなければ――彼女は常に、残酷なまでの現実を、見続けることになるのだから。
七色に彩られた世界。
弱点視の魔眼。
情報密度の強弱。
嘘で塗り固められた鮮やかなまでの『紫色』は、意識して見れば見るほどに、世の中というものに失望を抱くことになる。この世に手の加えられていない事象は存在せず、すべての物事は虚飾にまみれている。
國見キリエの言葉。
『どうか、僕達の対戦相手になってくれませんか?』
その言葉に映る、鮮やかな青色を視るだけで、キサキは自己嫌悪に陥ってしまう。
なぜあそこで視てしまったのか。
わかりきっていたのに。
知らないで良かったのに。
人から悪意を向けられるのは嫌だ。
人から嫌われるのは嫌だ。
何も知らないでいたい。ただそれが冗談であると信じていたい。間をあければ、何事もなかったように楽しめたらそれでいい。本心なんて知りたくない。探ろうとだってしたくない。どうせ虚飾で塗り固めるのなら、あたし自身も、虚飾に騙されて生きていたい。
だから、あたしが悪いんだ。
せっかく騙そうとしてくれているのに、あたしはそれを、暴いてしまうのだから。
暴いた結果、自分ではどうしようもない問題だった時。それが一番困る。
例えば身勝手な悪意。
例えば嫉妬ややっかみ。
例えば露骨な八つ当たり。
そんなものを暴いてしまった時が、一番どうしていいかわからない。
ああ。だから――
どうせ嫌われるなら。
明確に自分が悪いほうが、気が楽だ。
「………」
彼女は顔を上げ、ぱちんと頬を叩く。
個室から出て、手洗い場の鏡を見る。まだかすかに目は充血しているが、顔色は悪く無い。二、三回水で顔を洗い、気持ちを入れ替える。
――今回も、あたしが悪かった。
あたしがいたから、彼らも嫌だった。
そういうことにする。
今回は、いい出会いにはならなかったけれど、でもいつか、キリエ達ともいい出会いが出来るかもしれない。
だから、大丈夫だ。
「うん。コウちゃん達に謝らないとね」
もう大丈夫と、鏡に向けて笑顔を作り、キサキはトイレから出る。
そこで、隣の男子トイレから出てきた人影と鉢合わせした。
「おっと、申し訳ない」
「いえ、こっちこそ」
ぶつかりそうになった相手に、キサキは頭を下げる。
顔を上げると、そこには、キサキより頭ひとつ分くらい背の高い少年が立っていた。ガッシリとした体つきと、精悍な顔立ちは、いくつも年上のように思えた。
その少年は、しげしげとキサキの顔を眺めてくる。
「な、なんですか……?」
「いや。君は確か、さっきそこのホールで模擬戦をしていなかったか?」
その質問に、ぎくりと身体をこわばらせる。
ようやく先ほどの嫌な思いを自己正当化したところで、蒸し返されるのだろうかと身構える。
しかし予想に反して、少年は楽しげに笑って、意外な言葉を発した。
「サバイバーの試合。見事な立ち回りだった。とても同じ中学生とは思えない。名のある家の出か、あるいは良い指導者に指導されているのだろう」
「あ、えっと。ありがとう、ございます」
「俺は、
彼は自然な流れで自己紹介をしてくる。
「比良坂……比良坂キサキです」
「ふむ、なるほど。比良坂か……その名は聞いたことがあるが、あまり追求するべきではないか。ともかく、性分でな。君のような実力者を見ると、気持ちが抑えられない」
ニヤリと端正な顔立ちを愉快げに染めながら、彼は手を伸ばしてきた。
「魔法士で腕に自信があるなら、挨拶はゲームでどうだ?」
「………」
キサキは目を丸くする。
なんだろうこの展開は。あまりにも出来過ぎていて、あまりにも都合が良すぎる。
けれど――
「はい! 喜んで」
良いことならば純粋に嬉しいし、たとえこれが悪いことにつながったとしても――それはきっとあたしが悪いだけだから、問題ない。
※ ※ ※
当たり前の話だが、怒られた。
せっかくの正装を傷だらけにし、顔中アザだらけになったコウヤとチハルは、個室の椅子に座らされて、ふくれっ面を晒していた。
傷だらけなのはゲームが理由ではなく、問題はその後にあった。
ゲーム内で好き勝手暴れまくったため、ゲーム終了直後にリアルファイトが勃発したのだ。
興奮しきった子どもたちは、生身に戻るやいなや、互いの胸ぐらをつかみ合い、そしてそのまま殴り合いへと発展した。
なお、チハルは真っ先にキリエをぶん殴って、気絶させていた。
そんなわけで、和気藹々とした模擬戦の風景は、片隅で乱闘が起こることで一変。大人たちが慌てて止めに入り、そしてコウヤたちは個室に閉じ込められて、事情聴取となった。
「やれやれ。面倒なことになったね」
子供っぽくむくれてそっぽを向いたコウヤとチハルの前で、久良岐比呂人が頭をかく。
今回の保護者として、子供のやった不始末の処理をするのは、彼の役割だ。
「まあ大体の事情は聞いたけれど、思い切ったことをするね、君たちも」
「「だってこいつが」」
意図的に声を合わせて、コウヤとチハルは互いを指差す。
事前の打ち合わせ通り、息ぴったりだった。
こうでもしておけば、身内のトラブルということに出来るんじゃないかという浅知恵である。
だが、実際に國見家のお嬢様を気絶させたり、神咒宗家に連なる家系の子どもたちと乱闘を行った事実は消えないため、本当に浅知恵でしか無い。
そんな子供っぽい二人の反応を見て、久良岐はくすりと苦笑を漏らした。
「安心しなさい。大した問題にはなってないよ。ま、喧嘩両成敗ってことで、互いに謝罪はしてもらうけれどね」
その言葉に、コウヤとチハルはじろりと目を向ける。その目は、どうして俺たちが謝らなければいけないんだという意志で満ちている。
反骨精神の塊みたいな中学生たちである。
「珍しいねぇ。君たちがそこまでひねくれた態度を取るなんて」
言いながら、久良岐はしゃがみこんで、椅子に座った二人と目線を合わせる。
久良岐の曇りない目を向けられて、二人は目をそらす。さすがに悪いことをしたという自覚はあるので、あまり強い態度に出られない。代わりに、精一杯ポーズとして不服を見せつける。
それに対し、久良岐は微笑をもって返した。
「それで、キサキの敵討ちをして、気は済んだかい?」
「………」
どうやら本当に事情を把握しているらしい。
図星を突かれた二人は、無言で目をそらす。それは、あまりにも雄弁な答えだった。
「その気持ちはしっかりと覚えておきなさい。君たちの行動の理由は素晴らしくても、その行動はいいものじゃなかった。その証拠が、その気持ちなのだからね」
くっくっく、とくぐもった笑いを久良岐は浮かべる。
「でも、実際に手を出したのが向こうの方からだったところは、褒めてあげよう。一応君たちは、ゲームという土俵で仕返しをしたのだからね。現実で報復しようとした彼らの方が悪い」
じゃあこっちから謝る必要はないじゃないか、と思わないではなかったが、それを言えば小言が説教に変わりかねなかったので、コウヤはおとなしく黙っておくことにした。
ちなみに、事実としては、少し違う。
ゲームが終了した直後に、磐戸ユーリが興奮してコウヤの胸ぐらを掴み、それを見たチハルが、ノータイムでキリエをぶん殴ったという流れが、真実だ。
なので、本当の意味で先に手を出したのはチハルだったりするのだが、そのあたりは黙っておいた。
謝罪タイムは、互いに不服そうな顔で、頭を押さえつけられるようにして行われた。
どうやら怒られたのはお互い様のようで、相手の方も、かなりふてくされた様子で謝罪の場に現れた。
魔法の大家の人間なので、もしかしたら権力でこちらが悪者になるかと思っていたが、やらかし度合いではあまり変わらなかったらしい。
唯一、國見キリエだけが、相変わらず何が楽しいのか、笑みを浮かべていた。
「今日は残念でした。でも、楽しかったですよ、コウヤさん」
これで手打ちとなってお開きになった所で、彼女はひょこひょこと近づいてくると、信じられないようなことをのたまった。
「本当はキサキさんに期待していたんですけれど、あなたの方がよっぽど面白かった。今日のことは、しばらく新鮮な『経験』として見返すことになると思います」
「ほんと気持ち悪いなお前」
「あはは、よく言われます」
よく言われるのか。
なら直せよと、かなり真剣に思った。
「お前、ほんと何がしたかったんだよ」
「僕は楽しみたかっただけですよ。他の人達は知りませんが」
ニコニコと、少年じみた笑いを浮かべながら、彼女は続ける。
「彼らは、自分の優位性を示したかっただけでしょうね。みんな、神咒宗家の次代当主とか、才能があるとか言われて、その気になっているんです。だから、その証明をしたい。彼らの過去には、そんなものしかなかった」
まるで見透かすかのように言う。
小学生らしからぬ言葉遣い。
その言葉は、笑みを浮かべた表情に反して、あまりにも淡々としていた。
「彼らの過去に、驕りが障害に阻まれたという経験はありませんでした。だから僕は、そこに燃料を投下してあげるんです。そしたら、いつかしっぺ返しを食らうでしょう? それがあなただったわけで、僕としてはこれ以上の成果はありません」
「…………」
コウヤは認識を改めた。
この女は、やばい。
こいつが何を言っているかが、本気でわからない。彼女のことを、気持ち悪いなんて言葉でくくるべきではなかった。自分と一つしか変わらない年齢でありながら、その精神性は、まったく理解できない境地にある。
険悪な空気になった時、チハルが真っ先に彼女を殴った理由が分かった。
キサキの仇というのもあっただろうが、何よりもキリエを自由にしていたら、あの場はもっと混沌としたものになっていただろう。
だから――それ以上言葉をかわさずに、コウヤは背を向けて歩き出す。
その背中に、キリエの邪悪まみれの無邪気な声がかけられる。
「狭い業界です。また会える時を楽しみにしてます、コウヤさん」
冗談じゃない、と思いながら、コウヤは逃げるようにその場を去った。
※ ※ ※
そんな感じで、騒動はなんとか収まった。
総会ももう少しで終わりを迎えようとしている。傷だらけのコウヤとチハルは、久良岐に連れられる途中で、ふと思い出す。
そういえば、キサキはどこにいったのだろう?
「ああ。彼女なら、小ホールの一つにいたよ」
ちゃんと久良岐は把握していたらしく、キサキがいるという場所に案内される。
小ホールの一つ。大人たちが模擬戦をしていたところだ。その扉を開けると、中には楽しげに話すキサキの姿があった。
「メインフェイズでのトリプルプレイ! あれすごかったですよ。まった別の方向から飛んできたクレーを、同時に破壊するなんて! あれ、術式で魔力弾を追尾誘導しているんですよね? 式のヒントとか教えてもらえませんか?」
「大したことはないぞ。理論としては、アステロイド曲線というのがあって、その応用だ。シューターズのフィールドは円形だが、クレーの射出台をつなぎ合わせると、楕円形に近くなる。それを利用して、中央から見て四点を鋭角として、内サイクロイドを取るんだ。その曲線を基本として、弾道を引けばいい」
「内サイクロイド、ですか……ああ、なるほど。その図みたいに、内側に曲線を引くんですね」
「そうだ。星芒形なら、中一でも習うだろう。具体的な計算式は勉強が必要だが、概念がわかれば、手動操作で似たようなことは出来る。闇雲に狙うよりは、成功率が上がる」
「ああ、やっぱり数学! そうですよね、動きを掌握するには、物理と数学ですよね……あたし関数で躓きそうなんですよ。なにか良い勉強法とかってありませんか?」
「場合分けか? なら、ウィザードリィ・ゲームでいうと並列処理と同じように考えればいい。クレーの射出が、一番台から出る場合と、六番台から出る場合では、取れる動きも変わるだろう。その双方を想定して並べるのと同じだ」
「なるほど! じゃあじゃあ、これなんですけど――」
無茶苦茶楽しそうだった。
キサキが話しているのは、身体の大きいたくましい男だった。傍目から見ると大人と女子中学生が話しているようにも見える。
そこに、なんでも知ってるチハエモンが、いつもの様に教えてくれた。
「神咒宗家の一つ、龍宮家の長男、龍宮クロアだね。年齢は僕達のひとつ上。ウィザードリィ・ゲームのシニアではかなり有名な人だよ」
あの図体で一個上かよ、とコウヤは驚きを隠せない。
しかし、本当に楽しそうである。
実際にゲームで手合わせでもしたのか、互いのプレイ時の動きや、細かい魔法式のことなどで、二人は盛り上がっていた。
「………」
「………」
バカな男二人は、完全に蚊帳の外だった。
「なんていうか、あれだね」
「何してんだろうな、俺ら」
脱力して近くの椅子に座り込む二人。
二人は、楽しそうにしゃべるキサキとクロアを見ながら、気の抜けたように息を吐いた。
※ ※ ※
翌日のことである。
学校帰りに久良岐魔法クラブに顔を出すと、これまた信じられない光景が広がっていた。
「お姉さま、お姉さま! 何かお手伝いすることはございませんか?」
冬空テンカが、甘ったるい声で矢羽タカミにまとわりついていた。
「ああもう! 気持ちは嬉しいけど、あなたがやると手間が増えるのよ。隅でじっとしてくれたほうがずっと助かるわ」
「ああ、そんな殺生な。わたくし、お姉さまの役に立ちたいんですの。なんでも言ってくださいまし。このテンカ、どんなことでもやってのけますわ!」
「なら炎天下の中マラソンしてきなさい」
「それは御免被りますわ」
無理なことは無理ときっぱり断りながらも、それでもなお、「ねえねえ、お姉さま!」と、タカミの側をまとわりつくテンカ。
一体何があった。
腰にしがみつかれながら、タカミは助けを求めるようにコウヤの方を見る。
「これね……昨日まで、この子と一緒に海外に遠征に行ってきたんだけど……」
「無粋ですわよ、お姉さま」
事情を話そうとするタカミの唇に、テンカがそっと人差し指を添える。
そして、コウヤの方を振り返り、少女らしからぬ妖艶な笑みを浮かべながら一言。
「ヒミツですわ」
そう言って、可愛らしくウインクをしてみせた。
だから誰だお前。
そんなこんなで。
中1の夏は、騒がしく過ぎていった。
第三章『魔法社会と人間関係』 終
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