3‐5 悪意なき邪悪
比良坂キサキは、霊子体に転換された自分の身体を確かめるように、軽くストレッチをする。
身体は自由に動く。いつもの自分の体だ。
しかし、なんだかさっきは、上手く動けなかった。
(なんだろう。自分は普通なんだけど、なんだかやりづらかったっていうか)
なんだかすごく……。
そう、すごく――嫌な邪魔のされ方をされた。
(うん、それが一番、しっくりくる)
とにかく、さきほどの勝負は、終始足を引っ張られ続けた気分だった。
行く先々に魔力弾が叩きこまれ、障害物である木々が倒された。陰に隠れようとしても、必ず誰かに発見されたし、何度もフライクーゲルが飛んできた。
おそらく、相手のプレイヤーが協力して邪魔をしてきているだろう。
(でも、それは悪いことじゃない)
ルール違反などではないし、策略として十分認められているものだ。
実際キサキにしても、久良岐魔法クラブで大人相手にゲームをするときは、よくそういった妨害は行っていた。
格上と勝負をする上で、ブラフや妨害は当然の策であり、それを行ったからといって、非難される覚えはない。
むしろ、それくらいキサキの実力が認められていると、喜んでいいだろう。
けれど――
(なんだか違和感がある。なんだろう……そう)
あまり考えたくない事実を、キサキは意識する。
(なんだか――勝つためじゃなくて、邪魔するために勝負しているような)
そこまで考えを進めた所で、ゲームが開始した。
今回のステージは、廃墟である。
一階建てのコンクリートの建物が複数立ち並び、屋内戦と屋外戦両方が行われる、難易度の高いステージだ。
ゲームが始まったからには、真剣にやらなければいけない。
(悩んでてもしょうがない。いついかなるときも、全力で――)
キサキは
彼女が普段使っているデバイスは
しかし今日は、かさばる
普段から、真剣勝負の時は、サブデバイスに
俯瞰の視点からの狙撃だけではわからない、現場の臨場感というものが感じられる。
動きまわる中で、どこからフラッグが飛び出してくるか、どのタイミングでクレーが射出されるか――一瞬足りとも集中を切らさず、神経を研ぎ澄ませて、試合に没頭する。
他プレイヤーからの狙撃があった。回避。すぐさま撃ち返す。術式を変更。魔力弾を連射形式にして、散弾のようにばらまく。廃墟の壁を壊して、ショートカットをしながら、次のフラッグを求める。またも、横合いから射撃。転がりながら回避。撃ち返す。別の方向から射撃――
今度は避けられなかった。
思いの外重い衝撃に、身体が吹き飛ばされる。
(――この重さ、霊子弾じゃない)
霊子弾は、鋭い弾丸のような軌道で着弾する。その衝撃は、貫かれるようなものではあるが、たたきつけられるようなものではない。
スコアを確認する。
日向家のプレイヤーが、マイナス十点になっていた。
(マイナス得点。なんの――ために?)
キサキをここで足止めすることに、何の意味がある?
いや、強いプレイヤーを潰すという意味では、確かに意味がある。だが、そこまでキサキは圧倒的だっただろうか?
実力でいえば、キリエも十分に戦い慣れていると思うし、他の子供達も、神咒宗家の人間だけあって魔法の扱いはうまい。キサキのことをそこまで危険視する必要性はないのではないか。
(わからない)
霊子弾を準備し、ちらりと見えたプレイヤーの影に向ける。
独自の魔法式で軌道を調整し、威力を増強する。
精度は甘いが、軽い追尾弾のような魔法を発動させ、霊子弾を発射した。
その軌道は、上方からの魔力弾によって破壊された。
「………くっ」
やりづらい。
でも、相手が組んで攻撃してくると分かったなら、こちらもやりようはいくらでもある。
(邪魔にかまけて、競技の本分を忘れたら本末転倒だよ!)
いくら集団でこようとも、根底は個人競技なので、結果として出るのは個人のポイントだ。如何に一人のプレイヤーを狙い撃ちにしても、ポイントが稼げるわけではない。
本気を出そう。
キサキは、両目に魔力を通す。
まず受容器である『
彼女の視界に、通常の色彩と、七色の色彩の二つが重なりあう。
――暖色から寒色にうつりゆく、虹色の色彩。
それが、比良坂キサキの目に映る景色だった。
暖色は自然に存在する強度であり、寒色は加工された強度を表す。それらは、色が濃くなるほど、情報密度が高くなる。
情報密度とは、存在の概念的な強さのことを言う。
その存在が持つ、意味内容としての強さ。
簡単にいえば、文字列において短文と長文では、長文の方が情報密度は高く、短文は低い。漢字と平仮名では、漢字のほうが情報密度は高く、平仮名のほうが低い――と言った具合だ。
これは物理現象にも同じことが言え、単純に硬いコンクリートは硬さという意味で情報密度が高く、割れやすいプラスチックは低い――一概には言えないが、その場、その時における、存在の大きさを測るのが、情報密度という概念だ。
キサキの瞳は、それを見分け、選り分ける。
霊子庭園内で作られたフィールドは、実際のデータを元に魔力で構成されているが、その構造物の完成度はまちまちだったりする。
魔力の足りない部分や、リソースを削った部分は、情報密度が極端に低い場合もある。
それを見分けながら、キサキは壁に向かって体当たりをする。
身体強化の魔法は施しているが、コンクリートの壁に体当りしても、本来なら崩れないだろう。
しかし、キサキがぶつかった壁は、そんな周囲の予想に反して、発泡スチロールのように粉々に砕けた。
――『
それが、キサキの魔眼の本領。
本来ならば受容器でしかない瞳を、能動器に変える『
周囲のマナを励起させて取り込み、そのマナを利用して、視線の先にある存在の情報密度を、一時的に下げるという能力である。
コンクリートの壁にある『硬さ』という情報密度を散らし、概念的に脆くして壊れやすくした。
キサキが突き破った壁は、キサキの視線が外れるとともに、もとの情報密度に戻る。ガラガラと崩れるコンクリートの壁は、周囲を巻き込んで砂塵を撒き散らす。
それらを目眩ましにしながら、キサキは再度、『弱点視』で周囲を見渡す。
(――緑が近くに三つ。おそらく敵プレイヤー。あと、遠くに『藍色』レベルの魔法式の発動を確認。おそらく属性込みの魔力弾かな。そろそろメインフェイズも大詰めだから、次のエネミー戦に向けての準備、ってとこか)
おそらく遠くで魔法式を組んでいる狙撃プレイヤーは、先ほどから執拗にキサキを狙ってきた奴だろう。視界が悪い今、近場のプレイヤーより、そちらの方を優先するべきか。
キサキはデバイスを構え、魔法式を組み始める。
工程は四つ。
複数の魔力弾を共鳴させ、分散させた後、集中的に一点に降り注がせる魔法。
名を、『
「『シュート』!」
最後の起動呪文を唱え、六つの流星が狙撃手に向けて射出される。
プレイヤーそのものではなく、あくまで周囲の足場を崩すつもりで放ったが、一、二発はおそらく被弾するだろう。その分のマイナスは食らうが、代わりに相手は間違いなくリタイアになるだけの威力を出した。
必殺を放つとともに、砂塵のベールが晴れる。
それによって、周囲にキサキの姿がはっきりと目撃される。
構わず、キサキは飛来するクレーを射撃しながら移動する。
その間にも、遠間から魔力弾が撃ち込まれる。当たった場合は確実にマイナスポイントだが、同時にキサキの霊子体もダメージを受ける。敵としては、ソレを狙っているのだろう。まだゲームの半ばで、霊子体を崩壊させてしまったら、試合展開次第によっては敗北もあり得る。
だからこそ、魔眼を使いつつその全てを避けながら、キサキはゲームを続行する。
そして――
(う、まずった――)
フィールドの中央に、まんまと誘導されてしまった。
四方を、『緑』の影に囲まれている。
それは魔眼を使わずともはっきりと分かった。
三人のプレイヤーがキサキを囲んでいる。そして、遠間からキサキを狙う銃口を感じる。ここに居ない國見キリエは、おそらく狙撃の体勢でこちらを見ているのだろう。
ここまで追い詰めたからには、来るのは一つ――霊子弾で、確実にトドメを刺しに来るだろう。
それならせめて一矢報いようと、キサキはデバイスに霊子弾を装填して、周囲を囲っている一人に向ける。
それとともに、四つの銃口がキサキに向けられた。
「『フライクーゲル』!」
キサキは霊子弾を放ち――
膠着の時間などなく、五人の引き金が一斉に引かれ――
「後ろががら空きだよ、サッちゃん」
その瞬間、キサキの背中を守るように、一人の少年が身を投げだした。
キサキの放った霊子弾によって、磐戸家の息子が倒れるのが見える。
そして――その背後では。
三つの霊子弾を立て続けに受け、霊子体をボロボロにした泉チハルの姿があった。
「……え、チハ!?」
「ぐ、ぅ。意識が飛ばなかったのは、幸いかな」
もはやかろうじて形が残っている状態のチハルは、振り向きもせずに言う。
「『一番から三番まで起動』接続『四番と五番を転換』」
彼はデバイスを構えて、分家の息子へと魔法を放つ。
魔力弾ではなく、重力操作の圧殺魔法。
三工程のかなり組み込まれた魔法で、初見での回避はほぼ不可能だ。
しかし、発動が遅い。
「間に合わない、か……」
残念そうに呟きながら、チハルは身体全体で、キサキを突き飛ばした。
完全に発動し切る前に、チハルの身体には無数の穴があく。
膨大な数の魔力弾は、立て続けにたたきつけられる。無数の魔力弾によって肉体を削り取られるように破壊され、彼の霊子体はあっさりと消滅した。
最後に彼は、キサキの身体を突き飛ばして、その魔弾の雨から守ったのだ。
「ち、チハ……」
あとには、魔力弾によって破壊された地面だけが残る。
尻もちをついた状態で、キサキは呆然とその様子を眺めることしか出来なかった。
ウィザードリィ・ゲームでの霊子体の崩壊が、現実の死につながることはまず無い。ゲーム中では擬似的に死を迎えても、それは現実ではなく、あくまでゲーム中の出来事でしかない。
強すぎるダメージは多少の後遺症を残すこともあるが、その程度だ。
だから、ここでチハルが倒れたからといって、何の心配もいらない。
心配はいらない……のだが。
「……なんで。そこまでする必要、なかったでしょ」
震える声で、キサキは正面を見据える。
先程までそこにいたプレイヤーたちは、すでに遠くに離れている。ひとところにとどまらないのは、シューターズの鉄則だ。だからこそ、その行動に何ら不自然な点はない。
ちらりと、スコア表を見る。
比良坂キサキ 22点
國見キリエ 8点
日向オリガ -47点 脱落
磐戸ユーリ -15点 脱落
小影シズヤ -30点
天井ユウシロウ -85点
泉チハル 13点 脱落
まともな試合とは思えないスコア。
キサキもたまに、コウヤとの練習で頭に血が上って、こんな結果を出すことがある。けれど、それはあくまでじゃれあいだ。お互い、終わった後にちゃんと仲直りする。
でも、これはなんだ?
的ではなく、自分を執拗に狙う意味は、なんだ?
あそこで、チハルに止めを指す意味は、なんだ?
「………ねえ、なんで」
デバイスに魔力を通す。
組み上げる魔法式は、五工程。
あまりにも使い慣れた魔法。頭に血が上った時、いつも使ってしまうもの。今ではデバイスなしでも組める、自分の魔力を全力でつぎ込んで作り上げた、制御を考えない最大火力。
けれど今は、ただただ、疑問符を浮かべながら、悲痛な思いでその魔法式の名を呟いた。
「『
上空に打ち上げた魔力の塊は、収束後、爆発するように拡散したのち、一斉にフィールドへと降り注いだ。
フラッグも、出現したエネミーも、そしてプレイヤーも関係なく。
彼女の持つ魔力すべてが込められた魔力の雨は、とにかくすべてを粉々にするために、破壊の限りを尽くした。
※ ※ ※
試合の様子に、コウヤは一時も目を話すことが出来なかった。
これがメイガスサバイバーなら、なんらおかしな試合ではないだろう。
しかしこれは、シューターズだ。
基本的には的を狙い、得点を競う競技であり、プレイヤーアタックにはマイナス得点というペナルティがある。
そのペナルティがまったく意味を成さない、ただの乱闘のような試合。
まずチハルが脱落して、生身に戻ってきた。
彼は全身を魔力弾に穿たれて、削り殺された。霊子体なので痛覚情報はかなり緩和されているし、生身にフィードバックがあるほどのダメージではなかったようだが、それでも戻ってきたチハルは、顔色があまり良くなかった。
「おい、泉、お前」
「黙ってて、コウヤくん。多分もうすぐ、決着がつく」
試合に脱落しても、まだ気を緩めるべきではないとでも言うつもりか。
チハルは厳しい表情でモニターを見ながら、そばにいる一派へと睨みをきかせる。すでに脱落している磐戸ユーリと日向オリガは、小馬鹿にしたような笑い顔でこちらを見返す。
やがて、試合はキサキの行ったメテオレインのおかげで、全員の霊子体が消滅という形で終結を迎えた。
勝者は、泉チハル――といっても、他がマイナス得点だらけの中、プラス点を保っていたのがチハルとキリエだけで、チハルの方が得点が上だっただけだ。
霊子庭園が崩壊し、生身に戻ってきたプレイヤーたち。
その様子は対照的だった。
一勝負終えて気持ちよさそうなキリエ達に対して、キサキは、うつむいたまま無言で歩いてくる。
すぐにチハルが、キサキの手を引っ張った。
「行こう、サッちゃん。これ以上ここにいる必要はない」
「……チハ。大丈夫、なの?」
「そんなことは良いから。早く」
そう、無理やりこの場から連れだそうとする。
そんな二人に、間の抜けた声がかけられた。
「あれ、どうしたんですか? すぐに、次の試合をしようと思うんですけれども」
きょとんとした顔で、キリエがそんなわけのわからないことを告げる。
その声に、チハルは振り返って無言で睨みつける。
答える気がないチハルに、あくまでマイペースのまま、キリエはあどけない表情で言う。
「チハルさんも、今の試合はせっかく勝ったんですから、次も参加しましょうよ。勝ち逃げなんてひどい。まだまだ魔力には余裕があるでしょう? コウヤさんだって、休憩して少しは魔力も戻ったでしょう。キサキさんは……最後の一撃はすごかったですからね。少し休んで、次から参加してもらえれば――」
「お、お前なぁ」
さすがに見かねたコウヤが、口を挟もうとする。
すると、間髪入れずに、キリエがこちらを向いて尋ねて来る。
「どうかしましたか? コウヤさん」
「どう、……て」
あまりにも早い反応に、出鼻をくじかれる。
文句の一つでも言ってやろうと思ったのに、彼女の自然な表情を見ていると、どんな文句を言えば良いのかがわからなくなってしまうのだ。
うまく言葉が出てこず、困惑しているコウヤを見て、他の子供達が含み笑いをしているのが見える。
それを見て、この悪趣味な状況が意図的であるとはわかる。わかるのだが……。
なんだ、この毒気のなさは……?
「ねえ。一つ、聞いていい?」
そこで口を開いたのは、キサキだった。
うつむいたままの彼女は、地面だけを眺めながら、言葉を発する。
「サッちゃん。何も言わなくていい。いいから早く」
「ううん。聞きたいの。ねえ、キリエちゃん」
キサキはようやく顔を上げ、正面からキリエを見る。
それに、キリエも微笑みを浮かべながら、平然とした態度で迎える。
「あたしは、最初の試合、すごく楽しかった。みんなうまいし、何より勝つつもりでやってた。次の試合も、ちょっとやりづらかったけど、みんな真剣にやってたから、みんなも楽しいんだって思ってた」
「はい。そうですね」
「だから、さっきの試合は、何かの間違いだって思いたいの。ねえ、キリエちゃん」
キサキの声が震えている。
それでも彼女は、はっきりと自分の言いたいことを口にした。
「みんなは、あたしと勝負するの、楽しくなかったの?」
「そんなことはありませんよ」
悲痛な表情のキサキに対して、キリエは相変わらず笑顔だ。
薄ら寒くすら見えるが、あくまで本心からの笑顔。
それを見て、キサキは思わず、表情を歪めてしまう。
「『僕』はすごく楽しかったです」
白々しく。
しかし、本音を口にするように、キリエは続ける。
「あなたという実力者と試合ができて、本当に楽しかった。その意味は人によって変わるかもしれませんが、この気持ちに嘘はありません。あなたの動きは見たことがなかったので、どれもが新鮮で楽しかった。だから、ねえ。キサキさん」
にっこりと。
天使のような笑みを浮かべて、彼女は、最低最悪の提案を口にした。
「どうか、僕達の対戦相手になってくれませんか?」
的になれと。
その言葉からは、はっきりと、そう言ったように聞こえた――
「………そっか」
その回答に、キサキは。
目に涙を浮かべながら、震える声で断った。
「ごめんね。あたし、あなた達の期待に応えるの、無理だよ」
言い切るとともに、キサキはチハルの手を振り払い、顔を伏せながら駆け出した。
「おい、比良坂!」
「サッちゃん!」
慌てて、コウヤとチハルもその後を追う。
ちらりと背後を見やると、そこには、不思議そうな顔をしたキリエの姿があった。
「残念ですね。僕、どうして断られたんでしょう?」
心底疑問そうな彼女の姿が、あまりにも気持ち悪かった。
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