第二章 雪原の神霊とバディ戦 十二歳 春

2‐1 じゃじゃ馬娘は雪女




 三月。

 卒業シーズン。


 卒業式が済むと、中学の入学式までしばらく余裕がある。

 冬ももう終わりを見せ、次第に暖かくなる日々の中。

 鏑木コウヤは毎日のように、久良岐魔法クラブへと通っていた。


 魔法の基礎を実践とともに学び、そして制御の仕方を訓練していった。

 中でも特に行われるのは、キサキに付き合ってのシューターズだった。

 最初こそ、投球フォームでの的当てなんてバカな真似をやっていたが、今ではある程度、魔力弾の射撃にも慣れてきた。ようやく、飛来するクレーを撃ち落とすことができるようになってきたので、これでプレイの幅も広がることだろう。


 とりあえず顔を出せば、ほぼ確実にキサキは居た。そして、たまにチハルが顔を見せる。他にも大人たちがたくさんいる中、この三人は、かなり可愛がられていた。



 ※ ※ ※



 そんなわけで、久良岐魔法クラブでの生活も慣れてきた頃のことだった。

 春休みは毎日のように通っているが、今日も今日とて、魔法クラブへと顔を出した。


 さて、今日こそはクレー射撃でキサキからポイントを取ってやる、と息巻いて、コウヤは更衣室で準備を整えると、トレーニングルームの扉を開いた。


 そこで、異様な光景を見て、思わず絶句してしまった。


「…………」

「あら? 鏑木くん早いのね」


 そばを通りかかった矢羽タカミが、固まっているコウヤに声をかける。


「どうしたの、そんなところでぼうっとして」

「……タカミさん」


 それがあまりにも自然体だったので、もしかして自分がおかしいのかと錯覚してしまった。

 いや、そんな馬鹿な、と頭をふり、コウヤはためらいながら指をさす。


「あれ、なんすか?」


 指差した先は、部屋の隅だった。



 ――そこに、少女が拘束されていた。



 年齢はコウヤと同じくらいの外見だ。

 白い浴衣のような和装をした、肌の白い少女である。



 その少女は、全身を鎖で拘束され、壁際に繋ぎ止められていた。

 口元には口枷がはめられ、言葉も喋れないようにされている。



 敵意のこもった昏い瞳が、食らいつかんばかりにこちらを睨んでいる。


 それを見て、タカミは「ああ」と頷いた。


「ちょっと訳ありというか……ファントムなんだけど、うちで引き取ることになってね」


 ポリポリと頬をかきながら、困ったようにタカミは答える。


 よく見ると、彼女の右腕には包帯が巻かれていた。

 無論、ファントムは霊体なので、実際の包帯ではなく、霊子情報としての修復跡である。人間とは違い、あくまでデータの修復跡であるのだが、それがあるということは、怪我を負うようなことがあったのだろう。


 コウヤの視線に気づいたタカミは、かいつまんで事情を説明し始める。


「鏑木くんは、霊子災害って知ってる? レイスっても呼ばれるんだけど」

「まあ、話くらいには。たまにテレビで、災害情報が流れるやつですよね」


 霊子災害レイス。

 何らかの要素が魔力を集めて暴走し、呪いと化したもののことを言う。


 大抵は何らかの因子を元に活動を開始し、周囲に害意を振りまくことになる。そのあり方の違いはあるが、本質的にはファントムと同じ存在とも言える。


 タカミの話によると、つい最近、そのレイスの討伐作戦があったらしい。


「ちょっと前に発生した霊子災害で、辺り一帯の生命活動をすべて停止させるっていうのがあってね。『スノーフィールドの停止冷原』なんて呼ばれていたんだけど、そろそろ春になるから、力弱まっていると思って、討伐しに行ったのよ」



『スノーフィールドの停止冷原』



 毎年、秋口から春にかけて、周囲三キロ四方を雪で覆い尽くす、Bランクの中規模霊子災害。

 このレイスが活動している間は、その範囲内で全ての生命活動が停止させられるため、作物などはまったく育たず、また迷い込んだ人間は、仮死状態で冬眠することになる。


 春になると休止期間に入ってなりを潜め、迷い込んだ人間は目を覚ますのだが、それでも被害は被害だ。


 毎年活動を続けているレイスなので、今年こそはと討伐に行ったのだそうだ。


「そういうのも、仕事のうちなんですか?」

「そうだね。魔法予備校の職員は、霊子災害の時に対応するための免許も持ってるし、私はそもそも戦闘用ファントムだしね。今回は志願制だったけど、レイスの規模によっては、強制招集されることもあるかな」


 なんでもないことのように言った後、彼女はトレーニングルームの中に入りながら、問題の少女の前に立つ。


「この子の場合、冬は絶対的な力を持ってるんだけど、春になればそこまで強力なレイスじゃないからね。楽に解呪できると思ってたんだけど、ちょっと手間取っちゃって」


 結果的に、討伐部隊もかなり負傷者が多数出たらしい。


 そうして被害を出しながらも、なんとか解呪、討伐に成功したところ、その中から誕生――もとい、発生したのが、このファントムなのだという。



 名を、冬空ふゆぞらテンカ。

 雪原を原始とする、雪景色のファントム。



 彼女は「ふー、ふー」と威嚇するように、こちらを睨んでいる。


 それを冷静に見下ろしながら、タカミは淡々と続ける。


「魔法クラブは、野良ファントムの所属決めをする施設でもあるから、うちが引き取ることになったんだけどね。ちょっと暴れてくれちゃったから、ああして拘束しているの」

「もしかして、ちょっと怒ってます?」

「そんなこと無いよ? ただ、オイタにはお仕置きは必要でしょ?」


 真顔でいうタカミを見て、やっぱり怒っているじゃないか、と思うのであった。


 しかし、ファントムである。

 コウヤにとって、ファントムとは、たまに学校に講演しに来る程度の存在でしか無い。先の戦争以来、ファントムの発生率が飛躍的に上がったという知識こそあるが、街中ですれ違ったことがあるかないか、といったくらいの認識である。


 はじめてまともに知り合ったファントムがタカミであり、いま眼の前にいる少女は、二人目ということになる。


 外見こそ十歳程度の少女の姿をしているが、その元となった人格までが、同じ子供とは限らない。ファントムは、複数の因子や逸話が統合して発生するものだと聞く。果たして、この少女のファントムとは、どう接するべきなのか。


 そんな風に思っていると、横でタカミが、「んー」と考えるしぐさをする。

 タカミは、試しにと言った風に提案をする。


「そうだ。ちょっとお話してみる?」

「……できるんですか?」

「私たちじゃ話にならなかったけどね。年齢も近そうだし、心を許してくれるかも」


 今の様子を見る限り、ファントム側に敵意があることは明確だった。

 しかしそれは、タカミが討伐チームに参加していたからという事情が大きいのだろう。


 総判断したタカミは、テンカに近づくと、口枷を外して見せた。

 それとともに、盛大な啖呵が切られた。




「良くもやってくれましたね、この無礼者!」




 口元が自由になると共に、雪崩のように暴言が飛び出す。

 噛みつかんばかりの勢いで、彼女は縛られた身体を暴れさせる。



「淑女たるこのわたくしに対して、まるで狂犬の如き扱いをするとは! ああ我慢なりませんわ! 胸だけが無駄に大きい乱暴者のパッパラパーに、このような屈辱を受けるだなんて! どうせ栄養を胸部と臀部に全部吸われて、頭はゴミ虫くらいの知能しか無いのでしょう? そんなミジンコ風情がわたくしを辱めるなんて、恥を知りなさいな、恥を!」


「…………」


 タカミは無言のまま、もう一度口枷をはめた。

 ふご、ふご、と抗議の言葉をあげ続けるテンカを見下ろしながら、タカミはボソリといった。


「ねえ鏑木くん」

「なんですか……?」

「最近暖かくなってきたし、かき氷なんて食べてみたいと思わない?」

「……シロップが赤いのなら、遠慮しますよ」

「大丈夫よ。ファントムの血は霊子の塵になって消えるから」


 全然安心できなかった。

 普段は優しいお姉さんであるタカミが、据わった目で緊縛少女を見下ろしている。その絵面は予想以上に怖くて、軽くトラウマになりそうだった。


 その時。

 トレーニングルームにキサキが入ってきた。


「やっほー。コウちゃん、今日はエネミー戦の練習やろ!」


 ちなみに、この三ヶ月で呼び方が『コウヤくん』から『コウちゃん』に変わった。


 扉を開けると共に響くのは、今日のトレーニング内容である。


 良く言えば天真爛漫、悪く言えば傍若無人な少女。

 比良坂キサキは、今日も絶好調だった。


 そんな天然少女は、部屋の隅の拘束少女を見ると、目を丸くして叫ぶ。


「あー! テンちゃんがひどいことになってる! ちょっとタカミ。これどういうことよ!」

「どうもこうもないよ。狂犬には、しつけと去勢手術が必要なだけ」

「テンちゃんは女の子だよぉ!」


 ああ、可哀想に、と叫びながら、キサキはテンカに駆け寄ると、口枷を外そうとする。

 その際、「大丈夫? 痛くなかった?」と、本気で心配そうに話しかけている。


 口枷が外される。

 すぐさま、テンカが口を開いた。



「出やがりましたわね、この弾幕娘!」



 友好的なキサキに対して、凄まじい剣幕でテンカは吠える。



「どの面下げてわたくしの前に現れたのか知れませんが、ここで会ったが百年目! あなたには直々に復讐をしてやりますから、覚悟なさいな! わたくし、受けた屈辱は三倍返しが信条ですの。絶対に足元に跪かせてから、屈辱に顔を歪めるまでいじめ抜いて、泣いて謝らせますからね! わたくしより多少胸があるからって、調子に乗るんじゃないですわ!」



「うんうん。そうだね、あたしもテンちゃんと遊ぶの楽しみだったよ」



 ギャンギャン噛みつくテンカと、それを受け流しながら楽しそうなキサキという図式。見事なまでに噛み合っていない会話だった。


 それを見ながら、コウヤはそっとタカミに尋ねる。


「……初対面、じゃないんすか?」

「レイス討伐に、あの子も参加したのよ。ほら、一応私のバディだから。元々は後方支援だけだったんだけど、レイスがある程度弱った時に、あの子が最後に『メテオレイン』をぶっ放して、とどめをさしたの」


 だから、あの温度差なのか。

 レイスの時とはいえ、自分にトドメを刺した少女に、そうそう気を許しはしないだろう。


 それに対して、キサキの方は、同年代の友達ができて嬉しいとでも言うように、非常にハイテンションで馴れ馴れしい。


 さて。そんなキサキだが。

 やはりというべきか、面倒な提案をしてくれた。


「そうだ! せっかくテンちゃんもいるんだし、シューターズのバディ戦をしようよ!」


 バディ戦。

 魔法士とファントムのバディ同士で行う、ソーサラーシューターズの試合形式である。


「いや、お前。バディって」


 答えはだいたい予測できたが、コウヤは一応尋ねる。


「まさか、俺とその子を組ませる気か?」

「うんそうだよ。だって、タカミはあたしのファントムだし」


 当たり前のように真顔で答えるキサキを前に、頭を抱えそうになる。


 まだ仮契約中とは言え、キサキとタカミのバディは、もうかなり長いと聞く。そんな相手に、急造チームでまともに試合ができるものか。


 そもそも、未だにキサキには、まともに勝ったこともないのだ。

 せめてチームの交換を提案しようとしたが、そこでテンカが余計なことを言った。


「よろしくってよ! そこの二人が相手というなら話が早いですわ。全身全霊、全力で叩き潰してやりますとも。まあ、そこな凡骨がパートナーというのは少々不満ではありますが、真冬の火種くらいには役に立つでしょう!」

「うん、じゃあそういうことで」

「いやそういうことで、じゃねぇよ! タカミさん、ちょっと止めてくだ――」


 最後の頼みの綱であるタカミへと助けを求める。


 が、後ろを振り向くと、そこには右手の包帯を解くタカミの姿があった。


「勝負は三セットでいい?」


 彼女は包帯の代わりに黒い革手袋をつけ始めている。冷静に革手袋の握り具合を確認する姿は、あからさまに臨戦態勢である。


「――安心して、鏑木くん。私が狙うのはそこの雪女だけだから」


 その目は、やる気満々であった。

 コウヤは深々と、小学生らしからぬため息を付いた。



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