第107話 歴史改変は重力よりも重い覚悟を背負って。

 ジョアンナに案内され、俺は町はずれにある寂れた墓地へと向かう。彼女はすぐ近くだと言っていたが、ろくに整備されていない道は現代人にはかなりキツい道のりだった。

 ようやくたどり着いた墓地の傍らには、名前も何も刻まれていない、ただ無数の石ころや木の枝を組み合わせただけの寂しげな墓の群れがあった。きっと身元不明の人達の墓なのだろうか。ジョアンナはそんな無名の墓の一つを指さして、「ここだよ。」と俺に言った。

 彼女の指差す場所にあったのは、盛られたばかりの黒い土に突き刺さった木の枝と、遺品のように添えられた金色のブレスレット─金星輪【リトルカーリー】。…それは間違いなくライカの愛用していた魔道具だった。


「……何で。」

 …ありえない。そう言ってやりたくなった。だって、ありえないだろ?こんなちっぽけな墓にあのライカが収まりきるはずがない。何せあんなに器のでかいやつなんだ。こんな所で死んでいいようなやつじゃないんだ。…ブレスレットがここにあるのは何かの間違いで、本物のアイツは今頃きっとピンピンして過去の世界を冒険して回ってるに違いないんだ。…ああそうに決まってる。そうでもなきゃ俺は…もう…。


 耳を塞ぎ、目を固く閉じる度に脳裏に焼き付いたライカの死に顔が浮かび上がる。血反吐を吐きながら、声にならない声で、彼女は俺に何かを伝えようとする。

 その光景が何度も何度も。繰り返される。何度口が動いても聞き取れない。聞こえない。あの瞬間が、あの光景のトラウマが、永遠と。


「…ぁ…ぁああああ……!!!」

 俺は嘆いた。両拳を握ってめいっぱい憤慨した。あの夜に泣いたばかりなのに、こんな所でまた泣いて、…俺はどこまで意気地なしなんだ。


 こんな俺ひとりぼっちで何ができる?エミリア教授を救えず、アンセルメアの友達にもなれず、ライカがいなけりゃタイムトラベルする覚悟すら芽生えなかった。君のいないこの時代で何をすればいいのかも分からないし、元の時代へ戻る方法だってさっぱり分からない。しばらくはジョアンナの家で世話になるとして、それから先はどうする?…なあ、どうすればいいんだよライカ。そこに居るなら答えてくれよ。口だけ開けても聞こえないんだよ。教えてくれよライカ…。


 「……!!」

 突然、誰かに抱きしめられた。…ジョアンナだった。彼女は俺の胸に顔をうずめて、自分より身長の高いはずの俺を、まるで泣く子をあやす母親のように、優しく、何も言わずに抱きしめている。


「大丈夫。」

 それから、ジョアンナは何度も俺にそう言ってくれた。本心では余計なおせっかいだったのに、俺は結局彼女の手を振り払う事が出来なかった。



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 過去の世界へ来てから数日。俺はあれ以来外へ出向く事もなく、屋敷の部屋の中でただ時間だけを無駄に消費する生活を送っていた。俺の部屋にやって来るのは殆どジョアンナ一人だけで、それ以外はたまにジョアンナの父親のアントニオさんと母親のポーラさんが俺の様子を見に来てくれたり、あとは長女のアンジェリナが退屈しのぎに俺をからかいに来るくらいだった。

 この数日間で分かった事はそれなりにある。まず、ジョアンナの世間話から推測して、ここが約2000年前の世界だという事が分かった。エンオーザー山脈で近いうちに大きな戦が始まるという彼女の話は、間違いなくプオリジア大戦におけるエンオーザー山脈の決戦の事を指している。

 次に、この時代の作法や礼儀についてジョアンナから少しばかり教わった。最初のうちは戸惑ったが、【記憶が無い】と言えるようになってからは、後はジョアンナが何もかも手取り足取り教えてくれるようになった。

 尤も、俺は勉強が得意なタイプではないので、この時代の文字──青銅文字ブロンズクリフは未だに読むことも書くことも出来ない。幸い発声は現代の言葉と殆ど変わらないようなので、時折聞きなれない言葉の意味をジョアンナに尋ねるなどして自分なりに覚えようとする努力は続けている。


「…はぁ。」

 得体の知れない文字の羅列された本をその辺に投げ捨てて、俺はベッドに倒れ込んだ。こんな生活、いつまで続ければいいんだろう。望んで来たわけでもない過去の世界で、意味もなく時間を費やすだけの人生。やるべき事もさっぱり分からず、未来は常に不明瞭。

 どうにかして未来を変えようと思った事は何度もあった。だが過去改変をする上で一番の障害となるのがこの2000年分の壁だ。2000年前の俺が何かしたところで、2000年後の未来が簡単に変化するとは到底思えない。いっそ未来の技術を言いふらしてタイムパラドックスの一つや二つ起こしてやろうかとも考えたが、さすがに自分が消滅しそうな気がしたのでやめた。


「アルクっ!」

 天井を見上げながらぼーっとしていると、いつものようにジョアンナが俺の部屋に飛び込んできた。彼女は俺の放置した本のページをパラパラとめくり、ばたんと閉じてから俺に顔を近づける。


「本、読めるようになった!?」

「…全然。」

 期待に満ちた眼差しで俺を見つめ、尋ねるジョアンナ。残念だがそれはノーだ。中身を見たまではいいが、俺はその本の内容を少したりとも理解出来ていない。


「じゃあ、書けるようになった!?」

「……全然。」

 続けて尋ねるジョアンナ。当然これもノー。何も読めないから何も書けない。とは言え、いつまでもこんな状況が続くと流石に愛想を尽かされそうだ。


「大丈夫!私なんて最近まで全然読み書き出来なかったもん!」

「…そうなのか?」

 読みも書きも出来ない。そんな俺にジョアンナは衝撃的な告白を述べた。どうやら彼女の話は本当らしく、詳しく尋ねるとジョアンナは毎日日記を付ける事で少しずつ読み書きを身に着けたそうだ。


「うんうん!でも毎日日記を書いたらね、書けるようになったから!アルクも毎日日記書こう!?ね!?」

「日記か…。」


「……日記?」


 …日記。

 日記と言えば…あの日図書館で見たデュミオス手稿。未知の言語のおかげで長年最上級の魔導書として扱われてきたが、アレは結局字の汚い誰かさんの日記というオチだったのを覚えてる。


「……エリー。」

 ふと、俺はその名を思い出した。…エリー・デュミアーナの備忘録。古い本のはずなのに保存状態が良好だったのは、今思えばエミリア教授のおかげだったのかもしれない。…しかし翻訳された内容はスッカラカンで、そのうえ三日坊主。あんなものを丁寧に管理していたエミリア教授が報われなさすぎる。


 …それにしてもすごい偶然だ。俺のいる年代─エンオーザーの決戦が始まる644年と、三日坊主の備忘録が書かれた年代──633年って、差はたったの11年じゃないか。その気になれば俺が著者の備忘録を奪い、不本意な未来を変えてしまう事だって───



「………!!」

 …自分の考えている事の恐ろしさに、身震いがした。解読された備忘録の内容を知っているのは学部長とエミリア教授。それから俺とハチスとネギシだけ。…マキハラはあれの中身を知ってすらいないはず。


 「…出来る。」

 あぁ、出来る。俺は確信した。これならきっといける。2000年後の未来を書き換える。これが今思いつく限りのただ一つの方法。


 あの日の惨劇を。…絶望の未来を回避するために。


 ……俺が備忘録の中身を書き換えるんだ。

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