第26話 誰も殺せなくたって結構だ。
「エリー。君に僕が止められるのかい?」
「…出来るよ。」
デュミオスは振り向くことなく両手を広げ、がら空きの背中をエリーに見せ付けた。……挑発だ。こいつは親に剣を向けるエリーの気持ちなんて少しも考えちゃいない。…いいや、分かったうえでこんな事をしているんだ。エリーの心をへし折る為に。
「そうかい。なら遠慮はいらないよエリー。僕は不死身だ。その剣で思う存分に突き刺したまえ。」
「……言ったね。デュミオス…。」
エリーの手が震え、心のままに白銀の剣が揺れる。震えが増すたびに、溢れる涙で頬が濡れる。でも、それでもエリーは剣を降ろさない。
「私は本気だよ…。デュミオス。……私は…殺せる…よ……。貴方を…。…デュミオス…を。」
掠れた言葉は野を焼く炎にかき消される。生意気に格好つけたって、君の気持ちはバレバレだ。もうやめてくれエリー。君の震える手を、君の流す涙を。君の気持ちを、君が裏切らないでくれ。
「デュミオスッ!!!!!」
俺は剣を振り上げ、デュミオス目掛けて突っ走った。勝算なんて少しも考えちゃいないけど、それでも俺は突っ走った。勝てない理由は知っている。それは、俺に『人を殺す決心』が無いからだ。
俺は今日まで沢山のモンスターを倒してきた。モンスターを倒すたびに剣の腕前は確かに上がっていた。でも、人を殺したことは一度もなかった。人を殺す決心なんて抱いた事が無かった。…それが俺とデュミオスの圧倒的な差に繋がったんだ。
「殺意が足りないよ。アルケイド。それじゃ死にかけの老人も殺せやしない。」
デュミオスは短剣を構え直し、俺の振り上げた剣先を見据える。その眼は人を救う薬師の眼ではなく、人を殺す暗殺者の眼のように暗く淀んでいる。
…人を殺す決心だって?くだらない。
「…ああ。殺せなくたって結構だ。」
「……!!」
俺は振り上げた剣をハンマーのように振り下ろし、デュミオス目掛けて思いっきり投げつけた。しかしデュミオスは平然とそれを回避し、投げた剣はぐさりと地面に突き刺さる。傍から見れば武器を投げ捨てる馬鹿な特攻だ。だがこれでいい。間合いに入り込むならこれで充分だ。
「……俺は大丈夫だよ。エリー。」
デュミオスの背後で泣き崩れるエリーを見た。それから、剣を躱して俺の心臓に短剣を突き付けるデュミオスを見た。時は停滞し、意識は永遠に延びてゆく。
ああ、出来る。停滞する意識の中で俺は確信した。
人を殺し、人を悲しませる決心なんていらない。
俺が抱くのは、『人を殺さない決心』だ。
「はああぁぁぁぁぁ………ッッ!!!!!」
「なっ…!?」
デュミオスが短剣を突き刺すと同時に、俺は手のひらを短剣の軸に合わせて正面へと突き出した。刃先に手のひらを向けたらどうなるかなんて、物心ついた時から分かってる。怪我の比じゃない痛みを味わう事も、今後手が不自由になるかもしれない事も分かってる。でも、俺に出来うる限りの方法でデュミオスから武器を奪う手段はこれっぽっちしかない。
「ぁがああぁぁ………ッ!!!!」
「しまった…!!」
血だらけの拳を握り、片手で力任せに短剣を封じ込める。これでも俺は龍人だから、力比べじゃ人間の大人にだって劣らない。
さあ、歯を食いしばれよ先生。エリーを泣かせたあんたにはとびっきりの拳を食らわせてやる。
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全身全霊を込めた右拳が、先生の顎を直撃した。宙に打ち上げられた先生の体は大きく仰け反り、そのまま草むらにどさりと倒れ込む。
「……どうだ。思い知っただろ。先生。」
俺は地面に倒れる先生を見下して言い放つ。…勝ったのは俺だ。馬鹿げた殺し合いも、これでもう終わりだ。…そう安堵した途端に俺の全身から力が抜け落ちていく。体を支える足はおぼつかなくなり、ふらつけば両腕がバランスを取ろうと揺れ動く。
「っ……!」
不意に手のひらに激痛が走った。左手を見ると、真っ赤な手のひらにナイフがぐっさりと刺さっている。戦闘中は痛みなんて少しも感じなかったのに、今はもう泣きだしたくなるほど痛い。…どうしてこんな馬鹿な事をしたんだろう。数十秒前の自分が憎い。
「アルケイド…!」
エリーが震える声で俺の名前を叫ぶ。辺りを見渡すと、燃え散った炎が草むらを無茶苦茶に焦がしている。丘に近いこの場所は吹き荒れる風も強く、早くどうにかしないと炎がどんどん広がって山火事になるかもしれない。
「ぐぅっ……!!」
…ダメだ。何を考えても手の痛みが邪魔をする。俺は手首を押さえたまま地面に膝をつき、すっかり何も出来なくなってしまった。
「その手…、早く治さないと…!」
「あ、あぁ……。でも炎が…。」
俺は夜の草木を焼く炎を見て、それから先生の様子を見る。…よりにもよって、どうしてあんたが村一番の薬師なんだ。そんなトコで気絶されちゃ、俺はこの怪我を誰に診せればいいんだよ。それに、この村でまともな氷術が使える人だって俺の知る限りあんただけだ。あんたが敵に回らなければ、この怪我や炎だってすぐ対処出来たのに…。
「なあエリー。おまえの土術で…、火を揉み消せないか?」
「…ダメだよアルケイド!私、すぐに救急道具を持ってこなきゃ!」
「いや、いい…。こんなの痛くも何ともない…。」
大慌てで駆け出そうとするエリーに、俺は嘘をついた。こんなに血が出て何ともないはずがない。…けど、ここで火を放っておく訳にもいかないし、何よりエリーに弱い自分を見せるのが恥ずかしかった。
「……分かったよ。」
エリーはうなづき、魔術で固めた土壁の波を炎の渦にかぶせ始める。これで少しは被害を抑えられるはずだ。
「先生の事は…俺に任せてくれ。」
「…うん。」
俺は片腕で先生の体を引っ張り上げ、ゆっくりと引きずる。…別に先生を許した訳でも、未練がある訳でもない。ただ、単に俺は誰も殺したくないだけだ。
「……ごめん。剣のせいでもう魔力がないよ…。」
「ありがとなエリー…。後は俺が何とかするから…。」
悲しむエリーに俺は平然と嘘をつく。炎の渦は彼女の頑張りも虚しく、あっという間に広がって俺たちの逃げ道を塞いでしまった。こんな状況で俺に出来る事なんてもう…何もない。
「……やれやれ。ここまで来て口先だけなのかい。アルケイド君は。」
「先生…?」
先生がぼんやりとした口調で意識を取り戻す。そして、俺の痛々しい手のひらを見るなり大きなため息をついてこう言った。
「もう大丈夫だ。止血も消火も僕なら出来る。多少手荒くなるけどね。」
それは、殺し合いの相手が言う言葉ではなかった。先生は俺の手に突き刺さった短剣の柄を握り、何の合図もなくそれを引き抜く。当然、俺は痛みのあまり叫んだ。しかし、短剣を引き抜いた傷口からは血がほとんど出ていない。傷の表面を氷が塞いでくれているようだ。
「さあ、不和の短剣【ディスケロン】よ。反覆する亜胞体の泡沫よ。炎の渦を遍く包み隠したまえ。」
先生が短剣を振りかざし、泡の魔術を詠唱する。空中に浮かび上がる円陣からは光の屈折で万華鏡のように煌めく幾つもの泡が生成され、それらは炎の渦をまるごと覆い込んであっという間に鎮火していく。
全ての炎が鎮火した後、俺は先生に自分たちを助けてくれた理由を尋ねた。その答えは単純で、優しくて、聞けば聞くほど怒りがこみ上げてくるような理由だった。
「君たちの決心を確かめたかったんだ。毒とか暗殺とか不死身とか、あれ全部嘘だよ。」
俺は笑う先生のみぞおちを打った。
左手で打った。
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