第100話 イルゼパト・クラインベルクは主人公の座を退く。
「あぁよく来てくれた。さあ座りたまえアルク君。」
「…あ、失礼します。」
学部長のイルゼパトに案内され、俺は用意された椅子に着席する。部屋の入り口まで一緒に来ていたはずのライカは、俺に「先攻を譲ってやる」と言い捨ててどこかに隠れてしまった。
それにしても不自然な部屋だ。学部長室は特に散らかっている訳でも、片付いている訳でもなく、只々無駄のない無個性が敷き詰められているだけの無欲な部屋だった。良く言えば合理的かも知れないし、悪く言えば人間らしさに欠けている。いろんな意味でここは魔術師らしい不気味な空間だった。
「……それで学部長、話と言うのは……。」
「はっはっは。怖がらせてしまったかね?」
呼び出した理由について尋ねると、学部長は俺の顔を見て笑う。どうやら悪い方面の話ではないらしい。…だとしたら結局何の話だろうか。呼び出される理由にはやはり心当たりがない。
「なあに心配する事はない。今日は君に直接聞きたい事があって呼び出した次第なのだよ。」
「聞きたい事…?」
学部長は頷き、俺に幾つかの質問を投げかける。質問の内容は「最近の調子はどうだ。」とか、「困っていることは無いか。」とか、そういう適当なものが殆どだった。面談でも何でもないのに、なぜ学部長はこんな事を俺に聞くのだろう。
「君に夢はあるのかね?」
「……。」
学部長が訪ねる。あると言えばあるし、ないと言えばない。少なくとも人に堂々と言えるような夢は持っていない。俺の夢は、ただ目立ちたいとか。活躍したいとか。そういう自分勝手な欲望だけだ。
「……あるにはあります。俺の夢は、魔術で誰かの役に立つ仕事をする事です。」
魔術適性診断で炎属性の適性を引き、自分に魔術の才能があると気付かされた時は確かに嬉しかった。けれど、夢は一度でも叶えてしまえば単なる日常に回帰する。日常になれば心が満たされない。満たされないから俺はまた次の夢を願う。
「役に立つ…か。そんな簡単な言葉で言いくるめられるほど、君の夢は単純なものなのかね?」
「………。」
ああ違うとも。俺の本当の夢はこの才能を活かしきる事。それは悪と戦う事であり、正義を守る事であり、活躍する事であり、ヒーローになる事だ。
「才能を活かしたい。されども活かせない。自身の才能と、世界の形が釣り合わない。…君もそう思うだろう?」
「……まあ。思います。」
俺は静かに頷く。機械技術が文明の基盤となった今の時代、魔術なんてものはあっても無くてもどうでもいいような技術だ。才能があろうとなかろうと、それを発揮し切れる機会はまずない。もはや辛うじて保護されているだけの無形文化財だ。
「ところでアルク君。唐突で悪いが時間旅行に興味はないかね?」
「……へ?」
あまりにも突然過ぎる質問に俺は耳を疑った。当然だが時間旅行なんてものは現代の機械技術でも実現していない未知の技術だ。最先端のテクノロジーとかそういうレベルじゃない。
「時間旅行だよ。惑星開拓とか、人造人間とか、空想科学にありがちなアレだ。私はアレが好きでね。君も興味あるかね?」
「は、はぁ…。」
俺は肩をすくめた。なんだか学部長の趣味の話に付き合わされているような気分だ。一応、あるかないかと聞かれれば、そりゃもちろんあるに決まってる。タイムパラドックスがどうとか…色々面倒な事はあるだろうけど、少しの興味もない人間なんて滅多にいるもんじゃない。…人は必ず過去を後悔する。過去やり直せるのならやり直す。それ以外の考えは俺にはきっと理解できない。
「時間旅行。…アレは実に素晴らしいよ。今の時代では無用の長物と呼ばれる魔術師でも、魔術全盛期の時代へ向かえば一躍人気者だ。君もかの時代へ飛べば相当の大魔術師になれるだろう。」
学部長の言葉を聞いて俺は納得する。確かにその通りだ。魔術の時代ならば、きっと思う存分才能を揮える機会がある。そう思うと、どうやら俺は生まれる時代を間違えてしまったのかもしれない。
「…という訳でアルク君。時間旅行に興味はあるのかね?」
「そりゃ、ありますけど………。どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だよ。興味があるのなら丁度いい。当大学の『時間留学制度』について説明しよう。…扉の裏に隠れている君も来たまえ。」
は?
って顔になった。
時間留学制度って何だよ。
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「ったく……。マジメな話かと思って来たのによぉ。時間旅行がどーのこーのとか完っ全にSFの話してるじゃねえか。拍子抜けだぜ学部長。」
扉を開けて入ってきたライカが開口一番に乱暴な言葉を吐く。同意できるもっともな意見だ。いきなり時間留学制度だとか言われても、ふざけた冗談にしか聞こえない。そもそも時間旅行なんて出来るはずがないのだから。
「まあ、そう言わずに聞きたまえ。ライカ君。ものの数分で終わる話だ。」
「………ちっ。」
ライカは嫌々ながらも俺の隣の椅子にどしっと腰掛ける。一応聞いておく姿勢はあるようだ。
「……あの、学部長。時間留学制度…って実際の所どういう制度です?まさか本気で時間旅行する訳じゃ…ないですよね…?」
念のため、俺は学部長に言葉の真意を尋ねておく。時間留学制度と言うんだから、きっと歴史を学ぶ留学か何かだろう。他国の古い街並みを見て、タイムスリップした感覚を味わえるとか、きっとそんな感じの制度に違いない。
「いいや本気だよ。」
しかし学部長は答える。その言葉は時間旅行の技術が現在に確立されている事を認める言葉だ。
「いや、そんなわけ──、」
「疑うのかね?」
学部長が真剣な眼差しで俺を睨む。その眼力に圧倒され、俺は口をつぐんでしまった。
「アルク君。世論は時間旅行を空想の産物のように語ってはいるが…、あれは決して実現不可能な技術などではない。『魔力定在性理論』と『未来人の卓越した知識』があれば十分に実現可能な技術だ。」
「ってかその未来人の知識っつー前提からして胡散臭えじゃねえか!」
学部長の言葉にライカは正論をぶちまける。魔力…理論はともかく、未来人の知識なんてタイムマシンでも使わない限りどう頑張っても手に入らないだろ。タイムマシンを作るのにタイムマシンが必要になるなんて…、本末転倒もいいところだ。
「ああ、その点は安心したまえ。未来人は既に我々に技術を提供している。向こうからこちらを訪ねてくれたのでな。」
なるほど。そう言う事なら確かにタイムマシンを作る必要はない。…だとしても恐ろしい話だ。未来の技術を現代に伝えればタイムパラドックスは避けられないだろうに…。いや、それ以前に未来人の存在からして怪しすぎる。本当にいるなら会って宝くじの当選番号でも聞いてみたいもんだ。
「その、未来人というのは誰です?」
俺は尋ねる。SF好きな学部長がどんな答えを返してくれるのか、期待と不安に胸を躍らせながら。
「私の妻だよ。」
「…へ?」
「はぁ!?」
意外すぎる答えに俺とライカは驚いた。てっきり学部長が「私がその未来人だよ」とか大物めいた事を言いだしてくれるのを期待していたのに、未来人はまさかの配偶者だった。
「今から20年ほど前。私は改装前の旧テオス駅で妻のノアソーツィア・クラインベルクと出会った。…彼女は私と出会うなり、『自分は約2000年後の未来から、病み逝く世界を救う為にこの時代へやって来た』という趣旨を奇妙な物言いで私に伝えてきた。…最初のうちは愉快な事を言う女性だと思ったよ。」
学部長は指を組み、俯いたまま過去の記憶を手探る。到底信じられた話ではないが、学部長の思いつめた表情と、駅での出会いという状況に俺は共感し、不思議と疑うことをやめてしまった。
学部長は言う。未来を救う為にはこの時代でタイムマシンを完成させ、素質のある魔術師達を今よりずっと過去の時代へ送り届けるしかないのだと。
そして、それこそが時間留学制度の真実なのだと。
…何もかもが支離滅裂で、到底受け入れがたい滅茶苦茶な説得だった。どういう原理でタイムマシンが作動するのかも分からないし、2000年後に何が原因で世界が滅ぶのかも分からない。そのうえ俺たち魔術師見習いが過去の時代へ飛ぶ理由も分からないし。大学がそんな事をして許されるのかどうかも分からない。…何もかもを曖昧にされたまま、俺たちは理解を強要された。
けれど、悪くないと思った。
世界を救えるならそれでいい。この才能が何かの役に立てるならそれでいい。
平凡な人生を、平凡な人間として終えるよりかは、ずっといい。
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