乙女の反抗声明 前編
そもそもは佐々さんが無神経なのが悪いのだ。
「
黒いリボンにパールビーズの髪ゴムは今日おろしたての新品だった。お気に入りのドレッサーの前で髪を結っていたのに。
楕円の鏡に映る瞳子の肩越しに能面みたいな顔も映り込み、無関心そうにちらと一瞥してからの一言が癇に障った。
「はぁ? やめてくれる? これが可愛いんだから!」
瞳子はしっかり貼り付けたつけまつげを意識しながら、ぱちぱちと瞬きをした。お目々の飾り付けも完璧。頭を振ればふるふると揺れるツーサイドアップが黒猫の尻尾みたい。今日も可愛いじゃん、私。せっかくだから自撮りもしちゃお。パチャリ。
佐々さんは変わらず犬のフンを踏んづけた時のような蔑んだ視線をくれてきた。
「佐々さんさぁ、何も言わずに背後に立つのはどーゆーわけ? キモいんだけど」
「奇遇だね。私も瞳子さんと同じことを考えてた。うちの妹はいつでもどこでもロリっぽい格好をしてるのがキモい」
奇遇だね。瞳子は姉の口調を真似してみた。今日もお高くとまっているようで何より。
ジーパンだの無地のトレーナーだのばかり着ている姉に言ってやりたい。
ねえ、そのままの君が好きって幻想なんだよ。自分で自分を可愛くしなきゃ、誰だって振り返ってくれないんだからさ。
姉さんを見た人は素朴だねって言うだろうけど、それは女の子じゃないと断言しているのと同じだよ。皆思っているんだから。
女子未満女子の佐々さん。……中身が勝負だなんて甘いこと、考えてないよね?
「あたしはこういう服が一番似合っているからね。服装がダサい日があったらそれこそ切腹したっていいよ」
白いフリルのついたブラウス。グリーンのシャーリングティアードジャンパースカート(なんだか嚙みそうな名前だ)。ピンクチェックのトレンチコート。ひらひらリボンのついた茶色いブーツ。どれも似合うから買った。千円もしないTシャツを何年も着古している佐々さんとは女子力が違う、女子力が。
佐々さんは唇を歪ませる。
「瞳子さんも少しは周りに目を向けたら? ゴブラン織りとかいうでっかいリボンを頭に乗せて、レースとフリルだらけのドレスを着ていた瞳子さんを見た子たちの顔ときたら、完全に引いてたよ。ゲリラコスプレーヤーはやめるべき。せめて普通の服を着てよ」
「はあ? コスプレイヤーなんかじゃないよ。クラシカルロリータっていうファッションなの! おしゃれで可愛いの! 佐々さんこそ自分の服装を見直せば? あたしが佐々さんだったらすぐに切腹するぐらいにダサいんだから」
瞳子はオーバーニーソックスを見せつけた。白地にトランプ柄が入っていた。
怒りを抑えるようにふう、と大きく息を吸う佐々さん。叫び出したいのは瞳子の方だ。
わざと大仰に立ち上がり、姉の身体を押しのけてから玄関に向かう。ピンクの革の鞄を持つ。
「……あたし、今日は帰らないから」
捨て台詞を吐いたのは完全に当てつけだ。アテはない。これから作る。
これだから姉と同じ下宿先は嫌なんだ。
※
数時間後。瞳子は大学の食堂で日替わりバランスランチの豚肉の生姜焼きセットを食べる手を止め、「やだよぉ、やめてよぉ!」と泣きまねをしていた。
対して友人たちは「だってさぁ」とため息交じりに漏らす。
「ほぼ皆実家通いなのに、いきなり泊められないよ、普通。ああ、でもナオだけは一人暮らしだっけ?」
「だめ。あたし、彼氏と今夜デートなの。……今夜は帰れないかもしれないわ」
ふっとアンニュイな風情を醸し出す友人の一人に、囃し立てる外野たち。瞳子は完全に蚊帳の外に置かれた。あ、皿にハエがいる。
瞳子は無言で麦飯をかきこみながら、自分のところへ話の順番が戻ってくるのを待った。
その間にも彼女たちの話題は授業のレポートのことから、経済学部棟中庭のしだれ桜が満開だったこと、サークルの先輩がひらすらうざいこと、バイト先がなかなか見つからないことと、玉虫色のように移り変わっていく。鳥のように姦しい彼女たち。
一人だけ早くに食べ終わってしまった瞳子は、
「――もういいよ」
え、と不思議そうな顔をする彼女たちに据わった視線を向ける。
「誰もあたしのことなんて、心配するまでもないってことでしょ。わかったから。じゃあ」
ランチプレートを持って席を立つ。
泣きまねをしたのだって、半分以上は本気だったのだ。下宿先に帰ったら否が応でもなく佐々さんと顔を合わせる。今までは喧嘩したってなあなあで済ませていたけれど、それはいつも瞳子が折れていたからだ。佐々さんは一回も謝ってない。佐々さんの方が姉なのに。瞳子は妹なのに。
今回こそは瞳子の決心が硬いところを見せるのだ!
プレートの返却口から絶えず水音とかちゃかちゃ、と食器の触れ合う音が聞こえてくる。置いて階段を下ろうとしたところで、あることに気付いて落ち込んだ。
ああ、もう。本当に嫌になる。
――さっきの言い方、怒った時の佐々さんに似ていたよ。
食堂を出たところでまだ三時間目が始まるまでに時間がたっぷりあることに気付く。瞳子は迷った挙句、大学の中央図書館に足を向ける。
小難しい本を読むのは大の苦手。でも、図書館横にはスタバがあれば、小さな水場や緑もある。ベンチに座って時間までスマホをいじろう。
周囲に比べて四角く落ちくぼんだような水場。ベンチを探していた瞳子はある女の子に引き寄せられた。
膝の上に小さなお弁当箱を広げて、朱塗りの箸を優雅に動かして。
色ガラスのような蝶の髪飾りをきらきらさせている和装の女の子。
あ、知ってる。瞳子はすぐに思い出した。
「『文学部の大和撫子ちゃん』……」
『大和撫子ちゃん』というのは瞳子が勝手につけたあだなだが、そうでなくとも彼女は人目を引く。
以前、友人といるとき、目の前をふっと彼女が横切ったことがある。蝶々のように。隣にいた友人の一人が文学部で彼女の顔を知っていたから『文学部の』と枕詞がつく。彼女曰く、家はものすごいお金持ちなんだそうだ。
美人でお金持ち。お金持ち私立でないこの大学では、それだけで人が寄ってくるものだが、この『大和撫子ちゃん』は恐ろしいほどにつんけんした対応をする。話しかけた時の返事は二通り。頷くか、首を振るかだ。会話のキャッチボールどころか、受け取ったボールを地面に置くだけ置いて放置するらしい。
そうでなくとも、振袖に袴姿の常時卒業式状態だ。「話しかけるな」オーラを放っている。下手に近づけば隠し持っていた懐刀でぐっさり斬り捨て御免されるかもしれない。さながら高貴な武家のお姫様なのかもしれない。
でも瞳子の場合、ある種のシンパシーを感じているのもまた事実だった。周りに合わせないで和装を貫いているところは、レースやフリルが大好きで身に着けている瞳子自身に似通うところがある。何より美人。人工物な可愛さでしかない瞳子には若干悔しいが、でも可愛い。天然ものでこれはずるい。なんなら、『あたしもこんなかわいい顔で生まれたかった!』と叫びだしたっていい。
暇だった瞳子は通行人を装って『大和撫子ちゃん』の前を通りつつ、そろりと彼女の手元に注目する。
残っていたお弁当の中身は三分の二ほど。ご飯と海苔の組み合わせで作られたミニパンダ三匹。ほかのおかずはすべて食べているようで、『大和撫子ちゃん』はお弁当を見下ろしたまま手を止めていたのだ。顔は恐ろしいほど無表情で、血の気がない。
でも瞳子には彼女の気持ちがわかってしまった。
「ねえ。そのパンダのおにぎりさ、もったいなくて食べられないの?」
『大和撫子ちゃん』はこちらをちらりともしないで、一つ頷いた。
「……うん」
返答はそれだけかと思った瞳子だが、相手はもう少し言葉を続けた。
「せっかく作ってもらったから」
「へえ、誰に?」
「ナオミ」
「どんな人?」
「姉……みたいな人」
瞳子は感激した。会話が成立している!
「姉みたいな人」とはよくわからないがそれはいい。これを機にうまく会話を広げていかないと。
瞳子は相手の隣に座った。
「名前教えてよ。あたし、教育学部二年の花村瞳子」
「私は……三宮、スズ。文学部の二年生」
「あ、同い年かぁ。よろしくね、スズちゃん。あたしのことは瞳子でいいよぉ」
ここで初めて三宮スズは瞳子の顔を見た。目を真ん丸にさせていた。
「――え?」
また会うの? そんなことを問いたげな瞳だった。
「当たり前でしょ。これであたしたちは友達になったんだから。それでね、さっそく一つだけお願いがあるんだけど……」
瞳子はしおらしく下手に出た。
「今日からしばらくの間、おうちに泊めてくれない?」
本当に申し訳ないんだけど、と付け足し、救世主に手を合わせる。
臆面もない、と脳内の佐々さんが瞳子を罵っている。わかってる、だから今出てこないで。
三宮スズはわずかに顔をしかめた後、「どうして?」と至極もっともな疑問を呈してきた。そこは瞳子としても隠すつもりはないので、一から十までしっかり説明する。
スズは脇に置いた巾着からスマホを取り出し、どこかへ電話をかけていた。ナオミ、と呼び掛けていることから見て、相手は可愛いお弁当の製作者のナオミさんらしい。
ややあって、通話を終了する。スズは告げた。
「――いいよ」
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