第140話 スツール(5)

「どの味がいい?」

 封を切りながら私はそう君を見上げようとして、ふと、伸ばされたままの足を見た。


 義足の方だ。


 右足はちゃんと膝の下に踵がきているが、義足の方は駆動の関係で伸ばし気味にしかできないようだと気づく。車に乗る時とか、少し不便かな。そんなことを思った時、ふと気づいた。


「総君! アパートの階段、大丈夫だった!?」


 思わずマカロンの入った容器をローテーブルの上に戻し、体ごと彼に向き直る。膝立ちになって、スツールに座る彼と目線を合わせた。


「三階も、昇れた!?」

 聞いてから、自分でも昇れたからここにいるんだ、と気づく。

 総君はくつくつと笑い、頷いた。


「大分良いリハビリだよ。下りがちょっと怖いかな」

 そう答え、ほっとする。


「下りは一緒に降りるね。ごめんね、気づかなくて」

 私の言葉に、総君は首を横に振る。しばらく私を見つめ、「あのね」と総君は切り出した。


「……なに?」

 膝立ちのまま、少しひるみながら尋ねる。鳶色の瞳がまっすぐに私を見ているからだ。


「あと一ヶ月ぐらいしたら、僕退院できるんだ」

 総君が緊張の滲む瞳で私を見つめる。


「そう」

 私は頷いた。「おめでとう」。まだ、退院もしていないのにそう口にする。総君は小さく吹き出し、「フライングだよ」と言う。なんとなく、それで緊張が幾分緩和した。


「事故前に住んでたウィークリーマンションは、母が処分したみたいで、もう一回住む場所を探さなきゃいけなくてね」

 私は総君の言葉に頷いた。


 多分、事故の状況や転院した時の総君の状態から、お母さんは一人暮らしなど絶対無理、と判断されたのだろう。実家で介護するつもりだ、ということを病院のソーシャルワーカーに話していて、それが総君が体に戻るきっかけになった、とも聞いた。


「その……。どうせなら、その……」

 総君の鳶色の瞳が忙しなく揺らぐ。目の縁が赤くなり、また耳が朱に染まるのを、私は間近で見た。


「コトちゃんの住んでるアパート、三階でエレベーターなしだからちょっと、僕、通うのに不便で……。良かったら、その」

 総君はひとつ呼吸を飲み込むと、私をしっかりと見つめた。


「一緒に住まない?」

 そう言われて、私はぼんやりと、『総君、噛まなかった』と思った。


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